11-3

文字数 6,162文字

 銃口が、穴の奥まで見えそうな距離まで近づく。サジュは正確に相手の脳を停止させ、一瞬で終わらせようとしている。死が迫ってきた時、静流はどこか安心感がこみ上げてきた。それは、この悲劇の連鎖から脱出させてくれるというサジュに対して抱くものだった。
 もう戦わなくていい。それならいっそのこと、一瞬の痛みで終わるならば死を受け入れてしまえばいい。赤ん坊から生まれて頭に弾丸を食らうのはこれが二度目だ。静流は目を瞑った。
 全ての明かりが閉ざされる。星さえ見えそうなほどの暗闇が目の前に現れる。
 そうして星が集まってきたかと思うと、星座のようにミアンナを描き出した。彼女はひどく怯えて、悲しそうに背中を向けて泣いていた。
(おい、どうしたんだ。お前ら旧人は、俺たち人間が死んでもなんとも思わないんだろ)
 幻影か、現実かは分からない。もしくは既に自分が死んでしまっているのではないかと静流は思った。
 彼女は答えない。暗闇の中で泣いている。
 もし負けることで彼女が悲しむならば、これまで戦ってきた意味が失われる。
 ドラク、レオナルド、カラエナ。ベル、マッケロー。結局名前が分からずじまいの、日焼けのオッサン。彼らの死が全て無意味になるのだ。ここで簡単に諦めてしまっては、未来も過去も廃れていってしまう。朽ちていった味方のためにも勝たなければならないのだ。
 何より、主のためにも。
 目を見開いた静流は、目の前で構えられていたサジュの両手首を頭突き、銃口を天井に向けさせると瞬時に右手で彼の左手首に手刀を与えると同時に、左手で銃身を掴んで捻りながら銃を奪う。そうして隙のできた彼の左手を奥に押しながら右手を前に寄せ、三角締めをしながら七発の銃弾を腹部に連射した。
 銃を遠くに投げ捨て顎を二度蹴って起き上がると、跪くサジュの首を掴んで持ち上げ、腎臓や肝臓にダメージを与えるように拳を打ち付け、サジュは抵抗して静流の顎を蹴り上げる。互いに地面に崩れ落ち、互いに二つの拳を地面に押し当てながら起き上がる。
 起き上がった二人は左右の腕を伸ばし、拳同士打ち付け合う。片腕が使えなくなった二人は、もう片方の腕を打ちあう。
「負けられねえんだよ」
 静流は両腕を垂らし、口から血を吐き捨てながらこう言った。
「俺は、負けちゃいけねえんだ。今まで死んでいった奴らの分、諦めちゃいけねえんだよ。いくら辛くても最後まで戦って、足掻いて死ななきゃならないんだ。今回も勝って、俺の主を救ってやるんだよ。このクソッタレな国から!」
「良い目をしているな、シズル。俺もそうだ。俺はこの世界で、家族ができた。掛け替えのない家族だ。家畜同然に扱ってきた他の旧人らと違って、俺の家族は、俺を可愛がってくれた。その恩を忘れて、ここで負けちゃ永遠の罪となる。だから俺も勝たなくちゃならなくてな」
「互いに譲れないってわけだな」
 静流は僅かに笑ってみせた。
「サジュ。お前のような人間がいると分かってよかった。会えてよかったよ」
「俺もだ、兄弟」
 二人の男は、既に腕の震えを止めていた。
 そこに武術の構えや軍隊格闘術はなく、二人は走り出して体全身を相手にぶつけた。怯む間もなく静流は右ストレートを体を捩りながら繰り出し、サジュは左アッパーを打つ。二つの拳はそれぞれの顎に衝突し、二人は前のめりに倒れ、僅かな力を足に添えて立っている。額を突き合わせて静流が右ボディフックを打つと、サジュも同じように打つ。そうして揃って膝から崩れ落ち、静流とサジュは相手の腰に両手を回す。
 大きく背中を後ろに仰け反らせて、静流とサジュは頭突きを見舞った。
 後ろに倒れながら、サジュは胸ポケットから注射器を探す。だが、どこにも注射器は無かった。
「これ、どこに打つんだ」
