10-3

文字数 6,386文字

 旅館の三つの部屋をめぐって全員の体力が回復したのは、三時間ぐらい経ってからだった。静流は睡眠から目覚め、冷蔵庫の中で冷えていた瓶ビールを開けて一つ飲み干してから部屋を出て、ホロエの部屋に入った。彼女も既に回復していて、布団を畳んでいる最中だった。
 入ってきた静流と目が合うと、座っていた彼女は立ち上がってこう言った。
「あ、おはようございます! さっきはすみませんでした、私が運転すればよかったのに」
「変なことでいちいち気遣うな。それより、もう帰れそうか」
「はい、もう大丈夫です。後は、あのナギのやつがどうかなんですけど」
「様子を見てくる。後片付けが終わったら、廊下に出ていてくれ」
 明瞭とした声の返事を聞き、静流はカミツナギの部屋に向かった。部屋の扉を開けると、彼は上半身を半裸にして逆立ちをしていた。
 服の上からでは分からなかったが、見事な肉体美だ。余分な脂肪はなく、程よく筋肉質であり、腹筋も顔を見せている。
「何してんだ」
 状況の整理がつかず、静流は呆れ顔で尋ねた。
「自身を罰している。こうでもしなければ、収まりがつかないのだ」
 体中から汗が滴っていて、何時間かは同じ体勢を維持している様子だ。
「俺は何とも思ってねえよ」
 カミツナギは驚いたような表情をしてから逆立ちをやめ、静流の前まで歩くと綺麗な笑顔を浮かべた。
「寛大な配慮に感謝する。あれは俺の、今日最大の罪だった」
「過ぎたことだろ。それより、一旦家に帰るぞ。ミアンナにお前らのことを紹介しないとならない」
「ミアンナ嬢のこと、デチュラの姉さんからどのような人かは聞き及んでいる。実に素晴らしいと」
「俺からしたら、ただの天然お嬢様っていったところだがな」
 二人が揃って廊下に出ると、ホロエが壁に寄りかかって待っていた。静流が前を歩いて、その後ろに二人が続いて三人は旅館を後にした。外で水撒きをしていたコウキが会釈をして見送り、カミツナギが余計な一言で締めくくれば、彼の背中には足刀が叩きこまれる。
「痛いじゃないか、ホロエ」
「ウザいんだって!」
 人間的感情の考察に疎い静流は、二人が仲が良いのか悪いのかまだ分からなかった。喧嘩するほど仲が良いとは言うが、はたしてその格言がどこまで正確なのか。
 紗季が歩いていた路地裏を抜け、ようやく見慣れた帰路についた時に静流の足が止まった。後ろをついてきた二人は喋り声を止め、前を見た。
 繁華街からやや遠ざかった場所で、街路樹が中央に均一に立っている。必然的に左右に道が別れることになるのだが、右の道を歩いていた静流は左に移動した。目の前から、地味な洋服を着た三人の男とディーグが歩いていた。
「うわ、あれって」
 嫌悪に満ちた声を発したのはホロエだった。
 静流と目が合ったディーグは、嫌味な笑みを傍らに歩み寄ってきた。刃のついたバットを手にしている。
「誰かと思えば。シズル、だったよな。君のことは人間名簿で見たよ、俺も興味が出るくらい、最悪な人生だったな」
 静流は無言で彼を睨んでいる。
「おい、そう怒るなよ。まだホグウのこと根に持ってるんだろうが、あれは代償だ。五界でもそうだったろ。ところでこんな話を知ってるか」
 咳払いをしたディーグは、両手を忙しなく動かしながらこう続けた。
「ある所に二人の幸せな同性愛者達が住んでいました。だが困ったことに、片方は旧人、片方は人間だったのです。旧人は思いました、この子を立派に育てて旧人に昇華させようと。だがしかし、運命の日が二人を分かちました」
 突然だった。
 遠くの方から、誰かが憎々しくディーグの名前を叫んだ。静流が隣のビルに顔を向けると、閉まる筒状の自動ドアの前にパッツン頭に後ろ髪を伸ばした少年が立っていたのだ。ディーグはその方向には見向きもせず、より一層面白がるように話を続けた。
