第七十五話 変異者
文字数 1,839文字
――白銀等級の冒険者。
それは、常人では手の届かない英雄の領域。
冒険者のランクとしては、上から二つ目にあたる。
金等級のドランやカレンよりも尚高い。
白銀等級に到達した者は総じて強く、常識の埒外と評してもいい。
一騎当千の力を誇り、単身で魔物の軍勢を薙ぎ倒せるのだ。
もはや個人戦力の枠を逸脱し、各国から常に動向を監視されているほどであった。
ルフトたちが対峙するアルディという男は、そういった人外の存在なのだ。
(何をしに来たんだ? 見たところ友好的ではなさそうだけれど……)
緊張に息を呑むルフトは、僅かに後ずさる。
生存者を意図的に落石で殺したことから、少なくとも味方ではなかろう。
何よりアルディは不気味な気配を纏っている。
(ひょっとして、パンデミックに乗じて暴徒になったのか?)
ルフトは別の可能性も考察する。
ありえない話ではない。
ルフトはこれまでにそのような人物と幾度も遭遇し、命を奪ってきたのだ。
或いは極限状態の中で狂気に陥ったのかもしれない。
魔術学園の教師であるラミル・ヴェルトートなどはその一例だろう。
彼は学園を守りたいという思いが歪み、禁術に手を出して殺戮を行っていた。
どこもかしこも地獄のような光景ばかりなのだ。
いくら白銀等級の冒険者と言えども、気が触れても不思議ではあるまい。
動けずにいるルフトの傍ら、ドランは釈然としない様子で呟く。
「街にゾンビ共が溢れ出した時、あいつは住人を庇って噛まれたんだ。そのまま騒動に紛れていなくなったんだが……目の色もおかしいし、そもそもどうして生きているんだ?」
「そんなに気になるなら教えてあげるよ」
穏やかな表情のアルディは、心底から楽しそうに語る。
「確かに僕はゾンビに噛まれた。すぐに奴らの仲間入りをするかと思った。だって、他の皆がそうだったから。けれど、いつまで経ってもその時は訪れなかった」
「どういうことだ」
「正直なところ、理由はよく分からない。なぜか僕だけがゾンビに転化しなかった。いつの間にか噛まれた傷は癒えて、少しだけ悪くなった体調も快復してしまったんだ。そして、ある変化に気が付いた」
そこでアルディは言葉を切った。
直後、白目の部分が一気に血走り、瞳孔が真っ赤に染まる。
安らかな微笑が、にんまりと卑しく深まった。
口端から涎が垂れる。
それを手の甲で拭いながら、アルディは噛み締めるように述べた。
「――飢えて飢えて仕方ないんだ。新鮮な肉を食い千切りたい。骨を髄までしゃぶり尽くしたい。生き血を浴びるほどに啜りたい。つるりとした目玉を舐めて味わいたい。強烈な衝動に襲われて、僕は抗えずに”実行”してしまった」
豹変したアルディと目が合い、ルフトはびくりと身を震わせる。
足元から這い上がって来るような悪寒。
殺意はまた性質が違う。
ルフトはその正体を考えないようにした。
「アルディ、あんたは……」
口を開けたまま、ドランは絶句する。
知り合いだった分、余計にショックが大きいようだ。
アルディは爛々とした目をさらに見開く。
「本当に申し訳ないけど許してほしい。僕が僕であるためにも、これは必要なことなんだ」
深く息を吸い込むアルディ。
そして彼は、金属の擦れるような絶叫を発した。
場の生存者たちは顔を顰めて耳を押さえる。
鼓膜が破れそうな不快感だった。
一方、拠点の外から大音量の呻き声の合唱が聞こえてくる。
間を置かずに入口の向こうから悲鳴と断末魔が上がった。
拠点の壁と天井がみしみしと断続的に軋む。
(一体、何が起こって――)
直感が最大音量で警鐘を鳴らす中、ルフトはそっと天井の穴に視線を戻す。
アルディのそばに、大量のゾンビが積み上がっていた。
総数としては百を下らない。
塊になって岩山を登ってきたのか。
滅茶苦茶な形で密集するあまり、穴の縁から落ちそうになっている。
ゾンビたちはアルディを襲おうとはせず、じっと動かずに呻くのみであった。
まるで、主人からの命令を待つ忠犬のように。
アルディは携えた剣をぶらぶらと揺らしながら、にこやかに告げる。
「苦しませないように努力するよ――だから、安心して食べさせてくれ」
その言葉を皮切りに、アルディとゾンビたちは拠点内に飛び込んで来た。
それは、常人では手の届かない英雄の領域。
冒険者のランクとしては、上から二つ目にあたる。
金等級のドランやカレンよりも尚高い。
白銀等級に到達した者は総じて強く、常識の埒外と評してもいい。
一騎当千の力を誇り、単身で魔物の軍勢を薙ぎ倒せるのだ。
もはや個人戦力の枠を逸脱し、各国から常に動向を監視されているほどであった。
ルフトたちが対峙するアルディという男は、そういった人外の存在なのだ。
(何をしに来たんだ? 見たところ友好的ではなさそうだけれど……)
緊張に息を呑むルフトは、僅かに後ずさる。
生存者を意図的に落石で殺したことから、少なくとも味方ではなかろう。
何よりアルディは不気味な気配を纏っている。
(ひょっとして、パンデミックに乗じて暴徒になったのか?)
