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文字数 5,253文字

 生にこだわったのは、一度死を経験してからは初めてのことだった。三界での死を恐れているのではなく、単純に生への動機が生まれたからだった。だから眩い光が失われて、全面ガラス張りの世界に閉じ込められたと知った時は緊張が走った。これから戦いが始まると自覚を強いられたからだ。
 四角いタイル張りのガラスが四方八方にあり、ガラス張りの向こうには同じようにガラスの箱が遠くに見える。その箱は幾つもあり、静流も同じように一つの箱の中にいるのだと知るのだ。
 光源は天井のその更に上、丸い形をした月が灯となっていた。月にしては光が強く、目の前の対戦相手の表情を知るには十分だった。
「戦いとは」
 背の高い赤い瞳を宿した男で、黄金の色をした髪は短く纏まっているが、耳の上から腰にかけて髪が伸びている。ステンレスの銀色をした眼鏡をかけ、その奥に宿している目は笑っていた。白い上着には、片方の肩に橙と白の混ざった羽根が生えていて、白いジーンズは膝のあたりから赤と金の、海の水しぶきのような模様が描かれていた。彼は艶を帯びながらも貫禄のある声を出しながら、こう言葉を続けた。
「必ずしも楽しいとは限らない。だが、君から漂ってくる肉食獣のような感性が物語っているのは、私への歓びだ。ようやく、私に相応しい獲物が出てきてくれたか」
 まだ年齢は若いながら、静流は不自然な悪寒に襲われた。目の前の男は武器を手にしていない、静流と同じく徒手空拳だ。武器がないというところは互角だというのに、まるで敗北の確信を教えられるような気分に苛まれた。堂々として、まるで緊張していないのだ。
「お前がどうやら、強そうな見た目してるってのは分かる。だが中身が伴ってなかったら、今のセリフはかっこうがつかないぜ」
「セリフ。私は殺陣を演じにきたのではない。君と本物の殺し合いをしにきた。言葉をすぐに間違う人間は、大事な箇所で何かを喪う」
「なんだ、違ったのか。俺はてっきり、試合前に言う言葉を律儀に考えてきてくれたのかと思った」
 挑発に乗らず、むしろ彼は三日月のように口を曲げ、目を見開いて含んだような笑いをこぼした。
「気に入ったぞ、気に入った。私の名前はファルバレン・ケイジという。私には友人も知人もいなかったが、かつて人間は私をベルと呼んだ。君は、どうだ」
「黒川静流。好きに呼んでくれ」
「好きに。では、ダークと呼ぼう。君の髪色は銀色だが、なぜかこの呼び方が似合う」
「泥水の中に足を突っ込んで生きてきたからな。否定はしない」
 歩く旅に新しい泥が靴の中に入り込む世界だ。底なし沼と違うから全身は飲み込まれないが、(ヒル)に血を吸われたり寝ているワニの横を通ったり、綺麗な青色の海の上を歩くような人生とは程遠かった。最後には全身泥まみれになって、終わり。
 ダーク。ベルの付けてくれたあだ名は、静流の中の裁定では「悪くない」の出来だ。シンプルだが奥行きがあり、かつ覚えやすい。既に六龍という異名がなければ、採用していたのだろう。
 どちらにせよ、このあだ名も一時間すれば消えて無くなる。
「我々の役目は、見物人を楽しませることにもある。いい加減、君好みの殺し合いを始めよう」
 ただ歩いた。ベルは人間が道を、何も気にすることなく歩く時のように前に歩き出した。二人の距離は縮んでいく。静流は竜の型で構えを取った。右手を頭の後ろに置き、左手を胸の前に置く。
 突然、ベルは両手を後ろに伸ばして急加速した。残像を残しながら加速し、右手に氷のレイピアを顕現させ、持ち手を握って前に突き出した。静流は遊ばせていた左手で腰の右につけていた鞘から白梅雨を抜いて下に向け、切っ先を刀身で弾いた。
 頭の整理が追いつく前にベルの右手に握られていたレイピアは一瞬で溶け、水が地面に落ちた。彼は膝を曲げて右足を後ろ、左手を前に構え、右フックを放った。静流は剣の鞘で拳を弾き、鞘に白梅雨をしまいながら右にしゃがみ、頭の後ろに構えていた右手で素早くベルの鳩尾を突いた。だが拳が届く前に彼は身体を捩りながら腰を落とし、肋骨で受け止める。
 伸びた静流の腕に髪を巻き付けたベルは手前に引き、前のめりに倒れてくる静流に右掌底を繰り出し、静流は顔を曲げて頬で衝撃を和らげてから髪を解いた。一歩後ろに下がって竜の構えをとった彼は前足を踏み出すと同時に左手で喉を突く。
