15-2

文字数 5,404文字

 静流が起きたことを知って、部屋にはアイラがやってきた。今は真夜中だから他の住民達は寝ていると聞く。明日の学校に備えて静流も寝る必要があったが、今は睡魔も休んでいるようだった。一切来ない眠気が、彼の目を大きく開かせていた。
「シズル、大丈夫? 顔がすごく傷ついてるわ」
 紅に煙を吐きかけられた時生じた傷は、痛々しく跡を残していた。血は既に止まっていて、目も耳も通常通りに働く。腹部の致命傷は痛みこそ緩和しているが、何か食べ物を食べれば拒絶反応を起こすだろう事は間違いない。
 仮初の励ましをアイラにかけた静流は、再びベッドに寝転がるとこう言った。
「どうして俺は助かったんだ。試合には負けたはずなのに」
 丸椅子に座りなおしていたミアンナが、上機嫌にこう答えた。
「私のおかげです、シズル」
「そんな気はしてたさ。で、何をしたんだ」
「相手のクレナヅキはフロメストの人間です。覚えていますか、フロメストという言葉を」
 この国には階級という制度があったはずだ。従者の人間によって格が決まる場合があり、ミアンナはニーヴェルと呼ばれていた。フロメストは、確か。
「サキと同等の人間です」
 サキは百戦以上の戦いを勝ち抜き手にした称号だ。フロメストになれば戦いの本数は減っていく一方だったはずだ。
 今回の相手は最上位の敵だったという話だ。
「クレナヅキは旧人の中でも、誰もが知ってるほどの有名人です。とにかく、観客の観たいものを見せてくれるからと。それだけでなく、彼の守吟神との主従関係はひっくり返ってしまっている、という前代未聞の所業によって様々な噂があります」
「旧人が奴隷になったのか」
「はい。フロメストを相手にして、到底勝てるはずがありません。私は対戦相手を決めているコロッセオ管理局に直接抗議し、試合の中断を申し出ました。審議する間もなく試合は終了。静流はギリギリ敗北を免れたということです」
 格が違うことは目に見えて明らかだった。武器が強いだとか、技術力が高いといった生半可な洞察ではない。彼の深遠に存在している異常なほどの殺気が、無限にも力を高めているのだ。おそらく彼は、なるべくしてフロメストの立ち位置についたのだ。
「今までも、フロメストと下の階級が戦わせられることはあったのか」
「ええ、何度か。ですが大体の場合守吟神がフロメストだということに気付かず、一方的な試合で終わってしまいます。今回は運が良かったです。すぐに気付けましたから」
「そうか、ありがとな」
 軽い文句で感謝の言葉を口にすると、ミアンナはきょとんとした顔で静流を見返した。
「なんだよ」
「いえ、その。珍しいなと思って。ありがとうってシズルが言うのは」
「俺は本当に感謝した時にしか言わない主義だ。ありがとうの安売りはしたくねぇからな」
 ミアンナと静流の応酬を、アイラは幸せそうに眺めていた。二人が楽しそうに話すのは久しいことだからであり、アイラは二人が楽しそうにしている時間が好きだった。
「あら。安売りをしても、ありがとうは言うべきですよ。言葉の力とは偉大なもので、ありがとうの持つ力は本当に大きなものなのですから」
「言霊ってやつか。お前が好きそうだな」
「本当の話です。ネガティヴな言葉ばかりを使っていると、人間の魂は悪の物質に汚染されてしまうのです。そのままじゃ、一生旧人になれない」
「愚痴もダメなのか」
「広義的に見れば、ですね。でも、それ以上にポジティブな言葉を言えばプラスになります。何度も言いますけど、本当ですよ」
 スピリチュアルな話には到底ついていけない静流は、両腕を頭の後ろで組んで、目を瞑った。
 目を瞑った途端、唇に柔らかな感触を覚えてぞわりと鳥肌が立った。ミアンナが口付けをしたのだ。
「な、なんだよ」
 今まではなかったことだから、静流は思わず上ずった声で驚いた。
「いえ、すみません。驚かすつもりはなかったのですが。なんだか、シズルが遠くへ行ってしまうような気がして、最近は寂しかったのです」
 アイラは布団の上の、静流の両足を枕にして横になった。
「私もシズルがいなくなるのは寂しいわ。だから今日は、すっごくヒヤヒヤした」
「皆、シズルのことが好きなのですよ。ミオンを助けにいくのだって、ニムロドと戦うのだって……本当はやめてほしいのですから」
