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文字数 5,605文字

――フィロ・ディ・ポジア。通称、雨の糸。私はその組織に属せることに(よろこび)を感じていた。もし人間の革命が成功すれば、私と同じ苦しみを味わう人間がいなくなる。乱れていた秩序を取り戻し、罪人は在るべき場所へ送られる。死してなお、争いを続けて罪を重ねる必要はない。
 私と隊長はその想いだけで生きた。
 玲香(れいか)。それが隊長の名前だった。重い甲冑を纏い、華奢な体だというのにどういう訳か、組織の中の誰よりも素早い身のこなしだった。レイピアを使った西洋の術でな。鋭利な切っ先で、相手の関節や急所を的確に突く戦い方と、相手の力を利用した戦い方は合気道にも似ていた。
 副隊長だった私に武術を教えたのも彼女だ。私はだいぶ鍛えられたよ。もし君との戦いに勝てば、この世界で五十四勝目だ。
 雨の糸は、言うまでもなく革命軍だった。ディーグを落とすために、その側近から排除していくべきだと考えていた私は、セブンスタワーを狙った。セブンスタワーとは、カッヘルバフの主要精気供給源の一つだ。言わば発電所のようなものだな。
 名前の通り七つあるタワーを狙うことで闘技というゲームを崩壊させてから、修復作業に当たっている間に戦力をディーグのいる場所へと送りこむ。それが狙いだった。グノーシスコンツェルン本部ビルだ。
 これがディーグ打倒への一番の目標。だが、それ以前に様々な障害を抱えていた。
 同志を募ることは難しくない。守吟神の承諾を得ることもな。むろん、我々の革命行為をよく思わない者共もいた。人間は七界に送られるだけでよいが、この革命に守吟神が関わったら国家反逆罪となり、彼らの死に様は悲惨なものとなる。革命行為を認めただけでもだ。
 それでも、私と玲香は説得した。その結果、最初は百人。三か月後には五百人。半年経つ頃には千人の戦士たちが集められた。その間にも戦いに敗れ、七界に送られる同志達がいたが、何人かの守吟神が七界に送られた彼らを救い出し、雨の糸へ連れ戻してくれた。
 連れ戻された戦士たちは闘技場に送られることがないから、安心して作戦に臨める。
 障害は、ニムロドの存在。私達の革命行為がディーグに知れ渡り、ニムロドと呼ばれる対立組織が作成された。力のある存在ばかりが集められ、何人もの仲間が犠牲になっている。今でもニムロドとの戦いは続いている。こうして話している間も、血が流れているということだ。
 他に、ディーグを倒すために側近のカダルトを倒す必要がある。旧人だ。この男はディーグの秘書を務め、荒事や汚れ仕事を幾つも引き受ける……最低最悪の男だ。色情にまみれ、人間を殺めることに抵抗がない。男は皆殺しにして掃き溜めに。女は飼い犬にして慰み者に。およそ三百人の仲間が、こいつに殺されている。
 最後に、闘技場そのもの。このシステムのせいで、一日に平均六人ずつ仲間が減っている。ディーグが試合を操作しているせいで、私達の仲間が次々と消えていく。静流、お前も戦ったことがあるはずだ。サジュ――そうだ。回復する注射器を持っていた男だ。サジュも、私達の仲間だった。
 別に、お前を恨んでなどいない。私がお前の立場でもサジュと真正面からぶつかって、勝てる試合なら勝っていただろうからな。あの試合で、なぜサジュの銃が故障したか分かるか。あれは仕組まれていたんだ。奴の守吟神とディーグは繋がっていた。細工されたんだ。
 サジュのような戦士は他にもいた。武器に細工され、命を落とす。最初こそ七界にいた仲間たちを連れ戻していたが、徐々に仲間の旧人達の財政状況が厳しくなり始めた。今じゃ、仲間の増える数よりも減る数の方が多い。このまま進めば、三ヵ月で雨の糸は崩壊するだろう。サジュが敗北した時点で、そう言われていた。
 そこから私達の勝利への風が上向くことはなかった。激化するニムロドとの戦い、カダルトやディーグへの恐怖心。革命の兆しが低下し始めていた。
 ところが、事態に光が差し込む。革命軍は私達だけではなかったのだ。
 彼らは通称、両翼の虎。互いの存在を知った私達は同盟を組み、新たな名前を掲げた。その名は「授翼(じゅよく)(おう)
 私達と同じ境遇にありながら、合併することで兵力は五千を超えた。戦いの先鋭達も集い、ニムロドとの戦いは敗戦の状態から一変し、私達革命軍が押し上げた。カダルトの脅威も、兵力の前では無意味だ。更に両翼の虎の財力で今まで倒れてきた仲間達を連れ戻し、かつてない規模の軍を作り上げたのだ。
