第二十八話 孤軍奮闘

文字数 2,977文字

(これは、まずい……!!)

 ルフトはパニックになる。
 目の前に敵がいるのに、A子が元の世界へ戻ってしまった。

 しかも召喚魔術を行使していたせいで魔力は枯渇寸前である。
 頼みである障壁の腕輪もほとんど使えない。
 油断すれば気絶しそうな状態だ。

 ふらつきそうになるのを抑え、ルフトは唇を噛む。

(逃げるのは難しい。やはりこの人を……)

 ルフトはスキンヘッドの曲刀使いを一瞥する。

 唐突にA子が消えたことを警戒する曲刀使いだったが、次第に状況を理解してきたらしい。
 彼は余裕を取り戻して笑う。

「どうやらさっきの女はもういねぇようだな。一時はどうなるかと思ったが、こいつは運がいい」

「…………」

 沈黙するルフトは、周囲に視線を巡らせる。
 何か武器になるものを探しているのだ。

 すぐに見つかるのは、A子が殺した暴徒たちの斧や大剣。
 ルフトの腕力ではとても扱えそうにない。
 かと言って、ナイフや短剣を選んだところで使いこなすだけの技量が足りないだろう。

(魔道具だ……何か強力な魔道具があれば……!)

 ここは魔道具専門店。
 店頭に並ぶ分だけでも相当な種類がある。

 残る僅かな魔力でも、数度の使用ならギリギリ耐えられるかもしれない。
 この場において有用な魔道具もあるはずだ。

 ルフトは足元にあった魔道具を拾おうとする。

 しかし、対峙する曲刀使いがそれを許すはずがない。
 絶好の機会を得た彼は、一気に斬りかかってきた。

「うわっ!?」

 ルフトは咄嗟に手を引いて飛び退く。
 指先を掠めるように斬撃が素通りしていった。

 あと一瞬遅ければ、指の何本かは無くなっていたかもしれない。
 その事実にルフトは肝を冷やす。

 もっとも、悠長に構える暇などなかった。
 間髪入れずに第二第三の攻撃が迫ってくる。

「おらおらぁ! 避けてばかりじゃ勝てねぇぞ?」

 曲刀使いはすっかり気を大きくして攻め立ててくる。
 ただし、反撃を警戒して必要以上に仕掛けたりはしない。

 あくまでも堅実な勝利を収めるための立ち回りだ。
 粗暴な外見とは裏腹に慎重な性格らしい。

 一方、ルフトは回避に必死だった。
 疲労を耐えて曲刀を躱し続ける。

 彼にしては奇跡的な集中力からなる身のこなしであった。
 曲刀使いが万全を喫して攻め過ぎないためというのもあるが、室内の遮蔽物を上手く利用して時間を稼いでいる。

 その間、あちこちを注視して武器を探す。
 回避に徹しながらも、ルフトは反撃の機会を求めていた。
 絶望的な状況だが、彼は微塵も諦めていないのだ。

(くそっ、武器を取る隙がない……!)

 ルフトが魔道具を拾うそぶりを見せると、すぐさま曲刀が襲いかかってくる。
 おかげで反撃に転じるチャンスが掴めずにいた。

 曲刀使いも必死なのだ。
 足元に魔道具が散乱する今、少しの油断で優劣が覆されかねない。


 その後もルフトは厳しい防戦を強いられる。
 体力を消耗して次第に回避が間に合わなくなり、全身各所に傷を負い始めた。
 曲刀に撫でられるたびに、その軌跡に真っ赤な血が滲む。

 致命傷を受けずに済んでいるのは、ルフトの類稀な幸運と死にたくないという想いのおかげか。
 或いは極限状態の中で彼の回避技術が開花したのかもしれない。

 当然、そのような力にも限度がある。

「ハァ、ハァ……」

 幾度も斬られたルフト、荒い呼吸をしながら壁に手を突いた。
 あちこちが裂けた血だらけの制服。
 視界はひどくぼやけている。
 両脚はがくがくと震え、今にも折れてしまいそうだ。
 継続した出血のせいで顔色も随分と悪い。

