第十四話 禁書の魔術師

文字数 2,532文字

「ラミル先生……」

 ルフトは呆然と目の前の男の名を口にする。

 ラミル・ヴェルトートは、防衛魔術のスペシャリストである学園の教師だ。
 学園の防御機構の点検を任されるほどで、その名は広く知られている。

 そしてラミルは実力のみならず、人格面でも高い評価をされていた。
 普段から温和な性格で生徒からの信頼は厚い。
 落ちこぼれと蔑まれるルフトにも、常に丁寧かつ柔らかな物腰だった。

 そんなラミルが今、片目に炎を灯して焼死体に囲まれている。

「おや。ルフト・パーカー、君だったのか。生徒が制御室に立ち入ることは禁じられている。何か用かね」

 ラミルは訝しげにルフトを睨んだ。
 いつもの面影はなく、ぴりぴりとする殺気を纏っている。

 まるで別人だ。
 下手な答えを返せば攻撃される。

 直感でそれを理解したルフトは、彼の手元に注目した。

「先生、その魔術書は……?」

 ラミルは黒い魔術書を持っていた。
 革表紙は随分と擦り切れてぼろぼろになっており、どことなく禍々しい雰囲気がする。

 ラミルは誇らしげに魔術書を掲げて笑う。

「あぁ、これか。禁書庫から借りてきたんだ。学園内に蔓延るゾンビ共を殺すのに必要だと思ってね。なかなか使い勝手が良くて重宝しているよ」

「先生が禁書庫の鍵を壊したのですね……」

 ルフトが精霊召喚の魔術書を手にした禁書庫。
 通常ならば厳重に施錠されているにも関わらず、既に誰かが侵入した形跡があった。

 その犯人はラミルだったようだ。
 彼の言葉を信じるならば、ゾンビを始末するために魔術書を持ち出したらしい。

 ルールを破ってでも学園を守ろうとする教師。
 そこだけだと聞こえはまだいいが、周囲には人間だった焼死体も混ざっていた。
 ゾンビとの区別なく黒焦げだ。

 ルフトはラミルとの距離に注意しながら尋ねる。

「その、どうして正常な人まで殺したのですか……?」

「彼らはここに押しかけて防御機構の鍵を盗もうとしたのだよ。私が駄目だと言っても聞く耳を持たなくてね。仕方ないから燃やした。きっと彼らは学園を崩壊させようと目論んでいたのだろう」

 ラミルは引き攣った笑みで答える。
 どんよりと暗い瞳は、その奥に異様な光を湛えていた。

 狂っている。
 ラミルの目を見たルフトは確信した。

 今は辛うじて会話が成り立っているものの、鍵を持ち出すなどと言おうものなら即座に攻撃してくるだろう。
 そんな危うさをラミルは秘めている。

 ルフトがどうしたものかと考えていると、ラミルが佇まいを正した。
 その手はぺらぺらと黒い魔術書をめくり始める。

「――さて、話を戻そう。ルフト・パーカー。なぜこの制御室へ来た。用件次第では君を灰にせねばならない」

「そ、それは……」

 目を逸らして言い淀むルフト。
 そんな彼を遮るように、稲荷が前に踏み出した。

「はいはーい。雑談はこれくらいでおしまい。どうせボクらを殺すつもりなんでしょ? 御託はいいから始めようよ」

 稲荷は鉈を回しながらラミルに近付いていく。
 言葉をは裏腹に気楽な態度だ。

 しかし、纏う狂気は極大まで膨れ上がっていた。
 眼前に並べられたご馳走を我慢できないかのように、本能がなけなしの理性を蝕みつつある。

 狐面の内で良い笑顔を浮かべているのだろう、とルフトは思った。
 ルフトが生命の危機を感じるこの状況すら、稲荷にとっては至福の一時なのだから。

 稲荷の言動が気に障ったのか、ラミルは露骨に表情を歪めた。
 食い縛った歯からギリギリと音が漏れる。
 彼は魔術書に視線を落とすと、空いた手で稲荷を指差した。

「……やれやれ、こんな危険人物と共に制御室にやって来るとは。ルフト・パーカー。優等生だと思っていたが、とんだ勘違いだったらしい。学園に仇なす君たちは、ゾンビと同類だ」

 直後、ラミルの指から赤い光線が放たれた。
 一直線に進んだそれは、稲荷の胸部を貫いて背後の扉を溶かす。
 学生服に空いた穴は焦げ付いて白煙を上げた。

 その様を目にしたルフトは戦慄する。

(熱線の魔術……!? なんて威力なんだ……!)

 詠唱もなく高威力。
 発動の瞬間もまるで察知できなかった。

 十中八九、禁術の類だろう。
 禁書庫の黒い魔術書に載っているのだから、ただの魔術ではないはずだ。

 周囲の焼死体を見るに、熱線以外の術も使えると見ていい。
 先行した探索班が全滅したのも頷ける。

「クハハハッ、どうだ。これが学園を守る力だ! 不届き者を始末するにはうってつけだ……ろう……?」

 勝ち誇った様子で笑うラミルだったが、セリフの途中で固まる。

 稲荷がいつまで経っても倒れないどころか、胸の穴を撫で始めたからだ。
 確かに熱線は彼の体内を焼き焦がしたのだが、一向に痛がる素振りも見せない。

 稲荷は顔の前でひらひらと手を振っておどけてみせる。

「守る力ねェ。すっごく面白い冗談。笑っちゃうなァ」

「貴様ぁ……!!」

 挑発に激昂したラミルは熱線を連射した。

 そのすべてが棒立ちの稲荷に命中し、彼の身体を穴だらけにしていく。
 稲荷は狐面の隙間からどぼどぼと吐血する。
 全身の穴からも大量の血が流れ出ていた。
 大きなダメージで耐え切れなくなったのか、稲荷は千鳥足でよろめく。

「ふふふ……哀れな。余計な真似をするからだ……」

 連続の魔術行使に疲労するラミルは、その姿に満足して微笑む。

 そのまま倒れるかと思われた稲荷はしかし、寸前のところで留まった。
 彼は華麗なターンを決めて一礼する。
 どうやらふざけただけらしい。

 稲荷は指で狐の形を作ると、嬉しそうに鳴きまねをしてみせる。

「こんこーん。死んだと思った?」

「グッ、小癪な奴め……!」

 まんまと騙されたラミルは、怒り心頭といった様子で拳を握る。
 片目の炎が激しい勢いで燃え狂っていた。
 彼は呪詛を吐き連ねながら、さらなる強大な魔術を行使する。

 こうして制御室での戦いは、本格的に始まったのであった。
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