第44話:フィレンツェ観光と旨い料理

文字数 2,783文字

 この洗礼堂はロレンツォ・ギベルティによる東側の扉「1452年完成」が特に有名であり、後にミケランジェロが「天国への門」と呼んで賞賛したことから主にこの名で呼ばれる。現在設置されている扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されている。1401年、北側の扉の製作者公募が公告された。これはコンクール形式で製作者が選ばれた最初の例と言われ7人の技師や芸術家が応募。

 最後にロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキが選に残り、ギベルティが選ばれたとも、ギベルティとの共同制作をブルネレスキが辞退したとも伝えられている。このコンクールはルネサンス美術の幕開けのひとつとしてよく語られている。北側の扉は1403年制作の契約が行われ、1424年、東側入口に設置されたが、「天国への門」の完成に伴い、1452年に北側に移設されて現在に至る。

 現在残る洗礼堂内の洗礼盤は1416年にドナテッロ、ロレンツォ・ギベルティ、ヤコポ・デラ・クエルチャ、トゥリーノ・ディ・ヴァンニ、ジョヴァンニ・トゥリーニによるものである。北側の扉『キリストの生涯』ロレンツォ・ギベルティ、マゾリーノ、ベルナルド・ディ・ピエロ・チュッファーニ、パオロ・ウッチェロ、ドナテッロ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ。

 東側扉上の彫刻『イエスの洗礼』アンドレーア・サンソヴィーノ。南側の扉『洗礼者ヨハネの生涯』アンドレーア・ピサーノ。『教皇ヨハネ23世墓碑』ドナテッロ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、パーニョ・ディ・ラーポ・ポルティジャーニ。12世紀に建立されたサン・ジョヴァンニ洗礼堂は当時最も裕福だった毛織物商組合によって造営管理されていた。

 そこでコンクールを行ったものの、当時黒死病による膨大な数の死者が出た直後で、題目にイサクの犠牲が選ばれた。また、ミラノ公ジャンガレアッツォ・ヴィスコンティ指揮する大群の接近という危機を迎えたが、ジャンガレアッツォが熱病で頓死し難を逃れた。この事から毛織物商組合はコンクールに救国的意図があった。その後、洗礼堂第三門扉は都市を共有物と考えた富裕市民層に補われ、都市の装飾に責任を感じた。

 サンジョバンニ洗礼堂は11世紀に作られた八角形の洗礼堂。この時代のイタリアの教会建築は、教会の本堂の外に洗礼堂と鐘楼を立てるスタイルだった。ドゥオーモに面している扉は、彫金師ロレンツォ・ギベルティにより旧約聖書の物語が彫られた、通称「天国の扉」。金色に輝く10枚のブロンズパネルで構成されていて、その精巧な彫刻を多くの人が写真におさめている。

 しかし実はこれはレプリカ。本物は、「ドゥオーモ博物館」内に展示されている。ちなみに、このレプリカは銀座に本店を構えるセレクトショップの「サンモトヤマ」の現会長、茂登山氏が1990年にフィレンツェに寄贈したものなのです。実際に見ると彫刻の素晴らしさに目を奪われ、とてもレプニカに見えない。しかし、「天国の門のレプリカ」を日本人が寄贈とは、素晴らしい。

 その後、昼食をとろうと近くのレストランに入った。観光本に書いてあった地元のソウルフード「ランプレドット」の店を探した、ランプレドットは牛の4番目の胃袋で、フィレンツェ人が心から愛するソウルフード。香味野菜で煮込んだものを、グリーンソースと合わせて食べるのが定番。横文字で「、LSMPREDOTTO」の文字を見つけ様と探すと多くの屋台にそのメニューが書いてあった。

 パニーノとバスケッタを注文した。バスケッタとは「小さなお風呂」という意味で、ちょっと深めのプラ容器にランプレドットだけを入れてくれる。もちろんソースもかけてくれますよ。パンも別に付いているので、パニーノ「牛丼」、バスケッタ「牛皿」という事。バスケッタだとパンの味や食感に邪魔されず、ランプレドットの美味しさだけを味わうことができた。

 その後、「ウッフィツィ美術館」へ行き、昼休みで、なんとか入れたが混んでいた。2階に上がり、近年修復されたダ・ヴィンチの「マギの礼拝」や「受胎告知」、ラファエロやカラヴァッジョの作品を見学後、3階に行き、ジョットの「聖母子像」、ボッティッチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」、ミケランジェロの「聖家族」を見た。次に、したが、混雑で、じっくり見るという訳にはいかなかった。

 少しカフェで休もうと考えたが、長い階段を上り疲れたので一度ホテルに帰って休むことにいた、部屋に入りベッドに入ると、すぐに夢の中へ気がつくと16時、疲れはとれたが夕暮れ時が近い、フロントで「ヴェッキオ橋」へ行き、その次、ミケランジェロ広場の夜景が素晴らしいと教えられて、出かけた。川沿いを西方向に進むとヴェッキオ橋に到着。

 その名の通りフィレンツェで一番古い橋で、橋の上には宝飾店がズラリと並んでいた。ヴェッキオ橋を通り過ぎて川沿いを歩き、次のサンタ・トリニタ橋で右折すれば、フェラガモやグッチの本店が並ぶブランド通り「トルナブォー二通り」に出る。すると、奥さんが、フェラガモとグッチの本店が、フィレンツェにあったのねと驚いた。買うつもりはないから、店の前へ行きましょうと言われた。

 少し行くとフェラガモとグッチの本店が見え、その美しいショーウィンドゥを奥さんがじっくり、物欲しそうに見ていた。そこで、たまらず金が無い訳ではないから店に入ろうと奥さんに言うと、私は、免税店とか格安店で買いますからと言い、また、荷物が増えるのは、嫌だから結構ですと言った。それを聞いて、わかったと言い、歩き出した。

 夕飯時になったので、観光本に書いてあった、フィレンツェの名物料理「ビステッカ・フィオレンティーナ」これは、フィレンツェ特産のキアーナ牛を使い、塩・コショウ・オリーブオイルで味をつけ炭火で焼いたステーキ。有名な店に入り、ウエイトレスさんに聞くと、英語で日本人かと聞くので、そうだと答えた。焼く前に「このお肉を焼くよ?」と確認されOKと答えた。

 しかし大きいので残ったら持ち帰ろうと考えたが、焼き上がって出て来たステーキをナイフで分けると、かなりの部分が骨の部分で、それを除くと、あれっと言うほど小さくなった。しかし味は評判どおり美味しかった。唯一、残念だったのでは付け合わせとパンだけだった事。できたら温かい美味しいごはんと一緒に食べたかったなーと小山田夫妻は内心思った。

 その後、夜景が素晴らしいと言われたミケランジェロ広場にバスに乗って向かった。広場のテラスから眺めは、最高だった。階段を下ってテラスには、カフェテラスや有料トイレもある。そこでカフェに入って、ゆっくりして、十分、夜景を楽しんで、バスに乗ってホテルに帰った。ホテルに帰って風呂に入ってワインを飲むと、また、眠気を感じ、すぐに床に入った。
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