17-3

文字数 5,202文字

 剛腕な腕が静流の顔面に届く前に、彼は横に転がって回避した。そうして怪物の背後に回り込み、ナイフを逆手に持って背中に突き刺す。根元まで奥に捩じり、怪物が振り向きざまに放ったハンマーチョップを後ろに退いて回避した。
(相棒、やる気が出てきたみてぇだな)
 静流は銃から弾丸を抜き、道端に落ちていた石を拾って弾薬から火薬を抜き出して粉に撒き、火薬塗れになった石を宙に浮かすと正確に射撃した。
「食らいやがれ!」
 火薬が破裂し、目にもとまらぬ速さで石は怪物に向けて放たれる。その火が出た瞬間を逃さず、静流は接近してスプレーを噴射し、簡易的な火炎放射器で怪物の目を焦がす。
 銃弾のように弾き飛んできた石と炎の攻撃を食らった怪物は、顔を抑えてその場で蹲った。静流は両手に拳銃を持ち、至近距離から頭に何度も弾を発射した。怪物の皮膚は剥がれ、血が地面に滴る。怪物は手の甲で静流を後方に吹き飛ばし、雄叫びをあげた。
 焦げ臭い香りが周囲に立ち込め、地面に転がされていた静流は起き上がる。
「いいぜ、ここから先逃げるのはもうナシだ。正々堂々、ケリをつけてやる」
 怪物は地面に拳をめり込ませ、アスファルトの中から鉄パイプを抜き出した。それを引きずりながら駆け出す。静流は拳銃を構えてその場に佇んだ。右手を前に向け、銃口を斜めに。左手を顔の横に立たせ、銃口は斜め上を向いている。右足を前に出し、左足の関節を大きく曲げる。
 接近し、上から下へ振り下ろされた鉄パイプに向かって銃口を向けて軌道を逸らさせ、がら空きになった腹部に肘撃ちをし、相手の股下に右足を滑りこませて怪物の左足と顎に同時に弾丸を一発ずつ食らわせ、横に払われた鉄パイプを屈んで避ける。
 屈んだ静流の顎に向けて伸びたつま先は、寸前で回避することで空を遊び、仰向けになった静流はありったけの弾丸を顔面に撃ち付ける。弾倉が切れてすぐに立ち上がり、コートの内ポケットに忍ばせておいたそれですぐにリロードし、再び対峙した。
 次の怪物の一手は突きだった。高速で突き出された鉄パイプを銃のグリップで弾き、体を半回転させて横を向き、左手を頭の後ろにやりながら銃口を怪物に向けてトリガーを引いた。銃声と同時にすぐに前を向き、今度は両手を胸の前で構えて発射。最後にウォッカの入った瓶を投げつけ、体中に散らばったアルコールの液体に向けて銃弾を放ち、怪物は燃え上がった。
 炎に包まれ荒れ狂う怪物はその場で地面に体を擦りつけて火を消そうとするが、燃え広がる炎は終着点を知らない。怪物は最後の足掻きに突進した。静流からみれば、突進する怪物は火球そのものだった。
 難なく横に回避した静流は、立ち込める煙の中その場に膝をつく怪物を見届けた。
 口を覆っていたマスクが取れ、地面に落ちる。体は一回りも小さくなり、ついに床に付した。怪物は、どのように青空を見上げるか。
 静流は決着をつけるために、六龍の銃を握ってその体まで歩き、横に立った。そしてその青い瞳を見た途端、静流は絶句した。
「親父……あんた、なのか」
 火は小さくなっていき、足は骨が見えている。グロテスクな姿を晒しながら、静流は怪物が父親なのだとはっきりと認識した。
 幼い頃からずっと見守ってくれたその眼差しを、忘れはしない。
「なんでだよ。なんでこんな姿になってまで、この世界に住み着いちまったんだよ」
 正人は何も答えない。もしくは、答えられない。目を開いて静流を見つめているだけだった。
「俺のこと忘れちまったか。そうだよな、こんなに肉体改造すりゃ脳みそもすっからかんになっちまうよな。こっちの世界での暮らし、苦しかっただろ。今、楽にしてやるよ」
 静流は銃を向けた。

 ――ごめんな静流。あの日、血だらけの部屋で正人はそう言って静流を抱きしめた。
 もう二度と静流に同じような恐怖を体験させないように――

「撃てるわけねえだろ。撃てるわけねえんだよ」
 静流は構えていた銃を下した。
「お前、俺の親父なんだよ。どんなに酷い姿に変わっちまっても、俺の親父なんだ」
(ここで殺さなきゃ、相棒が死ぬだけだぞ!)
「少し黙ってろ!」
 揺らぐ決心の中、静流はもう一度銃を向けた。