「人間が闘技場に駆り出された時、相手に出てきたのはかつての親友でした。命の恩人でもあった親友を殺すことができず、少年は自分の腹を何度も刺しましたが、親友は自分の頭を撃ちぬいて自殺しました」
「てめえの命もここまでだ、クソ野郎が!」
 少年は両手に短刀を構え走り出した。
「その試合で人間は精神にダメージを負いましたが、旧人と深い愛情に結ばれるようになり――」
 ディーグの真横で短刀を振った少年の腕にバットの刃が食いつき、悲鳴をあげて少年はその場で膝をついた。
「とある男に目を付けられたのです」
 少年の襟が持ち上げられ、腹部に拳が打ち付けられた。静流は銃を構えて、少年から手を離すように言ったが、後ろに構えていた男達がディーグを守るように前に立った。
「その男は旧人の友となり、パーティに誘いました。そうして、女性に襲われたのです。酔っているところを。媚薬を飲まされ、女性との行為は旧人にとってかけがえのない思い出となったのです。最初は嫌がっていた旧人でしたが、次第に旧人から行為を求めるようになり、薬漬けになっていきました」
 静流は鉛玉を放ったが、一人の男が抜刀し、鉛玉を弾いた。その刀は白梅雨だった。
「そして――」
 少年の腕が折られ、短刀が地面に落ちた。次に、赤子の手を捻るようにディーグは易々と少年の足も手で折っていく。少年の目から大粒の涙がこぼれた。
「人間は捨てられました」
 地面に落とされた少年の頭にバットの先端が突きつけられ、ディーグはようやく少年と目を合わせた。少年はまだ腫らした目でディーグを凝視している。
「お前のせいで、お前のせいで!」
「シズル、この話にはまだ続きがあってな」
 静流はもう一発銃弾を放ったが、鉛玉は途中で切断されてディーグの顔面を貫かなかった。
「復讐の念を抱いた人間は、綿密に男を殺す計画をしていました。ですが、ある日突然目の前に男が現れたのです。我慢ならなくなった愚かな人間は、安っぽい武器で男を殺しにかかりました。ですが人間は知らなかったのです。旧人に暴力的な思想を抱く人間は、世界中の誰に殺されても、誰も罪に問われないということを」
 睨みつけていた少年の顔色が真っ青に変わった。逃げようと立ち上がるが、片脚が折れているからすぐに倒れてしまう。ディーグはバットを地面に擦らせながら、ゆっくりと近づいた。
 銃をしまった静流は、辛抱ならず駆けだした。ホロエが手を伸ばして止めようとしたが、届かなかった。
 二人の男が立ちふさがり、静流は上半身を逸らして右上段蹴りで、左の男の顎を突いた。だが、咄嗟に右にいた男が銃で静流の足を撃ち、静流は怯んで膝をついた。だが静流の攻撃は止まらず、男の膝を頭突き、痛みをこらえて立ち上がりながら男の腕を自分の肩に回して腹部に向けて三度の突きを放った。
 後ろからホロエの悲鳴が聞こえた。静流が振り返ると、三人目の男が彼女の喉元にナイフを突きつけていた。カミツナギは太極拳の白鶴亮翅(はっかくりょうし)と呼ばれる攻撃前の構えを取っている。両手を開き、右手を頭をより上に、左手を腰ぐらいまで下げ、手で円を描くような動作だ。
 動いたらホロエを殺す。男は言葉にせずとも、静流とカミツナギの行動を制止していた。
「危険な種は摘み取っておくに限るが、ここで殺しちゃ意味がない。大丈夫、今日はもうここまでだ」
 少年の隣でしゃがんだディーグは、髪を引っ張ってこう言った。
「痛かったか、悪いことしたな。だが安心しろ。この痛みは君を強くする」
「僕の前から消え失せろ、クソ野郎」
「僕の前から? そうか、じゃあお望み通り消えてやろう。さあ通りすがりの諸君! 今から人体消失のマジックを見せてやろう。今から五秒以内に、この少年の目の前から僕が消える。しかも、少年の前から一歩も動かずだ。見逃さず目を凝らしてみてろよ」
 するとディーグは腰の中に閉まっていた拳銃を引き抜いて、少年の両目に発砲した。様子を見ていた周囲の人々から小さな悲鳴が漏れた。少年はおどろおどろしく枯れた喉で、狂ったように叫んだ。
