第17話:カタマランクルーザヨットー購入

文字数 2,792文字

 2005年1月2日は、5人で、新しく買い換えたクラウンで車で15分の岡山桃太郎温泉に日帰りの湯に入りに行き、1時間くらいかけて、ゆっくり入り、自宅に帰ってきた。1月5日には、横浜に戻ると子供達が言い、つかの間の正月休みだった。その日は、父が、車で、岡山駅までのせて行き、子供達と別れた。風邪引くなよ、体を大切にと、涙目の母が見送った。家に帰ってくると、急に、母は、寂しくなり、父は、何か、落とし物でもしたような、落ち着かない感じになった。

 しかし、2005年1月6日になると、集会場の大勢の人々が入れ替わり立ち替わり出入りしてにぎやかになった。1月末の寒い日の午前中、地元の80代の男性が、集会場で急に倒れた。救急車呼ぶより、救急病院に行った方が早いと、小山田聡が自分のクラウンにその男性と奥さんと退職したばかりの男性の4人で動きぱなし。その若い男性が携帯電話で救急病院に電話をしてくれた。

 そして、病院に到着するやいなや、ストレッチャーで看護師がきて、患者さんを乗せて、院内に入っていった。15分位して心筋梗塞で緊急手術をするので承諾書を書くように奥さんに書類を渡した。奥さんが、それを終えると、お手間とらせて、すみませんねと言った。いえ、心配ですから付き合いますと言い待った。30分後、緊急手術を終え、医者が出て来て、奥さんに説明し始めた。

 直ぐに搬送されたので、回復は、早いと話していたので、先に帰りますと言い、小山田達が家にもどった。その後、2005年の夏の試験で小型船舶1級を取得した。クルーザーヨットを見に行こうと神戸のカラマランクルーザーヨットの輸入代理店に出かけた。すると、フランス製のモーター着きのラグーン44フィートの大きいカタマラン型エンジン付きの新品が7000万円で売りに出ていた。

 良く聞くと、関東のお客さんが購入予定で、手にしたが、支払いのめどがたたなくなり返品したという製品であると言う。しかし、ヨット自体は、きれいで、全く、問題ないと言い、車で言う新古車みたいであると言い1000万円値が下がっている掘り出し物だと語った。もし、買う気があるなら、ちょっと動かしてみますかと健二に言うと、是非、試させてと言い、販売店の3人と健二と父の5人が乗り込んだ。

 そして、ショップの人が運転を始めて、その後、健二が運転を代わった。10人は、楽に乗れると健二が言うと、定員は限定沿海区域ですが、20名を確保していると説明した。40分程、瀬戸内海を運転して、帰って来た。この船の良さはわかったので、来週、2005年10月12日、正式に契約する前、最終確認で自分達のヨット仲間と漁業協同組合の人と3人できて、最終的に判断したいと言った。

 すると、店の人は1週間後ですねと確認し、それならOKと了解してくれた。帰りの車の中で健二は、興奮したように、今まで見たことない大きなカタマランクルーザーヨットだと喜んでいた。この話を岡山に帰って、溝口漁業組合長に話すと、すごいなと、小山田聡の肩をたたいた。そして、昔からのヨット、モーターボートに乗っている久光幸雄に同行してくれるように頼んでやると言い電話をかけて了解を取り付けてくれた。

 そして2005年10月12日、小山田聡のクラウンで溝口さんと久光さん、健二と漁協の小型船舶1級を持ってる加藤君の5人で出かけた。神戸のマリーナのヨットの会社に到着すると、先週会った担当者と3人の仲間が、きていた。久光さんが、船を見せてくれと言い、じっくりと外側をチェックし、船内に入り、備品のチェックをして、ベッド、冷蔵庫、エアコン、トイレを船内を見た。

 確かに未使用品だと言い、大きいなと言うと、44フィート・ヨット、縦・横7.7メートルだと答えた。エンジンは69馬力のエンジン2機で138馬力、搭載人員20人と言うと驚いていた。最後に、乗って帰れるかと聞くと、入金さえ確認が取れれば、OKと言った。すると溝口さんが、名刺を渡すと、岡山の漁協の組合長さんですかと言った。金は、車で銀行で処理すれば直ぐ入金できるなと小山田聡に聞くとできますと答えた。

 それならば、宜しい、最後に、ガソリン満タンにして欲しいと言うと、買っていただけるなら、満タン100L入れますと店長が言った。それでは、小山田君、入金してくれた前と言い、健二と小山田が車で銀行へ行き、入金の手続きを取りに言った。20分くらいで帰って来て、処理完了というと、ボート屋の店長さんが、確かに、入金されましたと言い、大型カラマランヨットの鍵をくれた。

 その後、握手して、店長がありがとうございましたと礼を言った。その後、小山田聡がクラウンを運転し、その他の4人は、クルーザーヨットで岡山に帰った。クルーザーの購入代金7000万円を支払い、小山田聡の預貯金が37700万円となり、投資残金15700万円をとなった。その後、小山田聡が、健二に、岡山県内でヨットクルーズ・ツアーの企画をしないかと提案した。

 すると、面白いかも知れないと言い、岡山だけでなく、神戸、大阪、岡山、広島、高松でも企画したいものだと言うと、健二は顔をほころばせていた。10月18日、午前6時に岡山を出て、小豆島を抜けて明石海峡大橋渡って、神戸空港で折り返して、岡山に帰ってきた。岡山には、16時過ぎに到着した。翌週10月25日、健二と若手ヨットマン3人の4人で、朝6時に岡山の港はでた。

 そして、9時間かけて、15時過ぎに長府の港に到着した。そして、ヨットで一泊して、翌朝、再び、朝6時に長府港を出港、16時前に岡山に帰ってきた。瀬戸内海は外海とは違い、波も、それ程、高くないヨットの運転に支障がなかった。しかし、多くの船が行き会っているので最低4人以上でクルーズした方が安全だと思われた。景色はと言うと、明石海峡大橋、瀬戸内海の島々はきれいだった。

 小山田聡が購入したクルーザーヨットは、漁業協同組合の漁船の置き場の近くに係留して保管してもらう様になった。しかし漁業協同組合の船の係留所も老朽化が激しいので、新しいクレーンと施設をきれいにするのに1億円かかると聞き、小山田が観光用クルーザーヨットの会社を建てるさせてもらう条件で1億円の拠出を決めた。そのため、小山田聡の預貯金が27700万円と投資残金15700万円となり、預貯金を33400万円と投資資金を10000万円とした。

 11月3日その日は天気の良く、岡山から近い小豆島に出かけた。、その後、広島県の島を巡ってくるショートクルーズをして、健二が、漁業の若者を指導して、クルーザーヨットの小型船舶2級の免許をとれるように、訓練してあげていた。そして、漁業協同組合の隣に小山田クルーズ・カンパニーという遊覧ヨットと小型船舶1,2級の取得の学校を設立した。
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