 伸ばされた手はベルの左手で弾かれ、次に彼は右手にレイピアを顕現させた。喉に向けて突き出された切っ先を頭を逸らして回避した静流は、左手で突きを放ってから即座に右拳突きを繰り出した。二つの攻撃はベルのレイピアを破壊して水に変化させれると、彼は両手に武器を構え、後ろに跳びながら手を交差させて投擲した。静流は白梅雨を抜き、胸に目掛けられたそれを薙いで弾き飛ばした。
「上出来だ。やはり君は私の期待を裏切らない」
 既に静流は息を切らしていた。
 超能力者を相手にすることは聞いていたが、例えば火を噴くとか雷を落とすとか、そういった魔法使いを想像していたのだ。ベルは基本的な武術の構えと呼吸でペースを乱すことなく、独自の使い方をしてみせるレイピアで静流に攻撃の暇を許さないのだ。
 刀を鞘に納め、静流は虎の型に構えを変えた。右手を腹の位置に、左手を前に。
 ベルは不敵な笑みを浮かべ、両手にレイピアを構えながら攻撃線範囲内に飛び込んだ。薙ぎをダッキングで回避した静流は立ち上がると同時に左アッパーを繰り出し、それを足で左向きに反らしたベルは、静流の左腕が引かれると同時に両方のレイピアで突いた。
 静流は瞬時に二丁の拳銃を抜き打ちし、二つの弾丸がレイピアの切っ先を割った。水が溢れれば、ベルは腕を振って静流の顔面に水を掛けた。静流は銃をしまい顔面の前で腕を交差させ、ベルの飛び右肘打ちを防御した。目を拭く前に、ベルはしゃがんだ状態から起き上がる時の腰をバネのように動かし右の裏打ちを放つ。目を瞑った静流は音で攻撃を聞き分け、両手で裏拳を払い、大きくバックステップしてようやく視界を元に戻した。
「美しい。ああ、君の美しさに惚れ惚れする。なぜなら、大いなる益荒男(ますらお)に相応しき目と、どこか悲哀を感じさせる背中が芸術を生み出す。君という、素晴らしき人間という芸術作品だ」
「もし誰かが俺を創ったとしたなら、多分そいつは酔っ払ってたな。そうじゃなきゃ、こんな薄汚れた人生送らねえよ。ドブネズミのほうがマシだ」
「自分の力をもう少し誇らしく思え。私は、自分のこの力が好きだと語ろう。退屈しないからだ。何より戦いとは実に愉しい」
 右手にレイピアを顕現させたベルは、切っ先から柄までを目で撫でながら言葉を続けた。
「これまで戦ってきた者たちは皆、どこかこの世界を憎んでいた。だが、真に憎むべきは世界ではない、戦いだ。私は戦いが好きだが、望まない者もいることは承知している。そういう者を見る度、異形の恨めしさが込み上げてくる。戦争は、人間が生み出した最も最悪で、意味のない行為だ。君はこの世界に、どこか順応している。即ち、戦いが嫌いではない」
 レイピアを左右に振って水に変え、ベルは拳を前に突き出した。
「大いに、歓迎しよう。本物の武人の力を、私に見せるのだ」
「誤解を与えないように言っておくが、俺は戦いが好きなわけじゃない。慣れちまっただけだ。それに、俺も本気を出さざるを得ないんだよ。目的ができたからな」
「野望の為に生きる戦士。殊更気に入ったぞ。君を倒したい、私の中の欲望が渦を巻く。闘志の血が騒ぐ。最後に、敬愛する父と戦った時のようだ」
 静流は両手に銃を構え、中心に向けてやや傾けて照準を合わせた。ベルは膝を曲げて両手に氷のレイピアを構えながら腕を軽く曲げて刃を前で交差した。
「遠慮はいらん! 来るといい!」
 膝を軽く曲げ、腰を少し反らして静流は銃を連射した。発砲音と同時に、龍のように弾丸はベルの血肉に食らいこうとするのだ。
 ベルは一発目の弾丸をレイピアで弾き、瞬時に再生させ、二発目をしゃがんで避け、演舞のように三発目、四発目と弾丸を払いながら、腕や脇腹に軽い切創を作りながらレイピアで弾いては水に変わり、水に変わっては再生しを繰り返し、ニ十発目の銃声が鳴り止むと静流は銃をホルダーにしまい、右足で地面を蹴って走り出した。ベルは武器を水に変え、構えをとった。
 静流は華麗に飛びながら後ろ回し蹴りを放ち、ベルは後ろに避けて静流が構えを取る前に腰を回転させて右フックを繰り出す。静流は左にしゃがんで避け、右下段足刀で左足を狙う。寸前で回避したベルはその瞬間だけ左足が地面から浮く。反撃に、彼は左膝で静流の腹部を狙った。同時に右膝を上に持ち上げた静流は互いに防御し、片手で銃を抜いて心臓に銃口を構えた。ベルは銃を持つ右手を左正拳で突き天井に向けさせながら右手でその手を掴んで上に持ち上げ、一気に下に落とす。
