第三十話 蛸の博士

文字数 1,756文字


「…………あれ?」

 ルフトはぼんやりとした表情で混乱する。

 目の前に、頭部がタコ状の怪人が白衣を着て佇んでいた。
 どうにもおかしな光景だ。
 異世界人を呼び出したはずなのだが。
 血が流れ過ぎて、ついに幻覚まで見え始めたのかもしれない、とルフトは自らの知覚を怪しみだす。

 しかし、こういった前例がないわけではない。
 稲荷も一応は異形だったのだ。
 彼の場合は手のひらに口があった。
 異世界にも様々な亜人種がいるらしい、とルフトは思い直す。

 場違いな考察するルフトをよそに、白衣の怪人はつぶやいた。

「――ほう。世界座標が大きく変化した。これは次元を越えて移動したようだね。空気中にも未知の物質が含まれている。そして私の肉体に特異な力が干渉しているようだ。起点は目の前の青年か。なるほどなるほど。これは面白い」

 白衣の怪人は独り言を語り続ける。
 随分と冷静な様子だ。
 早くも現状を察したらしい。

 白衣の怪人は屈み込むと、倒れるルフトを無遠慮に揺すった。

「起きたまえ。君には色々と訊かねばならない」

「あ、あなた……は……?」

 ルフトが息も絶え絶えに尋ねると、白衣の怪人は顎を撫でつつ答えた。

「ふむ。確かに名前がなければ不便だ。私のことは博士と呼ぶといい」

 白衣の怪人改め博士は、満足気に自己紹介をしたところでふと顔を曇らせる。

 彼はおもむろにルフトを仰向けにすると、薄い笑みを浮かべた。
 まるで実験動物でも眺めるような冷たさがある。

 博士は愉快そうに言った。

「ああ、瀕死だったのか。気付かなかったよ。せっかくだからアレを試してみるか」

 博士は懐を探って一本の注射器を取り出した。
 中には蛍光色の青い液体が入っている。

 注射器を構えた博士は、ルフトの腕を掴んで伸ばした。

 ルフトは咄嗟に抵抗しようとする。
 なんだか恐ろしいことが始まる予感がしたのだ。
 しかし、今の彼にそれだけの力は残されていなかった。

 博士は注射器の空気を抜きながら淡々と説明する。

「あまり動かない方がいい。私の見立てが正しければ、君はあと一分二十秒ほどで死亡する。いやはや、無改造の人間にしてはよく持っている。常人なら既に死んでいるだろうね」

 言い終えた博士は注射器をルフトの腕に刺し、中身の液体を彼の体内に注入していく。

 その途端、ルフトは全身に激しい痛みを知覚した。

「――――ッ!!」


 声にならない悲鳴。
 斬られた時のそれとは比べ物にならない激痛が走る。

 それまで靄がかかったかのように朦朧としていた意識が覚醒した。
 気絶することもできず、ルフトは果てしない苦しみを味わい続ける。

 その様を傍観する博士は、落ち着いた様子で語る。

「最初は辛いかもしれないが、じきに楽になる……おっと、聞こえていないか」

「――、――ッ!?」

 ひたすら悶絶するルフト。
 人間離れした絶叫が上がり続けた。
 身体を丸めて床を引っ掻く。



 地獄のような苦しみは、数分ほどで収まった。
 ルフトは荒い呼吸をしながら座り込む。
 そこで彼は気付いた。

 曲刀による致命傷が跡形もなく消えていた。
 血がべっとりと付いている上に制服の前面が破れたままだが、もう少しの痛みも感じない。

 それどころか、全身に力が漲っていた。
 枯渇寸前だった魔力も回復している。
 動悸もしない。
 普段以上の健康体となっていた。

 滝のように流れる汗を腕で拭い、ルフトは傍らに立つ博士を見る。

「助けてくださりありがとうございます……これは一体、どういうことですか……?」

「ノンノン。礼には及ばないよ。それと質問をするのは私からだ。君は黙って答えるだけでいい。分かったかね?」

 不気味な双眸がルフトを射抜く。
 ルフトは悪寒を感じた。
 博士から逆らってはいけない雰囲気が漂っている。

 そこで彼は思い出す。
 ルフトの召喚魔術で呼び出される人物は皆、一筋縄ではいかない異常者なのだ。
 眼前の博士もそういった人種と考えた方がいい。

「……はい、分かりました」

 ルフトは気を引き締めて、怪人とのやり取りに挑むのであった。
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