第35話:老人施設と妻の友人の訪問

文字数 2,740文字

 大雨の後の10、11月の岡山は、日照不足で、うすら寒い日々が続いた。そのため柑橘類、果物の生育に悪影響を及ぼした。また、引き続き雨の日が多く、気温も低く推移した。そのため農業、水産業の人にとっては、あまり好ましい状況ではなかった。そうして、2014年も終わり2015年を迎えた。東京にいる長男の健一は、子供も出産の事で、姫子は、年末、年始の皮膚医院の診療で忙しく戻ってこなかった。

 2015年になっても岡山では、日照不足が続き、みかん、オリーブを始めとする農産物の発育には適さない状況だった。もちろん漁業も影響を受け、捕れる魚の量が少ないとの漁業協同組合でも嘆いていた。そんな日々が続いていた4月1日、地元の自治会長が岡山市市議議員と、県議会議員を違う日に、小山田聡の集会所に連れてきた。そしてこの所、岡山でも高齢化進んでいて、集会所を老人会議施設にしないかと話した。

 その話によると岡山でも老人介護施設が不足し始めて1,2年後には、完全に足らなくなるので集会場を改装して老人施設にして、業者に貸して欲しいと言う話だった。改修費用は全て、岡山県と岡山市が無利子融資して老人施設を作ると言うのだ。その後、賃貸の老人施設として、業者に賃貸して欲しいと言うのだ。もちろん税制上の優遇措置もあるので、決して損な話ではないと説明していた。

 お話だけは受け聞いておきますと、小山田聡が、岡山市会議員、県会議員にそれぞれ返事した。この施設を作った建築会社の社長も時代の流れに乗って方が良いかも知れないと小山田に話した。しかし、その後、すぐに具体的な話は、来なかったので、以前どおりの集会場の経営をしていた。すると、奥さんの良江さんが、今年は、イタリアに行ってみたいと言いだした。

 良江さんの友人の絹子さんが、イタリア好きで、是非、一緒にいきたいと言うので、行って見たいわと言った。イタリアのミラノ、ヴェネツィア、ピサの斜塔、サンタ・マリア・デル・フィオーレ「フィレンツェ」、ローマ、バチカン、ポンペイ、ナポリ「カプリ島」の青の洞窟、アマルフィ、何て素敵なんでしょうと、うっとりとした顔で、語った。絹子さんの旦那さんも富裕層なのよと言った。

 何で儲けたのかと、小山田聡が聞くと、何でも、お父さんが、お医者さんで、倉敷絹子さんが成人してから、外国の投資信託を定期的に購入していて、資産を増やしたと言った。でも最近は、日本でも良い投資信託ができてので、乗り変え始めているらしいと話していた。何でも、約40年で500万円が28倍になり、1億4千万円になったと話していたと聞くと、信じられないと言った。

 一度、家にも招待して面会してみたらと言うので、小山田聡が、いつでも、呼んで来ても良いよと、奥さんに話した。その3日後の4月8日。奥さんの友人の倉敷絹子さんと夫の倉敷正吉さんが、小山田家を訪ねてきた。応接間に通して、倉敷夫妻が挨拶して、虎屋の羊羹をお土産に持ってきた。そこで、上等のお茶を奥さんが入れて、お茶しながら、お話しすることになった。

 倉敷正吉さんが自己紹介して、私は、女房のお父さんの病院の事務長をしていますと言った。小山田さんは、地元岡山市民のための集会場を自費で建てたそうですねと言い、立派なことですと誉めた。そして、クルーズ会社をつくり、そこの会長をなさっているのですねと言い、漁業協同組合に融資して、大きな貢献をなさっている事も女房から聞いてますよと語った。

 これを聞いて照れくさそうに、そんなに、たいしたことではありませんよと笑いながら言った。その後、お酒を飲みますかと、小山田聡が聞くと倉敷夫妻が、両方とも先が弱いので結構ですと断わった。小山田も、うちも、実は、そうなんですと言った。よかったら紅茶でも、いかがですかと聞くと、絹子さんが、それがありがたいと言った。うちでは、アールグレイですが大丈夫ですかと聞くと、興味深そうに、是非、飲ませていただきたいわと言った。

 少しお待ちくださいと言い、小山田聡が、硝子容器にアールグレイをいれて、持ってきた。そして、ラム酒に浸した、干しぶどうをガラス容器に入れてきた。絹子さんがそれは何ですかと聞くので干しぶどうのラム酒漬けですと言うと、ラムレーズンねと言い、オシャレねと言った。熱い紅茶に、これを入れて飲むと、本当に美味しくなるのですと小山田が言った。言われたとおりにして、絹子さんが飲むと、おいしいと叫んだ。

 何てオシャレなのと驚いていた。早速、うちでも、まねてみましょうと笑いながら言った。絹子さんの旦那さんも紅茶の香りを嗅いで、旨そうと言い、本当に美味しいなと言った。その様子を見ていた良江さんが、笑いながら、ちょっと工夫で、この旨さよと自慢げに言った。その後、ニヤッと笑って、実は、全部、うちの旦那が考えたものよと打ち明けた。どこでお知りになったのと良江さんが聞いた。

 それに対し、小山田が、僕の家は貧しくて紅茶を飲む習慣はなかった。しかし高校生になり友人とたまに神戸に出かけて、喫茶店に入るのが楽しみで、そんな時、紅茶の店に入って、紅茶にイチゴジャムを入れたロシアンティーを飲むととても美味しかった。冬の寒いとき、そのロシアンティーに、なにか、細い口の硝子容器から何かの液体を入れてる大人を見た。気になって、自分もやってみると、ブランデーだった。

 ブランデーの良い香りが、鼻をくすぐり、なんとも言えない、美味しい紅茶になった。そして、顔が赤くなり、体が暖かくなるのを感じた。その後、大人になって、ラムレーズンアイスを食べたときに、ラムレーズンを熱い紅茶に入れたらと考えついて、やってみたら、最高の味になった。紅茶もダージリンよりも、アールグレイの方が良くあっていると気づき、飲むようになったと話した。

 わー、すごい話ねと、絹子さんは、驚いていた。そんな話をしていると、倉敷正吉さんが、自分の生い立ちの話を始めた。うちの実家は、神戸で食堂をやっていて、大学も近くにあり、アルバイト学生を雇って、店も繁盛して、両親が金を貯めた。そのため関西の名門の中学、高校、大学のコースを脇目も振らず、生きてきた。しかし成長して世の中に出ると、自分の足で立っていなかった人生だったことを痛感したと語った。

 ハングリー精神がないというか、競争心に乏しい自分の姿を世の中の競争の中で、思い知らされたと話した。もう、それに気づいたのは、既に遅かった。そのため、お見合いをして、お医者さんの娘さんの絹子さんと、お見合いをして、結婚したという訳だと言った。小山田さんの話を聞いてると、自分とは対照的な人生を歩んできたとわかり、非常に参考になると告げた。
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