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文字数 4,767文字

 学校が終わり、午後。静流はラウレンスを連れてデチュラの家に向かっていた。
 初めてデチュラの家に向かった時は衝撃だけに支配されたが、聞いたところによればテレポーターがあるのだという。瞬間移動装置があるならば車ではなく最初からその装置を使えばよかったものを。ひそかな舌打ちをしまいこみ、ラウレンスに案内されてテレポーターの場所へと向かった。
 特徴的な赤い桟橋を渡った先にトンネルがあり、パーティクルな色彩の空間を通り抜ける。そのトンネルは幻か本物か、壁の外は海の中になっていた。水族館のようになっているが、魚は泳いでいない。代わりに、美しいセイレーンが楽し気に泳いでいた。
「なんだ、ここは」
 静流は思わず、呆れた。自分の生きてきた世界が米粒のように小さく感じ、同時に自分の存在に憂いを覚えたのだ。
「閉じ込められているわけではありません。私のエメージュによると、ここは彼女らの遊び場なのだといいます」
「俺たちに見られることも構わずか」
「セイレーン、時に我々がそう呼ぶ存在は、自分たちが美しいことを知っています。それ故、人に見られることに厭いを感じません。むしろ、見てほしいのです。自分たちを」
「その性格、だれが考えたんだ。セイレーンも人間も大して変わらないな。人間も、自己顕示欲が強いやつはごまんといる」
「自己顕示欲とは似てますが、根本的には違います」
 真横を一匹の人魚が通った。その人魚は男性で、髪が長く美麗な顔立ちをして静流にウィンクをした。
「神話に出てくるセイレーンは、歌声で人を誘い溺死させることで有名ですが、こちらの世界では少し違うようです。全ての存在に友好的に接し、絶え間ない愛を注いでいる。その愛の対象に、自分の美しい姿を見せる。いわば、奉仕のようなものです。旧人も人間と同じように、美しい物に美しい魂が宿ると考えておりますから」
 今度は横を、丸い目をした女性の人魚が通り過ぎた。静流を見るなり、両手を壁につけて完璧な笑顔を見せた。短いブロンド髪で、息が水泡になって上っていった。
 このトンネルの名前は「カストル・セイレンヌ」と呼ばれている。
 十五分を過ぎて長いトンネルを抜けると再び赤い桟橋があり、道は二手に別れる。ラウレンスは左の赤レンガの坂道を上り、木々に囲まれた丘の上に立っているビルの中に入った。そのビルはコンクリートでできているが、葉が壁を覆い隠して廃墟のような佇まいをしている。
 だが内装は綺麗で、その綺麗さが曖昧な違和感を作り上げていた。
 人の数は多い。人間も旧人も入り乱れている。念のため静流は周囲にニムロドの姿がないか確認してからビルの中に入った。
「テレポーターは、誰でも自由に使えます。特にこれといった制限も、何もありません」
 ラウレンスの言う通り警備員はおろか、受付人もいなかった。玄関ホールは無機質な色で造られているだけで監視カメラのようなものもなく、犯罪者の温床になってもおかしくはない。少なくともここが五界であれば、悪人たちが喜んで占領していたことだろう。
「管理が杜撰(ずさん)なんだな」
 扉から中に入って、正方形の待合ロビーのような空間から奥に廊下が伸びている。その先には階段があり、二階にいけるようだ。ロビーには一本の木が植えられていて、天井に向かって伸びていた。針葉樹のようだ。
 針葉樹を中心に椅子が並べられており、水飲み場のようなものもある。
「あの蛇口をひねると、ジュースが出てきますよ」
「子供が喜びそうだな」
 ラウレンスは一方通行の廊下を歩き二階に上った。螺旋階段となっていて、二階に上るとまた無機質で淡泊な灰色の空間が広がっている。二階は円形になっていて、それ自体が一つの部屋だった。