「ほら見ろ! 消えた、消えただろ。俺は今、この少年の前から一歩も動かずに、視界から消えた! おい、お前だ。そこの帽子をかぶった――そう、お前」
 ディーグが指を指した方向には、紫色のハンチング帽を被りドレスのようなフリルがついたワンピースを着た若い女性が立っていた。彼女は青ざめた顔で、胸に両手を当てながら固まっていた。
「今のマジック、どうやってやったか分かるか? 答えてみろ。答えられなかったら、今日のオカズはお前に決めた」
「え? え……。その」
「どうした答えろよ。簡単だろ」
 女性は声を震わせながら懸命に声を出そうとしているようだったが、過呼吸気味になっていて恐怖の色に染まっていた。少年の真っ黒になった目から血の涙が流れていて、悶え苦しんでいる。
「あなたが、その人の目を撃ったから……」
「残念、ハズレだ」
 再び銃声が二発なって、ハンチング帽が地面に落ちてから、女性がうつ伏せになって倒れ込んだ。二発の銃弾は、彼女の太腿を貫通していた。甲高い悲鳴が上空まで響き、何人かの人々は逃げ出していた。
「俺が撃ったように見えたか。俺の目から銃弾が出たか? 違うだろ。俺はただ、この金属の塊についてるトリガーを引いただけだ。そしたら弾が出て、目を砕いた。俺は撃っちゃいない」
「で、でもあなたが撃ったのよ」
 地面を這いずりながら、訴えるような目で女性はディーグを見上げていた。
「君は、そうだ。この前の性善説マシーンの集会に出ていたよな。そこでは偽善者が、悪いのはヒトではなく凶器だと言った。俺もその通りだと思ったんだ」
 ディーグは部下に指示を出して女性を担がせた後、銃を向ける静流の前に立ってこう言った。
「人間名簿を見るに、君は利口だ。今の即興実像芝居を見れば、俺に銃を向けるのがいかに愚かなことか、分かるはずだ。うん、そうだろ」
 彼は両手を横に広げて、勝ち誇ったような笑みを静流に向けた。
 心臓を撃つのは早い。準備がまだできていない。そして、足や手を撃てば代償を求められる。ディーグは対価の要求を徹底するはずだ。次に犠牲となるのは、カミツナギやホロエかもしれない。責任を取れるほどの価値が、静流にはなかった。
 怒りで銃を強く握りながら、静流は腕を下ろした。
「やっぱり利口だ。俺は人間が好きだが、どっちかといえば頭の良い人間がいい――さて、行くぞお前達。久々にいい夜になりそうだ」
 歩き去る後ろ姿を追えない苦しさが胸中にある中、人質から解放されたホロエが静流の肩を叩いた。
「あの、大丈夫ですか……?」
「どうして俺を心配する必要がある。殴られてないし、撃たれてもいない」
 カミツナギは少年の側まで走り出した。彼はポケットの中からチップのようなものを取り出して、少年に励ましの声をかけた。すると、少年は水色の文字列のコードのようなものに包まれて、その場から消えた。
「彼は病院に送っておいた。これで、ひとまず命は大丈夫なはずだ」
「そんな技術あるんだな」
「前からある医療用の転移装置だ。転移する時に負傷者の身体の傷を感知し、送り先に瞬時に負傷のデータが送られるだけでなく、転送する際に応急処置まで施す優れものだ」
 静流は力なく返事をして、ホロエの方を向いた。彼女は心配そうに、静流の顔を覗き込んでいた。
「お前こそ大丈夫なのか、ホロエ」
「私も傷一つないので、大丈夫です。とりあえず心が落ち着きませんし、一度帰りましょうか?」
「そうだな」
 帰らないと酒がない。学校に向かい、クラッセルには早急に聞いておくべきことがあるが、先に二人を送り届けるのが先だろう。
 ディーグは今、大掛かりな脅迫をした。自分に歯向かう人間は容赦なく目を潰すし、足と手も折るのだ。三界の医療技術がどこまで進歩しているのかは不明だが、最悪の場合視力が回復しないまま闘技場に駆り出されるだろう。そうなれば、勝率はゼロに等しい。
 敵のやり方は下劣で、上品さのかけらもない。人間らしい戦い方だった。
