第九十二話 決着

文字数 3,634文字

 ルフトは猛速でアルディに接近する。

 身体が異様に軽い。
 およそ人間とは思えないスピードが出ていた。

「うぐっ!?」

 同時に途方もない激痛が全身を襲う。
 身体が無理やり作り替えられていく感覚。
 摂取した錠剤の効果だろう。

 平常時なら悶絶して動けなくなりそうだが、今のルフトは心地よさすら感じていた。
 意識はこの上なく明瞭としており、ふつふつと闘争本能が湧き上がってくる。
 いずれも錠剤に含まれたオーガゾンビの因子の為せるものなのだろう。

 ルフトは自身の変化を驚きながら魔剣を強く握り込む。

(この力があれば……!)

 ほとんど無意識に使ったが、今回はそれが功を奏したらしい。
 一気にアルディの眼前まで辿り着いたルフトは、魔剣で薙ぎ払うように攻撃する。

 アルディは回転刃の魔剣でガードをするも、あっけなく弾き飛ばされた。
 地面をバウンドして転がっていく。

「なっ……!?」

 アルディは地面に手を突いてブレーキをかけて止まる。
 その表情は驚愕に包まれていた。

 急激に強まったルフトの膂力に加減を誤ったのだ。
 数秒前までなら容易に防ぎ、反撃する余力さえあったはずだった。
 痺れる手の感触に、アルディは顔を顰める。

(一体何をした? 強化魔術でもここまでのレベルにはならないぞ?)

 ドミネーションZを服用したルフトは、魔物を軽々と凌駕する身体能力を獲得していた。
 ミュータント・リキッドの使用を前提としているだけあり、その強化率は計り知れない。
 もはや常人の枠には収まらない。

「うおおおおおおおっ!」

 勇ましく声を上げたルフトは袈裟掛けに斬りかかる。

 アルディは真正面から対抗するのは危険と判断し、鎧から魔力を噴き出して平行移動した。
 赤熱刃を躱すと同時に魔剣を斜めに切り上げる。

 遠心力を乗せた回転刃がルフトの脇腹に叩き付けられた。
 殺害を確信するアルディ――その顔が信じ難いとでも言いたげに歪む。

「どうやら、大丈夫みたいですね……」

 苦笑いして言うルフト。

 脇腹に触れる回転刃は以前と稼働している。
 しかし、ずたずたに引き裂いているのは衣服ばかりで、ルフト自身はほとんど傷付いていなかった。
 精々、引っ掻き傷のようなものを付けている程度である。
 それもすぐに再生されて消える始末だ。

