第七十九話 挫かれる英雄
文字数 2,007文字
落ち着き払った態度の博士は、感情の窺えない眼差しで辺りを見渡す。
二度目ということもあり、異世界に召喚された動揺はないらしい。
彼は満身創痍で転がるルフトを一瞥すると、呆れた様子で目を細めた。
「……君は会うたびに重傷を負っているな。ひょっとして趣味なのかね?」
「は、か……せ……」
ルフトは博士の小言にもまともに返答できない。
受けたダメージが甚大すぎるのだ。
肉体的な限界はとうの昔に越えていた。
「まったく、不甲斐ない助手だ」
嘆息した博士は視線をずらす。
その先には、警戒して剣を構えるアルディがいた。
博士の爬虫類のような瞳が収縮する。
隠し切れない喜色。
顎に生えた八本の触手がうねった。
「――これは面白い。ゾンビウイルスの適合者とは。安定度が抜群に高い。ウイルス濃度が通常の比ではないにも関わらず、肉体崩壊を起こさずに活動している。正常な細胞を大量に摂取し続けることで、強烈な変異に耐えているのか。知性も失っていないようだな。まずは意識レベルを確かめなければ。どれ、少し喋ってみたまえ」
「海洋系の亜人……? 見たことのない種族だ」
「ふむ、意思疎通は可能なようだ。ますます気になるな。解剖してみたくなる」
博士は粘質な視線をアルディに向ける。
纏わり付くような狂気。
「……ッ!?」
アルディはほとんど反射的に距離を取った。
一筋の汗が頬を伝う。
カタカタ、と小さな金属音が鳴った。
不思議に思ったアルディは、自身の手元を見る。
剣が小刻みに震えていた。
何らかの術を受けたわけではない。
彼の動揺の表れである。
アルディは様々な感情の混ざった笑みを見せた。
「こんな気持ちは久しぶりだよ……何者だい?」
「名乗るほどではない。ただの研究者だ。ところで大人しく実験体になるつもりはないかね。貴重なサンプルはできるだけ損傷の少ない状態で確保したいのだが」
「ハッハッハ、そいつは随分と愉快な冗談だ、ねッ!」
アルディは恐るべきスピードで博士に斬りかかる。
常人ではとても見切れない動きだ。
対峙する博士はポケットに手を突っ込んだまま、何もせずに棒立ちだった。
迫る脅威など、どこ吹く風といった様である。
その瞬間、アルディは勝利を確信した。
相手は自分の攻撃に反応できていないのだ、と。
彼はさらに勢い込んで狙いを定める。
振り下ろされた剣はしかし、博士の肩口に触れる数センチ手前で止まった。
魔力の刃は猛烈な速度で回転している。
しかし、まるでそこに不可視の壁があるかのように進まないのだ。
「な、なぜだ……!?」
予想外の結果に、アルディは戸惑いながらも剣を押し込もうとする。
されど剣は微塵も動かない。
博士はその光景を当然のように眺めていた。
「無駄な努力はやめたまえ。私の”縫い込む盾”によって、そのチェーンソーもどきの空間座標は固定されている。人力では決して動かせない。私の周囲五センチにしか効果が及ばない試作品だが、性能は確かなものだよ」
そう告げた博士は一歩だけ後ろに下がる。
途端にアルディの剣は動かせるようになった。
先ほどのような不可思議な現象は起きない。
「ぐっ、この……」
理解不能な方法で攻撃を防がれて苛立つアルディ。
かと言って、感情に任せて突撃するような真似はしなかった。
アルディは百戦錬磨の英雄なのだ。
培った戦闘経験は、迂闊な行動が死を招くを告げている。
故に彼は博士をよく観察することにした。
当の博士は愉快そうに触手を撫ぜ、わざとらしく首を傾げる。
「来ないのかね? では私から仕掛けよう」
博士は白衣の胸ポケットからペンライトのようなものを取り出して、アルディに向けた。
側面のボタンを押すと、先端から青白い光線が発射される。
アルディは横に躱そうとするも、光線は左手を掠めた。
直後、命中した箇所を中心にアルディの腕が脈打ち、滅茶苦茶に痙攣し始める。
五本の指が残らず反り返り、可動域を越えて折れた。
肘が激しく軋みながら、逆方向へと曲がっていく。
手首はねじれて回転しだした。
皮膚が裂けてめくれ上がる。
血飛沫と共にあちこちから骨が飛び出した。
「な、にっ!?」
アルディは慌てて腕を切断する。
床に落ちた腕はびちびちと活きの良い魚のように跳ねた。
博士はペンライトを弄びながら解説する。
「今の光は、命中した有機物の細胞配列を不規則に改竄する代物だ。放っておけば全身に浸透するはずだったのだがね。すぐさま腕を切り落としたのは良い判断だった」
「……化け物め」
アルディは傷口を押さえながら憎々しげに博士を睨む。