ルフトは別の可能性も考察する。
ありえない話ではない。
ルフトはこれまでにそのような人物と幾度も遭遇し、命を奪ってきたのだ。
或いは極限状態の中で狂気に陥ったのかもしれない。
魔術学園の教師であるラミル・ヴェルトートなどはその一例だろう。
彼は学園を守りたいという思いが歪み、禁術に手を出して殺戮を行っていた。
どこもかしこも地獄のような光景ばかりなのだ。
いくら白銀等級の冒険者と言えども、気が触れても不思議ではあるまい。
動けずにいるルフトの傍ら、ドランは釈然としない様子で呟く。
「街にゾンビ共が溢れ出した時、あいつは住人を庇って噛まれたんだ。そのまま騒動に紛れていなくなったんだが……目の色もおかしいし、そもそもどうして生きているんだ?」
「そんなに気になるなら教えてあげるよ」
穏やかな表情のアルディは、心底から楽しそうに語る。
「確かに僕はゾンビに噛まれた。すぐに奴らの仲間入りをするかと思った。だって、他の皆がそうだったから。けれど、いつまで経ってもその時は訪れなかった」
「どういうことだ」
「正直なところ、理由はよく分からない。なぜか僕だけがゾンビに転化しなかった。いつの間にか噛まれた傷は癒えて、少しだけ悪くなった体調も快復してしまったんだ。そして、ある変化に気が付いた」
そこでアルディは言葉を切った。
直後、白目の部分が一気に血走り、瞳孔が真っ赤に染まる。
安らかな微笑が、にんまりと卑しく深まった。
口端から涎が垂れる。
それを手の甲で拭いながら、アルディは噛み締めるように述べた。
「――飢えて飢えて仕方ないんだ。新鮮な肉を食い千切りたい。骨を髄までしゃぶり尽くしたい。生き血を浴びるほどに啜りたい。つるりとした目玉を舐めて味わいたい。強烈な衝動に襲われて、僕は抗えずに”実行”してしまった」
豹変したアルディと目が合い、ルフトはびくりと身を震わせる。
足元から這い上がって来るような悪寒。
殺意はまた性質が違う。
ルフトはその正体を考えないようにした。
「アルディ、あんたは……」
口を開けたまま、ドランは絶句する。
知り合いだった分、余計にショックが大きいようだ。
アルディは爛々とした目をさらに見開く。
「本当に申し訳ないけど許してほしい。僕が僕であるためにも、これは必要なことなんだ」
深く息を吸い込むアルディ。
そして彼は、金属の擦れるような絶叫を発した。
場の生存者たちは顔を顰めて耳を押さえる。
鼓膜が破れそうな不快感だった。
一方、拠点の外から大音量の呻き声の合唱が聞こえてくる。
間を置かずに入口の向こうから悲鳴と断末魔が上がった。
拠点の壁と天井がみしみしと断続的に軋む。
(一体、何が起こって――)
直感が最大音量で警鐘を鳴らす中、ルフトはそっと天井の穴に視線を戻す。
アルディのそばに、大量のゾンビが積み上がっていた。
総数としては百を下らない。
塊になって岩山を登ってきたのか。
滅茶苦茶な形で密集するあまり、穴の縁から落ちそうになっている。
ゾンビたちはアルディを襲おうとはせず、じっと動かずに呻くのみであった。
まるで、主人からの命令を待つ忠犬のように。
アルディは携えた剣をぶらぶらと揺らしながら、にこやかに告げる。
「苦しませないように努力するよ――だから、安心して食べさせてくれ」
その言葉を皮切りに、アルディとゾンビたちは拠点内に飛び込んで来た。