19-2

文字数 4,599文字

 ロビーの指が引き金に乗る。それが引かれれば静流の魂は三界から消え失せる。勝者となったロビーは高笑いをしながら家に帰り、ボーナスを預かって勝利の余韻に浸る。片手のグラスに注がれているのはワインかウィスキーか、それは些末なことだ。大事なのは、この後すぐに起こる出来事だった。
 一発の銃弾だけで仕留める手筈を彼は踏んでいるのだろう。静流は足掻きを止めず、絶えず足に瓶を叩きつけている。
 不意にロビーが笑った。悪意と勝利に満ちた笑みだった。笑みを浮かべるのと寸分違わぬ秒差で銃声が聞こえた。その様子を見ていたミアンナは愕然と、窓に両手を押し付けて静流の名前を叫んだ。ミアンナが出ていくのをデチュラが制し、フェンは絶望に圧し潰されそうになっていた。
「まだだ。終わっていない」
 フェンの肩を持ってそう言ったのはカミツナギだった。フェンはか細い声で聞き返した。カミツナギはそっと、ロビーの足を指した。
 彼の足は炎に包まれていたのだ。
 一発の銃声がなるのと寸前に、静流が叩きつけていた瓶が割れたのだ。静流は半分に割れた瓶の片方を顔の前に出して銃弾をガードすると、ポケットから取り出したライターでロビーの足に火を付けた。
 瓶の破片が顔中に突き刺さった傷と、急所はそれたが頭の中に入り込んだ鉛玉の痛みが静流を襲う。脳と顔、そして踏まれていた喉に痛みを伴っていたが、ロビーの足が焦げる匂いがした。
「くそったれ!」
 思わずロビーは喉を踏みつけていた足を上げ、火を消すべく上着を脱いで足に被せたが、火の勢いを殺すことはできなかった。
「普通の人間ならそこまで早く燃え広がることはなかっただろうよ。だがお前は、自分が使いこなしてると勘違いしている超能力を身に着けちまった。お前の体内にある粘液が仇になったな」
 ロビーは怒りを露わにするように、息を荒げていた。既に火は彼の下半身を覆っていた。地獄の業火に焼かれる苦しみが、体内を通じているのだろう。彼は立っていることすらままらなくなり、静流に向かって手を伸ばしながら歩くが、やがて地に伏せることになる。
「そんじゃ、トドメだ」
 全身火だるまになりながら悶えるロビーに近付いた静流は、腰から銃を抜いた。
 両足、両手、脊髄。そして最後に頭に照準を合わせて彼は言った。
「惜しかったな」
 六発目の銃声が鳴り終わると同時に、ロビーの悲鳴は止まった。仮面は割れ、焼け爛れた苦悶の表情が床に転がる。静流はその場に片膝を付き呼吸を整えようとした。勝てるかどうか分からない、むしろその確率が低い闘いを超えた。自分は勝ったんだと、静流は天を仰いだ。
 だが、三界にいる限りこの戦いは際限なく続くのだ。ニムロドは一人ではない。何人もの組織で形成されている。また同じような戦士が送られてくるのだろうか。それならばこの勝利は、節目でしかないのか。
 読めない未来に空想を抱いている中で、道の向こうから乾いた拍手が鳴った。一人分の拍手だ。静流が前を向くと、そこに立っていたのは刃のついたバットを持ったディーグだった。
「俺はどっちかっていうとシズルを応援していたんだ。その心に嘘はない。命乞いをする君を見られなかったのは、そりゃ残念だが」
 喉を圧迫されたせいで、上手く声が出せない。静流は「くたばれ」と言う代わりに、ディーグに中指を立てた。
 家の中からミアンナとデチュラが表に出て、静流の前に立った。
「ディーグ、一体何をしにきたのですか」
「なあミアンナの嬢ちゃん。そんな険しい顔をするなよ。俺はただ祝福しにきたんだ」
「――私が分かっていないとでも思いましたか。ニムロドはあなたの差し金です。デチュラがいたからいいものの、もう少しでシズルを失うところでした」
 ディーグはバットを肩に置き、左右に行ったり来たりしながらミアンナの声を聞いていた。
