第48話:バルセロナからマドリード観光

文字数 3,087文字

 しかし当日は地元の人達と観光客でごった返し噴水ショー終了時間前に道路のタクシーに乗ってホテルに帰った。この日は疲れたのでホテルに戻りシャワーを浴びて22時、床についた。翌3月13日、朝7時に起、予約した9時20バルセロナ・サンツ駅発で12時20分マドリード・アトチャ着の高速列車に乗るために8時過ぎにバルセロナ・サンツ駅に到着。

 駅の近くのカフェで朝食を食べて9時前に列車への乗車手続きを終えて9時過ぎに列車に乗り込んだ。スペインの新幹線ようなものでバルセロナマドリードを3時間で結んでいる。ちなみに乗車賃は90ユーロ、約13000円であり、新幹線東京から神戸までと言った感じである。車内は落ち着いた色合いでまとめられており新幹線のグリーン車みたいだった。

 スペインの高速鉄道は興味あるので発車後、少しして車内探検に出かけた。車内の食堂車はオリエント急行のようなテーブル席ではなく、昔の日本の特急列車のビュフェみたいに横長のカウンターで料理を注文して待つスタイルで、何と椅子さえもなく立食なのだ。このしょぼいのにはいささか驚いた。丸テーブルと景色を見られる窓側の1列のカウンターしかなかった。しかし車内販売の男性が飲食物を売りに回ってきた。

 マドリード・アトチャ駅からタクシーで予約したホテルに入りホテル近くのカフェで昼食をとった。その後、マドリード中心部のプエルタ・デル・ソルから西の方角に王宮がある。この王宮にはカルロス3世からアルフォンソ13世まで歴代のスペイン国王が住んでいた。現在王宮がある場所にはかつてイスラム教徒の城塞があった。非常に有目な観光名所で会ったため多くの観光客が来ていたが広い敷地、全部回るには厳しい。

 18世紀初めヨーロッパ中を巻き込んだスペイン王位継承戦争後、スペインの王位を継承する権利を得たフェリペ5世は豪華絢爛なフランスのヴェルサイユ宮殿で育ちだった。その国王がスペインで住まいとすることになった城は、現在の王宮の場所に建っていたイスラム教徒が建てたレンガ造りの古い城塞。歴代の国王が居城としたものの木製の大きな窓やドアは閉りが悪く隙間風が入り寒かった様です。
 
 実は、王宮は1734年のクリスマスイブの夜、火災がおこり全て跡形もなく焼け落ちた。その後、当時の一流建築家を集め、新たに宮殿を再建した。完成したこの王宮はなんと客室だけでも3400室以上ある地下室をいれて5階建てのヨーロッパ1、巨大で豪華な宮殿となった。その大きさは、イギリスのバッキンガム宮殿の5倍の大きさにと信じられない大きさ。

 笑い話のようですが国王の食事は地下にある台所から運ばれ国王の所に来る頃には冷めてしまった様です。もちろんエレベーターなどないから朝・昼・晩と毎日行われる食事を運ぶ使用人も大変だったでしょう。また近年、現在のスペイン国王が結婚式を行った際にも招待されていたノルウェー国王は、王宮内で1時間も迷子になり警備員が総出で王宮内を捜索するという事件も起こったほど。

 そして今、現在は、この王宮は住むには大きすぎるという理由から現国王一家はこの王宮には住んでいません。王室の公式行事等で使用される以外は、この王宮に国王が足を運ばれることはないようです。この大きすぎる王宮、一部ですが一般開放され見学が可能。ため息が出る程豪華でヨーロッパ1の大きさを誇ると言われるこの王宮、一見の価値あり。

 次に向かったのは、プエルタ・デル・ソル「太陽の門」とマヨール広場周辺。最初にプエルタ・デル・ソル。これといった記念碑があるわけでもないのにマドリード観光といったら外せない理由は何と聞かれたら、マドリードの中心であるだけでなくスペインの中心なのです。プエルタ・デル・ソルは、様々な道が交差していて一日中多くの人や車が往来が激しい場所。