 セブンスタワー没落までは時間の問題だった。私達は整備を整え、仲間が減る前に先制攻撃を仕掛けたのだ。第一の作戦で、タワーの一つが沈み、ディーグ達を混乱に陥れた。ニムロドの兵力も分散し、私達は合計三つの塔をへし折ったのだ。
 想定外だったのは、闘技場はその間も問題なく稼働していたことだ。さらにディーグは授翼の王の存在を広めないため、緘口令(かんこうれい)を敷いていた。当然、お前の守吟神であるミアンナの耳にも入っていただろう。
 私達の活動も、軍を率いた襲撃はしたが町人を巻き込むほどの戦乱にはしていない。お前が知らなかったのは偶然ではない、ということを先に言っておこう。
 勝ち時をあげる日は増え、ニムロドの軍力も右肩下がりだ。革命の時は近い。この時になると士気もあがり、誰もが玲香を慕ってついていった。私もそうだ。
 私は彼女を……本当の意味で愛していた。
 どんなに辛い時も涙を堪え、仲間を励まし続けた。死した仲間には必ず花を手向け、決して私達仲間を蔑ろにすることはなかった。
 私と彼女は何度か衝突した。今思えば、おかしな話だよな。私は玲香に戦死してほしくないから怒鳴り、彼女も私に戦死してほしくないから怒鳴る。人間、最後は自分のことしか考えないというのに、あの頃の私達はどうかしていたに違いない。愛情というのが人を狂わすのは、きっと本当なんだと思う。
 よく、組織が二分に別れるという話を聞いたことがあるだろう。意見が対立し、軍を出ていく者の話だ。私達の軍にもない訳ではなかった。だが去るものは追わずに、私達は見送っていたっけ。
 ……だが、それが仇を成した。
 玲香のカリスマ性を快く思わなかった連中、雨の糸との合併を反対していた両翼の虎の連中。それらが、私達の目の見えないところでディーグに寝返っていた。思えば当然の話だったと思う。革命軍にいたとなればディーグも黙ってはないだろう。
 まだ合併する前、カダルトとディーグによって見せしめに拷問され、処刑された仲間がいた。惨たらしい死に様は、今でも焼き付いている。私達を裏切った者共は、きっと彼らのようになりたくなかったから、恩赦が欲しいからと寝返ったのだろう。
 真夜中だった。私達の根城、支部の一つが襲撃された。中にいた仲間達二〇六人全員が死亡。更に翌日、防御を固めて策を練る前にもう一つの支部も襲撃を受けたが、何人かは逃げて戻ってきてくれた。
 そこで私達は知った。ディーグは、カダルトを指揮官とした旧人の軍を作成したと。私と玲香はその展開を読んでいたが、予想をはるかに上回った軍力で支部を圧倒していた。支部の残骸を見にいった私達が目にしたものは、人間がしたとは思えないほど、残虐な光景だった。
 そこいらに落ちている臓物。踏みつぶされた、四肢のない亡骸。皮が綺麗に剥ぎ取られた、繊維がむき出しになって壁に貼り付けられた同志達。臀部(でんぶ)から体内を貫通し、串刺しにされた裸の戦士たち。
 軍の士気が著しく下がった。何人かは心因的トラウマを抱え、その影響で闘技場で敗北を味わう同志達が後を絶たず、後ろ盾になっていた旧人達の資金援助も失われた。
 ディーグは、その期を逃さなかった。
 私と玲香のいる本陣まで、奴らは透明になって歩いてきていたのだ。私達は絶壁を背にしていたから、逃げ場がない。旧人を倒せる先鋭だけを集めて立ち向かった。軍の数は、カダルト軍が一万、私達が三百。結果は目に見えていたが、旧人達は私達が思っているほどの相手ではなかった。
 旧人達は長い間戦っていなかったから、一人一人の戦力は私達を下回る。それを知った時、奇跡のような力が発現したような、そんな気がした。三百人で戦った私達は、次第にカダルトの軍の勢いを落としていった。
 だが、私達の見立ては甘かった。旧人は、戦いの中で急速に力を上げていくのだ。まるで戦闘力をインストールするかのように。
 私はアサシンとして、カダルトの首をとろうと接近した。敵将の首を討ち取れば、カダルト軍の士気を下げられると思ったからだ。玲香に了承をもらい、私は単騎で駆け出した。素早く、素早く敵の間を潜り抜けて、カダルトの背後に立った時。初めて、革命が成功する未来が見えた。
 奴は気付いていなかった。今なら、簡単に首を落とすことができる! 確信した。この脅威さえいなくなれば、ディーグを倒せる。そうして人間達は解放され、在るべき世界の秩序を取り戻せる。私の刃は、その未来を手にする。
 ……はずだった。
 ディーグがいたんだ。戦いの渦中の、真ん中に。やつは玲香の首を持ち上げていた。旧人を殺すための呪術が込められた武器を、玲香はずっと握りしめていたが、それを落とした。私はこの時、二つの選択肢を強いられた。玲香を助けるか、玲香を無視してカダルトを討つか。
