18-3

文字数 5,772文字

 静流が三時間ほど前に作戦に向かってから、ミアンナは自室で紅茶を嗜みながら小説を読んでいた。青年が主人公の、冒険物語だった。話は佳境にさしかかろうとしていて、普通ならばページを進める手が早くなるところだったが、ミアンナは文字を目で追いながら別のことを考えていて、ページは進まなかった。
 一時間前だ。同じように、同じ場所に座って小説を読んでいたらリビングから言い合う声が聞こえた。ミアンナが向かうと、ホロエとアイラが口喧嘩をしていた。
「最近来たばっかりなのに、私にクリームケーキも作ってくれないの!」
「しょうがないでしょ、作り方分からないんだから」
「そんなの調べてくればいいじゃん! 外に本なんかたくさん売ってるんだから。ホグウはいつも作ってくれた!」
「ホグウは、ホグウはって。私はホグウじゃないの! そりゃ、好きな人がいなくなって悲しい気持ちも分かるよ。だけどそんな怒ってばかりじゃ、私からも仲良くしようとなんて思えない!」
「早く作って!」
 扉が開いたことにも気づかない二人の間に割って入るのは勇気が必要なことだったが、ミアンナは扉を二回軽く叩いて、二人の気を静めた。
 アイラは駆け足でミアンナの後ろに隠れ、ホロエに向かって舌を出すとリビングを出て行ってしまった。ホロエは大きなため息を吐き出し、長椅子に腰掛けた。
「すみません、使用人の身分なのに」
 彼女は顔を両手で覆い、肘を丸テーブルの上に乗せた。やつれた、とまではいかないがホロエは疲れ切っている様子だった。そもそも怒ることに慣れていないミアンナは、使用人だからといって叱りはしないが、反対にどう慰めればいいのかも分からなかった。
「大丈夫ですか?」
 月並みな言葉しか出てこない自分に、少しだけ嫌気がさした。
「大丈夫です。でも、あの子達と仲良くしていける自信がありません。嫌いなわけじゃないんです。これは本当です。私、子供が好きなので可愛いなって思う。けれど、あの子達が仲良くしようって思ってくれない限りはどうしようもない気がして」
「アイラとケビンは、良い意味でも悪い意味でも子供です。少し、あの子達の話をしましょうか」
 ホロエは顔を上げ、ミアンナが話し始めるのを待った。
 彼女は話し始める前にリビングの扉を開け、外の音をバックミュージック代わりにこう話し始めた。
「ケビンとアイラは、厳密にいえば血の繋がりはありません。人間から旧人に昇華し、アラダムという国で育ちました。アラダムという国について、聞いたことはありますか?」
「いえ……まったく」
「アラダムは緑豊かな国です。国の八方をアラダム山脈に囲まれていて、三界の原生生物達と共存している国です。原生生物の中には、人の言葉を話す生物もいるのですよ。数は少ないですが。姿は様々です。蛇のような見た目をしていながら言葉を話し、二メートルはあるカエルが言葉を話します。ただ中には人間と瓜二つの姿をしていながら、二つの性別を持っている生物もいました。彼らはレオスと呼ばれ、共存しながらもどこか、旧人達は彼らと関わるのを良しとしない雰囲気が国には生まれていました」
「どうしてですか? 見た目が同じなら、差別する必要はないと思うんですけど」
「雌雄同体とは、今でこそ発見され続けて特別際立った存在ではありませんが、レオスと遭遇したのは三界歴の本当に原初でした。五界と違って、三界は天に近い国です。初めて彼らに遭遇した時、天使や神様といったものと勘違いしてしまった旧人達によって、あまりよくない噂が独り歩きしていったのです」
 外を眺めていると、静流がいるような気がした。だがそれは岩であったり、風で空を舞う葉であったり、違っている。
「旧人でも、恐れるものがあるのですね……意外でした」
「この国では旧人が至上主義のようになっていますが、他国では真逆のところもあります。それで、レオスを忌避するというのはもはや習慣の一つとなっており、話や取引はするものの、国民達はどこかソワソワするのです。その流れの中、とある女性二人がレオスと交わるのです」
 ホロエはほのかに頬を赤らめた。
「そうして生まれたのがケビンとアイラでした。ですがレオスから生まれたという情報がどこからか国中に漏れ、二人は友達ができずに、不憫に思えた親は二人を国から追放しました」
「追放するほうが不憫じゃないですか、そんなの!」
「文化が違うと、考え方まで異なるものです。旧人は何も食べなくても、飲まなくても生きてゆけます。良い意味で、家族とはただの他人だと達観している私たち旧人は、むしろ親元から離れたほうが幸福になる状況も存在するのです。ですが、アイラとケビンは不運に見舞われました」
