第五十三話 決断

文字数 1,712文字

 ルフトは冒険者を注視する。

 首や腕に噛み千切られた生々しい跡があった。
 辛うじて呼吸をしている。
 意識しなければ分からないほどだった。

 次にルフトは皮膚や目、手足の挙動を確認する。
 ゾンビ化しているなら何かしら特徴が出ているはずなのだ。
 まじまじと観察するも、冒険者にこれといった異変は見当たらない。
 負傷しているだけでゾンビには至っていないようだ。

 とは言え、確たる証拠もない判断である。
 噛まれた傷があるのは事実なのだ。
 外見上の変化も、まだ出ていないだけかと思われる。
 いつゾンビになって襲ってくるか分からない。

 ルフトはいつでも斧で攻撃できるように警戒しながら近付く。

 冒険者は薄く目を開いてルフトを見た。

「う……あんた、は……?」

「僕はルフト。魔術学園の者です。何があったのですか」

 自己紹介をしながら、ルフトは少し安心する。
 まだ喋ることのできる状態らしい。
 ルフトだってできれば人間の形をしたものを殺したくないのだ。
 数をこなしたところで、その感情に変わりはなかった。
 異世界人のように殺戮を好む性質にはなれない。

 屈んだルフトは、冒険者と視線を合わせて会話を試みる。

 冒険者は出血で朦朧としながらも、うわごとのように彼に告げた。

「駄目だ……あいつは、危険だ…………仲間が、何人も……殺されたんだ……」

「あいつとは、ゾンビのことですか?」

 怪訝そうに尋ねたルフトに、冒険者は首を横に振る。

「いや、ゾンビなんて生易しいもんじゃない…………あいつは、もっと恐ろしい……存在、だった」

「もっと恐ろしい存在……」

 ルフトは真剣な表情で考え込む。

 このような状況で、ゾンビの他に脅威が考えられるのか。
 人間の暴徒という可能性もあるが、彼らの与える恐怖や常識の枠内に収まるだろう。
 そういったレベルでないのは、冒険者の様子が物語っていた。

(もしかして、ゾンビ化した魔物に遭遇したのか?)

 ルフトはさらに推測する。
 それならば冒険者に付いた噛み傷にも説明が付く。

 だが、釈然としない部分もあった。
 冒険者はゾンビではないと断言している。
 そこがよく分からない。
 ゾンビ化した魔物も、ゾンビの一種には違いないのだから。

(そうなると、心当たりは一つしかないのだけれど……)

 ルフトは瀕死の冒険者から目を逸らす。

 ゾンビよりも恐ろしい存在。
 脳裏を過ぎるのは、彼が呼び出した異世界人たちであった。

 彼らなら例外なく該当するだろう。
 圧倒的な暴力と狂気を秘めた人物しかいない。

 しかし、ルフトたちはこの付近に来た覚えがない。
 やはり無関係な何者かのことなのだろう。

「ご忠告、ありがとうございます。気を付けるようにします……」

「ああ、いいってことさ……それより、頼みたいことがあるんだが……聞いて、くれないか?」

 弱々しく微笑んだ冒険者は、はっきりとした口調で続きを言う。

「――俺を、殺してほしい。このままだと、いずれゾンビに、なっちまう……奴らの、仲間入りをするのは、嫌なんだ……」

「…………」

 ルフトは黙り込む。

 なんとなく予想はしていたことだった。
 冒険者の怪我は致命傷だ。
 今にも死にそうで、むしろまだ生きていることが不思議なほどであった。

 都市にいるということは、この冒険者はゾンビになった人々を幾度となく目撃してきたのだろう。
 彼らと同じ末路を辿りたくないと思うのは、至極当然の考えである。

「…………」

 ルフトは無言で立ち上がった。
 迷いはいらない。
 逡巡した分だけ冒険者の苦しみが長引くだけだった。
 もう手遅れなのは知っている。
 非情になることだけが救いに繋がるのだ。

 斧を掲げたルフトを見て、冒険者はふっと身体の力を抜く。

「すまないな……こんなことを、させちまって」

「いえ……」

 必要以上の問答は交わさない。
 話すほどに決断が鈍る気がした。

 なるべく何も考えないようにして、ルフトは斧を振り下ろす。
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