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文字数 5,151文字

 控室と静流が呼んでいる部屋にはホグウとミアンナの二人が揃って出迎えていた。ホグウは片手でコーヒーカップを静流に差し出しながら、ミアンナは、少し不機嫌そうにしている。
 礼を言ってから静流はコーヒーカップを受け取り、丁度良い温度の保たれたカモミールティーで喉を潤した。やや血の味が混ざっているが、ホグウの淹れるハーブティーを不味くさせる程ではない。
 白いクッションの木製椅子に腰かけ、上着を脱ぐ。至るところに切り傷ができていて、赤黒く変色している箇所もあった。
「シズル」
 今までずっと黙って見守っていたミアンナは、無感情な声で名前を呼んだ。
「本当にあなたは、シズルなのですか」
「どういう意味だ」
 困惑の風が吹いた笑みをかたわらに、ホグウはミアンナを見ている。静流は、両肘を膝の上に乗せて地面を向いていた。
 一試合目の床と違って、草が生えている。草原のようだ。
「私はあなたの負けを感じました。ですが、不意にもあなたは立ち上がり逆転した。それはとても喜ばしいことです。ですが、ドラクを打ち破ったのはあなたではない。違いますか?」
「せっかく勝ってきたと思えば、なんだよ。百点満点じゃお気に召さないのか」
「今の戦いを点数にするならば四十点といったところでしょう。私に心配をかけたからです。それは大した問題じゃありません。ドラクに勝ったのは、誰なのです」
 生まれた時から根付いてきた秘密を、静流は語るべきか否かの葛藤を押し付けられた。生前に雇い主だったボスでさえ、見抜けなかった秘密をミアンナは容易く見破った。
 知ってはいたが、ホグウもミアンナも人間ではない。明かすべきか悩んだ。
「お前が望む話をしてもいい。等価交換といかないか」
「ええ、良いですよ。何をお話すれば」
「ミアンナ、お前のことだ。どうやって生まれて、どのように生きて、ここまで来たのかを教えろ。まだ聞きたいことは山ほどあるが、今はここまででいい」
 彼女からして、意味のある問いだった。
 不機嫌な顔はそのままに、頷いた。マフィアのボスよりも簡単だった。現世にいた頃は、互いの秘密は互いで死守するべき代物だったからだ。雇われの者は、中には主の秘密を知りたがった人々もいた。そのために死すらも恐れず、暴こうとしていた。
 どっしりと椅子に腰を下ろすボスは、常に銃を突きつけられているも同じだった。殺し屋を雇う、ということは、同時に多大なリスクを背負う。
「俺はお前を裏切らない」
「知っています。あなたは人を裏切るような人間じゃありません。まあ、私は人ではないのですが」
 不自然な関係だと思った。それでいて静流は、秘密の書を紐解いていった。
 静流が覚えている限り、ずっと幼い頃から心の中に「相棒」が住み着いていた。名前はなく、尋ねても知らないとしか返ってこない。いつしか名前を聞くのはやめた。
 元々マフィアの子供だった静流は、父親から銃の扱い方を六歳の頃に教わった。相棒は、射撃技術を徹底的に静流に教え込んだ。父親よりも丁寧に、母親よりも慎重に。すると静流は、凄まじい成長を遂げる。二日目にして、三十メートル離れた場所から三つの空き缶を射抜いたのだ。
 更に技術は加速し、空を飛ぶ紙飛行機を撃ち、ブーメランを弾き飛ばした。失敗という言葉を、静流は教わってこなかった。
 トレーニングを続けて筋力をつけた静流は、マシンピストルやライフル銃も次々と使いこなした。傍から見れば天才児だが、誰も相棒の存在は知らない。
 静流にとって相棒は補助輪だった。銃を構えて、少しでも軌道が外れれば相棒が元に戻すのだ。格闘においても、相棒の手助けは多大だった。
 道場で背後からの攻撃は相棒の声で気付き回避し、間違った攻撃のタイミングで拳を前に突き出そうとすれば、相棒が制して側面からの攻撃をカバーする。
 役に立つ相棒だが、やがて二人の考えは一致しないようになり始めた。十八を過ぎた頃、実戦に駆り出される。その戦場で初めてのミスを犯した。ミスは相棒の判断だった。大事な親友を守れなかったのだ。
 十九の誕生日を迎え、静流は補助輪の力を頼らなくなった。