 物事に正解も間違いもない。人の考え方次第で結果はいかようにも姿を変えるからだ。だから幸運な人はいつまでも幸運だし、不運な人はいつまでも不運なのだ。皮肉なことに、この考え方にすら正解も間違いもないのだが、ミアンナにとって双子に下りてきた出来事は、予知できぬ例外的な不運としか思えなかった。
「レオスと旧人との子は三界にとって、人間と同じく不浄な存在として扱われることになったのです」
「扱われることになった……というと?」
「話が少し大きくなるのですが、よろしいですか。想像力を膨らませないとすぐ眠くなってしまうようなお話ですよ」
 ホロエは真剣に、譲歩すらしないといった勇ましい顔つきで頷いた。
「我々が一界、二界、三界と呼んでいる界層かいそうは全て造物主ぞうぶつしゅが創られた世界。一から九まである層以外に、理弦りげんと呼ばれる世界があります。そこは全ての界層の頂点であり、我々を創り出した造物主が住まう世界。知らなくても問題ないことなのですが、界層ごとに管理している造物主は異なります」
「九人の神様がいる、ということですか?」
「平たく言えばそうなりますね。造物主の役割はただ一つ。世界の均衡を保つこと。私たちと違い、彼らは光と闇を同時に統すべ、その存在が世界にとって冒涜的ぼうとくてきか否かを判断しなくてはなりません。異常が生じれば、彼らの間で評議会が開かれることもあります。双子はその会議で、不浄なものと判断されたということです」
 不浄なものと判断されて送られる先は、ホロエは言われなくても分かっていることだった。七界だ。ミアンナの説明に嘘偽りがないことは明確だった。
 三界に人間が招き入れられること自体は不浄な行為だが、造物主達にしてみれば家に一日だけアリがいるような、短期的なものなのだろう。いずれは七界に送られるのだから、気にしたところで問題ではない。本来ならば七界ではなく、別の界に送られるはずだった人間が、三界に入れられた時点で不浄な存在として判断される。だから七界へ流されるのだ。
「造物主の決定は、誰であろうと覆すことはできない。双子は抵抗も虚しく、七界へ送られました」
「そんな! あの子達は何も悪いことをしていないのに」
「産まれた時点で、この世界にとって罪だった」
「どうして……。どうして不浄なものだと判断が下ったのか、私にはわかりかねます。造物主には、心はないんですか!」
「文化が違うと考え方まで異なる、それはどこでも同じです。ましてや次元さえ異なる。ホロエは五界と七界、三界を転々として、一日でも自分の常識が通用した日がありましたか。ないはずです。つまり、私でも分からないのですよ」
 聖書では、悪魔は人間を一人しか殺していないという。天使は多くの人間を殺しているという。
 全ては世界の均衡を保つため。それは時に、その人間が生きていることによって世界が不均衡になると判断された場合もあれば、人の歩むべき運命に反した存在だと判断された場合もある。天使が人間を殺めるのは、そういった類の理由だ。
「私、あの子達に酷いことをしてしまいました。大声で怒鳴りつけるなんて」
「いいですか。良いも、悪いもない。起こるべくして起きた出来事です。問題はこれからどうしていくかですよ。この出来事を使ってより良い未来へ歩めるか、更に悪い結果を引き起こすか。それは今この瞬間、為したことによって変わってくるのですから」
 どんな未来も、結果でしかない。現在何をしているのかによって引き寄せられるのだ。望んだ未来を手繰り寄せたいならば、望んだ未来を手に入れるに値する行動が最低条件なのだ。
 落胆していたホロエの容貌は既に風に流されていて、凛と立ち上がった彼女は扉を出て双子の部屋に向かっていった。ミアンナは微笑しながら、ホロエの体温が残っている椅子に座り、こう呟いた。
「教育本も、役に立つことがあるのですね」
 しばらく椅子に座って、暖炉の炎を眺める。薪たきぎが燃えて弾ける音だけがリビングに響く。この静寂は、ミアンナの古い悩みの糸を解くような時間だった。これで双子とホロエ、カミツナギが仲良くなれば家族の問題の一つに決着がつく。
 家族とは、問題しか生み出さない厄介な存在だ。しかもその問題のどれもが、鬱屈うっくつするほどの力を持っている。そうして、大体の場合その問題というのは家族だけで対処しなければならない。
 その時に諦めるか、対処するか。最も大事なのは、誰か一人に責任を押し付けないことだ。お前が悪い、謝れと言うのは簡単だ。忘れてはならないのは、それは単なる一時凌ぎであり根本的な解決策にはなっていないということである。五界に生きる家族の多くの場合はその罠に気付かず、何年も同じ問題を繰り返している。