 マドリードのシンボルマーク、マドローニョの木の実を食べるクマさんの銅像もあり記念写真を撮っている観光客が多く、小山田夫妻ももちろん記念写真を撮った。この広場がプエルタ・デル・ソル、『太陽の門』と呼ばれているのか、その理由が気になった。すると、なんとこの広場、半円の形をしていてそこから放射上に伸びた道がまるで太陽の光を表しているような。半円の太陽の形をしている様なのです。

 あともう一つの『太陽の門』と言われている決定的な理由がある。現在広場の真ん中に立つカルロス3世の騎馬像のある場所にかつては、城塞に守られていたマドリード市街に入るための入場門が東向き「太陽が昇る方角」にあった。毎朝、門を開けると朝日が入り込む方角にあり。そのため、この門がプエルタ・デル・ソル「太陽の門」と言われていた。と言う事が観光のパンフレットに書いてあった。

 歩き疲れたので広場の近くのカフェで珈琲と名物のチュロス「星形の長い、揚げたお菓子」を食べて、一休みした。その店で夕食を食べるとしたらどこが良いかと英語で聞くと、サンミゲル市場に多くの地元料理を出すところがあるから行くと良いと教えてくれた。今日は、疲れたのでタクシーでホテルに戻った。ホテルで風呂に入って、仮眠して、18時過ぎに起きて、お腹が空いたのでタクシーでサンミゲル市場へ向かった。

 市場は観光客と地元の人が大勢出ていただ、その中でも、きれいそうな店をみつけて入った。ホテルで教えられたようにサングリアとピンチョス、タパスを頼んで食べ始め、野菜のサラダとスペイン名物クロケッタ「コロッケ」、オリーブのピンチョス、ハモンイベリコ「生ハム」も注文。その結果、かなりの支出になったが、料理の美味しさとサングリアの旨さで納得、顔を赤くして、ホテルに帰った。

 部屋に入ると、かなり飲んだせいか、直ぐに床に入って寝てしまった。翌朝、3月14日ホテルのモーニングを食べて、今日はプラド美術館、ティッセン-ボルネミサ美術館、ソフィア王妃芸術センターの3館共通チケットをあらかじめネットで予約した。ここでは何と言っても「ディエラ・ベラスケス」と「フランシスコ・デ・ゴヤ」と「エル・グレコ」の絵を見ようと考えていた。

 ラス・メニーナス「女官たち」はベラスケスの代表作で、これを見に動いた。マルガリータ王女を中心に女官たちが取り巻き、右手には嬢人や犬、左手には大きなカンヴァスを前に画家本人が立っている。大きな鏡の前に集合した王家の集団肖像画だが、肝心の国王夫妻の姿が見えない。じつは彼らは画面のほぼ中央に掛かる鏡に映っている。ということは、画家は国王夫妻を描いていることになり、この絵は国王夫妻の視線がとらえた情景にほかならない。

 現に画家が絵筆をもっているのは右手で、鏡に映った姿ではない。では、国王夫妻の見ている情景を画家はどのようにして描いたのか不思議だ。現実と虚構の間に成立する絵画で見学者を迷宮の園に誘うには十分過ぎるほど素晴らしく、髪の毛一本一本まで繊細に描かれているように見えるが、素早い筆致で描かれてる。ドレスやリボンなどは特に荒々しい位で質感を出しマジックを見てるような不思議な感じだった。

 次が、ディエゴ。ベラスケスのブレダの開城。この絵はスペインがオランダ、ルクセンブルク、ベルギーでとの戦いに勝利したのを記念して「諸王国の間」と呼ばれる大ホールに飾るために描かれた戦勝画。貴族でスペイン軍の将軍であったアンブロジオ・スピノラが描かれており、膝まずいた敗者の肩に手を当てている男性がアンブロジオ・スピノラです。アンブロジオ・スピノラはオランダ軍に示した尊敬の態度を讃えられている。
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