 下手をすれば、命がもうすぐで絶たれてしまう。そういう時期なのだ。ミオンを助けにいくのは、一番簡単だが成功するとは限らない。ニムロドに限っては戦わずに逃げるという選択肢もある。ミアンナは口にしなかったが、ディーグを打ち滅ぼすことにおいては関わらなければいい。
 時々、静流はこう考える。人の命を守ることに関しては大きな責任を伴うのに、自分の命が掛かることに関してはどうしてこうも無責任になれるのだろうと。昔は理由を考える必要はなかった。組織に属していた頃は単なる捨て駒だったからだ。捨て駒の時は気が楽だった。
 美咲ができて、少しは自分の命を惜しむようになった。しかし、少しだけだ。
 自分が死んで悲しむ人がいると考えられないのだ。ミアンナもアイラも、なけなしの情を注いでいるだけにしか思えない。人間は人に無関心だ。自分のことしか頭が回らないというのに、たった一人の人間がいなくなるだけで悲しむわけがない。
 例えばいなくなるのが有名人だとか、権力を持ちながらも優しい人ならば大勢の人が悲しむだろう。
 自分はどうだろう。有名人ではないし、優しさの欠片もない。自分が死んで悲しむ人はいない。むしろ喜ぶ人が多いに違いない。町を支配していたギャングが刑務所に入れられた時、そのギャングから辱めを受けた囚人達は歓喜の声をあげた。
「色々、考えているようですね」
 静流の心を見透かすように、ミアンナが笑みをかけた。
「ミオンを助けるのも、ニムロドと戦うのも止めません。私は戦えませんから、見守ることしかできないけど。負けたら許しませんよ」
「努力すらァ」
 夜も更けてきた。アイラは眠たげに目を擦りながら、大きく口を開けてあくびをした。ミアンナは、今日は自分のベッドで寝るようにと理由も告げずにそう言って、外へ出て行った。アイラはこのまま、隣で寝るようだ。
 酒が飲みたかったが、思うように身体が動かせない。担当医も苦労しているらしい。ミアンナが出て行ってすぐ、部屋の電気が消えて真っ暗になった。
 隣にいるアイラが、静流の腕に巻き付いた。顎を彼の肩に乗せて、鼻息が首に当たってくすぐったい。
「アイラはね、こうして抱き着くとすごく落ち着くの。いつもはケビンと一緒に抱き合って寝ているのよ」
「怖いのか? 一人で寝るのが」
「ううん。一人で寝ることもできるわ。でもこうして抱き着くと、夢で会えるのよ」
「夢か」
「夢って不思議よね。なんかね、日常で普通に遊んでても楽しいのだけれど、夢で遊ぶとすっごく幸せな気分なの。ふわっとして、ふわっとして……楽しいの、とにかく」
 日本語では夢という字は二つの意味を持つ。将来の夢、寝ている間の夢。この二つの共通点は、どれも頭の中で描かれるものというものだ。だが異なることもある。将来の夢は常に幸せを運んでくれるのに対し、寝る時に見る夢は悪夢をもたらす日もある。
 静流にとっては、悪夢が多かったから夢は好きではなかった。たまに現れるのだ。殺した相手が、夢に。
「いつもは、どんな風にして遊んでいるんだ」
「えっとね。夢って自由に好きなことできるでしょ。怪獣を出して戦ったり、大きなお城に住んでみたり。上手に歌を歌うこともあるわ」
「お前は歌が上手いのか」
「ううん、夢の中だけ。ケビンと一緒にハーモニーを奏でるの! 楽器を演奏することもあるわ。ヴァイオリンとか、笛とか」
 どうしてアイラに絵本の読み聞かせが必要ないのか、ハッキリした。彼女は夢の中で毎晩、絵本のような体験ができているからだ。
「昨日はシズルも出てきたのよ。私がお姫様役でね、シズルは私を攫う悪の帝王だったの」
「――せめて、白馬の王子様がよかったんだが」
 切なる願いを口にすると、眠たげに話していたアイラが突然笑い出した。静流は横を向いて、不躾な目をアイラに向けた。
「そんなに笑うことかよ」
「シズルも、白馬の王子様の役が良かったんだなあって。全然似合わないから、面白くって!」
「似合わないことは自分でも分かってるが、悪の帝王よりかはマシだ。で、最後お前は助かったのか」
「女神のミー。あ、ミアンナがね、雷をシズルに落として助けてくれたわ。ケビンは森で迷子になってる私を助けてくれて、一緒に住んで暮らしたの」
「ハチャメチャだな」
 子供の想像力は豊かだから、夢もまた彩られるものとなる。アイラはどうやら、ファンタジーのお話が好きなようだ。
 静流は真上を向いて、真っ暗になった天井を見上げた。
 アイラはきっと、この暗がりの中でも様々なものが見えているのだろう。
