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文字数 4,941文字

 サラとの約束を反故にはしない。静流は最新式の車椅子に乗り、ラウレンスの家を目指していた。
 六ミリほど浮遊する車椅子で、思考で操作が可能だ。義足ができるまではもうしばらくかかるが、少なくとも次の試合までは完成する見通しだった。といっても、義足に慣れなければ次の試合もどうなるか分かったものではない。スケート選手は誰だって、最初の頃は氷とよく手を繋いだだろう。
 ラウレンスの家にいくのは初めてだったが、羊皮紙の地図に明確に示されていたから迷うことはなかった。カッヘルバフは都会ではあるが、迷路ではない。至るところに標識もあるから、迷子になりようがないのだ。
 商店街を通り抜けて住宅街。ラウレンスの家はその一角にあった。色とりどりの家々が並ぶ中、灰色のコンクリートでできた二階建ての家のプレートにガゾールと刻まれた銀色のプレートがある。小さな庭がついていて、木製の門は余所者を寄せ付けないオーラを放っていた。
 プレートの上に呼び出しベルのボタンがある。静流がボタンを押すと、外まで聞こえるチャイム音が鳴った。
 しばらく待っていると、自動で門が開かれた。向こう側に立っていたのは、黒いワイシャツを着込んだ茶髪の中年男性だった。
「話には聞いている。お前がシズルか」
 ガゾールとは初対面だ。名前も初めて知ったばかりで、ラウレンスは自分の守吟神の話をしなかった。静流は椅子に座ったまま一礼した。
「片足がないから頭を下げるのも一苦労だ。礼儀知らずなんて思うなよ。代わりに上質な酒を持ってきた。ミアンナが好きな酒だ」
 彼はラウレンスの守吟神であり、三界で傭兵をとりまとめて指揮をしていた隊長でもあった。
 白いレース布で包まれたワインが静流の手から差し出されていた。だがガゾールは険しい目で酒を受け取ろうとせず、腕を組んだまま微動だにしなかった。静流は手を引っ込めて苦笑する。
「あんたがワインが苦手だって知らなかった」
「赤ワインは嫌いじゃない。プロシュートにはよく合うし、質の良いものは後味まで堪能させてくれる。俺は、その赤ワインの中に入ってるお前の要求ってやつを飲めないだけだ」
 険しい目は変わらず、苦笑する静流に注がれていた。情報屋として有能なラウレンスの守吟神の前で下手な芝居や取引は出来かねる。静流は交渉術は学んでこなかった。
 五界にいた頃のボスを思い出し、見様見真似でやってみるしかない。静流は引き下がらずにこう言った。
「ガゾール、俺は嘘をつけない性質だから率直に言う。それであんたが怒っても俺は構わないと思ってる。ただ一つだけ、どうしても聞いておかなけりゃならないことがある。あんたは、グノーシスコンツェルンをどう思う?」
 問われるとは思わなかったのだろう。ガゾールは僅かに視線を下に向け、考える素振りをした。視線が戻ってくるまでに長い時間はかからなかった。
「戦場に駆り出される人間は、人を殺した罪人共だ。そんな奴らに同情はしない。仕事だろうが快楽だろうが人を殺めたことに変わりはない。グノーシスコンツェルンは、新たな地獄の形を作ったのだと思っている」
「そうだよな。この町に住んでるとそういう尖った見方になっちまうのも頷ける。なあ、少年兵を知ってるか。生まれた時から戦うことしか教えられない。ペンの代わりに銃を持たされ、本を読む代わりに術を学んだ。あんたに聞きたい、その少年兵も同罪か? 悪人を罰するのが正しいと言われて育ってきた子供達も七界にいかなくちゃならないのか」
「議論の余地はない」
 扉が自動で閉まろうとしていた。静流は敷居に片足を差し込んで完全にしまらないようにして、隙間からガゾールを見上げた。
「罪人に同情はしないって言ったよな。じゃあどうしてアルカディアを倒す手伝いをさせた」
「個人的な恨みだ。アルカディアにはかつて、俺の私物を盗まれたことがある。その仕返しだ」
「へえ、そうかよ。ならその時と同じ理論にはならねぇと思うが、ラウレンスを貸してくれ。ディーグを倒すにはやつの力が必要だ」