 中央に見たこともない生物の石像が象られている。四足歩行で、細い体。胴体からは翼が生えている。尻尾が数えきれないほどに生えていて、それぞれが異なった動きをしている。首は上に反っていて、(ハエ)のように小さな目が大量に埋め込まれている。逆三角の頭をした二つの角からも天使の羽が生えていて、口がない。
「この生物を見たことがないのは普通か?」
「ええ、普通ですよ。五界では語られたことのない生物です。名前はコダスティーヌ。かつて三界の技術者だった者です」
「技術者、この怪物が?」
「ええ。ですが、旧人とは友好的にはなれませんでした。コダスティーヌはひどく臆病で、自分以外の知的生命体の存在は認めたくなかったのです。そのため、旧人達を全滅させようと、ありとあらゆる技術を生み出しました。その中の一つに、テレポーターというのがあります」
 一つだけ、静流は解せないことがあった。
「友好的じゃないなら、なんで石像なんか作ったんだ」
「コダスティーヌと旧人の全面戦争は免れず、結果は旧人側の勝利で終わりました。その時、コダスティーヌは――」
「話を遮って悪い。旧人が全面戦争? 争いは嫌いなはずだ」
「この戦争は、数億年も前の話です。旧人達はそこから、徐々に争いの無価値さを知り、世代を超えて平和を愛するようになった。誰もが、等しくです」
「なるほどな」
 三界と五界は、やはり根本的に生きてきた数が違うのだ。守吟神以外の一般市民が積極的に人間と関わろうとしない理由の一つだろうか。そもそも人間が旧人となったという。
 静流は、新たな疑問を抱いた。数億年も前から、知的生命体が五界に生まれていたということなのだろうか。
「コダスティーヌは、自分を殺さないように懇願しました。ですが旧人は、殺害してしまった。旧人達は多くの犠牲を払いました。人間から旧人になったのに、また五界に戻された人々が多かったのです。旧人達の憎しみは大きかった。ですが戦争が終わって数年後、コダスティーヌの遺した技術で旧人達は発展するようになります。更に月日が経ち、コダスティーヌを殺害してしまったことを過ちだと解釈した旧人達の手によって、石像が立てられました」
「コダスティーヌっていうのは、いつから三界にいたんだ」
「歴書には、創世から存在されていたものだとされています。コダスティーヌは同族が他にもいましたが、天災により同族たちは全滅。彼だけが残り、孤独の月日だけが過ぎていきました」
「孤独なのに、旧人を嫌ったのか」
「彼の心情は、我々には計り知れないでしょうね。旧人ですら。だからこうして、石像がたてられたのではないでしょうか。私たちが思い出し、一体何を考えて散っていったのかを考えるために」
 何を考えて散ったのか。それを知ることは永遠にできないのだろうが、勝って生きた側は考え続けなければならない命題だ。
 石像を中心に、八つのカプセルのようなものが並んでいた。人間が三人は入れる大きさで、透明のプラスチックのようなものでできている。上と下は機械的で、青いイナズマが線をなぞって走っている。ラウレンスは階段から一番近い手前のカプセルの中に入り込み、静流は手招いた。
 二人が入り込むと、自然とカプセルの扉が閉まった。
「シズル、この装置はただのテレポート装置ではありません。移動するのは我々の体ではなく、思念です」
「思念ときたか。どういうことだよ」
「人間は電気信号で思考がやり取りできます。ここから先は私もまったく理解できない範疇でしたので、コダスティーヌがじつに偉大だったか分かるでしょう。とりあえず、私たちは実体が移動するのではない。テレポートの方法ですが、移動したい先を思い描きます。それだけ」
「いやに簡単だな」
「ええ。ですが、体はここに残ります。その結果どういうことが生じるかというと、思念だけが飛ばされるので我々は幽霊同然の存在になるということです。物も掴めなければ、戦うことはできない。また、混乱したり恐怖を感じたりしたらそれは雑念となり、場合によっては強制的にここに戻されることもあります」
