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文字数 5,381文字

 翌朝、目が覚めると隣にミアンナの姿があった。今までにない寝起きの光景だ。彼女は隣に丸椅子を持ってきて座っていて、首をこくりと動かしながら眠っているようだった。静流は布団をどかして起き上がり、寝ざめの一杯を口にした。中身は昨日のウィスキーだ。
 洗面台で朝の身支度を済ませると、タイミングよく家のチャイムが鳴った。五戦目の褒賞だろう。今度頼んだのはナイフ三種だ。ニ〇センチメートルのダガーナイフと、二本のブーツナイフだ。五界では滅多に使うことはなかったが、常に使えるように効率的なナイフの攻撃法は練習していた。
 クラヴ・マガと呼ばれる格闘術に近い動作だ。練習には、よくレオナルドが相手になってくれたことを覚えている。クラヴ・マガの訓練法は、自分が不利な状況下においた場合の対処法だ。自分が素手、相手がナイフを持っていた時。本来ならば相手のナイフを落とすのがクラヴ・マガだが、静流は素早くナイフを奪い、殺傷するトレーニングを強いられた。
 レオナルドがいない時はイメージトレーニングで補った。
 チャイム音でミアンナが眼を覚まし、目を腕で擦って何度かまばたきをした。
「良い朝だ。こんな紫色の空の下なのに、鳥が飛んでやがる」
「泥水を好む生物もいます。それよりシズル、その、気持ちは落ち着きましたか」
 夕食に顔を出さなかったから、ミアンナは不安に感じていたことだろう。昨夜に聞きに来ればいいことだったが、彼女は気まずさに押し負けたのだろうか。
「デチュラから、モモイは五界で赤ん坊になってると聞いた。どうなってるのか分かったのか知れてよかったよ」
「マッケローのことは。二人とも、仲が良かったのでしょう」
「もう慣れた」
 下手な嘘をついて、ミアンナをなだめようとした。嘘をつく時、静流の言葉は極端に短くなる。
「五界での死と、三界での死は全く違います。正確に言えば、三界では死とは呼びません。日本語では彌還(みかん)と呼ばれますが、特段覚える必要はないですよ。今まで通り、死ぬという言葉を使ってくれてもね」
「どう違うんだ。彌還と死は」
「彌還は、旧人や人間の魂そのもののレベルを下げます。五界では魂のレベルが下がることはありません」
「宗教じみた話になってきたな。俺はそんな話とは縁が無いと思っていたんだが」
 口角をあげて、ミアンナは小さな笑みを漏らした。
「今のは、静流に分かりやすく説明するために言ったのですけれどね。本来はもっと複雑怪奇で、難しい問題です。私達でさえよく分かっていないのですから。だから彌還の研究者達もいます。ところで話は変わるのですが、シズルはウィスキーが好きなのですか?」
「俺が好きなのは酒だ。別にウィスキーが好きってわけじゃない」
「へえ、てっきりウィスキーが好きなのかと思いました」
「ウィスキーやジン、つまり蒸留酒は糖質がない。腹に変な脂肪を溜めず、酒を楽しむことができるわけだ。俺は酒の種類なら赤ワインのほうが好きなんだよな」
 そう言ってもう一度グラスに口をつけた。歯磨き粉にあったミントの味を上書きするように、ウィスキーのワイルドな味が口の中で広がる。
「では今度、私のお金で赤ワインを買ってきます。いつも頑張ってくれてますからね」
「別にいらねえよ。ウィスキーを飲んでるのは、五界を少しでも思い出していたいからなんだ」
「では、ウィスキーを買ってきますね。私が美味しそうだと思ったものを。あ、私も飲んでいいですよね。じつはお酒って飲んだことなくて」
「好きにしろ」
 部屋の扉が開かれた。メイド服を着たホロエが平べったいダンボールを両手で持っている。
「シズル様に、褒賞のお届け物のようです。これ、どうします?」
「地面に置いといてくれ、後で自分で開ける」
「分かりました。それと、一時間後に試合があるようなんですが……」
 静流は座っているミアンナを見た。彼女は視線を横にして逸らした。
「聞いてないんだが」
「言い忘れてました」
 最近気付いたのは、どうやら学校に通っている生徒は、授業時間と被らないように試合が設定されるらしい。近頃、早朝に試合が設定されているのはその理由なのだろう。
 ナイフと銃が揃ったことで、大体の脅威は排除できるようになった。
「シズル、六戦目からはあなたも舞台の設定ができるようになります。どのような舞台がいいのか私にリクエストしてくれれば、希望通りの世界に入ることができるかもしれません」