「なぜ俺がわざわざ出てきたか分かるよな」
 木に挟まれて、足の感覚がどんどん薄れていく。靴越しに木の圧迫感を感じ、潰されそうになるのを必死にこらえている。
「ディーグとの戦いでラウレンスが死ぬのが怖いのか。同情はしないんだろ」
「従者を手に入れるのは簡単じゃない。分かったら帰れ」
 限界を迎え、静流は痛みのあまり足を持ち上げる。扉がおごそかな音を立てて閉まると、家へと戻っていく足音が聞こえた。静流は持ってきた赤ワインの瓶に目を落とすと、勢いよく門に叩きつけて赤い液体が散った。
 優秀だったラウレンスの手が借りられなくなる。情報屋として彼の力は欠かせないのだから、ガゾールを説得する必要があるだろう。しかし、どうやって。一目あいまみえれば分かることだが、岩のような頑固頭なことは間違いない。そんな相手をどうやって説得すればよいのか。
 デチュラに直接交渉してもらうか、ミアンナやフェンの守吟神であるミオラに頼んでみるのも間違いではないだろう。とはいえ、どれも確信はできなかった。三人がかりで攻めたところで、重い首を縦に振らせるのは簡単じゃないだろう。
 考え事の途方に暮れていると、上着ポケットの中に入っていた携帯端末が鳴った。電話のようだ。掛けてきたのはフェンのようで、静流はぎこちない動作で着信のボタンを押した。
「フェンか。喋れるようになったんだな」
「うん、ちょうどさっき。喋り方に違和感とかないかな?」
「まったく前と変わらない。今は人工舌なんだよな。なんか前と違ってることとかあるのか」
 静流は車椅子をフェンの家の方角へ動かしながら話を続けた。
「強いていうなら、前より唾液の分泌量が多くなったくらい」
「いやに生々しいな。だが前のように戻ったんならよかった」
 電話から聞こえてくる音はフェンの声だけでなく、雑踏の音も聞こえた。彼女は屋外にいるようだった。静流がそれを疑問に感じたのと同時に、フェンはこう言った。
「人間街にいくんでしょ」
「なんでそれを知ってるんだ。サラが人間街のことを言ったのは試合が終わった後のはずだ。試合が終われば、中継はストップされるからテレビを見ていても誰も気付かない」
「ラウレンスさんから聞いたんだよ。自分はいけそうにないから、代わりについていってほしいと。何か困ったことがあったら連絡してほしいって言われた」
 静流からの電話となればガゾールも黙っていないだろうが、フェンとの電話なら怪しまれないだろう。ラウレンスは先手を打ったということになる。静流はしてやられたような気分になりながら、セントラルタワー付近まで車椅子を動かしていた。
「他に、ラウレンスは何か言ってたか?」
「協力できなくて申し訳ないって言ってたよ。もうシズルは人間街に向かってるよね」
 人間街はセントラルタワーの右手側にある路地を過ぎた先にある。道は真正面しかなく、出入口も北と南の一つしかない。裏路地があることを考えなければ、ほぼ吹き抜けの街だった。
「そうだ。まさかとは思うが、お前」
「猫の手くらいはあってもいいでしょ。しかもその猫は、速度六十を超えてた車の運転席の男を一発の拳銃で仕留めた実績があるんだから。人間街の入り口で待ち合わせね」
「分かったよ、好きにしろ」
 静流は端末を懐にしまい、流れる景色を観察しながら人間街入口へと向かった。

 グノーシスコンツェルン内部には様々な部署が存在している。人間の斡旋、経済管理、武力抑制、会場維持、会計事務所。競技場ができてすぐ、会社は一大組織へと築きあげられ三界では他に例がないほどの規模へと育っていった。リーダーとなっているのはディーグ、幹部やメンバーからはボスと言われて親しまれている。
 その高いカリスマ性から、一部の旧人達の間ではグノーシスコンツェルンで働けることが栄誉なことだと言われ、彼の部下になることを目標とする若い旧人も多かった。
 彼らの間では戦いに駆り出される人間はもはや人間ではなく、悪魔そのものだという認識だった。旧人も本来は五界で暮らす人間だったが、ディーグの洗脳的な教育により人間達を戦わせる非道徳的な行いに関して正当だと誰もが思っている。
