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文字数 5,479文字

 目で見て、フェンが射抜かれたのは肩だった。それ以上の細かな情報を知るには状況が悪い。静流は少しだけその場に留まった。しばらくしてもう一発の銃声が響いて、今度は窓の下の壁を弾丸が貫通した。静流はすぐにフェンの両脇を抱えて窓から遠ざけ、コートを脱ぐと彼女の肩に巻き付けた。
「何があった」
「おい、しゃがめ!」
 部屋に入ってくるや否やそう言われ、カミツナギは即座に姿勢を低くした。割れた窓ガラスと倒れたフェンを見た彼は、銃声から現状の理由を導き出すことに苦労はしなかった。静流を見て次の指示を待ったが、彼は箪笥の中にある拳銃を取り出すだけで何も命令はしない。
「シズル、俺は何をすればいい」
「まず、救急道具を持ってきてフェンを手当てしろ。ここでだ」
「その必要はない」
 窓の外に耳を澄ましていた静流は、小声で反論した。
「弾がまだ中に残っているかもしれない。家の一階、リビングの押入れの中にキャビネットが収納されている。引き出しの三段目に救急箱があるから、それで」
「シズル、この世界には人間一人につき三人の旧人が担当医として備わっている」
「それがなんだ」
「担当医は、遠く離れていても人間を遠距離から治すことができる。原理は俺も分からないが、今まで傷の治りが早かったことには気付いていただろう。担当医のおかげだ」
「辻褄が合わない。俺が心臓を刀で貫かれた時、即座に応急手当をしたミアンナの行動に意味がなくなるぞ」
「応急手当をすることで、傷の治りは早くなる。もし試合が終わって翌日に試合となったら、前のダメージを残したまま臨むことになる。主は、シズルを勝たすことだけを考えているのだろう」
 外から音は一切しない。相手がどの距離にいるのかも分からないのだ。優秀なスナイパーは、三度目は同じ場所から撃たない。銃声と弾の軌道で場所が割れるからだ。サーモグラフィー搭載の暗視カメラさえあれば話は違うが、ハイテクな技術は持ち合わせていない。
「じゃあ、フェンに手当をする必要はないんだな。銃で撃たれたら敗血症になる可能性がある。その心配もしなくていいな」
「俺を信じろ」
「分かった。じゃあまず、ホロエやミアンナ達に連絡を取れ。今はデチュラの所にいるはずだ。連絡するまで帰ってくるなと伝えておけ。後このタオルで、フェンの出血を止めろ。一応な」
 ベッド横のサイドテーブルに置かれていた白く厚いタオルを手に取った静流は、カミツナギに向かって投げた。カミツナギは上手くそれを取り、血が溢れ出ている場所にタオルを当てた。白かったものが、赤黒く染まっていく様は妙に生々しく、堪らずフェンに声をかけたが、彼女は頭を強く打ったせいか気を失っている。
「ホロエに連絡を取ったら、鍵をかけてこの部屋に立てこもれ。フェンが撃たれてから銃声が鳴るまで、僅かだが少なくないズレがあった。敵はそこまで近くない。魔法や超能力でも使わない限り、この短時間で距離は攻められないはずだ。堂々と道を歩くほど、敵も間抜けじゃない」
「だが、シズル。ここは五界じゃない。どんな敵かも分からない」
「それは念頭に置いてる。今は俺を信じろ。敵は必ず始末する」
 三界で死んだ人間は、七界で売られる。待っているのは絶望だ。
 静流は彼の肩を叩くと部屋を出て、一階食堂の窓から外に出た。家の側面に出た静流は自分の心臓の鼓動さえ殺しながら足を忍ばせ玄関まで歩き、五感を澄ませた。
 太陽が出ていないから、反射光出ていないだろう。頼りになるのは視力と聴力、経験だ。
 見渡す限りの荒野で、隠れる場所はどこにもないように見えた。
 銃声は聞いたこともないような音だったが、ライフル銃のようなものだろう。拳銃特有の乾いた音はしなかった。次に静流は、敵の脳を再現することにした。
 標的は自分がスナイパーで狙っていると考えもしないだろうから、そこまで距離は置かなくていい。スナイパーが安定して撃てる一キロからでも狙えるだろう。風がないからもう少し離れていても問題なく命中させられるだろう。一般的なライフル銃ならば、音速を大雑把に見積もると一キロが穏当なはずだ。
 敵の狙いがフェンだとは思えない。ここは彼女の家ではないからだ。敵の狙いが分からない以上、無暗に戦いを挑むのは誤りだろう。あまりにも情報がないのだ。理性ではそうわかっていても、今の静流は感情で動いていた。怒りや焦り、名誉の回復。自分の愛する人を奪った男への執念。
