第1話:小山田と友人、真崎の見合い

文字数 2,839文字

 小山田聡は1950年6月12日、岡山県宇野港の郊外で生まれ、中学を卒業すると、漁師の手伝いをして、やがて、父と同じ、雇われ漁師となった。しかし、血との跡を追いギャンブルが好きで倉敷のボートレース場にも出かけていた。そして倉敷の昔からの大地主、真崎敬吾と親しかった。真崎の実家は、大規模な桃農家で米、野菜も作っていて、比較的裕福だった。

 瀬戸高校の園芸かを卒業して実家の大きな桃農園を手伝っていた。真崎も賭け事が好きで、計算が早く、数学が得意だった。そのため小さい頃から、父に連れられて、証券会社に行き、儲かると豪華なご馳走を岡山のレストランでいただいていた。そんなある日、小山田と同じ年の真崎が麻雀荘で一緒に麻雀するとこととなった。真崎は、場を呼んで、堅い麻雀を打った。

 一方の小山田は、ツキを大事にして、勝てると思うと一気に攻めて、ついてないと思うと、麻雀の相手に振り込まないように注意して打つ、対照的なタイプだった。そんな、小山田の豪快な麻雀を見て、真崎は、彼にひかれるようになった。そして2人のうち、片方が負け、もう片方が買ったときは、勝った者が食事をおごるようになった。また、ボートレースも一緒に出かけるようになり、親しくなっていった。

 そして1969年3月に、真崎が高校を卒業すると、小山田に、一緒に株をやらないかと持ちかけた。小山田は、金がないと断ると、最初の資金は、無利子で貸してやると言い、岡山のN証券で証券投資口座を開き、50万円ずつ入金した。小山田の家では、売り物にならない魚を料理し、食事する事が多かったが、地元の人達は、優しく、畑で売れ残った野菜をタダでくれたり、自宅の鳥が産んだ卵をくれたり米もくれた。

 その代わり、真崎の船が大漁の時には、魚を渡すという物々交換で、何とか食べるものには困らず過ごした。もちろん、家は、器用な父が、廃材が出ると、その中から使える木材をタダで分けてもらい、小さな小屋を建て、木材が集まると、増築して3DKの手作りの家を建てた。その粗末な家に、真崎は、好んで泊まりに来て、小山田の父、父の友人、小山田聡と4人で、麻雀を楽しんでいた。

 そして真崎の父と同じ様に三井物産を1969年10月、65円で5000株、32.5万円で買った。その後、小山田は、19歳となり水泳が得意で筋骨隆々の男となったが、真崎の方は、小柄で、水泳も得意ではなかった。6月過ぎると、暇な日は、小山田が近所の可愛い女の子を数人連れて、泳ぎに行くとき、真崎にも声をかけた。小山田は、もてるタイプで、数人のとりまきの娘がいた。

 しかし、真崎は、自宅の農家のを手伝いに来てる近所の娘が着替えている所を盗み見したり、する程度、恥ずかしがり屋という性格もあり、女性に縁がなかった。さらに、手伝いに来ていた娘を夕方、暗がりで胸を触り、ビンタを食らってからは、女性との付き合いが苦手になってしまった。そのため、金ができると、岡山駅周辺のトルコ風呂に行き、金を払って逢瀬を楽しんだ。

 一方の真崎は、何人かの女性と逢瀬を楽しむ事ができ、何しろ、甘いマスクと優しいことを言って、口説いていたので、もてていた。また、この当時は、いざなぎ景気のため。1965年から1970年頃まで長期間、日本中が好景気に沸いていたい。そして1968年には、日本は、GNPが自由主義経済国内でアメリカに次いで第2位となった。そのため、ボートレース場も麻雀荘も飲み屋、トルコ風呂も大繁盛していた。

 1971年になると、真崎敬吾に、お見合い話が持ち上がり、お相手は、岡山駅近くの木下衣料品店の長女、木下昌子だった。木下衣料品店では、女の子1人だけだったので、お婿さんを迎え入れるか、裕福な家の子供と一緒になってもらうかのどちらかだった。そして木下商店の店主が商売はみずものだから、お婿さんを取るのではなく、裕福な家の男の子とのお見合いをえらんだ、

 そして、1971年4月18日、岡山駅近くの高級料亭で、真崎敬吾と木下昌子のお見合いが始まり、両家の両親の話が進み、好印象を持った様だった。その後、5月の連休に、真崎と木下さんが映画を見に行った。真崎は、自信がないので、デートの仕方や話し方なども小山田に聞いて、デートした。その時に選んだ映画は、小さな恋のメロディーだった。

 木下さんが、この映画を見て、映画館から出て来たときには、うっとりとした目をしていた。その後、近くのレストランで夕食を取ると、木下さんが、また、デートに誘って下さいねと、喜んでくれたようだ。その時、木下さんの好きなものを聞き出すと、魚の刺身、牛の焼き肉、中華料理、珈琲、紅茶、音楽「洋楽」、ドライブ、旅行、「特に海外旅行」など多くの情報を入手した。

 その結果を聞いた、小山田が、車でドライブすると喜ぶのではと言うと、話してみると真崎が答えた。6月には、1泊2日で、出雲大社、宍道湖を巡るドライブへ行ってきた。そして米子、松江、宍道湖、出雲大社など名所をめぐり、玉造温泉の和風高級ホテルにとまり、美味しい料理を食べてきて、木下さんが、大喜びしていたと聞かされた。次回は、四国に行きたいと話していたようだ。

 10月にも、岡山県からフェリーの使って四国に渡り、高松、坂井、丸亀で温泉に入ったり、讃岐うどんを食べたりし、海の見える素敵なホテルに宿泊して、美味しい魚の刺身、煮魚を堪能してきたと知らされた。そして木下さんの積極的な性格もわかり、結婚したら、きっと「かかあ殿下」になる事は、ほぼ間違いないと言った。しかし、その方が私も気が楽だから良いと笑った。

 やがて寒くなり、1972年を迎え、真崎が木下家に挨拶しに言った時、木下さんのお父さんに、今年あたり結婚式を挙げるのかなと聞かれ、木下昌子さんも、その方が良いわねと言い、その方向になりそうだと語った。真崎は、実家に帰っても、今年の遅くとも秋までには結婚式をした方が良いのではないかと言われ、結婚式場の候補まで、実の母が決めているようだと話した。

 そして4月に、岡山市内の有名な結婚式場で10月10日に結婚式をすることに決定したと、真崎が小山田と競艇場へ行くときに話してくれた。結婚したら競艇には来られなくなるかも知れないと、こぼしていた。それを聞き、小山田が、さすがに、競艇は、まずいだろうと言い、麻雀くらいで我慢するしかないかもしれないねと笑いながら言った。真崎が小山田に、お前はと聞くと、まだ、結婚しないと言った。

 その後、6月、梅雨、空けると7,8月は、暑く、しばらくして、10月、結婚式には、両家で140名の出席者で、岡山県、岡山市の議員さんも12人来る様で、盛大なものに、なりそうだった。和装結婚式で岡山駅近くの結婚式場で11時から結婚式、12時から披露宴となった。小山田も招待されたが、料理も豪華で盛大な結婚式だった。しかし真崎の女友達は1人も来ないで男性ばかりだった。
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