第25話:ポルトガルへ観光1

文字数 2,801文字

 翌8月27日、朝、今日は疲れを癒やすように、ゆっくりしようと考えた。そこで、朝食後8時過ぎまで、部屋で休んだ。その後、タクシーでベレンの塔へ向かい朝9時前に到着すると、あまり観光客がいなく、ジェロニモス修道院とセットのチケットを購入した白いお城のような棟は昔テージョ川を行き来する船の監視塔として使われていた様です。屋上まで上がり、多くの写真を撮った。

 しかし地元では、「ベレンの塔」ではなく、インド航路開拓の記念で作られた「サン・ヴィセントの塔」と呼ばれていた。階段が狭くて混雑してきたので、外に出た。その後、徒歩10分程で、発見のもミュメントへ移動した。エレベーターで上へ登ってみました。上からの景色は素晴らしいです。テージョ川やリスボンを気持ち良く見渡すことが出来ました。

 1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られた。ポルトガルの大航海時代に活躍した偉人たち「ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、フランシスコ・ザビエル」などの像がそれぞれの特徴的な持ち物や服装をして並んでいる様子はとても興味深かったです。発見のモニュメントの近くには世界地図があり、地図には各国が発見された年が記されています。想像以上に大きいのが印象に残った。

 最後にジェロニモス修道院へ向かうと10時過ぎになり、多くの人が並んでいた。修道院の中に入ると広い建物で広場に面した南門の彫刻の見事さに圧倒された。室内に入り教会内の天井の高さとステンドガラスや柱の彫刻など異国の文化が反映されていて珍しい。回廊の中に中庭があり天気が良かったのできれいだった。見どころが多くあると感じ見たかったが、混んでいたので早々に切り上げ11時前に外に出た。

 その後、近くの川の景色が見えるレストランに入り、昼食をゆっくりととった。一度ホテルに戻り、仮眠した。夕方16時過ぎホテルのフロントで、夕暮れのヴァスコ・ダ・ガマ大橋の景色が素晴らしいからタクシーで往復してくると良いと言われた。そこで17時半に早めに、ホテルでパンと珈琲を食べて日が暮れ始めたのでタクシーを呼んでもらった。

タクシーに乗ると運転手にヴァスコ・ダ・ガマ大橋を往復して夜景が見たいと告げると、君達、ついてるよ、今日の夕暮れはきっと素晴らしいよと言った。ホテルを出て5分ほどで橋に入ると雲に太陽が隠れはじめた。すつと、雲の周りが、あかね色に染まりはじめ、それが徐々に大きくなって来た。10分くらいすると空一面があかね色に染まった。何てきれいな景色だろうと言うと妻が盛んに写真を撮り始めた。

 橋を渡り終えて折り返し、再び、ヴァスコ・ダ・ガマ大橋に入り戻ってくる頃には、当たりは夜の闇に包まれた。そして、ホテルに戻って来た。19時過ぎていて、ホテルの部屋で休み、21時にホテルから徒歩10分ほどのファドを鑑賞できるレストランに着いた。そこに入ると室内は宮殿の中のように白い大理石出とても素敵だった。壁にはじゅうたん貼ってあった。

 ファド鑑賞と食事とワインのコースを頼んでいたので、最初に食事とワインが運ばれてきた。食べ始めて15分位しては、3人の男性がギターを持ってレストラン真ん中、壁際の場所で、哀愁を帯びたギターの曲を弾き始めた。その中の1人が中央に立ち、歌を歌い始めた。これがファドらしい、哀愁を帯びてるというか暗いと言うか、切々と何かを訴えているように聞こえた。

 30分位で3人の男性達が歌を終えて食事を再開して肉、魚料理を食べてた。また30分位して今度は男女ペアがきて、男性が椅子に座り、ギターをかなで、女性が、最初はささやくように小さな声で歌い始め、徐々にさざ波のようた感じの歌声になり、声も大きくなり出した。クライマックスに近づくと、益々声が大きくなり、盛り上がった。

 その後、潮が引きように徐々に歌声が小さくなり、一段と哀愁を帯びた表情になり、時には苦悶の表情で歌うと言うか語るというか、切々と訴えかけているように聞こえた。その声をジッド、静かに観客が聞き入っていた。やがて、ささやくようになり、歌声が暗い室内に消えていった。すると、さっき歌った3人の男性と、今、歌い終えた男女ペア、5人が観客に向い、立って観客に深々と頭を下げておじぎをした。

 少しして、レストランが、急に照明が明るくなり、食後のデザートのフルーツとアイスクリームが出て行き、ゆっくり食べて、23時前に、終了して、レストランで精算しようとクレジットカードを魅せるとノーと言われ、キャッシュと言うので、70ユーロずつ、合計140ユーロ、2万円前後の支払いとなった。その後、徒歩で、ホテルに帰り、ワインを飲みながらファドの話をして床についた。

 翌、8月28日もリスボン市内観光を計画し、朝7時に起き、8時にホテルを出て、徒歩10分足らずでコルメシオ広場へ向かった。王宮広場と呼ばれているコメルシオ広場。歩行者天国のアウグスタ通りとテージョ川に面している約200メートル四方の広場で、観光客が来ていた。広場の中央にはドン・ジョゼ一世の騎馬像が建っている。凱旋門「勝利のアーチ」や埠頭「カイス・ダス・コルナス」の前で写真撮りまくり。

 その後、「サン・ジョルジェ城」へ。その起源を調べると、紀元前2世紀の古代ローマ時代の要塞だった。その後、ポルトガルを支配してきた様々な民族の手によって、今のお城の形となった。リスボンを敵から守るために作られたサン・ジョルジェ城「要塞」は、リスボンの街全体を見下ろすことができる丘の上に立っている。お城は石造りの城壁にぐるりと囲われていて、たくましい姿を街からもら見られる。

 城壁には10の塔が立っています。そこに上ると待ってるのはリスボン街を見下ろす360度の大パノラマ。旧市街のオレンジ色の瓦屋根と、対照的な太陽光に反射して眩しいぐらいの白い壁、そして街並みの向こうに広がる大河は、テージョ川だ。目の前に広がる光景は正しくノスタルジックで、ポルトガル大航海時代を思わず想像する。上り坂は市電に乗って、帰りの下りは歩いて戻った。

 続いて訪問したのは、リスボン大聖堂。12世紀にアフォンソ・エンリケスがイスラム教徒からリスボンを奪還し、モスク跡地に建造したというリスボン大聖堂。バラ窓の美しさとリスボン最古の教会として知られている。イスラム教のモスク跡地に1147年に建設を着手した。1755年のリスボン大地震にも耐えた堅牢な造りだ。

 その他、ロマネスク様式の正面入口をはじめ、ゴシック様式の回廊、バロック様式の内陣と祭壇などさまざまな建築様式が混在する。ヨーロッパで大地震があったのかと、不思議に思い、後で、調べて見ると、1755年11月1日、発生した地震で、9時40分に 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み