第十二話  稲荷の本領

文字数 2,132文字

 獣人族に噛み付かれた稲荷は、そのまま乱暴に押し倒された。
 そこへ他のゾンビも殺到していく。

 たちまち広がる血だまり。
 彼らは続々と稲荷を食らい始める。

「あ、あぁ……そんな……」

 絶望のあまり、ルフトは膝から崩れ落ちる。

 頼みの綱である稲荷が食い殺された。
 無敵とも思われた彼も、獣人族のゾンビのスピードには対応できなかったのだ。
 ルフトは稲荷を助けようと思い立ち、生き残りの探索班に助けを求めようとする。

 しかし、彼らは小声で相談しながらちょうど食堂を出て行くところだった。
 食糧の調達を諦めて、ひとまずここから逃げ出すつもりらしい。

 ルフトは頭に血が昇り、彼らを咎めようとして堪える。

(駄目だ。冷静になれ……)

 この状況なら賢明な判断だろう。
 むしろ、稲荷に固執するルフトの方が危うい考えとも言える。

 ルフトは、生き残りの探索班の後を追いかける。
 非情だが仕方あるまい。
 ここで全滅する方がよほどまずいのだ。

 胸中で言い訳を連ねる彼の目の前に、何かが落下してきた。

(なんだ……?)

 怪訝そうにするするルフトだったが、その正体にぎょっとして足を止める。
 それは、獣人族のゾンビの生首だった。
 首の断面は粗く、まるで何らかの力で無理やり千切ったかのようである。

「――まさか」

 ルフトは反射的に振り返る。

 稲荷に群がるゾンビの手や足や首が猛速で斬り飛ばされていた。
 時折、凄まじい勢いで吹き飛ばされた個体が壁や天井のシミとなる。

 霞む勢いで動いているのは、鉈を握った見覚えのある腕だ。
 ゾンビの中心にいる人物が彼らを切り崩しているらしい。

 次の瞬間、ゾンビたちがばらばらに千切れながら一気に宙を舞った。
 血と肉と骨のシャワーが食堂をどす黒く染めていく。

 吐き気を催す悪臭がルフトの鼻腔を突いた。
 世にもおぞましい光景だ。
 惨たらしさが一周回って幻想的にすら感じられる。

 破壊の嵐を巻き起こした張本人――稲荷は、鉈を片手に姿を現した。

「いやァ、油断しちゃった。動きの速いゾンビもいるんだねェ。殺り甲斐があって何よりだよ」

 稲荷は一見すると満身創痍といった有様だった。

 詰襟の学生服は至る所が破けて血塗れだ。
 手足の皮膚と肉が抉れて骨が露出している。
 左脚に至っては膝から先が丸ごと無くなっていた。
 割れた頭部は、稲荷が動くたびに脳漿をこぼす。
 引き裂かれた腹部からは臓腑が垂れて、ずるずると床の上を引きずっていた。

 どれも群がっていたゾンビによるものだろう。
 常人ならとっくの昔に死んでいる。
 否、何度か死んでもお釣りが出るレベルだ。
 そのような状態にも関わらず、稲荷は平然とした顔をしている。

 彼は近くに転がる死体に目を付けると、手のひらの口で捕食し始めた。

「正直、ゾンビってちょっと物足りない感じはあったんだよね。強化バージョンがいるみたいで安心したよ。他にもいるのかなァ」

 稲荷が楽しそうに語る間にも、彼の負った傷がみるみるうちに治癒していく。
 どうやら捕食行為を取ることで、稲荷は急速な再生能力を発揮するらしい。
 明らかな致命傷さえも跡を残さずに消えてしまった。

 そうしてあっさりと元気になった稲荷は、何事もなかったかのように殺戮を再開する。
 彼はあっという間に食堂内のゾンビを殺し尽くすと、にこやかな表情でルフトのもとへ駆け寄ってきた。

「おお、待っててくれたんだね。他の人は? もしかしてゾンビの餌になった?」

「何人かは犠牲になりましたね……生き残った人たちはたぶん、武器の調達に行ったと思います」

 当初の予定では、食堂の次に攻撃魔術の教室に行くはずだった。
 そこで杖や魔道具を回収するつもりだったのだ。

 食堂からそう遠くない場所なので、生き残りの探索班もそちらへ向かっているのだろう。
 怖気づいて講堂へ戻った可能性も捨て切れないが、それを確認する術はない。

 ルフトと稲荷はとりあえず厨房へ赴いて食糧を入手。
 二人では大した量が持てないが仕方ない。
 最悪、もう一度ここへ来ればいい。
 室内のゾンビは一掃してあるので調達も楽なはずだ。

 リュックサックに食糧を詰めながら、ルフトは稲荷に尋ねる。

「そういえばゾンビに噛まれていましたけど平気ですか? その、体調とか……」

 ルフトの脳裏に浮かぶのは、ゾンビに噛まれた人間がその仲間入りを果たす光景だ。
 傷が治ったとは言え、稲荷は全身がぼろぼろになるまで食われていた。
 いつゾンビ化してもおかしくないかもしれない。

 不安になるルフトを尻目に、稲荷はきょとんとした様子で首を傾げる。
 彼の両手の口は、生の肉と魚を旨そうに咀嚼していた。

 少し考えた末、稲荷はあっけらかんと答える。

「うーん……まあ、大丈夫じゃない? 今まで風邪とかになったこともないし」

「そ、そうですか……ははっ……」

 異世界の妖怪によっては、風邪もゾンビ化症状も似たようなものらしい。
 ルフトは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
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