第2話:真崎の子供誕生と小山田の株成功

文字数 2,816文字

 1972年11月に、三井物産株は上昇し、412円で全株、5千株、売れ、税引き後利益が185万円となった。真崎が身を固めても、小山田は、数人の彼女とデートを楽しんで、彼女の車で泊まり込みでドライブに行き楽しんでいた。競艇も麻雀も強くで、稼いでいて遊ぶ金にも困ることはなかった。しかし、結婚したばかりの真崎は、奥さんの仕切られていた。

 やがて、1973年が、あけ、初詣でに行き、子宝に恵まれますようにと、祈願して来た。しかし、麻雀でも彼の弱点である弱気が災いして、負けてばかりいた。だた、1点、良い事は、奥さんがしっかり者で、良く働き、店の売り上げは順調に伸びているようだった。ところが、初詣での子だからに恵まれるようにと言う祈願には、神様が答えてくれず、奥さんの妊娠はなかった。

 小山田の方は、1973年も、相変わらず、プレイボーイぶりを発揮して、数人の女性と浮名を流していたが、トラブルも起こさず、上手く楽しんでいた。特に、彼女たちの家は、裕福な家が多く、漁師の仕事の暇な時期に、東京へ行ったり、夏には、北海道へ3泊4日の旅行へ行ったりして、人生を謳歌していた。麻雀で真崎に会うと、余り良いことがない様で多くの愚痴を聞かされた。

 1973年も足早に過ぎて1974年となった。この年も、真崎は奥さんの尻にひかれていたが、仕事の苦労もなく、麻雀にはよく来ていた。夏になり、ビヤガーデンに行ったときに、小山田が男友達2人と女友達3人を連れて、真崎を招待した。すると真崎は、奥さん以外の若い女性に会って、上機嫌で、はしゃいでいた。2次会に行くと、飲んだ勢いで、女の子とデュエットして歌い鼻の下を伸ばしていた。

秋風が吹いてきた1974年10月、ソニー株が下げてきて、小山田と真崎が、490円で3000株、買った。そして、ソニー株は、株主分割し、1975年9月、株価が上昇し、1400円で3750株売り、税引き後利益480万円を手にした。その結果、小山田は、資産が500万円となった。その後も真崎夫妻には、おめでたの兆候がなく、木下洋服店でも困り始めた様だ。

 そして、真崎の奥さんが、岡山大学の不妊外来に行き始めたと言う情報が、小山田の耳に入った。やがて、1976年が、空けた。今年の初詣も早く、木下洋服店の跡取りができますようにと、奥さんが願っていたようだ。今年の冬、小山田は、彼女と2人で、漁がない日に、2泊3日、暖かい沖縄旅行へ出かけ、素敵なホテルで、逢瀬を楽しんで過ごしてきたようだった。

 1976年、1977年と足早に過ぎて、1978年を迎えた。その後、3月、ソニー株の株価が下がり、真崎と小山田が、615円で7000株購入した。そして、1978年6月、真崎夫妻に、待望の赤ちゃんができた様だと、真崎が、麻雀の時に小山田に話した。それによると、真崎の奥さんは、子供ができにくい体質で、岡山大学の不妊外来で、根気よく薬物治療をして、赤ちゃんを授かった。

 その話を聞いた、木下洋服店の家族が大喜びしていたようだ。出産予定日は、1978年12月10日だった。その後、夏8月になると、真崎の奥さんは、大きなお腹を抱えて、
玉の汗をかいて、木下洋服店で接客していた。しかし、旦那の真崎は、相変わらず、毎週のように麻雀に来ていた。そして、真崎が木下家にいるために、奥さんの面倒は、お母さんがしてくれ助かると話していた。

 1978年12月10日の早朝、木下洋服店に、子供が誕生した。キリッとした感じの男の子で、立派に立って欲しいという願いから、真崎立男と名付けたようだ。数日後、家に帰ってきた、真崎の奥さんの面倒を、実の、お母さんが見てくれて、お父さんも可愛い孫の誕生に、笑いが止まらなかった。まして、男の子ができたので、うれしくて、近所、親戚にも、ふれまわっていた。

 やがて1979年、初詣ででは、もちろん、子供の成長を願ってきた。その後も木下洋服店では、お客さんが途切れると、祖父母が、孫の立男の元へ来ては、あやしてくれ、掃除、炊事、選択もしてくれた。真崎は、いつものペースで、週に2回程度、夜、麻雀をしに来て、小山田に近況報告をしていた。そして、お婿さんも、考えようによっては、筋文楽だと話した。

 その後、特に、真崎の奥さんの食欲がすごくなったこと以外、特に変わりなく、1979年も過ぎていき、1980年を迎えた。今年、小山田も30歳になるが。相も変わらず、女友達に不自由することなく、楽しんでいた。しかし3人が付き合っていても進展がないので、去って行き、その代わりに、もっと若い女性と付き合い始めた。しかし、なぜか、
お金持ちの女性が多く金銭的には恵まれていた。

 木下洋服店の跡取り息子の立男君も、立って歩くようになり、笑顔がより一層、可愛くなって、祖父母は、毎日、笑顔で仕事をしていた。そして常連のお客さんにも立男君は、可愛がられて、木下洋服店のアイドルとなった。真崎の奥さんも元気になって、木下洋服店の売上金額の計算をしては、もっと売れる商品は何かと、思い巡らせていた。その点、真崎は気楽だった。

 その頃、ソニー株が力強い上昇を始め、それが1981年になっても続いた。その頃、小山田の彼女の中で一番若い、岡山大学経済学部4年の兼高良江さんが事情があって早急に結婚してと言った。そして、兼高さんは、1981年3月に、岡山大学経済学部を卒業し、実家で働くことになった。その後、小山田は、5月ソニー株を2600円で全株、7千株を売り税引き後利益が1650万円となった。

 小山田は、これにより、資産合計が2千万円となり真崎は、資産が3千万円を持っていた。その年、夏、漁の仕事がない日に その理由を聞くと、兼高さんの家は、岡山でも古くからの宝飾店で、最近、岡山で一番大きい板野宝石店の息子とお見合いをしてくれと、両親から頼まれたと話した。そして、その店の長男と結婚し兼高宝飾店を大きくしたいらしいのだ。

 それが、嫌なので、小山田さんと結婚したいと言うわけだった。そう言われても、学のない雇われ漁師なので、もし、両親が駄目と言ったらと聞いた。すると、その時は、小山田さんと駈け落ちしても、家を出ると言った。この話を聞いて、小山田は、困ってしまった。可能性としては、御両親が、私達の結婚を許してくれない可能性の方が強いと、小山田が冷静に言った。

 すると、兼高さんが涙を流して、でも、実家には、弟が2人いるから、私が、もし駈け落ちしても、大丈夫よと、小山田に抱き付いて泣いた。その姿に、ほだされて、それでは、来週、漁のない日に、電話して、兼高宝飾店をたずねることにするよと答えた。すると、ありがとうと言いながら、泣き出し、周りから冷たい視線で見られ、早々に店を出た。そして翌週の風雨の強い日、電話をして兼高宝飾店に閉店後、21時に来てと、彼女に言われた。
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