第七十八話 起死回生

文字数 2,574文字

 ルフトは突き付けられた窮地を実感していた。
 激しく鼓動する心臓に煩わしさを覚えるも、これが止まることは死を意味する。
 現状、それは可能性の高い末路として脳裏を支配していた。

(召喚魔術が使えないとなれば、ミュータント・リキッドしかないけど……)

 ルフトはアルディの足元に転がる収納の鞄を見やる。

 あの中に残り二本のミュータント・リキッドが入っていた。
 打ち込めば超人的な身体能力を得られる。
 戦いの素人であるルフトが、ゾンビ化した魔物とも渡り合えるほどだ。

 自力でアルディに対抗する唯一の手段であった。

(しかし、ミュータント・リキッドを使う余裕はない、か……)

 ルフトは歯噛みする。

 召喚魔術と同様、ミュータント・リキッドを打つのにも僅かな時間がかかる。
 ほんの数秒に過ぎないものだが、今はその数秒があまりにも致命的だった。
 無策で飛び込めば、再び手痛い反撃を受ける羽目になるだろう。
 いや、今度こそ死ぬかもしれない。

 ルフトはふらつきながらも立ち上がる。
 蹴られた鳩尾が痛んだ。
 呼吸をするのも辛い。

 気を失いそうになるのを堪え、ルフトはアルディを見据えた。
 懐のナイフを手に取って構える。

 アルディは口元に手を当てて笑った。

「それでやり合うつもりかい? 君、素人だろう。ちょっと無謀すぎやしないか?」

「……死にたく、ないので……あなたを、殺します」

 言い終えたルフトは疾走する。
 低い姿勢からアルディの首を狙ってナイフを突き出した。

 アルディは顔を軽く傾けただけで避ける。
 紙一重だが余裕のある動きだった。
 反撃としてアルディは、剣を掲げて斬ろうとする。

(視覚を封じれば勝機はある……!)

 ルフトは空いた手で即座に目潰しを仕掛ける。
 前動作のない、奇襲のような鋭い一撃であった。

 しかし、アルディは腕を掴んで悠々と止めてみせる。

「――ほう。意外とやるね。刺突もそうだったけど、ちゃんと人を殺すための動きだった。誰かに習ったのかい?」

「くっ……」

 悔しげに顔を歪めるルフト。
 そこへアルディが膝蹴りを放つ。

 ルフトは身体をくの字に曲げて吹っ飛んだ。
 床を転がった末に吐血する。

 体内を滅茶苦茶に破壊された感覚が伝わってきた。
 冷や汗が流れ、頭がぐらぐらと揺れる。

 ルフトは壁に手を突いて立ち上がろうとするも、足腰に力が入らない。
 喉奥から込み上げてきた血反吐を口から垂れ落ちる。

「ぐぐぅ……う、あ……ああぁ」

 ルフトは歯を食い縛ってなんとか立つ。
 がくがくと震える脚。
 もはや戦えない状態なのは明らかだった。
 それでも彼の眼光は些かも衰えず、しっかりとアルディを捉えている。

 アルディは不機嫌そうに問う。

「どうして諦めないんだ? 勝ち目がないのは分かり切っているはずだ」

「……勝ち目の有無は、問題では……ありません。僕は皆を……世界を、救いたい……だけなので……」

 荒い呼吸をするルフトは、口元の血を拭いながら答えた。
 手には小さなナイフ。
 蹴られても決して離さなかったものだ。
 強靭な意志は、未だにアルディの殺害を目論んでいる。

 アルディは一瞬だけ頬を引き攣らせるも、すぐに微笑を作った。

「世界を救う、か。こんな身体になるまでは賛同できたんだけどね。生憎と手助けできないや」

 アルディは剣を上段に構えた。
 高速回転する無数の刃。
 ルフトの命を奪い去るに余りある。

「いいよ。そこまで見栄を張るなら突き通して見せてくれ。憎きゾンビとして、全力で阻止してあげよう」

 アルディはゆっくりとした動きで歩きだす。

 対するルフトは、満身創痍の肉体に鞭を打って駆けた。
 タイミングを合わせて魔剣が打ち下ろされる。
 ルフトは視界の隅で煌めく刃に構わず、ただひたすら肉迫していった。

 吸い込まれるような正確さで襲いかかる斬撃は――魔力の障壁によって弾かれた。

「なにっ」

 アルディは目を見開いて驚愕する。
 そこで彼は、ルフトの袖口に腕輪が着けられていることに気付いた。

 障壁の腕輪である。
 先ほど壊れたものとは別だった。

 ルフトは万が一の予備として、事前に二つの腕輪を装着していた。
 彼は土壇場までそれを隠し、ここぞというタイミングで使用したのである。

「うっ、ああああああああッ!!」

 障壁を解除したルフトは、半ば倒れかかるようにしてアルディに掴みかかる。
 そして、軽鎧の隙間にねじ込むようにしてナイフを突き立てた。

 肉を抉り、骨を削る感触。
 傷口から血が零れ出す。

「……このッ!?」

 アルディは咄嗟にルフトの髪を掴んで振りほどく。
 彼は怒りに染まった顔で口を開くと、ルフトの前腕に噛み付いた。
 ぐちり、と歯が皮膚を破って肉を食い千切る。
 さらに裏拳でルフトを殴り飛ばした。

 ルフトは為す術もなく崩れる。
 手足は痙攣していた。
 じわじわと血だまりが広がっていく。

 アルディは満足そうに息を吐いた。

「おめでとう、これで君もゾンビの仲間入りだ。もし何かの間違いで生き延びたとしても絶対に助からない」

「そう、ですか……」

 顔を上げたルフトは、掠れた声で言葉を返す。
 疲弊しながらも微かな笑みを浮かべていた。

 ルフトは傷だらけの腕を伸ばす。
 血糊が床にへばり付いて、一本の不格好な線を引かれていた。

 その先にあるのは魔法陣。
 ルフトが異世界人を呼び出すために描いていたものだ。

「僕の……勝ち、です……」

 か細い声で告げたルフトは指先から魔力を流す。
 血液の線が端から淡く発光し、やがて魔法陣まで繋がった。
 魔法陣は光と風を発生させて徐々に勢いを強めていく。

 アルディはそこで理解した。

「しまった、血を触媒にして魔術を起動させたのか……!」

 彼の気付きも既に遅く、魔法陣から光と風が溢れ渦巻く。
 もはや妨害できない段階に達していた。
 アルディは剣を構えて魔法陣から飛び退く。

 そうして現れたのは――白衣とガスマスクを身に着けた蛸頭の異世界人・博士だった。
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