 その場で跪いたままだった静流が注射器を握ったまま言った。
「一本取られたよ。文字通りな」
「銃の勝負だったら俺は負けてたかもしれないってのに。飽きたからって捨てるのが悪い」
「分からないだろうが。結果論で物事言うんじゃねえよ。女にフラれるぞ」
「そうかい、以後気を付けるよ」
 服の中に手を入れて、愛銃を取り出す静流を止めようとはせず、代わりにタバコをくわえてサジュは天井を見ていた。遠くで撃ち合う音が聞こえる。市街地から聞こえる銃声が風にのって、遅れて届いているのだ。
 静流は両足に一発ずつ、両手に、それから腹に。最後に眉間に目掛けて手を伸ばした。
「あの薬は動脈か傷口に打て。そうすれば未来の身体と交換だ」
 慈悲が込められた弾丸が、サジュの額を撃ち抜いた。それと同時に、遠くから聞こえてきていた撃ち合いの銃声が止んだ。
「俺に負けて、悔しいか」
 教室に入って酒瓶をとりながら、静流は平坦な声で語り掛けた。
「そりゃ悔しいさ。だがそれ以上に、女房に出て行かれた時のように辛い」
「やりたい事があったんだろ。なんだったんだ」
「今度、俺の主人に赤ん坊が産まれる予定だったんだ。その赤ん坊のために揺り籠を作ってた。結局、作れないまま売り飛ばされちまう」
 静流は勢いをつけて酒を飲み、喉に詰まってえずいた。
「お前の子供だったのか」
「俺のじゃない。旧人と人間が交わるのは絶対的な禁忌だ。主人は家族ごっこのために、人工授精したのさ」
 吸っていた煙草から灰が落ちた。
「一階の玄関から出ることができる」
 教室から出た静流は、大の字になっているサジュの横を通り過ぎた。階段を下りる前に、彼はこう言った。
「俺がこの世界を軌道修正する。もう二度と不幸が生まれないように」
「期待してるぜ、兄弟」
 途中で近接格闘になったから地形の把握は結果的に意味を為さなくなったが、一階に降りた時にふとミアンナの言葉を思い出した。舞台は毎度変わり、同じ場所での戦いはないと。毎度異なっていると答えたはずだ。それなら、サジュがこの場所の地形を把握していた理由は。
 おそらく、記憶の地形だからだろう。過去の戦いは全て、サジュが経験してきた戦場に基づいて形成されているのだ。
 相手によっては更に地の利と、更に超能力を活かした戦いを仕掛けてくる可能性は捨てきれない。今日は相手に恵まれた、勝因はそこにある。
 彼は途中で銃を捨てた。捨てた理由ははぐらかされたが、人間の考えることは膨大で、答えを見つけるのは難しい。理由なんてなくて、気まぐれかもしれないのだから。
 控室に戻った時、ホロエとミアンナが浮かない顔をして出迎えていた。ホロエは少しだけ愛想を作ろうとしているが、ぎこちない。
「もっと喜んでくれてもいいんだぞ」
「本来ならば喜んでいます。ですがシズル、私はサジュの立場になって考えると、本当に胸が苦しくていたたまれなくなるのです」
 満身創痍といった静流は近くの安楽椅子に深く腰をかけた。額や腹から血が流れてきている。ホロエはタオルですぐに血を拭き取っていった。
「サジュは、守吟神に壮絶な虐めを受けていました」
「どういうことだ。家族ごっこをしてるくらい、仲が良かったんじゃないのか」
「守吟神の名前はアルカディア。私は噂で聞いていたのですが、彼は旧人の中でも特に人間を嫌っているのです」
「主人は妊娠したって、もしや嘘だったのか?」
「嘘ではありません。アルカディアはもう一人人間を飼っていました。七界で売られていた女性を、自分の妻にしたのですが、ほぼ奴隷のような扱いです。自分の欲望を満たすためだけの」
 重苦しく口を開き、時折恐ろしそうに目を泳がせながらミアンナの語りは続いた。
 夫婦ごっこをしていたアルカディアの所に来たのがサジュだ。妻である女性の名前はミオン・ヴォンサル。
