第四十三話 四人目

文字数 2,630文字

 翌朝、起床したルフトはぐっと伸びをする。
 よく眠れたおかげで疲れも取れ、魔力もしっかりと回復していた。
 これならば十全に召喚魔術を行使できる。

 ベッドから下りたルフトは、耳を澄ませて周りを確認した。
 特にこれといった異変は感じられない。
 家屋にゾンビが侵入しているということもなさそうだ。
 もっとも、その段階に至っていれば、とっくに襲われていそうなものだが。

 板で補強した窓から日光が差す。
 夜はすっかり明けていた。
 これなら比較的安全に行動できそうだ。
 そこでルフトは、ふと肉体に違和感を覚える。

「なんだ……?」

 内から溢れるような充足感が消失していた。
 首を傾げるルフトだったが、すぐに原因に気付く。

 ミュータント・リキッドの効果が切れたのだ。
 本来の肉体の非力さに、ルフトは少なくない驚きを感じる。
 強くなった状態に慣れ過ぎたのだろう。

 昨日のようにゾンビの群れや暴徒を相手に戦うのはまず不可能だ。
 剣さえまともに扱えるか怪しい。

 とは言え、その間に培った戦闘経験は残っている。
 貴重な技能だ。
 上手く活用しなければいけない。

「あとはこれが頼みだな……」

 ルフトは収納の鞄を探って三本の注射器を取り出した。
 博士から譲り受けたミュータント・リキッド。
 これは貴重なので大事に取っておく。

 ひとたび使用すれば、魔物すら凌駕する再生力と強化身体能力を獲得できる。
 ルフトは本当にピンチの時にだけ注射するつもりだった。

 ミュータント・リキッドを仕舞ったルフトは、軽く出発の準備をする。
 準備と言っても荷物を収納の鞄に入れるだけだ。
 あとは護身用の杖だけでいい。

 次にルフトは、そそくさと召喚魔術の魔法陣を描いて起動させた。
 もはや見慣れた風と発光現象を前に、彼は息を呑む。

(……果たして今回はどんな人が来るのか)

 ここから現れる存在は、如何なる力を持っているのか。
 できるだけ穏便に話せる異世界人がいい、とルフトは願う。

 過去に呼び出した三人でもよかった。
 彼らの場合だと説明の手間が省ける上に頼りになるのは既に知っている。
 誰もが性格面に難があるものの、基本的にはルフトに協力的だった。

 ルフトが祈っているうちに魔法陣の光と風が落ち着く。
 彼は緊張気味に顔を上げた。

「おお……」

 そこに立っていたのは、黒のパンツスーツを着た長身の女性だった。
 年齢は二十代後半くらいだろうか。
 端正な顔立ちをしており、艶やかな黒髪を肩の下辺りで切り揃えている。

 特徴的なのはその眼差しだ。
 女性の目は死んだ魚のように濁り切っていた。
 表情もそれに勝るとも劣らないほどに気だるげである。
 整った容姿を見事に打ち消していた。

「ん? ここどこ? もしかしてまた新しい怪人? うわっはぁ、めんどくさ」

 女性は無気力な様子で文句を垂れる。
 喋り方も完全なる棒読みであった。
 女性は目の前のルフトを見やると、冷めた目を以て問いかける。

「あー、もしかして君があたしのこと拉致ったの? 今度はどの組織?」

「え、いやっ、その……組織とかではなく……」

 ゆっくりと詰め寄ってくる女性に、ルフトは露骨に狼狽える。
 向けられる視線には確かな殺気が含まれていた。

 返答次第では命を落とすかもしれない。
 直感で悟ったルフトは、慎重に言葉を選びながら事の経緯を説明した。

 事情を聞き終えた女性は毛先をくるくると弄る。

「なるほどー。ゾンビの感染パニックなんて、どっかの映画みたいだね。それにしても異世界に拉致されたのは初めてだよ。おかげで会社に遅刻するどころか無断欠勤になりそうなんだけど、この責任はどう取ってくれるの?」

「す、すみません……」

 ルフトは深く頭を下げる。

 異世界人に事情を話して怒られたのは初めての経験であった。
 A子も稲荷も博士も細かい反応に差はあれど、誰もが喜んでいたのだ。
 冷静に考えれば彼らのリアクションの方がおかしい。

 召喚魔術によって相手の事情を無視して別の世界に呼び出しているのだ。
 しかも、ゾンビの危機に晒された世界である。
 迷惑がられるのも当然だろう。
 そのことにルフトは今更ながらに思い至る。

「こちらの事情を押し付けてしまい、本当に申し訳ありません。ただ、僕のために力を貸していただけると助かります……」

 ルフトは深く反省しながらも女性に頼み込む。
 罪悪感はあるものの、ここで引くわけにはいかないのだ。
 事態は一刻を争う。
 都市を救うためには異世界人の力が必要なのだから。

 ルフトの懇願を受けた女性は、ぽりぽりと頬を掻く。

「まあ、困っている人を助けるのも仕事だからなぁ……しょうがないけどやりましょうか」

 そう言って女性は懐から玩具のようなステッキを抜き出すと、それを頭上に掲げた。
 直後、彼女の身体から七色の光が溢れるように発せられる。
 キラキラと星やハートのエフェクトも舞い散り始めた。

 あまりの眩しさに、ルフトは腕で顔を覆う。

「な、なんだ!?」

 光が収まったのを確かめてから、ルフトはそっと腕を下ろした。
 そして驚愕する。
 女性の外見が大きく変化していたからだ。

 スマートなパンツスーツは、大量のフリルがあしらわれたショッキングピンクのジャンパースカートに。
 黒髪のセミショートは、淡い紫色のふんわりとしたツインテールに。
 年齢も十代のルフトと同じくらいにまで若返っていた。

 変化した女性は、奇妙な決めポーズと共に口上を述べる。

「弱きを助け強きを挫く! 悪を倒せと心が叫ぶ! 正義の使者とは私のことさ! 魔法少女ルナリカ、ここに参上ッ! 少年よ、私が来たからにはもう安心……あ、ごめんちょっと限界だわ。アラサーには厳しいわこれ」

 ノリノリだった女性は、途中でいきなりポーズを解いてため息を吐いた。
 どことなく哀愁が漂っている。
 可憐な容姿と相まって酷いギャップだった。

「いやさ、この決め台詞はいつも考えてるんだけどねー。一応、言わないとなぁと思って試行錯誤はしてるんだけどさ。ちょっと痛い感じがすると思わない?」

「は、はぁ……」

 愚痴る女性を前に、ルフトは呆然とするしかなかった。
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