「別にどうだっていい。俺からは希望無しって伝えてくれ」
「おや、そうですか。とっても助かります」
 一時間後に試合なら、早めに食事をとらなければならない。食べてすぐの戦いは避けるべきだからだ。一時間後でなければ、いつも通りの朝食を味わえたのだが。
 冷蔵庫から満タンになったジンの瓶を取り出して、静流はホロエの横を通って部屋を出た。後ろからホロエとミアンナが続いて部屋を出てリビングに向かうと、カミツナギの用意していた豪華な朝食がテーブルに並んでいて、静流は目を瞠った。タンドリーチキンや、天ぷらや焼き魚が見事に並んでいる。
「起きたか、シズル。今日は記念すべき第一回目の手料理ということで、色々作ってみたぞ」
 食卓を見たミアンナは、感嘆の声をあげて真っ先に椅子についた。
「どれも美味しそうですね、非常に感動しました! シズル、早く食べないと冷めてしまいますよ」
 昨日はカミツナギを散々に非難してきたホロエは、見直したように顔を綻ばせると彼女もナイフとフォークを両手に腰を下ろした。
 程よく食べて善意に答えながら、腹がいっぱいだと称して食べる量を抑えるしかないだろう。
 静流も席に座って、豪華な食事に手をつけることにした。
 三十分をかけて朝食を終え、ほとんどをミアンナとホロエが平らげているのをカミツナギは満足そうに眺めていた。先に席を立った静流は自室に戻って、ダガーナイフをベルトに差し、ブーツナイフ用の靴を履いて戦闘前のストレッチを行った。時間は六時四十分だ。試合は七時からだから、布団に横になって精神統一に励んだ。昨日の余計な邪念を箒で掃うように。
 五分前になってミアンナが部屋に顔を出し、いつもの儀式通りに手を繋いで、静流は眩い白い光に包まれた。
 六戦目の舞台は、中東のどこかの国の、廃墟となった施設の部屋ようだった。建物はやや傾いていて、窓ガラスは完全に割れて地面に飛び散っている。天井には剥き出しになったコードがある。
 窓の外は砂漠のようだ。今までと違って舞台は正方形で、観客の姿が見当たらない。
 相手は遠くない距離で立っていて、胡坐をかきながら座って煙草を吸っていた。
「気に入ったか、この場所は」
 彼は深い茶色のコートを着ていて、真っ黒のインナーシャツだ。年齢は三十台後半の白人男性といったところで、明るい茶髪と同じ色の髭が整えられている。髪は前髪が額を隠さずに、半円を描くように分けられていて、後ろはうなじまで伸びているようだ。
 片手にはアサルトライフルであるFN-2000を、銃口を上にして持ち上げている。
「ここは俺の故郷なんだ」
「そうか。故郷にしては、ずいぶんと寂しくて何もないところじゃないか」
「故郷ってのは何もないほうがいい。家族を見つけやすいからな」
「あんたの家族はいるのか。このステージのどっかに」
「いない。だが俺の心の中にはいつだって、笑顔の娘や、愛した妻がいる」
 煙草の火を地面に押し付けて消すと、彼は立ち上がって言った。
「俺はマクロイド・サジュだ。国籍はない」
 乾いた風が吹いていて、静流は自分の名前を述べた。
「シズルか。お前さん、親に愛されたんだろうよ。良い名前じゃねぇか」
「そりゃ、どうも」
 サジュの目は、綺麗なグリーンの色をしていた。宝石のようだった。
「この舞台は初めてだろうから、俺から簡単に説明する。ここは三階建ての学校だ。二階と三階には一つの教室と二つの部屋があって、一階は職員室やら遊び場やら図書館やらがある。それは、行ってみてからのお楽しみだ」
 故郷だというからには、彼にとって歩き慣れた地なのだろう。地形情報を既に知っている、ということについてはスジュが圧倒的に有利だ。静流は想像でしか物を見られない。
「それで、俺はこれから一階にいく。そこで一発銃を鳴らすから、そうしたら試合開始だ」
 相手がどんな超能力を有しているのかは不明だ。それに、静流のように超能力を持っておらず杞憂で終わる可能性だってあるのだ。
 彼は片手で銃を持ち、歩いて余韻も残さず部屋を出て行った。
 暇を持て余すように、静流は窓に近寄った。サジュの足音は遠く離れていっているから、騙して勝利を得ようといった魂胆は見えない。油断はしないが、静流は外を眺めた。
 木もなければ、家もない。荒れた土地で地面には亀裂ができている。だがその亀裂がサジュの故郷であるならば、落ち着くのだろう。静流には故郷と呼べるような場所はなかった。家は転々としていたし、主人も事あるごとに変わった。ホテルで過ごす時間のほうが長かったようにも思える。