「シズルさん、ちょっといいですか?」
 静流の機嫌を損なわないように慎重に、ホロエが言った。
「さっき私を人質に取った人、見覚えがあるんです。あれは、七界で売られていた男の人でした」
「そうか。じゃあ、ディーグの手下には人間もいるってことなんだな。デチュラのように七界で売られているところを買って」
「もしかしたら、全員人間かもしれません。旧人は全員対等です。誰かの下につく、ということに前例がないので」
「格差もなく、全員が対等な世界か。そういや、お前達も七界で売られてたらしいが、人間なのか?」
「はい。闘技場で負けて売られて、デチュラ様に買われたんです。私達は運がよかった。七界の住人は悪魔のように恐ろしく、乱暴ですから。特に私達女性は、産卵させられることもあるそうなんです」
 不愉快に、静流は顔をしかめた。
「七界では圧倒的に女性が不足しているらしく、その理由も、用が終われば男性が女性を剥製にしてしまうからとか。そして美しくない女性に対しては残酷で、処刑されてしまうそうです」
「五界にいるフェミニスト達が聞いたら、大騒ぎだぞ」
「美に対して異常なほどのこだわりがあるんですよ――だから、デチュラ様に買ってもらえて本当によかったんです」
 町を抜けて、ミアンナの家までの一方通行が姿を現した。後は真っすぐこの道を歩くだけでいい。
 家に着くと、扉の取っ手に手を置く前に向こうから開いた。ミアンナと双子が、揃ってお出迎えをしていた。
「シズル! 遅かったのでとっても心配しましたよ。少し前にデチュラから電話がありましたが、それにしても遅いから」
「色々あったんだよ」
 静流はミアンナの横を通り過ぎて、自分の部屋に向かった。その後ろで、新しく迎え入れられる執事とメイドの二人にミアンナは小気味いい挨拶をしていた。双子は人見知りをしているのか、二人に挨拶をされても体を左右に揺らしながら口ごもった返事しかできていない。
 相手にするのが面倒だからと、静流は足早に部屋に戻った。
 机の上にグラスとウィスキーが並べられている。部屋を出ていく時には無かったものだから、ミアンナが置いておいたのだろう。
 いつもならグラスを使わないが、親切心を無駄にするべきではない。静流はウィスキーを注ぎ、優雅な休息を楽しむべくベッドに腰をかけた。少し酔って、こびりついたディーグの声に無関心になれたところで、あの少年の叫び声を忘れた頃に、クラッセルに会いにいけばいい。
 二杯目をグラスに注いでいる時に、ノックもなしに扉が開いた。
「一つ聞きたいのだが」
 入ってきたのはカミツナギ一人だった。彼は扉をすぐに閉めて、こう言葉を続けた。
「彼女は……好きな人がいるのか」
「何の話だ」
「君の主は、誰かに恋心を寄せているのかという話だ」
 言葉を変えたところで話の糸は掴めず、静流は話の裏を読まず素直に答えることにした。
「いないと思うが」
「そうか、そうなのか」
 満面の笑みを浮かべて、カミツナギは親指を立てた。
「ありがとう」
 よく分からない感謝の言葉だけを残して、彼は部屋を出て行った。一体何を企んでいるのか、今後監視する必要が出てくるだろう。
 彼女に好きな人はいるのか、と尋ねた時のカミツナギの真意。静流はどう頭を捻っても、答えを導きだせなかった。彼の中で、カミツナギへの危険性は高まる一方である。
 あわよくば、ミアンナが解雇をしてくれればそれに越したことはないのだが――そう考えていると、またぞろノックも無しに扉が開いた。
「シズル、あの二人は採用です!」
 早計過ぎやしないか、という言葉は言えなかった。なぜなら、ミアンナはタイミングよく静流がグラスに口をつけている時にやってきて、酒を喉奥に流し込んだ時には既に扉は閉まっていて、彼女の姿が無かったからだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み