 満身創痍。
 今の彼を表現するに、これほど適切な言葉はあるまい。

 曲刀使いは勝利を確信した様子だ。
 戦いに終止符を打つため、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 朦朧とした意識の中、ルフトは思う。

(こんなところで、死ぬわけには……僕は、世界を救うんだ……)

 意志に反して倒れそうな身体。
 まったく力が入らない。
 血と一緒に流れ出てしまったのか。

「――――、――――ッ!!」

 曲刀使いが何かを叫んだ。

 ルフトの聴覚はそれを聞き取り損ねる。
 ただ、内容に深い意味はないだろう。

 そして目の前で何かが振り上げられた。
 ルフトは目を凝らす。

 鈍色の曲刀が、彼に向けて落ちてこようとしていた。

(僕、は……ここで、死ぬ、のか……?)

 ルフトはぼんやりと想像する。

 眼前の刃が自分の額をぱっくりと割る様を。
 そのまま頭蓋を乱暴に砕き進む様を。
 さらには脳まで達して完膚なきまでに斬り潰す様を。

 想像して、彼は心で叫ぶ。

(――そんなのは嫌だ! こんなところで、死んで、たまるかッ!)

 瞬間、ルフトは脳裏に無数の光景を幻視する。

 それはジャージ姿の黒髪の女がゾンビを蹴散らす姿だった。
 それは学生服を着た狐面の少年が死体を食らいながら鉈を振るう姿だった。

 A子と稲荷である。
 どちらもルフトが異世界から召喚した人物だ。
 彼らが敵対者を蹂躙する光景を、ルフトは何度も目にしてきた。

 箍の外れた殺戮衝動。
 圧倒的に無慈悲な暴力。
 死を愉しむ狂気。

 異世界の異常者たちは、それらを完璧に備えていた。

(殺す、しかない。前に進むためには殺すしかないんだ……)

 故にルフトは悟る。

 自分の手を穢さなければ。
 身を削る覚悟がなければ。
 何も掴み取れず、哀れに死ぬしかないのだ、と。

「うあああああああぁぁッ」

 途端、ルフトの意識は覚醒した。

 彼は迫る刃をものともせずに突進する。
 肉体の疲労や痛みなど、欠片も気にならなかった。

 曲刀がルフトの胴体を斜めに薙ぐ。
 肩口から入った刃が、骨や肉や臓器を切断していった。
 急に距離を詰めたおかげで斬撃の勢いは幾分か弱まっていたが、それでも深々と抉られた胸部から腹部にかけてどっと血が溢れ出す。
 床が瞬く間に赤く染まっていく。

「ぐぅ……あああああああああっ」

 しかし、ルフトは止まらなかった。
 彼は落ちていたナイフを掴むと、曲刀使いの脇腹に突き刺した。

 ずぶり、と肉を裂き進む生々しい感覚。
 ルフトは刀身を捻りながら引き抜き、さらに何度も何度も刺しまくる。

「なぁっ!? ぐぇっ、このっ、やめ、あぐぁっ!?」

 予想外の反撃に曲刀使いはパニックに陥った。
 吐血しながら必死にルフトを引き剥がそうとするも、彼は一心不乱にナイフの刺突を繰り返す。

 ルフトの片手が曲刀使いの衣服を握っており、一向に離す気配がなかった。
 密着した状態でルフトはひたすらナイフを動かす。

 やがて曲刀使いが沈むようにして斃れた。
 脇腹は無事な箇所がないほどに抉れ、破れた内臓が露出している。
 一体、どれだけ刺されたらこのような状態になるのか。

 それを行った張本人であるルフトは、静かに曲刀使いの死体を見下ろす。

「人を、殺してしまったんだ……僕、は……」

 それだけをつぶやくと、ルフトは自身の血だまりに崩れ落ちた。
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