「ヴォンサル? もしや――」
「そうです、静流の一戦目の相手、ドラク・ヴォンサルの妹です。ドラクもサジュも第二次世界大戦に駆り出されたアメリカ陸軍です」
 二人が顔を見知っているかは不明、見知っていたとしてミオンという妹のことまで知っていたかも分からずじまいだ。だがもし、最悪なシナリオを描くならば。
 アルカディアはあえてサジュの前でミオンを虐げていた。それを見たサジュはミオンを助け出そうとアルカディアを一度殺害しようとするが、人間が旧人には勝てない。返り討ちにあい、彼らは強烈な罰を受けさせられるのだ。
 サジュの子をミオンが孕むこと。ミアンナは唇を噛み締めた。傷付きあった二人が泣きながら腰を振る姿を、アルカディアは笑いながら眺めていた。
 語り部はホロエに移り変わった。
「もしかしたらサジュさんは、ミオンを助けたかったのかもしれません」
 サジュへの加虐は、人道から大きく逸れたものだった。アルカディアが開発した注射器は、さんざんサジュを弄んだ挙句に元に戻すために開発したものであった。注射器があれば、いくら体を傷つけても、胃と腸を荒らしても、元通りになるからだ。
「どうしてサジュが銃を捨てたか分かりますか」
 語り部はミアンナに戻った。問いかけに静流は首を横に振った。
「今回のステージでは監視カメラのように映像は小分けになっていました。お互いの位置を私達は知れるのです。序盤で二人が別れた時、サジュは何度も銃の手入れをするかのように、見ていました。多分、これは予想なのですが――銃は、壊れかけだったのではないでしょうか」
 彼は負けるように守吟神に仕込まれていた。それでも勝とうと努力した。彼がトラウマを抱いているであろう薬を使ってでも。その努力を静流は殺したのだ。
 腰を持ち上げた静流は、片脚を引きずりながら扉まで歩み寄ると、堅い扉に酒瓶を叩きつけた。中身のウィスキが床に飛散し、飛び散ったガラスの破片が静流の腕を切り裂いた。
 家に戻った時、ホロエが彼についていた。ナース服のようなものを着ているが、帽子はない。傷を消毒しながら止血し、包帯を巻いていく。彼女の落ち着いた手つきは、静流の心にあった動揺さえ潜めていくものだった。
「傷が治ったら、ミオンを助けにいく」
 目の前で座って足にギプスをつけていたホロエは、手を止めて静流を見上げた。
「あ、あんまりよくないかもです、シズル様。私達人間が旧人に歯向かうと、結構簡単に命を奪われちゃうので」
「黙って見過ごせるかよ。こういう性格の俺ってことをミアンナは知っている。あいつも、ミオンを助けてほしいから喋ったんだ」
「だけど……。せっかく勝ったのに、違うところで死んじゃったら意味がないじゃないですか。アルカディアっていう人には勝てません、絶対に」
「頭を吹き飛ばすだけじゃ足りないのか」
「人間が作った兵器では、旧人は倒せないのです。例えば頭を撃った場合、再生しちゃうんです、すぐに」
 聞いたことのない法則に、静流は押し黙ってしまった。アルカディアはおろか、ディーグさえ倒せない新事実だ。ベッドに座っていた静流は、力なく仰向けに倒れた。
「だから、シズル様は戦いに勝つことだけを考えていればいいんですよ。私もヒヤヒヤしなくてすみますし」
「人間の作った兵器じゃかなわないって言ったよな」
 仰向けになったが、すぐに体を起こした。
「なら、旧人に武器を作ってもらう」
「そ、それはどうかな。旧人の皆さんって、基本争いが嫌いなんですよ。争いそのものを悪だと思ってますから。人間同士の争いは関心がないようですが。旧人を倒すための武器をくれって言われても、作ってくれる人がいるかどうか」
「武器じゃなくてもいい。要するにミオンを連れ去ればいいわけだ。この世界じゃ誘拐をしたところで警察もいないんだろ」
