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文字数 6,765文字

 強烈な腰の入った牽制、反撃を的確な位置で躱し、回転に合わせた反撃の返し。常人ではできない行動だった。
 いつもと変わらない控室で、ミアンナとホグウはモニターを眺めていた。ホグウは顎に手を当てながらマジマジと見つめて、やがてこう言った。
「このカラエナという方、人間名簿にありました。それから過去の映像データも見たことがあります。正直、この世界に馴染んでいて人間という枠組みを超えた方です」
「一体、どのような人なのですか」
 記憶から様々な情報を引っ張り出して、ホグウは立ちながら腕を組み、解説した。
「彼女は元は台湾人で、その後改名と同時にスーダンに移住。医療従事者として移籍するも、紛争に巻き込まれ生死を彷徨います。その時、彼女が手当てしていた患者は全員死亡。カラエナは命を救ってくれた恩人の元で体力を回復しながら、紛争の発端となり、現地の病院を襲った反政府組織に復讐を誓うのです」
「元は戦士ではない、医者だったのですね」
「そのようです。すっかり体力が回復したカラエナは、真っ先に剣術を学びました。ですが、当時のスーダンでは剣術は盛んではありませんでした。そのため、本で剣術の基礎を学んだ彼女は日本へ移住。日本を選んだ理由なのですが、彼女の親戚に日本人がいたようで、剣道の達人だったようなのです。その方に会いに、日本へ」
 剣道で扱う竹刀と、彼女が使っている日本刀では重さが数倍も異なるものだ。人間名簿には詳しく書かれていないが、剣道の達人から剣術を教わることは当然苦労しただろう。
 ましてや、武器ではなくメスを持っていた女性だ。一際光っていたのは集中力のみ。彼女が剣士として才能を開花させるためには、並大抵の努力では到達できないのである。ましてや、映像にすら残らないスピードの居合斬りとなれば。
「日本で十年の月日を修行に費やした彼女は、十分に力をつけました」
「十年も、ずっと復讐心を抱いていたというのですか」
「分かりません。もはや復讐心ではなく、使命感で動いていたかもしれません。そして、十年で彼女は驚くべき進化を遂げるのです。スーダンに戻った彼女は、政府軍が働いている陰で、反政府組織を一人ずつ殺害したというのですから」
 経験で言えば、静流も引けを取らない。だが現世での年齢も、この三界で過ごした時間も圧倒的にカラエナが上なのだ。
 序盤に静流が言った軽口がどこまで本気かは分からない。だがホグウは、このまま試合が流れていけば確実に静流は負けると確信していた。
 両者はにらみ合いをきかせ、時計回りに歩き始めた。決して目を逸らさず。
 牽制を奪ったのは静流だ。前足で大きく床を踏んで威嚇し、後ろ回し蹴りで刀身を蹴った。天に向いていた刀が逸れると、咄嗟に静流は接近した。手刀の形をした左手で彼女の右手をはたき、刀が片手持ちになったところで上段蹴りで左手首に衝撃を与えるも、カラエナは日本刀を離さなかった。
 即座にしゃがんだ彼女はその場で一回転し、静流の脚を斬りつけた。静流は低く跳んだが、脚に切り傷が刻まれた。彼女は立ち上がる時に中段突きを放ち、静流の脇腹を三度斬る。更に距離を取ろうとした静流の脚を蹴り、縦に刃を振った。脳天に当たる寸前で静流は腕を上に突き出し、筋肉で刃をせき止めた。カラエナは渾身の力を両腕に込め、静流の腕に刃が食い込む。静流は掌底の形に左手を切り替え、カラエナの鳩尾に叩きこむ。
 咳き込むカラエナは手の力が弱まり、機を捉えた静流は彼女の手を蹴ることで、刀を地面に落とさせた。腹を抑える彼女の袖を掴んで押し倒し、上に跨った。
「やるわね」
 静流は柔道の袈裟固めで即座に彼女を拘束した。
「これで逃げられないだろ。今回はこれで降参するこった」
 刃が食い込んだ場所から、出血が止まらなかった。血が水のように溢れてきて、二人の服を汚した。
「バカね。これくらいで降参するような女が、ここまで生きてこられてないわよ」
 柄で静流の腕を強打し力を緩め、細身の彼女はするりと固めから抜け出した。距離を取って静流から離れ再び武器を上向きに構えた時、はっとした。刀身に多くの血が付着していたのだ。