 人間としては、助ける方が正しい。だが合理的には、カダルトの首を刈る方が正しい。時間は待ってくれない。私は即座に、カダルトから標的をディーグに変えた。
 幸い、私はやつに気付かれていない。私の守吟神が与えてくれた恩恵のおかげだろう。気配を消すことができるのだ。ディーグは私が接近しているのを知らず、玲香を周りに向けている。首を持っているが、閉めてはいない。もがく隙は与えている。これからいかに玲香を殺すかを吟味しているのだろう。
 許せなかった。私の感情の、怒りが爆発しそうになった。私はディーグとの距離を瞬時に閉め、敵の一人を切り倒して頭を踏み台に、剣を高跳び代わりに跳躍して獰猛(どうもう)に距離を詰めた。
 だが、ディーグは私に気付いていた。飛び掛かる私の腹部を肘で強打すると、えづいた私の首を持ち上げた。奴は、高笑いしていた。
 本当の地獄が起きたのはこの後だ。私達の軍は勢いを失い、カダルト軍に蹂躙され始めた。ディーグは彼らの蛮行を止め、今からショーを見せると言って……。
 ……私と玲香の顔を近付けた。首を持ったまま、近付けた。互いの身体がくっつき、痺れたように手も動かせない。そして……私と、玲香の唇が……重なった。
 屈辱だった。最大限の、屈辱だった。玲香の瞳から涙が零れ落ちる。そうだろう、私と違って玲香には、好きな人がいたのだから。
 カダルトが近付いてきた。私の屈辱にまみれた表情をあざ笑いながら、カダルトは、玲香の後頭部に剣を伸ばした。ディーグは私と玲香をくっつけたまま離さない。カダルトの剣が玲香の後頭部に触れる。最初は触れるだけ。吟味するように。
 やがて私は理解した。この後、どんな残忍なことが起きるのか、理解した。カダルト軍の群衆が囃し立てる。早くやってしまえと、ショーを見たいと。玲香は恐怖に怯えていた。私に決して見せなかった顔が、目の前にあった。
 大丈夫だ、とも。この戦いには負けない、とも。言えなかった。ただただ、私は何も言えなかった。
 カダルトの指が、太いタコの足のようになったのを覚えている。ディーグはようやく私と玲香を離した。すると、玲香の上あごと下あごにカダルトの指が絡みついた。玲香は懇願するように泣き叫んだ。軍も解散すると、絶対に逆らわないと、私の前で情けなく。
 私も叫んだ。やめてくれと、ディーグとカダルトの人間性に救いを求めた。人間なら、元人間ならこんな惨いことはしてほしくなかった。だから私は絶叫をあげて、恐怖を抑えながら待った。
 玲香が解放されるのを。
 その時に私は知ったのだ。ディーグにもカダルトにも人間性は残っている。悪魔ではないのだから。しかし、いつの時代も人間とは残酷なことをして殺戮を繰り広げてきたのだと。
 タコの足のような太い指が、玲香の口をこじ開けた。上と下に引っ張った。玲香は言葉を発せられなくなった。痛い、痛いと言っているように聞こえた。私が目を閉じようとすると、腹部を執拗に殴られた。反射的に目を開かされる。
 玲香のあごを引っ張る力が、少しずつ強くなっているのだろう。血が口から溢れ始めた。そして、玲香は。最後に、何も言えずに。
 私の目の前で、玲香の顔が裂けた。そして口から剣が生えたが、カダルトが後ろから差し込んだんだと思う。その時私はパニックになっていたから、詳しいことは覚えていない。私の頭が何か強い衝撃を受けて、意識を失った。
 再び目を開けた時、そこはまだ戦場だった。だが日が落ちていたように思う。
 辺りは血の海、死屍累々(ししるいるい)だった。玲香と私が率いていた軍隊は一日にして、壊滅した。腸の飛び出した死体、口の中に腕を詰め込まれた死体。半分になった遺体。私は空を見上げ、絶叫した。怒りに打ち震えていたからではない。心の底から這い上がってくる絶望を、吐き出したんだ。歩いて本部の家の中に戻ろうとしたが、家は焼け落ちていた。今まで育ててきたものが、全て奪われていた。私には成す術もなかった。
 それから私は守吟神を探した。自分の家へ戻って見つけたのは、ディーグに鎖に繋がれた、奴に従順になってしまった私の守吟神だった。それが、昨日の話だ。ディーグは私にこう言った。お前は生かしてやる。明日の試合に勝ったら、俺の部下にしてやろうと。つまり、今お前を殺せば私は七界に送られることもなく、五界で暮らせるようになるということだ。
 これが、私が辿ってきた道のり。そして、これから私が敗北する理由だ――。
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