「狙われているのはシズルだけではありません。あなたは他の人にまで同じように手を出しているでしょう。即刻やめなさい」
 ミアンナの説教じみた命令に対して、ディーグはただ鼻で笑って微笑を浮かべながら立ち止まり、ミアンナとデチュラを見た。
「強い飼い犬を持った奴は、まるで自分も強くなったかのように錯覚して道を見失う。お前をベッドで抱いた時、俺によがり狂ってきたのを忘れたか?」
「そんなの記憶にありません!」
 ミアンナの口調は強かった。
「あの時のお前は可愛かった。快楽を貪るだけのメス猿と同じだ。なあ、シズル。お前の主はとんだ淫乱女なんだぜ。娼婦に向いてる」
 静流は猛犬のように立ち上がり、腰を低くしながらディーグに組み付いた。ディーグは笑いながら静流の背中に肘鉄を落とし、彼を地面に沈ませると彼の両足にバットをそれぞれ二回ずつ振り下ろした。その想像を絶する痛みに、静流は張り裂ける声で叫んだ。
「ディーグ、それ以上するな!」
 デチュラが前に出て、片手を前に伸ばした。彼女の手のひらには紫色の覇気が集中し、光弾を作っていた。
「デチュラ。お前のような弱虫に俺を打てるか? 肝っ玉の小さい、ただの子供だ。でもお前の中は最高に気持ち良かった。それだけは認めてやるよ」
 手のひらに集まっていた光弾は散り、彼女は顔を真っ青にしながらその場で咳き込んだ。ディーグは満足そうに口角を吊り上げると、這いずりながらディーグの足を掴んだ静流を見た。
「ニムロドじゃ、シズルを抑え込むことはできなかった。所詮人間だもんな。なら、次の対戦相手で正々堂々、シズルは負けてもらうとしよう」
 力のこもっていない拳がディーグの足に当たる。
 ディーグはつま先で静流の額を蹴ってから彼の両手を足で踏み、バットを構えた。ミアンナは恐怖に震える声でこう言った。
「何をするつもりですか……」
 ディーグはミアンナを一瞥した。一足先にディーグの思考を読んだデチュラが、よろけながら立ち上がった。
「やめろディーグ! なぜそこまでシズルにこだわるんだ!」
「こいつは俺を殺そうとしてるらしい。危険な分子は、摘める時に摘んでおくに限る」
 旧人が人間を殺めるのは規則違反だ。だが痛めつけること自体は自由だ。その解釈は広義に渡る。
 殺めなければ問題ない。ならば、次の対戦相手に任せればいい。ディーグはバットを上に持ち上げた。そして、シズルの片足に向かって力強く振り下ろした。
 静流の右足が吹き飛んだ。
 ミアンナは口を塞いだ。ディーグの顔には血飛沫が飛び、それを片手で拭うとディーグはもう一つの左足に目を向けた。
「ディーグ!」
 ミアンナが前に出ようとした時、デチュラが彼女の腕を掴んだ。
 バットが上に持ち上げられる。そうして再び振り下ろされようとした時、それを遮るように家の扉が開いて、フェンが拳銃を発砲しながらディーグに向かって走っていった。
「フェン、止まって!」
 デチュラの制止も聞かず、フェンは撃ち尽くした銃を地面に捨て、全身をディーグにぶつけた。ディーグよりも一回り小さい華奢な体は、全身の力を使ってもディーグを一歩だけ怯ませることしかできなかった。楽しみを邪魔されたディーグだったが、浮かんでいたのは怒りの表情よりもむしろ、笑みだった。
 フェンに人差し指を立て、振り子のように二回だけ動かすと左手で彼女の首を掴み、上に持ち上げた。
「フェンは関係ありません! すぐにその手を離してください!」
「シズルと比べたら、この女狐は弱っちい。だが俺に向かって銃を撃ってきた。痛めつけるにはそれで十分な理由になる。目には目をって……言うだろ?」
 銃弾はディーグの体に全弾命中していたが、血は流れていない。服が破けているだけだ。