絶望的だった戦況は覆りつつあった。
二度目ということもあり、異世界に召喚された動揺はないらしい。
彼は満身創痍で転がるルフトを一瞥すると、呆れた様子で目を細めた。
「……君は会うたびに重傷を負っているな。ひょっとして趣味なのかね?」
「は、か……せ……」
ルフトは博士の小言にもまともに返答できない。
受けたダメージが甚大すぎるのだ。
肉体的な限界はとうの昔に越えていた。
「まったく、不甲斐ない助手だ」
嘆息した博士は視線をずらす。
その先には、警戒して剣を構えるアルディがいた。
博士の爬虫類のような瞳が収縮する。
隠し切れない喜色。
顎に生えた八本の触手がうねった。
「――これは面白い。ゾンビウイルスの適合者とは。安定度が抜群に高い。ウイルス濃度が通常の比ではないにも関わらず、肉体崩壊を起こさずに活動している。正常な細胞を大量に摂取し続けることで、強烈な変異に耐えているのか。知性も失っていないようだな。まずは意識レベルを確かめなければ。どれ、少し喋ってみたまえ」
「海洋系の亜人……? 見たことのない種族だ」
「ふむ、意思疎通は可能なようだ。ますます気になるな。解剖してみたくなる」
博士は粘質な視線をアルディに向ける。
纏わり付くような狂気。
「……ッ!?」
アルディはほとんど反射的に距離を取った。
一筋の汗が頬を伝う。
カタカタ、と小さな金属音が鳴った。
不思議に思ったアルディは、自身の手元を見る。
剣が小刻みに震えていた。
何らかの術を受けたわけではない。
彼の動揺の表れである。
アルディは様々な感情の混ざった笑みを見せた。
「こんな気持ちは久しぶりだよ……何者だい?」
「名乗るほどではない。ただの研究者だ。ところで大人しく実験体になるつもりはないかね。貴重なサンプルはできるだけ損傷の少ない状態で確保したいのだが」
「ハッハッハ、そいつは随分と愉快な冗談だ、ねッ!」
アルディは恐るべきスピードで博士に斬りかかる。
常人ではとても見切れない動きだ。
対峙する博士はポケットに手を突っ込んだまま、何もせずに棒立ちだった。
迫る脅威など、どこ吹く風といった様である。
その瞬間、アルディは勝利を確信した。
相手は自分の攻撃に反応できていないのだ、と。
彼はさらに勢い込んで狙いを定める。
振り下ろされた剣はしかし、博士の肩口に触れる数センチ手前で止まった。
魔力の刃は猛烈な速度で回転している。
しかし、まるでそこに不可視の壁があるかのように進まないのだ。
「な、なぜだ……!?」
予想外の結果に、アルディは戸惑いながらも剣を押し込もうとする。
されど剣は微塵も動かない。
博士はその光景を当然のように眺めていた。
「無駄な努力はやめたまえ。私の”縫い込む盾”によって、そのチェーンソーもどきの空間座標は固定されている。人力では決して動かせない。私の周囲五センチにしか効果が及ばない試作品だが、性能は確かなものだよ」
そう告げた博士は一歩だけ後ろに下がる。
途端にアルディの剣は動かせるようになった。
先ほどのような不可思議な現象は起きない。
「ぐっ、この……」
理解不能な方法で攻撃を防がれて苛立つアルディ。
かと言って、感情に任せて突撃するような真似はしなかった。
アルディは百戦錬磨の英雄なのだ。
培った戦闘経験は、迂闊な行動が死を招くを告げている。
故に彼は博士をよく観察することにした。
当の博士は愉快そうに触手を撫ぜ、わざとらしく首を傾げる。
「来ないのかね? では私から仕掛けよう」
博士は白衣の胸ポケットからペンライトのようなものを取り出して、アルディに向けた。
側面のボタンを押すと、先端から青白い光線が発射される。
アルディは横に躱そうとするも、光線は左手を掠めた。
直後、命中した箇所を中心にアルディの腕が脈打ち、滅茶苦茶に痙攣し始める。
五本の指が残らず反り返り、可動域を越えて折れた。
肘が激しく軋みながら、逆方向へと曲がっていく。
手首はねじれて回転しだした。
皮膚が裂けてめくれ上がる。
血飛沫と共にあちこちから骨が飛び出した。
「な、にっ!?」
アルディは慌てて腕を切断する。
床に落ちた腕はびちびちと活きの良い魚のように跳ねた。
博士はペンライトを弄びながら解説する。
「今の光は、命中した有機物の細胞配列を不規則に改竄する代物だ。放っておけば全身に浸透するはずだったのだがね。すぐさま腕を切り落としたのは良い判断だった」
「……化け物め」
アルディは傷口を押さえながら憎々しげに博士を睨む。
絶望的だった戦況は覆りつつあった。