第18話:小豆島周遊クルーズへと姫子の医者への険しい道

文字数 2,938文字

 そして2005年12月を迎えて、集会場で、近所の仲間達が、忘年会を開く日が増え、余った飲み物、お菓子、食べ物を寄付してくれた。そして、小山田家の健一と姫子が12月23日に、自宅に帰ってきた。翌日、カニ、魚の刺身、イイダコの煮付けとクリスマスケーキでクリスマスパーティーを開いた。やがて2005年が終わり2006年を迎え、近所の神社に初詣でに行き、家内安全、ヨット航海の安全を祈ってきた。

2006年1月2日、新しく購入した44フィートのカタマラン型クルーザーヨットに家族5人と漁業協同組合の小型船舶1,2級の取得者5人の合計10人で、朝9時に岡山の港から小豆島を一回りして、14時に港に帰って来た。カタマラン「双胴船」は、想像以上に船内が広く、狭さを感じる事もなくエンジンも2機で138馬力と強力で20ノット時速40キロ弱で快適なクルーズだった。

 2月中に小山田聡が社長になる小山田クルーズ・カンパニーの企業登録の手続きを弁護士を通じて役所に申請した。その後、書類が受理され、2006年3月1日から小山田クルーズ・カンパニーが正式に発足した。そしてインターネットを通じで、半日10人まで1人5千万円「企業・団体の場合は10人以上最大15人で1人4千円」とした。それに加えて、小型船舶1、2級の実地訓練の募集も始めた。

 その後、クルーズの観光の申し込みは、土日が多く、平日はほとんどないことがわかり、小型船舶1,2級の実地訓練を平日の明るい時間帯に1時間、早朝、夕方の申し込みがあった。そして、会社発足セールとして、6月30日まで10人以上、そろえば、1人3千円でショートクルーズをする事にした。すると近所の商店街の夫婦や集会場に来ている人達が12人集まり、総額3万6千円で、小豆島周遊クルーズに出かけた。

 ショートクルーズで、要望が多かったのが、意外にも、丸亀港、坂出港、高松港、今治港、新居浜港、四国中央港、尾道港などへのクルーズだった。そして、思った以上に仕事があり、土日は、朝から昼に戻り、昼に交代して、夜帰るショートクルーズの申し込みが多かった。そして、夏になっても船内に2台の大型エアコンがあり、快適なクルーズができた。5月からは、漁業協同組合の高齢の元漁師さんが、釣りを企画しようかと小山田に提案した。

 それは良いかも知れないと小山田聡が言い、平日の午前中8時から昼12時と14時から18時の1日2回、釣りを企画した。費用は1人3千円で釣り竿、餌も用意すると、宣伝すると、意外に、お客さんが集まった。デパートなど土日仕事で平日休みの店員さんが多く参加して、魚種の多い、魚釣りを楽しんだ。しかし、天候が悪い時には、安全のため中止した。

 当然、安全第一として、クルーズ、釣りなどを楽しんでもらう様に配慮した。それでも、それ程、儲かると言う訳には、いかず、健二と従業員の給料も日給制だった。実は、会社の責任者の小山田聡は、会社から給料をもらわず働いていた。クルーズの費用としては、燃料費が一番大きく、漁港に、極力大きなタンクを設置したが消防法の関係で、それも限度があった。

 一番儲かったのは、小型船舶1級、2級の研修。しかし人数が限られていた。それでも、最近、釣りブームで午前、午後の釣りのお客さんが、はっきりと増えてきたのがわかった。また、ここは、協業協同組合の元漁師が手伝うので釣れる場所を熟知してる人が多いせいで、よく釣れるという点と、釣り竿、餌も用意してあり、手ぶらで初心者でも釣りを楽しめる利点があった。やがて10月を迎えた。

 その後、2006年10月20日、朝、鮫島さんから電話で、今年の12月に、モノタロ「MonotaRO」という、変わった名前の会社が東証1部に上場すると言い、買いだと思うよと言った。その会社は、工事用品、工具、資材、建築資材などプロが使う商品を専門に取り扱い、将来的には、インターネットでより早く、より良い、工具、機材、資材を提供しようというポリシーの日本初の企業だと言った。

 資料を郵送するから、見てくれと言った。2日後、小包には言った、多くの資料を送ってきた。小山田が企業情報を見ると面白いと思い投資を決断した。その後2006年12月6日に上場することがわかった。やがて12月を迎えて、鮫島さんが、一度、会いたいというので12月1日、昼11時45分に岡山の洋食屋であり、昼食後、鮫島さんが、買い時は、君も経験が長いからわかるだろうと言われた。月曜と金曜が一番下げやすいと言いから注目しろと言われた。

 特に、市場開始前の9時前と終了前の14時半過ぎが大事だと言った。それを聞いて、わかりましたと、お礼を言い別れた。翌週12月6日、水曜に上場した。まずは、様子見で毎日、会社の事務所の机にノートパソコンを置いて、株価を見た。12月13日水曜の9時前、初めて株価が40万円を切った。12月13日の安値388000円、12月19日の安値が35万円付近が1つのポイントだと考えた。

 12月23日土曜日に、今年も姫子と健一が横浜から帰ってきた。そして姫子が、大学の医学部には、頭の良い人が集まっているが、中には極端に神経質な人や変人も意外に多いと話した。特に、自分の考え、妙に、固執する人には手こずると言った。また、意外にも血を見て倒れる人もいるのよと語った。

 それも頑健な男子に多いと笑いながら言った。そのため大学を途中で退学していく学生も多いと語った。父が、せっかく、高い金払って、医学部に入れたのに困ったものだねと言い、姫子は、まさか辞める気はないだろと聞くと、もちろんよと、笑った。でも勉強に忙しく、家庭教師のアルバイトもできなくて、全額、両親に負担をかけて申し訳ないと、しおらしいことを言った。

 でも、将来、医者になって、開業して、借りた金は返すつもりよと述べた。しかし、相変わらず勉強が忙しく、大変だと良い、医学部は6年かかるので卒業が2009年で、その年に医師国家試験が待っていると話した。この話を聞いて父が、それを承知で医者の道を選んだろと言った。確かにそうですが、実際にやってみると想像以上のハードだと語った。実際に何歳になったら1人前の医者になれるのかと聞くと、医師免許を取ってから2年だと答えた。

 初期研修1年目に、内科6カ月、外科3カ月、救急・麻酔科3カ月の研修を行う。2年目に、小児科、産婦人科、精神科、地域保健・医療を各1カ月研修し、残りの期間は選択した科で研修する。研修は各臨床研修病院単位であり、マッチングは初期研修医と各臨床研修病院の間で行われる。卒業生数に対して、過大な募集定員数となっている。そう言う事で、条件の恵まれたり給料の高い都会の病院に就職する場合が多いと話した。

 これを聞いた、漁師の健二は、信じられない、後6年間、つまりの勉強と臨床研修で一端の医者になれるのに2011年までかかるのと驚いた様に話した。そして、小山田聡が、費用も大変な額だしねと付け加えた。だから、私は、皮膚科で開業を考えていると言い、その理由は、訴訟が少なく、誤って死なせる確率も少ない、また、都会で開業すれば儲かると言った。
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