「なるほどね。そうきたか」
 立ち上がった静流は、いまだに血が止まらない腕を片手で押さえ、不敵に笑ってみせた。
 血がつくことで切れ味を大幅に落とすのだ。袈裟固めをしている際に、静流はひそかに塗りつけていたのだ。
 ポケットから酒瓶を取り出した静流は、服を捲って傷口にウィスキーを浴びせ、小さく呻いた。そうしてから瓶に口をつけてウィスキーを飲み干した。
「あなた、随分と無茶するのね。西部劇の真似事をする人が本当にいるなんて思いもしなかったけれど」
「今じゃ、どうやら傷口にアルコールは時代遅れらしいが、痛みをもって痛みを制す、これは常識だ」
「出血、止まるまで待ってあげてもいいわよ」
「ありがたい申し出だが、俺にもプライドがあるんでな」
 嘲笑するように、カラエナは笑った。
「プライドって。本当、あなたって芸人なの? 戦士じゃなくてエンターテイナーの方が向いてるわよ」
「どうも。最高の褒め言葉だ。おっと、褒められたら血が止まっちまった。俺の身体って単純だな」
「――はあ、ここまでマヌケなの初めて見たわよ。斬る気もなくなっちゃったけど、勝ち負けしかない世界だしね。悪く思わないでね、芸人さん」
 下段の構えで走り出したカラエナは、間合いに入る直前で短く跳躍し、身体を折り曲げるように後ろ回し蹴りを繰り出した。瓶で攻撃を防いだ静流は、ウィスキーを彼女の顔にかけて視界を奪い、負傷していない右腕で彼女の両腕の間接に片方ずつ打撃を与え防御を削ぎ、瓶で右足を殴打し、大内刈りで彼女を倒した。
 受け身を取って即座に立ち上がった彼女は、手で顔のウィスキーを洗い落とし半目を開けた。
 静流の腕が眉間に当たる寸前にカラエナは柄で掌を押し、斜めに刀を振った。静流は軽い後方ステップで回避し、足が地面に着くと同時に爪先に力を入れて地面を蹴り、彼女の懐に入り込んだ。だが、カラエナは既に次の一手の用意ができていた。
 酒瓶で上からの斬撃を受け止めた静流は刀を押し返し、飲み口で彼女の鳩尾を目掛けて突いた。
 寸前でカラエナは身体を捻じって弱点への攻撃を回避し、脇を広げて刃を上から下へ。静流は肩を斬られ、立ち上がる寸前にカラエナの右足刀が顎を強打した。思わず後ろに倒れ、船に乗っている時のような揺れを感じながらも立ち上がる。
「正直驚いてるわ。あなた、強いのね。最初は楽勝だと思ったけれど」
「息も切れてない癖によく言うぜ」
 軽口を叩ける余裕も無く、憔悴した静流にカラエナは容赦がなかった。息を整える間もなく彼女は特攻し、風車のように日本刀を回しながら、舞うように左右にステップし、片手を地面につけて回転しながら横薙ぎを放った。
 辛くも後ろに回避した静流は瓶をしまい、しゃがむ彼女の額目掛けて右崩拳を突き出すも、彼女は丸まって更に身体を下げて回避し、刀で静流の腕を斬る。続けざまに腹を斬り、胸を斬り、最後に脳天に向けて突いた時、静流はカラエナの両手を片手で掴んで上に持ち上げ軌道を逸らした。
 いまだに、彼女の倒し方が分からずにいる。刀自体のダメージは下げたが、素早い身のこなしと彼女自身に備わっている戦力は、最悪な形の予想を現実にしていた。
 軌道を逸らした後、即座に狼の型を構え、両手を前に突き出して彼女の腹と胸に打撃を与えた。二つの攻撃箇所は身体全体に大きな負荷を与えたはずで、カラエナは二歩退いて呼吸を整えた。
 右腕を腹の位置、左腕を胸の高さで前に突き出す、虎の型を構えて静流はこう言った。
「心臓にダメージが入ったろ。そこそこ効いたはずだぜ」
「そうみたいね。あなた、何者? さっきからただの兵士にしては、小細工の聞いた動きをしているわ」
「さてな。自分が何者だったかなんて、誰に聞いても答えてくれやしなかったから、自分でも分かんねえ」
「そう。可哀想な人」
 言葉の後、カラエナは心臓を抑えて盛大に咽た。口から垂れた唾液が筋を作り、刀を持ち上げる気力すら無いように見えた。
 今までの戦いを黙って見守っていたミアンナが、初めて口を開き、ホグウにこう尋ねた。
「カラエナはどうしたのです? 突然、様子がおかしくなりましたが」
