第11話:姫子、横浜市大医学部合格と住まい探し

文字数 2,887文字

 2003年2月11日、朝12時に家を出て、新幹線で新横浜に17時着き、タクシーで日吉の慶応大学理工学部の近くのホテルにチェックした。夕食後、22時には床についた。翌朝、8時半に、試験会場に入り、リラックスするよう、軽く体を動かし、深呼吸し、試験会場に入っていった。しばらくして、終了の合図後、出て来て、思った通りにできたと姫子が笑顔で話した。

 その後昼食をとって、新幹線で18時過ぎに、自宅に帰り父に思うとおりにできたと伝えた。軽く夕食と取り、22時前には床についた。受験日発表の2003年2月22日、早朝の新幹線で岡山を出て、昼前に慶応大学日吉の校舎の合格発表の掲示板を見て、受験番号を確認でき、合格を確認した。直ぐに電話で、この結果を報告した。その後、大学の学食で昼食をとり、18時過ぎに岡山に到着した。

 そして合格の祝いのご馳走を買ってきて食べた。2日後の2月24日、10時、姫子は母と共に新幹線で新横浜に15時に到着した。そこで横浜線に乗り変え横浜駅で京浜急行・快速特急に再び乗り換え金沢文庫駅に到着した。そこからタクシーで10分の横浜市大医学部附属病院に着き、病院の外観と玄関から入り、大学病院の総合受付を見て回った。その後、横浜シーサイドラインで産業振興センター駅に降り、横浜テクノタワーホテルに入った。

 翌日、朝8時にタクシーをお願いして、海が見えるホテルの素敵なレストランで夕食をとりながら、横浜市大病院の近代的な建物、規模の大きさについて姫子が、興奮したように話した。あれをみて、私も病院内で見かけた、女医さんのようになりたいわと語った。そして、俄然ファイトがわいてきた話し、少しワインを飲んで、部屋に戻り、ツインの部屋で22時、眠りについた。

 翌朝、6時過ぎに起きて、ホテルの上層階からの海の景色を眺めて、7時半過ぎにフロントに行き、タクシーを待った。その後、タクシー8時にタクシーが来て20分で横浜市立大学八景キャンパスに到着。9時からの受験に備え、受験会場に入る前、姫子は、軽く体操をし、深呼吸をして、会場に入った。やがて、試験を終えて、出てくると、晴れ晴れとした顔で、出てきた。

 どうだったと母が聞くと、落ち着いて受験でき、2回見直しし、できるだけの事はしたと晴れ晴れとした笑顔で言った。その後、タクシーでホテルに戻り、ホテルの上層階のレストランで昼食ととった。今日も海が、きれいねと姫子が言い、こんな景色を見ながら、勉強、仕事ができるなんて素敵ねと言った。それに対し、医者は、そんな甘いものじゃない、なにしろ、人様の命を左右する仕事だからと母がくぎを刺した。

 わかってると言いながら、でも、大変な仕事だけれど、疲れた時に海を眺めて、心を落ち着かせるには、こんな素敵な海の景色って素敵だわと言い、心の疲れも癒やされるというと、母も、そうねと同意した。ランチセットも、コース料理のように、前菜、昼定食、最後のデザートと珈琲までついて、ゆっくり食べた。食後、ちょっと、散歩しようと姫子が言うので、ホテルの外に出た。

 すると、ホテルの近くには、多くの工場があって、ちょっとした工場地帯だった。歩いていると、金沢シーサイドラインを電車が入ってきた。しかし、電車特有の金属音がしなくて運転手もいなかった。どうやって走ってるのかなと母が不思議がった。姫子は、デザインが素敵と言い、携帯電話で、その電車の写真をとった。2003年3月26日、9月25日、以前買ったヤフー株が、2分割し今年で4分割と鮫島さんから連絡が入った。

 ホテルに戻って、フロントで向こうを走ってる電車って金属音もしなくて、運転手さんも見かけなかったけど、どうやって動いてるのと、対応した女性に聞くと、ちょっとお待ちくださいと言い、中高年の男性に代わり、あれは、最先端技術の自動列車制御装置で線路のデーターを全て記憶して、出発したり、速度を制御したり、駅で正確に自動停止できるのですと説明してくれた。

 いつ完成したのと聞くと、ここ横浜市金沢区の埋め立て地に1989年に誕生した、新型交通システムだと言い、ゴムタイヤを使っているので、音が静かなのですよと言い、生魚は全て、コンピューターが管理していますと説明すると、進んでるのですねと、母が、驚いた様に言った。この日も、ホテル内で、夕食をとって、明日の試験に備えて、早めに床についた。

 翌日、母が、ホテルの精算を終えて、タクシーに乗って、受験会場に入った。姫子が、受験会場に入り、しばらくして、試験を終えて、笑顔で出て来た。その後、新横浜に向かい、昼食は、新横浜駅の近くのレストランで和食を食べた。その後、新幹線に乗って、午後17時頃に、岡山の自宅へ帰った。今日は、寿司と取ったよと、父がにこやかに言い、18時過ぎに寿司が届き夕食をとった。

 父が、姫子に、どうだったと聞くと、ベストを尽くしたので悔いはないと言った。そうか、そりゃ良かったと言い、俺が死ぬときには、お前に見てもらいたいものだと笑いながら言った。すると、父さんは、しぶといから、大丈夫よと言い返した。そんな話をして、疲れたろうから、風呂に入って、早く寝なさいと母が言い、姫子は風呂には入って、22時には床についた。

 それから約2週間たった2003年3月8日、合格発表の日となり、母と姫子は、朝一番の新幹線で横浜市大金沢八景キャンパスへ向かった。その後、10時前に到着し、姫子が、自分の受験番号を見つけて合格したのを母が確認した。直ぐに、姫子が父に携帯電話で連絡すると、父が、電話で、やったな、おめでとうと言った。そして、今晩は、3人で祝賀パーティーだと言いケーキを用意しておくと言った。

 電話を終えると、岡山に向かって、戻っていき、17時前に、2人は、父の待つ自宅に帰った。そして、父に、横浜の有名な洋菓子を買ってきて、姫子が手渡した。そして、両親に、お陰で、希望する大学に入学できました。本当にありがとうございますと、挨拶すると、両親は、それを見て、たまらず、涙で頬をぬらした。その姿を見て、母が、姫子が生まれた時を思い出したと言い語り始めた。

 お前が生まれたとき、女の子だとわかると、お父さんは、ヤッターと声を上げて喜んで、私の頭をなでたのよと言い、しばらく、お前のかを見ていると、涙を流したのよと続けた。よほど、うれしかったのねと言い、お兄さん達の時は、何も言わず、無事だったかとだけ言ったのは大違いで驚いたわと語った。あなたが生まれてから、実は、兄たちよりも待遇が良く、貧乏だったのに、ピアノを買った時は驚いたわと言った。

 着るもの、ランドセル、カバン、本、ステレオも高級で良いものを買ったと白状した。多分、兄たちには内緒だけれど、2人のお兄さんと同じくらい、お金を使った。あなただけは、特別待遇だったのよと言うと、姫子は、涙ぐんで、わかってると答え、これからは、両親から注いでもらった愛情を病気や怪我で苦しんでいるの人に、私が愛情を注いであげる番ねと、泣きながら語った。
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