 上に持ち上げたフェンの顔を自分に近付け、ディーグは二本の指でフェンの唇をなぞった。
「ああ、いい女だ。その顔や体を汚すには惜しい」
「くたばれ、くず野郎――!」
「威勢だけはいいが、実力が伴っていないな。でも女っていうのは威勢がいいほど良い、俺を楽しませてくれる。お前は良い朝食になる」
 次の瞬間に、ディーグはフェンの腹部を殴打した。その拍子に開いた口の中に人差し指と中指を入れたディーグは、フェンの口内を堪能するように愛撫した。フェンは彼の指を噛み千切ろうとするが、まるで聞いていない。フェンは、自分の内頬や歯が撫でられていることに吐き気を催した。
 指と唇の隙間から唾液が溢れて顎を伝い、地面に落ちる。
「俺は今、良いことを思いついた。良い女なのにクズ野郎だとか、くたばれだとか言うのは勿体ないよな。可憐な顔に不釣り合いだ。だから、喋れなくなればいいんじゃないかと思ったんだ」
 その声を、静流は痛みの中で聞いていた。やめろ、やめろと口にするがディーグには届いていない。
 無力だ。いつも無力だ。大事な友人が目の前で凌辱りょうじょくを受けようとしているのに、助けられない。どんなに足掻いても、どうにもならない。
「ディーグ! それ以上はやめなさい、本当にやめてください! フェンに手を出すのならば、私をいたぶるといいです! だから彼女を解放してください、代わりに私が受けるから!」
「なあミアンナの嬢ちゃん、良いところに釘を刺さないでくれ。俺はそういうのが一番嫌いな性質たちなんだ」
「お願いします、あなたの望みならどんなことでも聞くから!」
「さっきまでの威勢とは打って変わって、別人だな。だがそれもいい。愉快だ。じゃあこうしよう、俺の望みを今言えばいいんだな」
「そうです」とミアンナは即答した。
 フェンは涙を流していた。恐怖の涙は、ディーグの被虐の心をそそらせるにはそれ以上ない素材だった。ディーグにとって女の涙ほど、彼を快楽へと高めるものはないのだ。
「じゃあ俺の望みを話してやろう」
「ええ、何でも。だから早くフェンを――」
 ディーグはただ一言だけ、自分の今の願いを言った。

「黙ってろ」

 ディーグは二本の指でフェンの舌を掴んだ。唾液で滑らかになりながらも舌の表面と裏面をしっかりと掴んで、口内から外に連れ出した。フェンは痛みのあまり口を大きく開けた。
 ミアンナは絶句した。
 絶頂の痛みが訪れようとする時、ディーグは愉快に頬を吊り上げていた。肉と肉が離れる音が聞こえた。フェンの絶叫が、ディーグの心をくすぐった。
 ゆっくり、ゆっくり。ガムテープを剥がすようにゆっくりとフェンの舌は引き抜かれていく。半分まで引き抜かれた時、ディーグは渾身の力をこめて腕を舌へ引っ張った。フェンの舌が、その手には乗っていた。そしてディーグはフェンと唇を重ね、彼女の口から溢れる血と唾液を飲み込んだ。
 恐怖と痛みで気を失ったフェンは、鳴き声すらあげなくなった。ディーグは彼女に興味を失うと、遠くへ投げ捨てた。
 唇についた血を腕で拭ったディーグは、バットを肩に担いで言った。
「とても、満足だ! 今日は最高の日だ。こんな日を迎えさせてくれた我らが主君と、君たち人間、そして旧人達に感謝しないとな」
 デチュラは怯えきって、ミアンナの手を両手で掴んでいた。ディーグは目を細くして笑みを向けた後、踵を返して町へ戻っていった。
 地面には大量の血の後と、灰になった人間の姿と、切り取られた足と舌が転がっていた。その事実が、惨劇が起きたことを確かに物語っている。ミアンナは悪夢を見ているような気分だった。これ以上ない悪夢だ。だが、目覚めることのない悪夢だ。これは現実なのだから。
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