 淡い羨望が静流の目に宿った。
 一発の発砲音が聞こえた。空気を切り裂くような破裂音だ。
(相棒、昨日の今日で精神的にもキツいと思うが、負けるなよ)
(分かってらァ)
 静流は両手に銃を構え、音を立てず引き戸を開けて廊下の様子を窺った。廊下は全面が木でできていて、プラスチックの窓が連なっている。地面には本やペンが散らばっていた。
 今回の戦いは今までと全く異なるものだ。殺し屋を営んでいた頃の経験が大きく活きるだろう。彼は足音を殺しながら廊下を進み、突き当りに見えた「図工室」と書かれた部屋には入らず、その隣の階段を下りることにした。
 不用意に顔は出さない。踊り場に出ると、階段の陰に潜んで服から瓶を持ちだし、表に置いた。物体感知式の罠等がないと分かると、静流はすぐに酒瓶をしまって一階に降りた。
 廊下に出る前に右側に簡単な押し扉がある。静流は扉を押して、扉の後ろに隠れてゆっくりと廊下を除いた。すると、どこからともなく煙草の香りが漂ってきた。
 近い。サジュはまだ一階のどこかにいるのだろう。静流が用心したが、すぐに自分の考えが誤りだということに気付いた。
(相棒後ろだ!)
 静流は前に飛び出した。彼の頭上を銃弾がかすめた。
 地面に煙を出す煙草を見た静流は、閉まった押し扉を蹴って少しだけ隙間を作ると、片腕を入れて三発射撃した。階段を駆け下りる音が聞こえ、静流は廊下を走った。
 片腕を後ろに伸ばして乱射しながら左手側に見える学校の玄関の壁に隠れた。廊下側を窺うが、サジュの姿はない。静流は地形の理解を急いだ。
 玄関には背の高い靴箱が三つ並んでいて、一段の段差で仕切られている。玄関は大理石の地面で、開きっぱなしになった靴箱の中には黒いスニーカーがしまわれていた。玄関の前を見ると、そこは広場になっていた。一人用のソファが左右の壁に合計六つ並べられていて、中央は煉瓦の花壇になっていた。花壇の上の花は枯れている。
 一階の地形としては、廊下の間に正方形の空間ができたような造りになっている。静流は廊下を戻り、途中に見えた職員室の中に身を潜めた。
 職員室の内部は簡単な構造だった。普通の正方形で、ホワイトボードが入口の右手側の壁にでかでかと貼り付けられている。ホワイトボードには今月の日程や行事予定表等が貼り付けられていて、今月の目標が黒い文字で書かれていたり、席順と名前が書かれている。
 部屋の中央には大きく二列に分けられた、ビジネスで使われる長方形のテーブルが置かれていて、書類が散らばっていたり片付けられていたり、写真が置かれていたりアメフトのボールが置かれていたり、まるで一時間前までは誰かがこの部屋を使っていたかのように残されていた。
 ホワイトボードの対面の壁には金属製のロッカーがずらりと並べられている。
 静流は椅子を退かして机の下に隠れた。
(相棒、奴は何者だと思う)
(想像もつかねえな。だがレンジャーには違いない。足音も気配も消して、煙草のギミックを使って高所から攻撃を仕掛けてきた。戦場に慣れてる)
(特殊能力ってのはなさそうか?)
(とっておきは最後に持ってくるもんだ。まだ分からない。だが一つ言えるのは、コンマ一秒の油断が勝敗を決するということだな)
 静流は机の下から這うようにして外に出ると、扉を開いたままにして廊下に足を踏み出した。即座に左右を確認し敵影が無いと分かると、来た道を引き返した。階段の踊り場に、煙が上る煙草が落ちていた。
 嗅覚は戦場において、命の要になりうる情報源だ。サジュは煙草の濃い匂いで自分自身を消している。だがそれには定期的に煙草を落とさなければならず、数にも限りがあるだろう。また、煙草を落とすことで自分がいた痕跡を残すことになる。
 煙草の後をつけていけば、自然とサジュの背後を取れる形になる、ということだ。
 だが、それ自体が罠の可能性だって捨てきれない。静流を誘導するための道具かもしれないのだ。迂闊に追うのは好手ではない。
 すると、突然誰かに肩を軽く叩かれた。この世界において、それが誰かは振り向かずとも分かるものだ。
「ま、考えすぎんなよ」
 まるで長年連れ添ってきた友人のように柔らかな声が、背後から聞こえた。
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