「先ほどのシズルの一撃は、見た目こそ地味なものでしたが、的確に彼女の心臓と肝臓にダメージを与えたものでした。息を整えようとすると、身体が自然と拒否反応を起こし、時間差で人体はああなってしまうのです。人間の弱点というのは、どうしても鍛えられないものです。いくらトレーニングをしても、筋力をあげてもです」
 人間の急所は人体の中心に沿っている。多すぎるくらいだ。
「この間からシズルは顎や眉間などを多く狙ってきました。おそらくですが、シズルが生きてきたマフィアの世界では迅速に人を殺めなければならなかった。ボクシングやプロレスは派手な攻撃が望まれますが、実際に派手な攻撃を実戦で演出すれば、相手がプロなら一瞬で倒されてしまうでしょうね」
「しかし、シズルの根性には驚かされます。銃を持っているのですから、いつでも引き金を引けばいいというのに」
「相手も手練れです。銃を持ちだした途端、銃を破壊してくるかもしれない。いわば切り札なのですよ。シズルはおそらく、どのタイミングで銃を使うか計っているのです」
 誤ったタイミングで誤った道具を使うことは、失敗を意味する。例えば釘を打つために剣を使うのは最適だろうか。リンゴの皮を剥くために金槌を使うことは、正しいだろうか。
 何とか落ち着きを取り戻したカラエナは、やや険しい目つきで静流を睨んだ。
「今なら私を倒せたはずなのに、どうして何もしてこなかったの?」
「卑怯だろ」
「あなたが言ってることは最もだけれど、その調子じゃたとえ私に勝っても、他の奴に負けるわよ。この世界は勝てればなんでもいいの。方法は問われないんだから」
「いや、卑怯だろ。どう考えても」
「だ、か、ら! 卑怯な手を使ってでも勝たないと生き残れないって言ってるのよ。いい? 勝負っていうのは相手の嫌な事をすることが大前提なの。分からないなんて言わせないわよ」
「――分からない」
 眉を苛立たしげにひくひくと動かしながら、カラエナは作り笑いを浮かべた。
「そう。じゃあ分からせてあげるわ。覚悟してよ!」
 八相の構えをとった彼女は、機敏に両足を動かしながら距離を詰めた。スライディングをしながら剣を傾け、静流の五臓六腑を抉り出そうとするが、ポケットの中に入った酒瓶を盾にして、静流は中段蹴りをみまう。だがカラエナは側転で回避し、中段の構えから素早く剣を突く。静流は身体を器用に曲げながら回避し、反撃のチャンスを待つ。カラエナは中段の構えから上段霞の構えに切り替え、高速で刀で連撃し、静流は回避する暇を与えられず、頬と胸、肩、首に切創を作った。
 幾度目からの連撃の時、静流は刀身を右手で掴み、左手でポケットから酒瓶を取り出して左回りに一回転して軽く跳び、飛び後ろ回し蹴りをしてカラエナの背中を蹴り、地面に落ちながら瓶を投げた。投げられた瓶は、カラエナは振り向いて刀で斬り落とした。
 綺麗に半分に切られた瓶からウィスキーが散り、彼女の服や顔に染み付いた。
 地面に落ちた静流は足を回して起き上がり、虎の型を作った。
 その途端、斬られた箇所から血が垂れて地面に落ちた。鉄の匂いが鼻をくすぐった。
 やはり、不利だ。急所を外して回避するだけで精一杯で、確実にダメージは蓄積されている。切れ味は鈍っているものの、刀としての力は失われていないのだ。
(相棒、そろそろ潮時だ。この相手、見た目は普通なナリをしてかなりやばい。さっきのあの速さみただろ)
(これから先、どうすればいいかって話なら、もう分かってる。イチかバチか。やるしかないよな)
(俺の見込んだ男だ。信じてるぜ)
 尋常ではない強さの相手だ。世界で通用するほどの技術力と剣裁きは、筆舌に尽くしがたい。
 そこまでは、彼女の戦う上での大前提だ。
 静流は構えながら、ここから先の流れをイメージした。
 彼女は腰の入った強烈な一撃を随所で繰り出し、それ以外は手と腕の力だけで刀を振るっている。更に遠心力も使い、自然の法則に沿った力の使い方をしている。つまり、速度こそ早いが、次の一手を読むことは容易いと言えるだろう。
 経験豊富な彼女は、おそらく相手の隙を見逃さないはずだ。つまり、一瞬の油断が彼女にとっての勝機。