(相棒、敵が一人なのかどうか分からないだろ。これ以上の詮索は危険だぞ)
(フェンが撃たれたんだぞ。仲間が撃たれたんだ。黙って見てろって言うんなら、お前は何様だよ)
(いいか、今の相棒は精神的に不安定だ。まともな判断をできるような状態じゃない。今はまだいいが、敵を前にしたら相棒は野獣そのものになるぞ)
(知ったことか)
 敵がどの程度移動したかは不明だ。近付いているか、はたまた遠ざかっているかもしれない。別の場所から家全体を見ているなら、今玄関に近付くのは的当ての道具に過ぎなくなる。
 待機、それが最善策だった。相手の目的が静流の排除ならば、目的のために家に近付く必要がある。玄関から入ってくることも考えられるのだ。標的がミアンナでも、ホグウでも、ホロエでも同じだ。家のことや周辺の環境に詳しいのは静流だ。
 ホロエと連絡が取れるならば、助っ人を呼び出すこともできる。紗季やデチュラも力になるはずだ。不利を背負っているのは敵だ。暫く様子を窺う。焦れて飛び出してくるのは向こうだと分かっていれば、その後の対処は簡単だ。
「意外と鈍いじゃん」
 伸びたような男の声が聞こえ、瞬時に振り向いた途端に静流の右頬に強烈な裏拳が突き刺さった。脳が揺れ、顔の前に両腕を上げた静流の腹部に三発の銃弾が叩きこまれる。防弾チョッキ越しの衝撃が加わり、上げていた両腕が痛みで下がり、右上段回し蹴りを辛くも両腕で受け止めた静流は、次の一手が来る前に後ろに退いた。相手は手にしていた拳銃の引き金を引き、静流は仰向けに倒れながら銃をホルダーから取り出し、撃ち返す。
 だが男は避けもせず銃弾を食らいながら、弾を撃ち尽くすまで銃撃を放つ。静流は横向きに転がり側転をして立ち上がると、最後に放たれた銃弾に銃弾をぶつけ、金属同士が弾かれて二人の銃口からは小さな煙が出ていた。
 彼は白い仮面をしていた。目の位置にクリスタルのようなものが二つ描かれていて、口には鎖が半円に描かれている。黒いワイシャツの下は腰から赤褐色のマントをつけていて、所々破けた黒いスラックスで足を覆っている。焦げ茶色の髪は短く、小奇麗に靡いている。
「お前の目的はなんだ」
 臆せず、静流は銃口を男に向けて言い放った。
「君の、この世界からの追放だ」
「なぜフェンを撃った。彼女は関係ないはずだ」
「君たちが親しげに話してたから、君が釣れると思ってね。そしたら見事に、外に出てきてくれた。僕としてはありがたいよ」
 心の中に住み着いている相棒が、静流に何度も落ち着けと言っていた。挑発に乗るな、思うつぼにハマるなと。しかし相棒の制止とは裏腹に、静流は血が逆流しそうなほど怒りを感じていた。
「それとミアンナとクラッセルは邪魔だったから少し眠ってもらっている」
「どこにいる」
「反対側の壁だよ。そこで二人仲良く眠ってる。僕たち人間は旧人を殺せないのが残念でならないよ」
「お前、人間なのか。俺の名前を知ってるっていうことは、俺が人間だってことも知ってるな。なぜ俺を追放する」
「命令だからね。それに僕個人としても、調子に乗ってる人間を殺すのは愉快だからねえ――おっと、そろそろかな」
 男は右腕を前に伸ばし、掌を前に向けた。静流は身構えたが、掌から出てきたのは糸と粘液だった。ねばついた液体とともに、淡く光る蜘蛛の糸が地面に落ちていく。
「これは君の弾丸を、僕の体内で変換したものだよ。この糸に切れないものはない。基本的には何でも切れる。ちょっと触ると、人間の首でも簡単に取れてしまうだろう」
「手の内を明かして、何がしたい」
「何って。後で卑怯者って言われるのが嫌だから先に種明かししておいたんだよ。皆こういうんだ。理不尽だって。でも先に言えば、敗者の不注意ってことになるだろう。生首に睨まれずにもすむし」
 粘液が垂れた場所からは煙が上がっていて、腐敗臭が周囲に漂いはじめた。
 強い酸性の液体だろう。彼は銃弾を体内に取り入れ、酸性の液体と糸を生成したのだ。銃弾で攻撃をするのは控えろと言わんばかりに男は能力を明かすと、手を引っ込めて愉快そうに笑った。
「ひとまず、今日は帰ろうかな。実はさ、任務が始まって一時間以内に殺すことができればボーナスがもらえるんだよ。まあ、お金なんだけど。もう一時間以上過ぎてるし、今日はここまで。僕は今までボーナスを逃したことはなくてね、なんとか今回も取りたいんだよね」
「そんなのはどうでもいい。今ケリを着けるぞ。俺も暇じゃない」
「いつでも殺せるんだし、君が暇になってからでいいよ。それまで手出さないから」