 地面に手をつけた静流の髪を掴んだベルは上に引っ張りながら顎を爪先で蹴る。後ろ向きに倒れながら彼は二丁の銃を抜き連射した。顕現してレイピアが全ての弾を防ぐと、弾切れを起こした銃をしまって静流は立ち上がる。
 再び接近した静流は虎の構えのまま左手で胸突きを繰り出し、その手は容易く右手で払われれば、次に静流は左足を相手の股下に入り込ませた。そして足を引っ掛け、体全身でベルを押したのだ。
 後ろに倒れたベルは両手のレイピアの切っ先を地面に突き刺してバク転しながら静流を距離を取った。
 その隙に銃に弾倉をこめた静流は再び銃を連射しながら接近する。ベルは肩に銃弾を一発だけ受けながら地面に転がって横に回避していきレイピアを投擲して静流の腕を貫いた。思わず銃を落とし、静流は片手でレイピアを抜いて投擲するも途中で水となった。
 銃をホルダーにしまい、助走をつけて立ち上がるベルに飛びかかり、腰を回転させて右手を大きく前に打ち出す。身体を半身曲げて回避したベルは伸びた腕を掴もうと片手を伸ばしたが、静流は左手でベルのその手を掴み手前に引く。静流は右肘で相手の脇を打ち、身をよじりながら後ろに下がるベルの脇腹を中段蹴りで後ろに倒す。すかさず一丁の銃を抜き両手で構えトリガーを引く。ベルは仰向けの体勢でレイピアを顕現させ、放たれる正確な弾丸を弾く。心臓や、顔面に向かう弾は全て落としながら立ち上がり、武器を水に変え前転と同時に近接間合に飛び込む。
 起き上がりと同時に放つアッパーを静流は右手で弾き、構えをとるベルの右肘に足刀を入れる。即座に足を戻し、ボディフックを再び手でいなしながら右足を大きく後ろに引き、跳躍して前に回転しながら踵落としを決める。頭上の足を右腕で受けたベルは空いた左で崩拳を繰り出すが、静流は腰を曲げて鞘で躱し、瞬時に刀を抜いて両手で薙ぐ。二つのレイピアが攻撃を阻害し、即座に刀を下に落とした静流は武器を握る彼の左腕を膝で蹴って床に落とさせ、鞘を足で踏んで上向きになった刀に、静流は瞬時に相手の右腕を掴んで白梅雨に突き刺した。
 怯んだベルの襟を掴んだ静流は軽く持ち上げて、二回の右足刀で膝関節に打撃を与え、頭に打ち付けるようにして地面に押し倒した。白梅雨を素早く鞘に納め、構えを取り戻す。
 血が溢れる腕を押さえながら、ベルは立ち上がった。
「君は、殺しの目をしていながら、どこか私への敬意を忘れないような礼儀を持っている。拳を交わえなければ分からぬことだ」
「銃を向ける相手には、必ず母親がいる。俺が殺す奴を、殺してきた奴が産まれることを望んだ人間が一人でもいることは、一秒でも忘れたことはねェ」
「それは、俗にいう優しさか」
「俺は優しさなんてものは一ミリも持ち合わせていないし、似合わねえ。俺を埋め尽くしているのは、上手に世界を生きるためのルールだ」
 静流の家は無信教だった。どの宗教も殺人を禁止しているから、父親は神様を信じるなと静流に言い聞かせていた。代わりに、卑劣な世界を生き抜くためのルールを静流に教え込んだ。
 ユダヤ教の七つの戒めに負けずと劣らない家訓は、幼少期の静流に大きな影響を与えた。
「下らない理想を掲げる無法者よりは、まだ君のようにルールを持っている人間が強い。自由とは、言葉ばかりの虚偽だ。人間は自由を謳いながら自分を制限する。むしろ、そうでなければ生きてはいけない。ダーク、君のルールとやらを知る日が来ると良いのだが」
「真似しないことをオススメするぜ。意外とキツいからな」
 短く笑ったベルは、レイピアを構えて静流に目線を送った。
「もう血は流れている。ここから先は、どちらが先に多くの血を失うかで決まる。窮地に陥った人間ほど力強い。ゆくぞ、準備しろ」
 まだ使いこなせるとは言い切れない白梅雨を抜刀し、右足を後ろに下げて両手で鞘を顔の横まで持ち上げ、切っ先をベルに向けた。
 精神力の戦いだ。先に折れれば待っているのは敗北のみ。覚悟を決めて、静流は体勢を崩さず走り出した。
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