 黙々と、ミアンナは目を閉じて静流の話を聞いていた。柔らかな息遣いが、静流の言葉の合間合間に入り込む。
「相棒は俺の命が危ない時にだけ表に出てくるようになった」
 二十歳になり、静流は家族と離れマフィアの一員となった。父の息がかかったマフィアで、十五歳から戦場で狂った能力を持ち合わせている静流を知って、最初から用心棒として雇った。相棒はたまに茶々を入れてくる程度で、マフィアに所属してから毎日入り込む殺しの依頼は全て、静流の能力だった。
 娯楽に興じる時間はない。母の母国である日本語の勉強や、膨大な肉体鍛錬の努力。金、女、酒といった快楽を全て捨て、代わりに力だけを求めた。
 二十一の頃、上には上がいるという言葉の意味を知った。若さとは、それ自身が時に弱点となるのだ。静流は己の弱さを嘆き、戦いだけが世界の全てだった彼にとって、想像以上の悲しみが降り注いだ。相棒はこう言った。
(俺は頭を撫でてやることも、抱きしめてやることもできねえが、辛いって気持ちだけは誰よりも分かってやれるよ……)
 ボスを殺されたのだ。補助輪があれば、守れた恩人だった。
 葬儀には父も参列した。ボスを守れなかった静流を、彼は一言も責めなかった。黒いスーツに染み付いた、薬莢のような香りは今も忘れられない。父は何も言わず静流を抱きしめた。その夜、静流は初めて酒を飲んだ。
「もういいよな、ネタ切れだ」
 思えば、相棒の話をするだけでよかったのに過去の一部を語ってしまった。静流は思った。無意識に、誰かに語りたかったのかもしれないと。
 顔を上げた静流は、ミアンナを見た。彼女は独り言を呟きながら、焦っているように見えた。
「そんな、でも」
 どう答えるべきか分からず、ホグウに向いた。ホグウは、いつもの愛想は消え去り、真剣な眼差しで静流を見ていた。
「なんだよ」
「いえ、すみません。にわかには信じがたいのです。その、相棒という存在が」
「だろうな。俺が下らない嘘を言ってるのかもな。でも俺からしてみりゃ、この世界自体だっておかしな話だ」
 妙に納得した顔つきになって、ホグウはいつもの笑顔を取り戻した。しかしミアンナは、変わらずに、笑いもしない。
「次は私が話す番ですね」
 足を組んだ彼女は、背もたれに寄りかかった。
「ヘリディヴィスという国で生まれ、温かな家族の中で幸せに暮らしていました。そして、ある時ふと思ってこの国に来たのです。ホリエナという国は、私が想像していたよりもずっと、厳しい世界でした。私が育っていた国がいかに、幸福だったかを知ります」
「どうしてこの国に来たんだ」
「気まぐれです」
 人間ですら、筋が通らない理論を並べることはある。昨日は外食するといっていた母親が、やっぱり家で食べると気が変わることは起こりうる出来事なのだ。
 分かっていながら静流は違和感を拭えなかった。厳しい世界だと感じたミアンナが、その場所に居続ける理由が。
 ミアンナの話を聞いて、しかし分かったことがある。この世界にも、現世と同じ国という概念があり、今静流がいる場所がホリエナという名前の国だ。厳しい世界というのは、格差が激しいことだろう。より強い従者を所持していることが、住民の品格に関わるからだ。
 ヘリディヴィス、聞いたことのない国であることは承知の上で、静流は、その国がどんな出で立ちをしているのか夢想した。ミアンナが住んでいるような国だ。
「私からは以上です。いいですよね」
 元より、ミアンナは主だ。許可を取る必要はなくとも、沈黙すればいい。静流は逆らわなかった。拭えぬ違和感と、知らぬ情報の望み。二つともミアンナは語ろうとしない。
「シズル、私はあなたのことを敬っています。先ほどは、とても厳しい目をしてすみません。とても大事な話だったのです」
「事情は分からない。俺も知らなくていいことなんだろう。戦って勝ち続ければいいだけなんだからな」
「いつか、時が来たらシズルにお話します。今はまだ、私が語るべき時ではないのですよ」
 椅子から立ち上がったミアンナは、ホグウの片手を取ってから静流に歩み寄った。そして、静流の手を取った。
 眩い一瞬の光の後、静流は目を覚ましてベッドの上にいた。白いシーツに、白い枕のベッドだ。傷はどうやら、まだ癒えていない。三日で治るような傷ではないが、そういえばドラクは全く疲弊している様子がなかった。数々の戦いを潜り抜けてきた男だと感じたが、胸の傷以外には目立った物はない。