「フザけるな!」
「あーでも、あまりに長引き過ぎると君の大事にしてるものがちょっとずつ無くなってくかもね」
 理性の留め具が外れ、静流は走り出した。体を右側に捻じった大振りなフックを繰り出し、咄嗟にしゃがんで避けた男は左右から打たれる正拳を肘と膝で防御し、掌底で静流の顎に一撃を食らわせた。再び脳が揺れ静流は怯んだが、すぐに持ち直して右上段蹴り、その足を掴もうとした男の右わき腹に左ボディフックを二発与え、虎の型をつくると左足を大きく後ろに引いて、溝内を正拳で突く。
 男は伸びた静流の右腕を爪先で上に蹴り、上がったその腕を両腕で掴んで地面を蹴ると、彼の首に足を巻き付けて地面に倒した。右腕は離さずに立ち上がった男は、静流の腹部を三発蹴り、掴んだ腕を捻って間接に銃弾を叩きこみ、更にグリップを何度も叩きつけて腕を折った。
 立ち上がろうとする静流の胸を足で押さえ、肩と肺、左腕を撃ち抜く。
「遊びはここまでだよ、僕ちゃん。必死になってるところは可愛いけど、正直一時間を過ぎると気分が乗らないんだよ。君を倒しても意味がない。僕は勝利を喜びたいのに、それじゃあつまらないだろ?」
「くそったれ……!」
「うん、敗者の遠吠えにしてはシンプルでいいね。百回聞いたからさすがに慣れてきたけど。まあとにかく、暫く寝ててよ。相手にしたのが僕で良かったね。少なくとも今日は、生き延びることができたわけだし」
「俺を殺さなかったこと、後悔するぞ。必ずな!」
 白い仮面が静流の顔に近付いた。含み笑いを漏らしながら、彼はこう言った。
「その言葉も五十回は聞いたよ」
 喋り好きの殺し屋を睨みながら、静流は左腕の弱い力で彼の足を掴んだ。
 その手は簡単に払われて、男は町へと歩き出した。起き上がった静流は銃口を彼に向けたが、引き金を引けなかった。彼が恐ろしいのではない。
 三界に来てから、自分の無力さといった現実を何度も叩きつけられた。日々薄れゆく自信を取り戻そうと五界に戻ったことが、最大の過ちだっただろうか。静流は音もなく腕を下げて銃を閉まった。
(俺は死ぬのか。何もできず、何も守れず。また死ぬのか)
 その場に膝をつき、彼は弱々しく地面を叩いた。肺を撃たれて息がしにくく、体中が痛む。彼が心の底から絞り出した叫びは、声にならずに地面に落ちた。
(相棒、俺がついてるだろ。死なせやしないさ。戦いは始まったばかりだ)
 よろめきながら立ち上がった静流は、壁の反対側まで歩いて縛られながら目を閉じているミアンナとクラッセルを解放した。
 事が終わり、周囲の安全も確保できたとカミツナギに告げて二人を家の中に連れ込ませてから、静流はフェンのいる自室に戻った。フェンはまだ意識を取り戻しておらず、ベッドの上に寝転んでいる。静流はフェンの背中のすぐそばに腰を下ろしたが、座るだけでも息苦しく、血が溢れる箇所にタオルを巻いてから背中合わせで横になった。
 男は、静流の漢としてのプライドをへし折ったつもりだろう。普通の男ならば、今頃は死に怯えながら過ごすことを強いられているに違いない。力の差を見せつけられ、手ごたえのあるダメージは一切与えられなかった。
 静流は違った。精神的な逆境に苛まれる中で、静流が勝ち得た感情は龍の怒りだった。
 五界の時、体に尋常ではないダメージを負って休養を強いられている時は、常に脳が戦っていた。今の試合を省みて、自分の悪手と最善を区別するのだ。更に相手の超能力を吟味する。銃弾を食らって粘液と糸を生成したが、条件は別にあるかもしれないのだ。
 男は銃弾を食らって能力を発現させたように見せたが、その行為自体が罠である可能性も考えた。
 全ての可能性を仮定し、勝利への導きを得る。
 命令だとも言っていた。つまり、男は組織の一員だ。殺し屋を雇う組織、もしくは殺し屋だけで形勢された組織。ミアンナに尋ねなければならないだろう。彼女から話しにくるかもしれないが、場合によっては組織を壊滅させる必要がある。
 そこに正義感といった都合の良い言葉はない。静流の心を突き動かしているのは、報復というただそれだけだ。
 一週間。男は暇が無くなるまで手は出さないと言った。静流は自分に一週間の猶予を与えることにした。一週間の間にミオンを救い、試合に勝ち褒賞で道具を整え、男を――あわよくば組織を潰す。
 戦争が始まろうとしていた。規模は小さいだろうが、確実な足跡を残すような戦争だ。
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