第10話:家の購入と姫子の医学部受験と米国同時多発テロ

文字数 2,908文字

 これを聞いて、是非お願いしますと言った。すると、富島さん、家田さん、溝口さんが、地区の集会場として使うとしたら、午前中は、老人達が集まり、昼過ぎには、幼稚園、小学校を終えた子供達が来るだろうから、彼らの喜ぶような、お茶、おせんべい、お菓子、飲み物を置いてやり、昼過ぎには、お母さん、おばあさん達が交代で、子供の面倒を見るのが、理想的だと言った。

 小山田が、地区の人達が使いやすい施設にしたいとのべた。そして、娯楽として、全自動麻雀台2つ、囲碁、将棋、花札、トランプ、テレビ、ステレオ、インターネットも完備したいというと、それはありがたいが、無理せず中古で使わなくなった道具を地区の人に言って、集めて、足らないものを買えば良いと言い、決して無理せず、長く、維持管理して欲しいと溝口組合長が言った。
 
 でも、決して無理するなと良い、公共のための施設だから、そんなにあわてて作らなくても良いと言ってくた。とりあえず、新居の方を急いで作れと溝口組合長が言ってくれた。そこで、新居の契約を済ませて、4月25日から新居の建設にとりかかり9月末を目標に作業を開始すると言った。翌日、木造在来工法の格安木造メーカーを紹介してくれ、この会社なら間違いないと言ってくれた。

 新築する家は、150平米、4LDK、の大きさで、ペアガラスなど、オプション込みで2300万円で家を建てることにした。建築が決まったら、必ず、家田社長にお願いすると伝えた。それを聞いて、わかりました、そうしましょうと、小山田言った。その頃、姫子は、医学部を受験したいと思い、父に話し、岡山で一番評判の良い予備校に入った。

 この頃、インターネットに興味を持っていた小山田聡、自宅に2001年7月10日にNTT西日本、Bフレッツ・ニューファミリーは月額6,100円で契約した。一番の目的は、SBI証券でネット証券をやってみたいからだった。そして、自宅に光回線を使って、高速インターネットを利用し、世界の情報を調べるようになり、それが楽しく夜遅くまで起きているので、奥さんに注意された。

 2001年9月4日、朝、鮫島さんから電話が入り、以前、急騰したヤフー株を少し買いませんかと良かれ、成功確率が高いという銘柄ではなく、人気化すれば、急騰すると思うと語った。投資家可能額を聞いてきたので5000万円までと言い、10株で、どうですかと聞くので10株と言い、成り行き買い10株の注文を出した。その後、9時に日本の市場が開くと、総額1820万円で、買え、投資資金残高が10280万円と預貯金17700万円なった。

 そして、夏が終わり、涼しくなった9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きた。同時多発テロ事件とは、2001年9月11日にアメリカ合衆国で同時多発的に実行された、ビンラディンのイスラーム過激派テロ組織アルカーイダによる4つのテロ攻撃の事。一連のテロ攻撃による死者は2996人、負傷者は6000人以上であり、インフラ等への物理的損害による被害額は最低でも100億ドルとされている。

 いろんな噂が飛び交い、未だに、不明な点も多い。この事件を契機として、国際テロ組織の脅威が世界的に認識されるようになり、アメリカはテロとのグローバル戦争の標語を掲げ始め、世界中が不穏な空気に包まれた。アメリカ合衆国と有志連合はアルカーイダやアルカーイダに支援を行った国への報復を宣言し、アフガニスタン紛争、イラク戦争に繋がった。

 これらの戦争によって不安定化した中東では、シリア内戦やイスラーム過激派の台頭、アメリカ合衆国とイランの関係が緊迫するなどの事態が発生した。また、国際的にもイスラム原理主義が活発化し 対テロ戦争が起こった。9月16日、国家哀悼日に、ブッシュ大統領が「この十字軍、テロとの戦争は時間がかかるでしょう」と発言。10月7日、テロの報復としてアメリカ合衆国がアフガニスタンを攻撃しタリバン政権を倒した。

 2001年9月18日に、小山田聡が依頼していた家が、完成した。建築してもらった家田社長に2300万円を振り込みを終えた。その後9月20日、今まで、住んでいた借家家財道具をトラックにのせ、3キロ離れた、高台の新居に小山田夫妻と次男、健二の3人で引っ越した。古くなった洗濯機、掃除機、エアコン、ステレオ、テレビ、その他の家財道具も買い換えた。

 さらに、小山田聡が興味を持っていたNECのパソコンと、インターネット株取引をするために、NTTのBフレッツという高速インターネットもつなぐことにした。近く電機屋に聞くと、この界隈では、初めてだと話していた。これには、健二も興味をもってパソコンの入門の本を買って、夜遅くまでパソコンの使い方を勉強して、実際にパソコンを使ったりインターネットをして楽しんだ。

 やがて2001年が終わり2002年を迎えた。アメリカのブッシュ大統領は、2002年1月にイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、世界平和に対する脅威と人権抑圧を続けているとして非難した。特にイラクは1991年の湾岸戦争後、フセイン政権は経済制裁を受けながら核開発疑惑に対する国連の査察を拒否しているとして、査察受け入れを強く要求した。

 一方のイラクのサダム・フセイン大統領は、湾岸戦争後国内の反対勢力を厳しく弾圧し、ますます独裁権力を強めていた。大量破壊兵器の開発を口実に2002年7月、ブッシュ大統領は「イラクは排除されなければならない」と宣言。核査察の拒否が国連決議違反にあたることをその理由とし、パウエル国務長官が盛んに国連の場でイラクを糾弾した。

 2002年11月8日「国連決議1441号」が採択され、「1週間以内の査察を受け入れと30日以内にすべての大量破壊兵器に関する情報を開示」など、厳しい条件がイラクに提示された。サダム・フセイン大統領はしぶしぶ査察受け入れを表明、査察団を受け入れた。

 2002年9月26日、朝、鮫島さんから電話で、ヤフー株が、また2分割したと連絡してきて、信じられないと興奮し、小山田さん、あなたは、本当についていると言った。

 そして、成績も兄たちを越えた。高校3年、2002年冬の一斉テストでも3位をとった。予備校の先生と面談し、横浜市立大学医学部を受験したいと言うと今の成績で75%の確率で、80%越えたら確率高いと言ってくれた、また、私立大学をどこにするか、決められないと言た。兄たちが、横浜国立大学に入ったので、近い場所の私大理工学部も受験したいと訴えた。すると横浜北部にある日吉の慶応大学理工学部が良いと教えてくれた。

 これで、姫子の心は決まった。やがて、2003年となり、いよいよ、姫子の受験の年となった。直ぐに、横浜市立大学医学部と日吉の慶応大学理工学部の受験手続きをとった。慶応大学理工学部の受験日が2月12日、発表2月22日、手続き3月12日までだった。次に、横浜市立大学医学部、受験日2003年2月25日,26日、合格発表3月8日、手続き3月13日までだった。今回も母が一緒について行くことにした。
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