「あ、帰ってきてるよ!」
 扉を蹴破るような音が聞こえて、入ってきたのは双子だった。人間でいうと九歳くらいの男の子と女の子で、ケビンとアイラという名前を持っている。ケビンは真っ黒な髪を子供らしく垂らしていて、アイラは茶色の髪を三つ編みにして眼鏡をかけている。
 双子は部屋に入ってくるや否や、ケビンは静流の腹に跨り、アイラは彼の顔にお尻を押し付けた。
 喋れない静流は力なくもがくが、二人は止める素振りも見せず、やいやいと戯れている。
「おかえりー! 僕もテレビでシズルが頑張っているところ見てたよ。かっこよかった! 映画みたいだった!」
「私もね、クッキーを食べながら見ていたわ。途中シズルが床に倒された時は、ああ! と思ってクッキーを床に落としちゃったけど、拾って食べたらクッキーはまだ美味しくて! ドラクっていう人も強かったわね!」
「うん、とても強かった。しかも良い人そうだったよね。僕もドラクさんみたいな大人になりたいなあ」
「あら、私はシズルがいいわ。だってこうして遊んでくれるんだもの! ねー、シズル! ――あれ、動かなくなっちゃった」
「あれ? 本当だ。どうしたんだろう」
 二人はまったく同じ動作で左右に分かれ、上から静流の顔を覗き込んだ。
「喋れねえだろうが、一言も」
 力なく静流の声は二人に届いた。息はできず、口を開けることもできず、似たような拷問がどこかの国にあったことを思い出した。ましてや、拷問官がこのような二人の少年少女だとは、やはりこの世界はイカれているのだと感じざるを得ない。
「あ、動いた! わーい!」
 ケビンは再び、彼の上に跨った。嫌な予感がした。
「おい、アイラ、お前分かってるよな」
「分かってるわ! こうすればいいのね?」
 先ほどとまったく変わらない絵面が並んだ。静流は今度こそ息ができずに死を予感した。
「ねえケビン! 絶対シズルが負けないように私達で何かできないかしら?」
 一日目、双子と会った時は人見知りをしていた。
 二人はミアンナの後ろに隠れて、首をこくりとさせるだけの挨拶だった。静流は少しバツが悪いような気がしたが、今思えば、バツが悪いままの方がよかったのだろうとも、静流はまた考えている。
 初めての挨拶をした夜に、静流は部屋にあった紙を使って猫を作ったのだ。現世にいる動物だ。紙の猫をもって双子の部屋に来れば、一ミリほど開いた扉の隙間から二人分の目が静流を見て、次に紙の猫を見た。猫を見た途端、扉は大きく開かれた。
 どうやら双子は猫を見たことがあるようだ。写真で見たと語っていて、それ以降猫が好きなのだという。静流は一発で当たりクジを引いた。双子に紙の猫を渡した静流は自分の部屋に戻った。
 二日目の朝、双子のボディプレスで目が覚める結果となった。
「僕がドラクの役をやるから、アイラはシズルをやってよ!」
「楽しそう!」
 頭がクラクラし始めて、静流はアイラを両手で持ち上げ、横にどかした。ポカンとしたアイラは顎に指をあてて静流を見た。
「人の話を聞いてくれないか」
「今の楽しい! もっとやってほしいわ!」
 今度は、アイラは腹を押し付けてきた。
「アイラ楽しそうだね! 僕も混ぜてよ!」
 もう一つの錘がのしかかってきて、いよいよ静流は何もできなくなった。
(なんだこれは。俺は何をされているんだ)
 もはや抗う気力さえ起きず。
 じゃじゃ馬たちをどうしたものかと考えあぐねいていると、部屋の中で双子以外にもう一つの笑い声が聞こえてきた。よくよく聞けば、ミアンナの声ではないだろうか。
「何をやっているのですか、シズル」
 大の字で倒されている無抵抗な男を見て笑っているならば、助けてはくれないものだろうかと考えずにはいられない。
 三人分の楽しそうな笑い声だけが聞こえてくる。静流は悪い思いはしなかった。むしろ、どこか、現世にいた頃よりも人間らしさを感じていた。
 久しく幸せという感情と巡り合えていなかったが、無邪気な笑い声に包まれると、自然と心も綻んでいくものだ。悪くない、そう思える時間だった。
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