第14話:健一のNECの研修と松山観光

文字数 2,814文字

 翌日9時に出社するように言われ、通勤列車で20分で通い始めた。上司からの依頼は、簡単なソフトウェアの末端を描く仕事だった。しかし、グループ内のコミュニケーションの取り方、挨拶の仕方、話の仕方などを懇切丁寧に、教えてもらった。ビルの屋上のビアホールにも数回、連れて行ってもらい、夕飯をご馳走になる事もしばしばあり、美人の女性もいたので楽しかった。

 そんな楽しい、興味深いNECでのインターンシップも終了し、来年も来れば、採用の可能性が高いかもよと、お別れパーティーの席で、先輩に肩をたたかれた。はい、わかりました、来年も来たいと思いますと言うと、その意気だと笑いながら言った。そして、ビールを何杯ものんで、飲み過ぎたのを見て、泉田課長が、珈琲を飲んで帰ろうかと言い、喫茶店に入った。

 そこで、将来、ソフトウェアのニーズは、必ず高まる、そのために、プログラマーの数が足らなくはずだと言った。だから小山田君には、プログラマーとしての資質だけでなく、指導者としての資質をつけて、NECを引っ張っていける社員になって欲しいと、あつく語ってくれ、あまり上手くのせられて、是非、泉田課長の下で働きたいですと答えてしまった。すると、笑いながら、約束だぞと言い握手して、別れた。

 富島社長が、今年も不景気なのか、新しい家の建築が少なく手間のかからない、修理が多いので、ここに多くの作業員を投入できるので、予想より1ヶ月位、早く8月中に作業を終えられるかも知れないと話していた。ただし、梅雨の長さにもよるから、まだ、確定したというわけではないがねと語った。まさにその通りに、2003年8月8日21時半頃、中心気圧950nenn4gatukara 、最大風速40m/sの強い勢力を保ったまま、高知県室戸市付近に上陸した。

 さらに8月9日6時頃、中心気圧は970ヘクトパスカル、最大風速30m/sの勢力を保って、兵庫県西宮市付近に再上陸した。岡山件邑久町175ミリの大雨をもたらした。幸いなことに、この土地が坂道の上にある高台に位置していたため、海水が押し寄せることはなかったが、大雨で2週間近く、工事が遅れることにった。8月20日過ぎに、家の新築工事を再開できた。

 8月26日、庭に、細かい砂利と砂を入れた。また、車の通る場所と10台止められる駐車場は、アスファルトを敷き詰めて、8月28日に完全に工事が終了した。そして家の建築費2300万円と古屋解体と庭の整備費用を会わせて2500万円を支払った。その他、子供達に1000万円貸し、2003年、総合計3500万円を支払った。

 そして2003年9月1日までに小山田夫妻は、トラックで新居に運び込んでもらい、引越を完了した。その後、家の片付けも終わり、2003年9月30日の朝8時に岡山を出発し、四国、松山の道後温泉に2泊3日の旅に出かけた。国道2号線を西に向かい、尾道で一休みした。その後、しまなみ海道を抜けて、四国に渡り今治から西に向かい12時前に松山に到着した。

 昼食には松山名物の炊き込みの松山鯛めしを食べた。松山鯛めしとは、焼いた真鯛を丸ごと一匹、シンプルな昆布ダシでご飯と一緒に土鍋で炊き上げる。味付けは鯛の塩気と旨味のみなので素材の美味しさがストレートに味わえる。上品で、鯛のうまみが十分に堪能できる美味しいごはんだった。一休みしたら、市内のホテルにチェックインし、車をとめて、近くの道後温泉本館に向かった。

 道後温泉本館は、独特の瓦屋根の和風建築の3階建ての建物だった。湯質は、アルカリ性単純泉で美容に適したのなめらかなお湯です。夏目漱石ゆかりの部屋とされる「坊ちゃんの間」と展示室の見学が無料でできる。二階席などを利用すると、浴衣の貸し出しやお茶菓子を頂けた。温泉街は多くの人が浴衣で歩いていて、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る程だった。

 受付で、21時に、ライトアップがあるから、近くにお泊まりなら、是非、来て、ご覧になる良いですと、教えてくれた。それを聞いて、夕方食後、奥さんと2人で来て見ようと話した。中に入ると券売機があり買ったチケットを受付のおばちゃんに渡す。温泉自体は、こぢんまりとしていて外とのギャップが印象的ですが、手入れはちゃんとされています。約30分後に奥さんと待ち合わせた。

 そして、風呂から上がると、湯上りのお酒が欲しくなり、美味しい冷酒を買って飲んだ
。商店街を歩いて10分程行くと、伊予柑サワーが売っていたので、それもいただき、飲んだが、旨い。そして、宿に帰って、風呂上がりとほろ酔いのダブルで眠くなり、布団に入ると爆睡、2時間ほどして起きると17時を過ぎていた。だんだん、酒が抜けてくると、今度は、急激にお腹が空いてきた。

 そこで、少し歩き、19時頃、大黒屋と言う「うどんと釜飯の店」に入り、牛うどんすきセットを注文して、ゆっくり食べて、ビールも飲みたかったが水で我慢した。そして、21時のライトアップを見学して、帰って、風呂上がりのビールを楽しむことにした。20時頃、店を出て、ホテルで、テレビを見ながら時間を潰し、21時前にホテルを出て、道後温泉本館に向かい、21時を迎えると、電灯に灯りがついた。

 3階建ての古くて格式のある建物を見ていると「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルとも言われる純和風の温泉宿は毎晩ライトアップが行われ、その荘厳な姿を闇に浮かび上がらせ何とも荘厳な感じがした。三階の屋上に設置されている振鷺閣が赤い光で妖しく光り、その上には道後温泉の白鷺伝説にちなんだ白鷺像。この二つがアクセントとなって情趣に富んだ景観を作り出していた。

 そして、道後温泉本館の前の道を一番奥まで進み、ゆっくりと建物を眺めながら、夜の散歩としゃれ込んで、20分くらい散策して、ホテルに帰ってきて、風呂に入り、上がると、ほどよく、喉が渇き、ビールを空けて、女房と乾杯してビールを飲んで、今日のドライブと観光の話をして、明日の予定を打ち合わせていると、知らず知らずのうちに、眠くなり、床に入ると寝ていた。

 翌日は、愛媛県松山市のランドマークとも言える松山城に出かけた。武将・加藤嘉明が慶長7年「1602年」より築城を開始し、約25年をかけて完成。標高132メートルの城山「勝山」山頂に本丸、裾野に二之丸「二之丸史跡庭園」、三之丸「堀之内」がある。山頂の天守へはロープウェイ・リフトでアクセスできる。山頂から松山市街や瀬戸内海が一望でき素晴らしい眺望。

 天守は日本で12ケ所しか残っていないの内の1つ。大天守を含め、実に21ケ所もの重要文化財の門櫓「もんやぐら」や塀「へい」を配し、攻守の機能に優れた日本一の連立式天守「大天守と小天守」を構えた平山城と言われている。ちなみに、日本に現存する連立式平山城は、「姫路城、和歌山城、松山城」3つしか残っていない。
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