 ある者は家族に見切りをつけ、ある者は妥協する。そして行き着く答えの一つとして、家族とはただの他人に過ぎないという真実だ。この真実に辿り着ける者はほとんどの場合、旧人としての素質が含まれている。
 階段を下りる音が聞こえてくる。慌てた様子だ。ミアンナは立ち上がり、玄関ホールへと乗り出した。
 駆け足で降りてきていたのはホロエだった。彼女は一枚の白い羊皮紙を手にしている。
「大変です、ミアンナ様、これ……!」
 折り目のついた紙には、黒く律儀な文字が書かれていた。それはたった三行しか書かれていないが、中身を読んだミアンナは絶句した。双子の冗談ならば、ただの冗談であるべきだと感じた。

 ――親愛なるミアンナ。まだこの家にいてくれて嬉しいよ。
 もうすぐ我々が黒川静流の命を頂戴ちょうだいしに向かう。
 そのためにしばらく、双子を預からせてもらう。

 ホロエは顔を真っ青にしていて、息を切らしていた。文字を何度も読み返したミアンナは、やがて片手でクシャクシャに丸め、憤慨の拳で握りつぶした。
 ニムロドは卑劣な集団だと噂をされたことがある。任務と勝利のためには墓ですら荒らし、子供も簡単に殺してしまう。特に双子は旧人だから、死んでしまわないのをいいことにどのようにでも扱えるのだ」
「部屋はどうなっていましたか」
「綺麗でした。すごく」
「抵抗したわけではないのですね。つまり、眠らされてる間に連れ去られたと考えるのが普通でしょう」
 旧人が相手なら話は違うが、ニムロドは人間で形成された荒くれ連中だ。双子を連れ去る最も良い方法を行使したのだろう。ミアンナは同じ屋根の下にいながらそれに気付かず、奪われたことに苛立ちを抑えきれなかった。ホグウを奪われ、次は双子だ。もしかすれば、静流まで失うかもしれないのだ。
「私、外に出て探してきます! まだ近くにいるかもしれない」
「待ってください。見つけたところで、ホロエがどうこうできる問題ではありません」
「せっかく仲良くしようと、あの子達と仲良くなれるチャンスだったのに! このまま待つことはできません。カミツナギにも連絡し、デチュラ様にも声をかけてきます。今日中には戻ります、待っていてください!」
 ミアンナは呼び止めたが、ホロエは部屋着のまま飛び出していった。
 家族とは、一つの問題を終わらせたら舌の根も乾かぬうちに新たな問題を生み出すものだ。ミアンナは自らの無力さを嘆いた。せめて、自分に闘志があれば。
「平和主義こそ、真なる旧人の在り方。争いのない世界は、悲劇も怒りも生まなかった。五界にいた頃もそうでした。優しい心を持った人たちほど、損をして。もし私に闘志さえあれば、よかったのに……!」
 静流と同じように戦えない自分を悔やんだ。彼女は自分の部屋に戻って、静流が帰ってくるまで小説の世界に逃避することにしたのだ。もしくは本の中に答えがあるかもしれないと思って、鑑賞しているのだ。
 それから一時間が経ち、ページを捲っても捲ってもどこにも答えがない。今の彼女の気持ちに対する答えに辿り着けない。それどころが時間が経つにつれて、帰ってこないホロエや静流を案じ始める。やがて彼女はいてもたってもいられなくなり、小説を閉じて階段を降り、玄関の扉を開けた。
 荒野の一本道を歩く静流の姿を見たミアンナは胸の中に宿る安心感を無視できなかった。ミアンナは、全身で抱き着かずにはいられなかった。
「なんだよ」
 困惑しながらも静流の両手は、優しく彼女の背中を包んでいた。天使の羽根に包まれるかのようで、ミアンナは温かさを感じた。
「双子が、双子が誘拐されて。静流まで帰ってくるのが遅くて」
「その話、本当か。二人が攫われたって」
 ミアンナは静流に巻き付けていた両手をほどき、彼の目を真っ直ぐみて頷いた。
「癪に障るようなことをやるのが好きな連中だな。ミアンナ、安心しろ。俺が必ず後悔させてやる」
「信じていいのですね、シズル。あなたを失わないと、信じてよいのですね」
「親父を撃ってまで生き残ったんだ。俺を信じろ。俺は死なないし、ケビンとアイラも帰ってくる、ホグウもだ」
 情緒不安定になっている自分に気付いたミアンナは、怒りも悲しみもどこかへと消え去ったことを自覚した。今手元にある感情には名前がない。だがその感情を装飾する言葉は知っている。
 壊れかけの――それが、彼女の持つ言葉だった。
「一度私の部屋に戻りましょう。そこで、ミオンはどうなったのかを教えてください」
 二人は家の中に戻った。静流は入る前に一度だけ後ろを振り返る。その顔には、覚悟が宿っていた。次はニムロドとの戦いになる。
 いつでも来い。そう言って静流は、玄関扉を閉めた。
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