 しばらく静かになったかと思えば、アイラは寝息を立てて寝始めた。静流はちょっとした悪戯心が芽生えて、彼女の頬をつついてみることにした。柔らかな頬がつつかれると彼女は目を半開きにして、言葉になっていない、幼い鳴き声のようなものをあげ、静流を見た。
「なあに?」
「いや、なんでもない」
 そうして再びアイラが眠りにつくと、今度は何もせずに見守ることにした。
 静流は気付かないフリをしていたが、認める時は近いのかもしれない。前の戦いで死に直面し、最後に足掻いた時に出てきたのはミアンナとフェンの顔だった。好きでもない戦いの世界に投じられたことは、最初こそ億劫で、嫌なものだった。だが今は、違った方向に感情が進んでいる。
 歩いている道が正しいか間違っているかは分からない。これは人に尋ねるようなものではなく、自分で考えるものだ。静流は、正しいと思うことにした。
 新たな人生を否定するのは、勿体ないような気がしたからだ。
 眠れる気はしなかったが、静流は目を瞑ることにした。
 体感ではまだ三十分ほどしか経っていなかったが、朝になっていたらしい。静流は自然と起きたのではなく、起こされたという表現が正しい。
 顔に、何かが乗っていた。
「起きてシズル! 朝だよ」
 顔の上に乗っているケビンを退かした静流は、昨晩よりも痛みの引いた身体を持ち上げて周囲を見渡した。ケビンのお尻の感触がまだ顔の上に残っている。
 起き上がった静流を見たケビンとアイラは、手を繋いで「逃げろ!」と言って、勢いよく部屋から出て行った。
 入れ違いに入ってきたミアンナは、バスローブ姿だった。風呂に入っていたのか、髪がまだ濡れている。
「元気になりましたか」
「突然バスローブ姿でやってきたことで、おかげで眠気も醒めたさ。昨晩はどこで寝たんだ」
「お風呂で寝ました」
「わざわざお前のベッドに俺を運ばなくてもよかったんだぜ。俺のベッドでも」
「提案したのはホロエです。なぜなら、あなたの部屋にはたくさんのお酒がありますからね。傷だらけなのに万が一お酒を飲んだら傷の治りが遅いですからって」
「いい判断だよ、まったく」
 手足は普通に動き、寝不足で頭は重いが朝食を食べられないわけではない。ミアンナも着替えるだろうし、静流は部屋を出て行こうとした。そしたら、ミアンナが彼を呼び止めてこう言った。
「シズル、じつは新しく来てくれたカミツナギ達と、双子のことでちょっと問題があって」
 ミアンナはバスローブをはだけさせた。そうと知らなかった静流は、呼び止められて彼女の背中を見てしまい、顔を赤くしてすぐに目を逸らした。
「双子は、悪い子達ではないのです。ですが、新しく来た彼らを認めていないようで」
「じきに慣れるだろ」
「そうだと良いのですが。カミツナギ達の居心地を悪くしたくはありません。シズルも、問題を解決しなくてはいいので、覚えておいてください」
 分かった、と返事をしてそそくさと部屋を後にした。
 人間関係のいざこざはどこの世界でも付き物なのだろう。とはいえ、ディーグがホグウを連れ去らなければ起きなかった問題だ。大体の問題はディーグが発端になっている。最強のトラブルメイカーという称号が似合うに違いない。
 自分の部屋に戻った静流は、いやに綺麗に片付けられていることが分かった。机の上に出しっぱなしにしていた瓶は冷蔵庫の中にしまわれているし、ベッドのシーツも丁寧に、綺麗にされている。ミアンナはやったことがないから、ホロエかカミツナギかのどちらかだろう。
 しかし完璧ではなかった。シーツには所々シワができているし、サイドテーブルが少し斜めになっている。文句を言う程ではないが、ホグウの時とは違った。むしろ、彼が完璧過ぎたのだ。
 静流は上半身の服を脱ぎ、龍の構えをとって正拳を放った。身体の痛みが気にならないことを確認した彼は、一度顔を洗い、登校までの間に鍛錬することにした。
 初めての敗北は、静流のプライドに影響を及ぼしたのだ。相手がいくら強かろうが、敗北は敗北だ。太刀打ちできず、瞬く間に倒されてしまったのだ。
 悔しさで我を忘れている、とは言えない。自覚しなければならないのは、今の程度の戦力ではニムロドに勝てるかどうかも分からないといった所だ。
 戦いにおいて自信とは、期待以上の効果を及ぼす。自信無くして勝利は掴めないのだ。もし勝てたとしても、それは勝たされたに過ぎないのだ。
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