 ドミネーションZの効能であった。
 元となったオーガゾンビの強靭な皮膚を再現しているのだ。
 否、博士の熱心な改良により、本物を上回る硬さにまで昇華されていた。

 故に回転刃を食らっても外傷をほとんど受けない。
 怪力も相まって攻防をカバーした能力である。

 自身の無傷を確かめたルフトは、至近距離からフルスイングで殴りかかった。
 構えの半端な一撃だが、凄まじい膂力が威力を何段階も繰り上げる。

「くそ……っ」

 回避も間に合わず、アルディは咄嗟に前腕でガードした。
 耐え難い激痛の連鎖。
 衝撃で腕が滅茶苦茶に捻じ曲がりながら、彼は錐揉み回転して宙を舞う。

 猛回転する視界の中、アルディは鎧の術式を起動させた。
 魔力をジェット噴出して空中で姿勢を制御、ゆっくりと着地する。

「…………」

 アルディは無言で視線を下げる。

 ぶらりと垂れ下がった片腕。
 拳を受けた箇所を中心に、破損した鎧が剥がれ落ちた。

 中身の腕も潰れて直視に堪えない状態である。
 肉や骨が蠢いて再生を試みているが、あまりにもダメージが大きすぎて時間がかかりそうだ。

 嘆息したアルディは、地面を爪先でこつこつと軽く蹴る。
 靴底に魔法陣が構築されるも、ぱちんと音を鳴らして消えた。

 アルディは渋い顔でぼやく。

「やはり転移対策が……厄介な」

 肩をすくめたアルディは諦めたように身構えた。
 片手で持つ回転刃の魔剣。
 刃に彼自身の血が流れ落ちる。

 息を吐いたアルディはルフトに告げた。

「認めよう。君は強い。とてつもなくね。それがたとえ誰かさんから借りた力だろうと。正真正銘、君は君自身の意志で僕を追い詰めている」

「そう、ですか……」

「ああ。僕が証明するよ。誇ってくれていい」

 そう言いながら、アルディは滑り込むように距離を詰める。
 魔剣がルフトの腹部に命中した。
 ガリガリと騒々しい音を響かせる。

 しかし、やはり大した損傷には至らなかった。
 強靭すぎる皮膚にぶつかるばかりである。

 ルフトは腹部にめり込んだ魔剣に肘打ちを落とした。

 回転刃の魔剣が半ばから折れた。
 これにはさすがのアルディも笑う。

「――なんて馬鹿力。こいつは参った、なぁ!」

 魔剣を手離したアルディは掌底を放った。
 鋭く短い軌道を描いてルフトの顎を強打する。

 めきり、と軋んで折れたのはアルディの手だった。
 あらぬ方向を向いた手首を見るアルディ。

 そこへルフトの蹴りが飛び込む。

「……っ」

 衝撃のあまり、身体のくの字に折って呻くアルディ。
 ルフトは魔剣で追撃する。

 その一閃は鎧の装甲を切り裂きながら、アルディの肉体を焼き焦がした。
 ぼたぼたと地面に滴る鮮血。
 アルディはたじろぐ。

「これで、終わりです」

 ルフトはありったけの魔力を込めて魔剣を突き込んだ。
 膨れ上がる爆炎。
 切っ先がアルディの胴体を貫いて背中まで抜ける。

「がっはぁ……ッ!」

 刺突と爆炎をまともに浴びたアルディは、激しく吐血しながら無様に跳ね飛んだ。
 勢いのままに転がって咳き込む。
 貫通した傷口が燃え上がっていた。

 数秒後、アルディは震えながら立ち上がる。

「…………」

 力の抜けた手足。
 ひしゃげた鎧が割れて外れる。
 あちこちから出血しており、もはや生きているのも不思議なほどだった。

 アルディは半ば炭化した顔を上げる。
 どこか晴れ晴れとした表情。

 目から流れた血の涙が頬を伝っていた。
 紫色の瞳が濁っていく。
 色白の肌に斑点が浮かび始めた。
 損傷した肉体を修復しようと、ゾンビウイルスが変異を速めているのだ。

 自らの異変も厭わず、アルディは一歩ずつ踏み締めるようにルフトに近付いてくる。

「ありが、とう……ようやく……終わっ――」

 言葉を切ったアルディは痙攣を起こした。
 ほんの一瞬だけ白目を剥く。
 だらしなく開いた口から、血の混ざった涎が垂れた。

 アルディはすぐさま首を振って我に返る。
 彼は片足を引きずるように進んでいく。

「これから、が……辛い、ぞ……」

 ぼとり、と右腕の肘から先がひとりでに千切れ落ちた。
 断面から泡立って漏れるどす黒い粘液。
 急速に進行する腐敗によるものであった。

 それでもアルディは唇を噛んで歩む。

「だ、けど…………きみな、ら……耐えられ……るは、ず……」

 裂けた腹部から焦げた焦げた臓腑がはみ出す。
 それらを踏み付けながら、アルディはひたすら足を動かした。
 まるで最後の使命とでも言いたげに。

 懸命に伸ばされた左腕は、自重に負けて肩口から腐り落ちた。
 引きずる片足が腐液を溢れさせて内側から融解する。

 焦点の合わない双眸は、されどルフトを見据えていた。

「がん……ばれ…………が……んば、れ……がんば……れ……がんばっ」

 アルディがついに倒れた。
 受け身も取れず、鈍い音を立てて地面に激突する。
 じわじわと身体の下から滲み広がる血液。
 それっきり、ぴくりとも動かなくなる。

「…………」

 ルフトは怪訝そうに歩み寄る。
 そっと触れようとしたその時、アルディがいきなり顔を起こした。

「グェバアアアアアァッ!!!」

 絶叫するアルディ。
 その顔からは既に理性が失われていた。
 彼は芋虫のように這って、ルフトに噛み付こうとする。

「――――っ」

 ルフトは反射的に魔剣を一閃させる。
 掬い上げるような斬撃がアルディの首を刎ね飛ばした。

 地面を転がったアルディの生首。
 かちかちと歯を鳴らして、声にならない呻きを発している。
 それもしばらくすると止まった。

 白銀の冒険者・アルディは死んだ。
 その末路を見届けたルフトは、何とも言えない表情で呟く。

「アルディさん、どうして……」

 途中で言葉を切ったルフトは背後を振り返る。

 見渡す限り広がる多種多様な死体。
 そのそばに佇む博士が、ルフトをじっと眺めていた。
 あちらは随分と前に勝敗が決していたらしい。

 ルフトは血塗れの手で汗ばんだ髪を掻き上げて、空を見た。
 地上のやり取りなど意に介さないかのように、雲一つない穏やかな天気である。

 ――こうして、街の行方を左右する戦いは幕を下ろしたのであった。
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