第13話:旅行と集会場作る話

文字数 2,697文字

 こうして、津山城の桜、高台からの景色を十分堪能して、16時過ぎに津山から岡山へ向かい車を走らせた。18時頃までに家に着き、風呂を沸かして入ってから、あり合わせの材料で料理を作り、夕食をとった。その後、父が、少し酒を飲むと、まぶたが、くっつきはじめ、布団に入ると、直ぐに眠りに落ちた。その後、健一から年間200万円送金して欲しいと父の小山田聡に電話が入り返済してくれるなら、送金するというと答えた。

 働き出したら、必ず、返すと言うので送金した。その後、母に電話をかわると、今年は、春休みに、家庭教師のアルバイトで稼いでいるので帰れないと良い、年末、年始は、帰るつもりだと話していた。病気はと聞くと、大丈夫だらか心配しないでと話した。

 やがて春になり、姫子から、母に電話が入り、やはり、春休みは、家庭教師のアルバイトをかけ持ちして、稼いで、旅行代に充てると話していた。今年、年末、年始には、必ず帰るから待っていてねと語った。医学部は、勉強する事が多く、ボーットしていられないと、笑いながら話した。2002年3月26日、朝、鮫島さんから電話で、ヤフー株が2分割したと連絡し株価が3倍以上になっていると叫んだ。

 5月の連休で、引っ越した所の庭をするために重機が入って、庭を整地し、大きなローラで土を固めていた。電線、古い上下水も確認して交換を終え、新しい家の外観が出て、2003年5月中旬には、古家の解体と運び出しを終えて、更地になり、整地が進み、5月中に整地は完了すると言い、電気線の張り替え、上下水道の一部のを交換するだけで行けそうだと言った。その後、庭を整地するため大型ローラー車で庭の整地が始まった。

 2003年6月4日18時、漁業組合の溝口組合長とに、地区の集会場を建てる金ができたので、集まって欲しいというと、富島建設の富島社長と、家田不動産の家田社長にも話しておくと言われた。さらに、地元の自治会長と池内静夫さん、小学校のPTA会長の小清水さんにも声をかけると言い、日程調整して、日時が決まり次第、連絡すると言ってくれた。

 2003年6月14日金曜、溝口組合長から電話が入り6月20日、18時、大丈夫かと聞かれ了解すると、漁協で使っている、居酒屋の1室を借りておくと話してくれた。その時間に行くと、既に、5人が来ていた。すぐ後、地元の自治会長の池内静夫さん、小学校のPTA会長の小清水さんがやってきて、全員そろった。そして、会合が始まり、初めての人と挨拶し、乾杯をして、溝口組合長から小山田聡が地区の集会場を建てる話をした。

 それを聞いて、小学校のPTA会長の小清水さんが、小学校から帰ってきた子供が、15時頃から、母の仕事が終わる18時頃まで3時間ほど、見ていてくれると本当に助かると言った。自治会長の池内静夫さんが、この地区でも、高齢者が増えて、朝から開いてくれていれば、助かると言い、お茶のみ話、テレビ、ビデオ、カードゲーム、囲碁、将棋を揃えてくれれば、そりゃありがたいと言った。

 全自動麻雀卓まであれば、漁から帰ってきた漁師も喜ぶと言った。しかし、酒、煙草は、禁止にした方が良いかも知れないと言った。ただし、基本的に、全て有料にして欲しいと地元の自治会長の池内静夫さんが訴えた。家を建てるのに多額の資金がかかっているし備品、大きな冷蔵庫、全自動麻雀卓、テレビ・ビデオ、ゲーム道具、お茶、珈琲、飲み物、お菓子まで用意くれ無料と言うわけにいかないと言った。

 それを聞いて、溝口組合長も、言うとおりだと言い、徴収額は、また決めようと言い、善意の寄付は、ありがたくいただく事も認めた方が良いよと言った。それらの話を聞いて、小山田聡が、私も、小さい頃からこの地区で生まれ育ち、世話になり、漁師になって、漁業組合の先輩達にも、漁の仕方を教えてもらったので、恩返しのつもりで、考えましたというと、拍手が巻き起こった。

 それらを聞いていた、PTA副会長の川田里子さんが、ノートに、話した事を書いてくれていた。詳細は、完成するまでに決めることにしようと言った。19時から、懇親会となり、日本酒、ビールを飲みながら、魚の刺身や煮付け、鶏の唐揚げ、鍋料理などが運ばれてきて、夕食を食べながら、懇親会となった。費用はどの位かかるのかと聞くと、富島建設の富島社長が3000万円位と言った。

 期間はどの位と聞かれ、手の込んだ作りでなく1階が10畳3間、2階も10畳3間と廊下なので、3ヶ月あれば、家が完成し、トイレ、風呂、シャワー、台所も入れて、4ヶ月あれば、間違いなく出来ますと言った。予定では、来週から初めて、2003年10月には、完成させたいと思っていますと述べた。駐車場も10台くらい止められる様に考えていますと話した。つまり10畳の板の間を1階、2階に3部屋ずつ合計6部屋。

 キッチンとトイレ、風呂は、その家にくっつける形で、外側に作るつもりだと言い、男性用トイレと女性用トイレを5つずつを考えていると説明した。できたら、午前、午後、夜の3交代制で責任者を置きたいと、小山田が、話した。すると、溝口さんが、その方が長続きするはずだと、同調していくれた。営業時間は、8時から21時までとしたいと言うと、異論はなかった。

 その後、健一が、その頃、就職活動の一環として、自分が就職希望する先を探して、インターンシップをする学生が多かった。そこで、健一も自分か就職希望するNECに行き、
インターンシップをお願いしようと思い、2003年7月16日、NECに電話して用件を伝えると、直接面談して決めたいと言われた。そして7月18日10時に本社人事部に来て下さいと言われ訪問のアポイントを取った。

 7月18日10時前に、NEC本社人事部に行くと、別室へ案内され、人事部の2人の男性に、志望理由を聞かれ、これからソフトウェアが大事な世の中になるので、大学で勉強している事をNECのソフトウェア開発に生かしたいというと、頼もしいねと言われ。そして、インターンシップを希望しますというと、OKと言われ、日程を今年の夏休み7月28日から8月29日の1ヶ月間とし、了解してもらった。

 やがて、7月28日となり、バスで横浜に出て、東横線に乗り換え武蔵小杉で降りて、NEC玉川事業所に行くと、最初にソフトウェアの能力テストをしたいと言うので30分程テストをした。これでレベルがわかったと言い、泉田課長を呼んで、そのグループでインターンシップをする事になった。仕事内容は、上司から、ソフトの一部を作成して、提出することだった。
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