第15話:松山観光と健二の小型船舶免許に挑戦

文字数 2,741文字

 連立式というのは天守の縄張り型式の1つで、天守と小天守や櫓を空から見ると四角になるように渡り廊下や多聞櫓「たもんやぐら」でつないだもの。天守の中でももっとも複雑かつ防備が厳重な形式で、籠城戦を意識した「戦う城」の雰囲気が色濃く出ている。いずれも著名な城が選ばれていますが、城郭の規模も巨大な城ばかりなので、松山城もじっくりと1時間近くかけて、見学した。

 その後、奥道後温泉・壱湯の守に行き、立ち寄り湯を堪能した。奥道後温泉は、道後温泉の奥に位置し、石手川渓谷が深くなっていく川沿いの温泉地。アルカリ性単純硫黄泉のかけ流し温泉が堪能できる一軒宿「奥道後 壱湯の守『いちゆのもり』」では、美しい自然のパノラマに囲まれた西日本最大級の大露天風呂が自慢。貸切露天風呂や展望露天風呂付きの客室もある様だ。

 そして、松山市内で、昼食と取って、内陸の内子へ45分かけて行った。内子に到着し、八日市・護国の白壁・なまこ壁・土蔵、古い町並みを見学。江戸後期から明治時代にかけて、木蝋と和紙の生産で栄えた内子町。往時の面影を残す町並みには、白壁や格子戸の古い家屋約80軒が立ち並ぶ。木蝋「もくろう」資料館・上芳我邸や本芳我邸、大村家などは国の重要文化財に指定されている。

 有名な内子座は、大正5年「1916年」、大正天皇の即位を祝い創建された本格的な歌舞伎劇場。木造2階建て瓦葺き入母屋造り、桟敷席、回り舞台、すっぽん、花道など本格的な舞台装置を備えている。見学だけではなく、現在でも、演劇、コンサートに利用されている。四国きっての古き良き芝居小屋の風情を残している貴重な劇場だ。内子の町を回り、喫茶店で、一休みして、松山のホテルに戻り夕食を食べた。

 そして、道後温泉に入って、ビールを飲んで、四国、松山と内子の旅の話をし22時過ぎに床に入った。翌朝、もう一度、松山温泉会館の回りを散歩して、ホテルの精算を終えた。その後、車で、しまなみ海道を渡り、途中、尾道の坂の上からの景色を見て、多くの写真を取った。17時過ぎ、岡山の自宅に帰ってきた。

 小山田が、ヤフー株、いくらなんでも、下げ始めたら、そろそろ売った方が良いじゃないかと言った。その後、2004年4月6日、朝、鮫島さんから電話で140万円の気配値で成行売りと言われ、同意し、すぐ売った。すると140万円で全株売れた。ヤフー株は、結局2分割を5回して、株数が32倍となり、10株が320株になると言うウルトラCを起こした。

 その結果、ヤフー株売却後、税引き後利益35400万円となり小山田の投資残金が45700万円となった。そこで投資残金を15700万円として、預貯金を50000万円とした。寒い日も4月をすぎると日射しの強い日は、散歩していても汗が流れるようになり桜が咲き、続いて満開の桜を見ることができる最高のシーズンを迎える。

 小山田夫妻も近くの桜の名所に行き、友人達と、酒で乾杯し、旨い魚を食べて、歌を歌って、騒いで、花見を楽しんだ。その頃、次男の健二は、その後もずっと、漁師の仕事をいていた。小山田聡は、次男の健二だけ都会にも出ず、親の金も当てにせず、マイペースで生活してるのを可哀想に思った。そこで、健二に、費用を出してやるから小型船舶2級の免許らないかと話すと、ほんと、俺、是非、取りたいと言った。

 その後、最終的には小型船舶1級をめざせというと言い、小山田家の人や近所の仲間で、海に乗り出そうと言うと、わかったと笑った。そして、株で、儲けたから、免許取ったら、クルーザーヨットを探しに行こうと、健二に言うと、「うそみたい」と、言い、目を輝かしていた。2004年の夏の試験で健二は、小型船舶2級に合格した。

 健一は、NECに電話をかけ、2004年8月4日から8月30日までの4週間、インターンシップをしたいと言うと、了解しましたと言われた。8月4日9時に出社すると、泉田課長が出て来て、元気だったかと聞かれ、ハイと答えた。今回の研修では、単に、我々の下働きだけでなく、君の意見も聞きたいものだと言い、忌憚ない意見を聞かせて欲しいと言うので了解しましたと答えた。

 その後、昨年同様、依頼された、プログラム書きをづつけた。そして、君の意見はと聞かれた。まだ、そこまで言ってませんと健一が言い、実際に雇ってもらってから、議論しましょうよと笑いながら言った。わかったよと、泉田課長が言った。そして、忙しくしていると、あっという間に4週間を終えた。帰り際に、泉田課長が、よそに浮気するなよ、NECに入れよと、肩をたたいた。

 2004年8月30日から31日にかけて、台風16号の接近と大潮の満潮時刻が重なり、30日23時には、小山田の住む岡山市南区の対岸の高松港の潮位は観測史上最高の2.5メートルを記録した。この高潮による浸水によって、高松市では2人が死亡、6千戸以上が床上浸水、約1万戸が床下浸水した。しかし、実際に取られた対策が後手後手であったため、その後の防災対策が見直されるきっかけとなった。

 瀬戸内海沿岸「特に香川県・岡山県など」を中心とした地域での高潮被害はひどかった。高潮への警戒が必要なことは事前に繰返し報道されていましたが、高潮というのはいま一つ想像しにくい現象でもあるため、避難対策などへの危機感が強くはなかったのかもしれません。

 10月になると、海からの風も寒くなり、祭囃子が聞こえ始めると、いよいよ、わたりがにの季節となる。ワタリガニの調理法としては、何と言っても、ゆでガニ。沸騰したお湯に塩を入れ、ワタリガニを生きたまま入れる。10分ほどで完成し、蟹の色が赤茶色に変わる。食べやすくする為に、さばいて行きます。ふんどし部分と甲羅を外し、白いふわふわしたエラは食べることが出来ないので外す。

 一般的な食べ方は、あらかじめ包丁で、左右のハサミの間の真ん中で、2つに切り分ける。後は、丁寧に箸「はし」で実を取って、取り出した実の部分を食べる。殻に残った身は、しゃぶって食べる。甲羅に付いているミソは濃厚でとても美味しい。小さかったり、割れたりしたカニは、そのまま、ゆでて、酒と、合わせ味噌の味噌汁にして、最後に刻みネギを入れると旨い味噌汁になる。

 やがて2004年10月15日、雨で工事が少し遅れたが、集会場のが完成してた。費用は、約束通り、3000万円。その他、電灯、大型冷蔵庫、掃除機2台、食器、大型エアコン6台、長机と長椅子座布団などで300万円の合計3300万円の費用を使い、毎年500万円ずつ2人の生活費で資産が減るので小山田聡の預貯金44700万円となった。その後、10月10日地元の人達に、お披露目となった。
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