 その勝機は、静流にとっての勝機でもあった。
 静流は構えを解き、後ろに何歩か下がってから、両手を振って全力で走り出した。
(相棒、突っ込んだら後戻りはできねえぞ。分かってるんだろうな)
 静流は答えなかった。既に分かっていたからだ。間合いに入った時が、勝敗を決する時。静流は彼女の目を見た。彼女も、既に勝負を決めるように、覚悟の目をしている。心臓に轟かせたダメージは、確実に彼女の蝕んでいるのだ。素早い身のこなしの分、彼女は内部にダメージを受けやすいのだ。
 全力で走った静流は、間合いに入ると、跳躍と同時に後ろ回し蹴りを放つ。カラエナは刀で足刀を防ぎ、地面に降りた静流に縦で薙ぐ。右肘をカラエナの手首に当てて左手で自身の腕を押すと同時に立ち上がり、全身で彼女を押し、バランスを崩させた。
 カラエナは刀を杖替わりに体勢を取り戻し、自身と刀を回転させて静流を惑わしながら、正面を向いて刀で突いた。横に躱した静流はカラエナの首を掴み、喉を一度だけ締め上げすぐに手を離した。予想通り、彼女は腕に目掛けて刀を振り上げていた。
 更に喉の苦しさを厭わず、カラエナは回転して斜めに攻撃し、静流は足の裏で刀を押し戻した。更に一回転したカラエナは、横に剣を振るう。身体を後ろに反らした静流は、腹が深く切り裂かれたことを知る。
 回避行動も読んでいたというのだ。息つく間もなく、カラエナは刀の突き攻撃で静流の膝関節を貫いた。
(相棒、やばい! 足が使い物にならなくなった!)
 的確な急所の打ちは、立っているだけで苦痛を強いる。痛みで集中力が乱される中、カラエナは息を荒くして、今度は静流の胸を突く。体内に刃が侵入したが、骨に当たって貫通せず、すぐに刃が引き抜かれた。
(やべえぞ! 何やってんだよ。負けたいのか!)
 腕を前で交差した静流の股関節をカラエナは足で蹴り、静流の防御が乱れた。
 目を瞑った静流は、時の流れを読んだ。静流の世界はスローモーションで進んでいた。身体は重く、死を直感する。彼女の息遣いが鮮明に聞こえる。心臓の音すら聞こえてきそうな静けさだった。耳鳴りが激しく、貧血のせいか視界が段々と暗くなり始める。
 刀が音を鳴らした。その瞬間、静流は目を大きく見開いた。
 カラエナは頭の横で刀を横向きに構えていた。切っ先は静流の心臓を目掛けて進んでいる。

 ――私の生き方は、正しかったのかと問うの。
 師匠の道場で竹刀を振るう時、私は常に復讐が生きがいだった。今思えば、スーダンであの子達を喪ってから、生きる理由を求めていて、復讐がそうだった。あの子達の無念を晴らすためって思っていたけれど、本当は違った。自分の中にある正義感が、復讐を正当化していただけだった。
 決闘では数々の相手を倒してきた。大体がつまらない男ばかりだった。目の前の勝利のことばかり考えて、己の力量を計らずに突進してくる。中には頭脳を使って戦ってくる小賢しい人もいたけれど、敵って呼べるほどの人じゃなかった。
 静流は初めて見る型の人間。勝利に貪欲でないところ。生きるか死ぬかの二択の世界だというのに、バカみたいにおちゃらけている。私は、最初は呆れていたけれど、戦っていくうちに段々彼の生きざまが気になり始めた。
 私は復讐に人生を捧げた。じゃあ、彼はなんだろう。何を理由に生きてきたのだろう。
 もう別れなければいけないというのが、惜しい。もう少し一緒に同じ空気を吸っていたかったけれど、時間切れね。
 正しい生き方って、どんな生き方かしら。人のために、自分を犠牲にする生き方? それとも、自分の夢のために精一杯努力する生き方かしら。人間はどのように、正しい生き方というのを定めるのだろう。基準でもあるなら、教えてほしいものね。
 私の自分自身への問いかけは終わりが見えないから、もう止めにしましょう。代わりに、戦いを終わらせるべきなのだから。
 静流、面白い人だった。あなたと戦えたことは、もしかしたら私がこうして刀を握る世界において、ラッキーだったのかもね。
 また会いましょう――。

 静流の胸は、鋭く光る刃に貫かれていた。
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