「いませんけど、アルカディアはすぐに見つけ出しますよきっと。その時にどうするんですか」
 至ってシンプルに、静流は意地悪な笑みを浮かべながらこう言った。
「渡さなきゃいい。旧人は基本的に争いが嫌いなんだろ。それに相手は組織じゃない。ミオンを匿って返さなきゃいいんだ」
「また別の女性が買われますよ、すぐに」
「仮にそうなったら、デチュラに聞いてみるさ。あいつなら何か方法を知ってそうだ」
「うーん、確かにデチュラ様は争いが嫌いな人じゃないですけど。まあ、危ない橋を渡らないんならいいですよ――あ、あと一つミアンナ様から伝言を預かってて。六試合目に勝つと、超能力を覚えられるようになるということです」
 もしサジュの身元が分かっていなかったら、控室でミアンナが言っていたのだろう。
「興味ない。超能力なんて使いこなせねえよ、今更。相手の能力を看破して、むしろ逆手にとって戦うのが早い」
 人間ごときが使いこなせない、かつて相棒がそう言って静流に自信をつけていた。超能力を持つことこそ危険なのだ。秀でた能力というのは驕りを生み出す。驕りが油断となり、最終的に待ち構えている終点は敗北だ。超能力を使いこなしたところで、頭に銃弾を食らってしまえば生きている人間はいない。
「不老不死とか、完全無敵とか。そういう能力はないんだろ」
 硬かったホロエの表情が弛緩した。
「試合になりませんからね、ありませんよ。後は時間を止めるとか、過去に戻るとかいうのもありません。観客が求めているのは派手だったり、武骨な戦いですから。卑怯な超能力は許されないんですよ」
 ギプスを足に装着させ終えたホロエは立ち上がって静流の背後に回ると、額に包帯を巻き始めた。
「後、直接関与することは不可能なんですけど、五界の様子を見ることができるようになったって」
「本当か?」
「はい。試合中や授業中以外でしたら、特定の場所で五界に降り立つことができます。幽霊として」
 俗的な言葉を使ったからだろう、ホロエは照れるように笑みを出した。
「五界の様子を見ることができるのか」
 ホロエの言葉を復唱した。
 美咲が頭に思い浮かんだ。彼女は幸せに暮らせているだろうか。暮らせているはずだ。顔を見に行くまでもないが、もし直接触れなくても、動く彼女を見られたら。息遣いを聞けたら。笑みを見られたら、それはこの上ない幸福だった。
「傷が治ったらミオンを何とかして、そのあと五界を歩いてみる。久々の故郷だ」
「いいと思いますよ。なんなら、私がデチュラ様にミオンさんを助けられないか聞いてみましょうか。そうすれば、シズル様はその間に五界を歩けるし」
「願ってもない申し出だな。頼めるか」
「勿論ですよ。シズルさんのお役に立てれば、私も嬉しいですし。五界に行くには専門のお店に行く必要があって、そこまでの地図が私のスマホの中に入っているんですけど、良かったらシズルさんのスマホにも同じように表示できるようにしましょうか」
 悪習を蔓延らせる文明の利器が彼女の口かから出てきた時、静流はすぐに断った。
「スマホは持ってないから、紙で地図をくれないか」
「珍しい。いいですよ、じゃあ後で紙の地図を持ってきますね」
 人類は技術力を高めて日々進歩を続けている。だが、それは人類の進歩ではない、技術の進歩なのだ。むしろ人類は退化しているという見方をしている人間も増えてきている。現にスマートフォンは、近年開発された端末の中で最も悪い発明品だと静流は信じて疑わなかった。
 やれゲームとか、小遣い稼ぎとか。端末は誰かと通信するためのもの以上である必要はないのだ――単純に静流は機械音痴であり、使いこなせないから文句を言っているに他ならないのだが。
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