 ――正人は仕事で失敗したと言っていた。いずれは自分も死ぬだろうと言った。
 きっと正人も怖いのだろうと思って、静流はこう言った。「父さん、僕もついてるよ」
 そうすれば、父を慰められるだろうと思って――

 銃口は下がったり、上がったりを繰り返す。トドメを撃たなければ、担当医がたちまち正人を治してしまうだろう。だから一秒でも早く引き金を引くべきだった。
 静かな風が吹く。世界を揺らす。
 遊園地に命が吹き込まれたように、遊具たちが動き始めた。観覧車やジェットコースターが、誰もいないのに運転し始めたのだ。

 ――幼い静流の名前を呼んだ正人は、その日の夜に彼にこう言った。
「いいか、俺は今日よく学んだよ。どんなに心を許した相手でも、人間は必ず裏切る生き物だ。だから、目の前に人生の分岐点が現れた時は間違えちゃならない。誰かが手を振って自分を歓迎してくれる道じゃなく、誰もいない道で自分の信念を生きろ。なあに、静流は心が温かい人間だ。多少冷たくなっても、誰も怒らないさ」
 正人は道を間違えたのだろうか。幼い静流には分からなかった。いつも嬉しそうに笑う正人に、偽りを見いだせなかったからだ――

「静流……」
 正人は、壊れたような声でそう言った。静流は手が震え、その手を抑えるために片手で手首を握った。
「撃て。それが、お前の生きる道だ」
「ふざけんな。ここであんたを撃ったら一生後悔することになる。自分の父親を、七界に売ることになるんだぞ。地獄よりも辛い苦しみを強いることになるんだ」
「俺は気にしない。五界にいた頃に、何人も人間を殺めてきた。当然の報いだろ」
「だからって、七界に送られる理由にはならねえだろ!」
「いいから、さっさと撃てよ。ミアンナさんもお前を待ってるだろうから」
 遊園地は楽しげに動いていた。メリーゴーランドから流れるサンバのリズムは、あの頃静流の記憶の中に焼き付いていた音をそのまま再現していた。
「どうして、親父がミアンナのこと」
「ちょいと大事な話をしてな。おっと、お前には秘密だ。知ったところでどうにかなる話じゃないからな。ミアンナは綺麗な嬢ちゃんだよな。俺も、あんな主が欲しかったよ。静流が羨ましくてならねぇや」
 遊園地が突然動き出したのも、正人が喋りだした理由も、静流には分かっていた。
 分かっていて、その場から動こうとしなかった。
 決着はすでに終わっている。
「ほら、どうした。撃たないのか」
 正人だけは、まだ静流が分かっていないと思っているらしい。親というのは、死んでも、自分の子を子ども扱いしたいのだろうか。
「親父、俺……。この後に死ぬかもしれない。ニムロドに殺されるかもしれない。だから俺が勝っても、しょうがねえってのに」
「勝つ自信がないのか、奴らに」
「正直言うと、そうだ。前戦って分かった。あいつらは、俺よりも戦いに慣れていて強い。そんな奴がもう一度攻めてきて、勝てる見込みがねえんだよ」
「泣き言か。さっきの戦いの最中、お前は死ぬ気でいたよな。どうしてもう一度立ち上がって、俺と戦ったんだ」
「――さあな」
 そして親は、なぜか子の考えていることは分かってしまうのだ。
「一ついい事教えてやる。静流は……いや、静流のような強い人間は、負けそうな時ほど強くなる。自分が大事に思ってる人や、自分の信念を思い出して。静流は確かに、ニムロドと戦っても互角以上の力を見せつけられるだろう。だが、最後には絶対に勝つ。俺はそれを信じて、お前に負けたんだ」
 静流は、大きくなっていた正人の手を両手で掴んだ。
「親父、弱音を吐いたのに、俺を信じてくれるのか」
「当たり前だろ。俺はミアンナさんよりも、美咲さんよりもお前を信じてる。なぜなら、お前の父親だからだ」
 男が泣いていいのは、自分の親が死んだ時だと静流は耳にしたことがある。
 なら、今泣くのは許されるだろうか。静流は許しを乞う前に、自然と涙が頬を伝っていた。
「お前を抱きしめられないのが、こんなに辛いなんてな」
 この世界は、間違っている。紛れもない事実だと静流は確信した。誰かが正さねばならない、正せられるのは、地面に落ちた剣を拾ったものだけだ。
 静流はその剣を手にした。間違った常識を、世界を斬るために。
 そっと、彼の肩に優しい手が乗った。静流はすぐに、ミアンナだと分かった。
「ミアンナさんか。やっぱり美しいな」
「とんでもないですよ。私よりも、今この場にある親子愛のほうが、よっぽど美しい。ですが静流、そろそろ時間です。この世界の出口が閉まってしまいます」
 静流は立ち上がり、六龍の銃から弾丸を六つ取り出すと、地面に捨てた。
「ミアンナさん、静流をよろしくな。俺より強い男だから、心配もいらないんだろうが。せめて、幸せにしてやってほしい。俺には……できなかったから」
「親父、あんたはよく俺のことを知っていた。その日何を食べたいかも、俺が怒ってるかも喜んでるかも。隠したつもりはないが、なぜか知ってたよな。だが、最後の最後に間違えたみたいだ」
 静流の表情に、笑みが舞い降りた。
「あんたと一緒に育った時間、俺は幸せだった」
 後ろを振り返り、静流はミアンナに手を伸ばした。
「もう大丈夫だ。俺を帰してくれ」
 ミアンナが静流の手を取ると、二人は閃光に包まれてその場から消えた。
 遊園地に宿っていた命は、どこかへいってしまった。明かりや音は消え、廃墟となった遊園地が露わになった。
「あぶねえなァ……。もう少しで、泣いちまうところだった」
 正人はただそう言って、誤魔化すように笑ってみせた。

