第六十八話 唯一の備え

文字数 1,276文字

 シナヅが唐突に消えたことに、周囲の人々は混乱する。
 新手の魔術攻撃の前兆なのでは、と警戒している者もいた。

 代表してドランがルフトに尋ねる。

「おい、あいつはどこへ行ったんだ?」

「僕の魔力がなくなったことで召喚魔術が維持できなくなり、シナヅさんは元の世界へ帰ってしまいました」

「なるほど。召喚魔術も大変なんだな」

 それを聞いたドランはすぐさま瓶を取り出すと、中身の液体をルフトに飲ませた。

 途端にルフトは気分が良くなる。
 枯渇寸前だった魔力が満ちる感覚があった。
 瓶の正体は魔法薬だったらしい。

 ルフトは礼を言いつつも、肉体の疲労を実感する。
 あくまでも魔法薬は応急処置に過ぎない。
 魔力消耗による負担が完全に解消されるわけではないのだ。
 あまり無理をすると身体にガタが来てしまう。

 その間、ドランは皆に問題ないと告げて落ち着かせていた。
 困惑する人々であったが、彼の言葉を受けてひとまず静かになる。
 ドランはリーダーとして相当に信頼されているようだ。

「ルフト、お前さんは少し休んだ方がいい。拠点の案内や諸々の話は後でいい」

「お気遣い感謝します……」

 ルフトはドランの提案に素直に従うことにした。
 疲労を払拭するには、しっかりと休息を取るのが一番である。
 彼自身、急いでばかりでは駄目だと理解していた。
 残り二つの門の封鎖については、なるべく万全の状態で挑みたい。

 ルフトはドランの案内で一軒の家屋へ移動する。
 元は雑貨屋だったらしく、表に看板が掲げられたままだ。

 室内は様々な物で溢れ返っている。
 ほとんど整理整頓されていない。
 ドランはその中から粗末な布を出して、室内の僅かな隙間に敷いた。
 別の生存者が、水の入ったバケツと手ぬぐいを持ってくる。

「これで身体を拭いて仮眠を取ってくれ。後で食事でもしながら話そう」

「ありがとうございます……」

「気にするな。困った時はお互い様だ」

 そう言い残して、ドランは扉を閉めて雑貨屋を去った。

 一人になったルフトはブーツを脱ぎ、手ぬぐいを濡らして絞ってから身体の汚れをふき取る。
 ある程度綺麗になったところで寝転がった。

(……これからどうしようか)

 門の封鎖をせねばならないものの、ここにいる生存者のグループも放っておけない。
 彼らの目的もまだ知らないが、ここまでやり取りした印象だと決して暴徒などとは異なる。
 善良な生存者のグループだ。
 可能なら力を貸したい、とルフトは思った。

「僕に力があれば……」

 ルフトは収納の鞄を探る。
 掴んで出したのは、三本の注射器。
 異世界人の博士から譲り受けたミュータント・リキッドである。

 これを打ち込むことによって、ルフトは一時的に超人的な身体能力を獲得する。
 彼の持つ最後の切り札だ。
 本当に追い詰められた際にのみ使うつもりであった。

「――何もないのが一番だけどね」

 叶いそうにない望みを抱きながら、ルフトはそっと眠りに付いた。
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