 先ほどから感じていた疑問点を、静流は口にすることにした。
「お前、やけに詳しいんだな。コダスティーヌとかこの装置の理屈とか」
「私は五界では情報屋でした。職業病のようなものですよ、この行きどころのない知識欲というのは」
 胡散臭さも相まることながら、情報屋とは常にそういうものだということも思い出し静流は納得することにした。ラウレンスが学校に紛れこんだ、なんらかのスパイだということも考えられるが、彼ほど頭の切れる人間が些細な言質によるミスを犯すことは考えにくい。
「では、想像してください。私はシズルの側にいますよ」
 機械が作動し、静流は目を瞑ってデチュラの家の前を想起した。
 すると、霊的なものには一切関心のなかった静流でさえ「魂が浮いた」と思うほどの浮遊感を得た。体から何もかも、五臓六腑が吸収されていくような凄まじい体感をした後、場所はカプセルの中からデチュラの家の前にいた。
 真っ先に発見した事実として、視線が低い。幼稚園児のような目線で、地面が近かった。そして、自分の両足を見て静流は愕然とした。
「嘘だろ! なんじゃこりゃ!」
 そして、次に自分の両手を見た。
 間違いなく、自分の姿がレッサーパンダになっていた。二足歩行で立てるし、毛むくじゃらだ。どういう訳か尻尾の感覚もある。
 静流の声を聞いてか、デチュラが家から姿を現した。そしてレッサーパンダと化してしまった静流の姿を見て、彼女は品を失った声で大笑いをあげた。デチュラの笑い声を聞きつけて家から飛び出してきた紗季もまた、主に続いて腹の底からの笑い声をあげてみせた。
「どういうことだ、どうなってるんだ」
「シズル、雑念が混ざりましたね」
 ラウレンスの声が聞こえて後ろを振り向くと、そこにはパンダのような耳と猫のような尻尾の生えた子供姿のラウレンスが立っていた。
「お前、その姿……。俺が言えたクチじゃないが、何があったんだ」
「私はデチュラ様の家を知らないので、シズルに追従するようになっていたのです。そもそもシズルは、思念のどこかにレッサーパンダが混ざっていて、こちらに姿を現すときにそのような姿になってしまいました。そうして追従した私も、シズル程ではありませんが……このような姿に」
「俺のどこにレッサーパンダの入る隙があったっていうんだ。クソ、デチュラ、お前も笑いすぎだ」
 可愛らしいつぶらな瞳でデチュラを睨んだシズルだが、おそらく睨んでいるのだろうがデチュラにはまったくそのようには見えず、むしろ笑いを誘うだけだった。デチュラは息をしにくそうにしながらこう言った。
「だって――レッサーパンダって! あの小生意気で、気取り屋のシズルがレッサーパンダって!」
「ああもう。ラウレンス、一回帰らせろ。やり直しだ」
「このままでもいいと思いますよ。シズル、そのほうが可愛らしく、話し合いもうまくいくかと」
「どうやって帰ればいいのか教えろ。帰りたいって念じれば帰れるのか?」
「お察しがいいですが、そのままの姿でいられなくなるのは非常に残念です」
 ラウレンスの言葉はお構いなしに、その場から静流は瞬時に消えた。そして再び戻ってきたとき、今度は今までの静流の姿そのものだった――と思いきや。体は人間、服も静流のもの。だが根本的に異なっている部分がある。
 思わずラウレンスは、微笑を漏らした。
「よし、今度は成功だな。デチュラ、少し話がある。家に入れてくれないか」
 もう一度帰ってきた静流に目を合わしたデチュラは、噴き出しながらこう言った。
「おい、私を笑い殺す気か!」
 思念というのは、じつに複雑なものだ。瞑想を極めた仏陀ですら、邪念を妖怪の類だと解釈するほどに、不確かなものだ。だから最初は、テレポート装置を上手に使いこなせる人間は少ない。
 静流は、顔が少女漫画のように目が大きく、乙女のような顔立ちで、瞳は星の形になっていた。
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