 部屋へ戻った静流は、当然のように酒を飲んでからミアンナに褒賞の品を伝え、ベッドに横になった。どうやら外は雨が降っているようで、窓は大粒の水がいくつもくっついていた。
 今回の戦いは、多くの傷は残さなかった。そうして新たな構えを得たのだ。それはガン・カタにも似た構えだ。
 両手で拳銃を持ち、相手の武器を弾丸で制しながら格闘術を食らわせる方法だ。竜の型、虎の型、狼の型に続く四番目の構であり、最も技術を要するものだ。完璧に使いこなすまでは時間がかかるだろう。だが、ニムロド相手には通用するかもしれない戦い方だ。
 あの構えは、自分以外で使っている人間を見たことがない。少なくとも五界では。休息が終わったらすぐに訓練に移るべきだ。
 次はいよいよ、ニムロドとの戦いなのだから。
 父の屍を越えた先に待っている勝利を掴み取るのだ。ニムロドに負けては、ディーグに勝てるはずがない。
 ドアをノックする音が聞こえた。静流は鍵が開いていることを伝えると、入ってきたのはフェンだった。
「やっほ」
「ずいぶんと気前がいいんだな。酒を持ってきてくれるってのは」
 フェンは静流が好きなジンを両手で持ってきていた。彼女は机の上にグラスを二本置くと、自分のグラスにも注いだ。
「お前も飲むのか」
「いいでしょ。無事に勝ってきてくれたお祝いだよ」
「まあ確かに、酔っ払ったお前も見てはみたいが――」
 突然、フェンは静流の頬を両手で抑えて唇を塞いだ。少しの間触れていた唇は、遠ざかると同時にフェンの涙が地面に落ちた。
「負けるかと思った。シズルが」
「なんで泣くんだ」
「もしシズルが負けたらって考えたら、悲しくて。この世界で唯一の……その、友達だし」
 雨の音が強まってきた。窓を打ち付けているから風も強いのだろう。
 自分がいなくなったら悲しむ人間がいる。静流はその現実に、初めて直面した。
 五界では美咲を守れなかった。悲しませてしまった。だが今回は、その大事な気持ちを守れるかもしれない。
 静流はグラスを持ってフェンに向けた。フェンも涙を袖で拭き、グラスを持つと二人のグラスは小気味よい音を鳴らした。静流とフェンは、同時に喉を焼いた。こうして誰かと酒を飲むのは、静流にとって三界では初めてのことだ。ミアンナは飲む約束はしたが、結局は果たせなかった。
 彼女は忘れっぽいのだ。
「次はニムロドとの戦いだ。フェン、この酒を飲み終わったらすぐに訓練をしなきゃならない。よかったら監督してもらえるか」
「わ、私が?」
 フェンは動揺した。自分が監督する立場になるとは、思いもよらなかったらしい。
「私なんて静流よりすっごい弱いのに、無理だよ。他の人に頼んだほうがいいって」
「さてどうかな。一度やってみないと分からない。簡単だ、俺が一人で訓練しているから、フェンはそれを見て違和感を覚えたり、自分とは違うと思ったらすぐに、なんでも言う。簡単だろ」
「適任じゃないかもよ」
 静流はジンを飲み干して、グラスをサイドテーブルの上に置いた。
「適任なんていねえよ」
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