 だが、数千人はいるディーグの部下達の中でたった一人、彼女だけは洗脳から逃れていた。
「なぁアナ、俺は気になることが幾つもある。まず一つ、お前はどうしていつも良い匂いがするんだ? 甘い匂いだ。二つ、お前が酒を飲んでるところを見たことがない。ここは三界だぞ、もっと自由に暮らせ。そして最後に」
 アナと呼ばれた女性は椅子に座りながら、机に寄りかかり扉の方を見ているディーグの言葉を待った。
「どうしてシズルとサラを戦わせた。うん? これは、大いなる間違いだと思わなかったのか」
 アナスタシア、それが彼女の名前だった。アナはグノーシスコンツェルンの中で最も重要なポジション、舞台管理の中にある人間選別の役職についていた。人間選別は、戦績と五界にいた頃の実績を見て対峙する人間を決める役職だ。静流とサラを戦わせたのは彼女だった。
「お前のその黒く長い髪、細い碧眼。(つや)のある唇にはどんな男だってキスをしたくなるだろうな。白いワイシャツ、黒いフレアスカートもよく似合う。買ってやったの俺だったよな。だというのにお前は俺の求婚を受けなかった。あの時は心底ガッガリしたなあ傷付いたよ」
 どんな言葉が飛び出てきてもおかしくない。アナは不愉快な言動を繰り返すディーグを前に、表情一つ変えず耐えていた。
 彼が手に、愛用している刃付きのバッドを持っていても、微塵も恐怖を感じていない様子だった。ディーグは笑いながら続ける。
「不穏分子は早い内から芽を摘んでおくって決めたんだよ。名前なんて覚えちゃいないが、前あっただろ。セブンスタワーが革命軍団に掌握されたのは随分と困らせられた。あの失敗は二度としない、だからシズルはここで七界送りにするべきだった。なぁアナ、聡明なお前なら分かるだろ」
「お言葉ですが、ディーグ様」
 アナはディーグの目を見返した。
「対戦結果がどうなるかは神のご意思です」
「はたしてそうか。サラは革命に失敗して気落ちしていた。ああ、可哀想なサラ! ビアンだった恋人も奪われて帰る場所を失ったサラ!」
「勘違いをしていらっしゃいますね。私はいつも通り仕事をしたまでです。それに不服があるというなら、次はご自分で選ばれてみてはいかがでしょうか」
「毎日何人の人間が送られてきていると思っているんだ。こんな面倒な作業は俺には向いちゃいない。だから、俺が愛するお前に全てを託しているんだ、違うか」
「自分の意向にそぐわないからといってダダをこねるのは、五界にいる未成熟児と変わらないことを理解してください」
 鋭い牙で噛むような言葉。ディーグは不敵に片方の口角を吊り上げ、バットの先端を彼女の目に向けた。
「俺がここでお前の頭を叩きつぶさないのは、俺がお前を愛してるからだ。だが、もし俺の最悪な予想が当たっているっていうんなら、その時は容赦しない。覚えておくんだな」
 顔の前に持ち上げていたバットを下げたディーグは、振り回しながらアナの部屋を出た。扉を開けて閉める時、彼は二本指を自分の目に向けてから、人差し指をアナに差した。
 緊縛した空気から解放され、アナは溜め込んでいた息を吐く。
 水を飲んで立ち上がった彼女は、机に広げられていた紙を丸めて火のついた暖炉の中に放り込み、新たな紙を広げた。直径百メートルはある大きな画用紙だ。アナはその中央に指を置くと、画用紙には次々と文字が浮かびあがり、次に油彩画で描かれたような地図が現れた。
 小さな点がいくつも動いている。アナはしばらく点を眺めていて、一つの青い点に再び指を伸ばした。するとその点は動きを止めた。
「私、アナだ。これから少し話しておきたいことがある。私の家に来てくれ」
 言葉でそう伝えると、アナは画用紙の中央に開いた手を当てた。すると今度は文字や地図が霧消(むしょう)し、真っ白な紙へと戻った。
 紙の中央に(おもり)を置いたアンナは外套掛けに下げていた鞄を手に取ると、足早に部屋を出ていくのだった。
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