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文字数 5,304文字

 自分の部屋で酒をあおりながら、重厚な足音に耳をかたむけていた。静流はベッドに眠るフェンの横で、丸椅子に座っている。丸椅子に座りながらジンを飲んで、溢れ出てくる激情と戦っていた。油断をすれば、傷だらけのまま街に飛び出して、ディーグや暗殺者の名前を叫びながら銃声をばら撒いてしまいそうだった。
 三界をよく知らない。だがあまりにも理不尽だった。強制的に連れてこられて、望まない戦いを強いられ、負ければ監獄よりも最悪な世界に連れていかれ、過ぎた成績を残したら暗殺者に狙われる。運がいい人間でも、ミオンのように奴隷として扱われたり、ホグウのように狂人に連れていかれたり、散々だ。
 まるで世界に嫌われているように感じた。同じような理不尽を受けている人間は他にもいるはずだ。フェンもそうだろう。彼女は、どうしてこの世界に招かれたのか勘繰ってしまいたくなるほど力のない者だった。
 重厚な足音は扉の前で止まって、ノックもせずに扉が開いた。見えたのは、身長の高いイタリア系の、中年男性だった。
 彼がフェンの名前を呼ぶ時、以前聞いたことのある声だと分かった。彼はフェンの守吟神だ。名前はミオラといったはずだ。
 後からミアンナとクラッセルの二人が入ってくると、すぐに部屋の密度が上がった。ミオラはベッドの脇に立って、フェンの手を握って彼女の名前を呼んでいる。
「彼女は、撃たれる前に五界にいっていました。目を覚ますまでもう少し時間がかかるかもしれません」
 理屈は説明されなくても分かっているというように、ミアンナの言葉に彼は頷いた。
「シズルと五界にいくと嬉しそうに言っていた」
 どう我慢すればいいのか分からず込み上げてきた苦しみを、静流は酒で流し込んだ。強引に抑え込んだのだ。
 フェンから目を離したミオラが、静流に向かってこう言った。重々しい声だった。
「君がシズル君だよな。あんまりフェンは話してはくれないんだが、人間名簿で君を見た。随分強いんだってな」
「中身のない強さだ。自分を守ることしかできない」
「生命とはそういうものだ。自分の命は自分で守らねばならない。私は、君を責めにきたわけじゃない」
 誰も責めない。あくまでも人間はペットに過ぎないのだ。ペットがペットを守れないのは仕方がない。旧人は人間に優しさなんて与えない。与えないから、彼らの言葉に意味はない。静流は自分に言い聞かせるように、何度も言った。だが、酒で酔っているせいだろうか。彼の目から透明な雫が頬を伝って、地面に落ちた。
「俺を殴れよ。どうして守ってやれなかったんだって、責める権利はあるだろ」
「泣いている人間を殴れるものか。君だって辛いんだ」
 涙を流すものかとずっと耐えてきた。男は一人で泣くべきだ。そして、自分一人で起き上がるべきだからだ。
 疲弊し、傷だらけの心。その心にガーゼを巻くように、ミオラの声音は優しいものになっていて、優しさは静流の目からもう一滴の涙を垂らした。
 俯いた時に見えたミオラの綺麗な手が、美しかった。
「いいんだ、シズル。君のせいじゃない」
 クラッセルがそっと、静流の肩に片手を乗せてこう言った。
「よく頑張ったね。僕でも太刀打ちできない相手なんだ。生きてるだけでもすごいよ」
「そうですよ。私だって、シズルが生きていてくれるってだけで嬉しいのですから。それに、フェンだってまだ死んでませんよ」
 俯いていたから、静流は気付かなかった。
 彼女の声が聞こえて静流は、はっと顔を上げた。
「そうだよ。私はこうして生きてるから」
 クラッセルとミアンナが眼を合わせて、同時に微笑んだ。ミオラはフェンの手を掴んで、その場に膝をついて自分の額と彼女の手の甲をくっつけた。
「皆、大げさ過ぎない?」
「それだけ皆心配してたんだ。どこも痛くないか、大丈夫か」
「平気だよ。もう、ホント大げさだって」
 周りを四人も囲っているからだろう。フェンは照れ臭そうに苦笑を浮かべながら、頬を人差し指で掻いていた。
 いつもと変わらないフェンが見られたことと、ミオラが愛想の良い笑みを静流に向けたことで、彼の中にあった重圧は砂が風に吹かれるように消えていく。今では、涙を見せたことが屈辱に感じるほどだった。人前で、落ち込んでる時に酒は飲むものではない。
「シズル、少々話があります。例の男のことです。私の部屋に来てもらってもいいですか」
 喜びの真っ只中で、ミアンナは笑みで顔を満たしたままそういった。真剣な話には向かない顔つきだが、部屋に三人を残したまま二人はミアンナの部屋に向かった。
 ディーグに水槽と絵を持っていかれてから、一際寂しさが闊歩する室内で唯一の調度品といっても過言ではない皮製の白い腰掛け椅子に座ったミアンナは、静流が扉を閉めるとようやく笑みを崩して例の男について語った。静流は黙って、ニムロドのことを話すミアンナの言葉一つ一つを脳に叩きこんだ。酔いの最中だったが、必要な情報は都合よく頭の箪笥にしまわれるのだ。
 人間のみで構成されている暗殺者集団。ディーグも関わっている。静流を狙っている。三つの説明を受けた静流は、少なくとも通り魔のような狙われ方をしたわけではないと納得した。最初から計画的なものだとは分かっていたが、ミアンナの話が裏付けをしていた。
「問題は、これからどうするかってことか」
 ニムロドという集団が暗殺者のプロであることは分かった。出る杭を打つほどの実力を持ち、静流で太刀打ちできるかは不明の戦闘力だ。少なくとも先ほどの男は強力な身体技術を持ち合わせていて、一筋縄でいかないことは確かだった。明らかに、闘技場で戦わせられる相手とは差がありすぎるのだ。
「そもそも、どうして奴らは出る杭を打つんだ」
「バランスのためでしょうね。過度な力を持ったものは試合に明らかに影響が出ますから」
 神妙な静けさの中、なんの遠慮もなく扉が開いたかと思えば入ってきたのはデチュラだった。ホロエと紗季も一緒だ。
 家の主よりも家に馴染んでいる風貌を見せて、デチュラは開口一番にこう言った。
「闘争だ。奴らを蹴散らしてくれる」
「ちょ、ちょっと待ってください。ニムロドを相手に戦うんですか」
「平和主義のミアンナお嬢様は戦わなくていい。必要な駒は紗季と静流、私で揃ってるもの」
 彼女はどこか、現在の状況を楽しんでいるように見えた。
「今まで私達がニムロドを放っておいたのは必要悪だったからよ。奴らにも独自のルールがあって守ってた。でも、ディーグが管理するようになってからどう? 腐りきってるわ。今まで一回も痛い目を見たことがないからね。ここらで一つ、ぶったぎるのよ」
「デチュラ、私が危険視しているのは倒した後のことです。もしかしたら法律ができてしまうかもしれないのですよ」
「旧人は手を出さない。あくまでも、静流と紗季がすることなのよ」
 勝手に話が進んでいく。静流はそういった状況に慣れていた。
 自信がないというと話は違う。だが静流は、今度の作戦は失敗に終わるような勘を抱いていた。スナイパーとしての腕も確かで、近接格闘にも引けを取らない男。おそらく、あの男と同じくらいの殺戮者が何人もいるのだ。紗季の実力は計り知れないが、勝てる相手という見込みはない。
 しかし、このままではいずれ狩られる。彼らに次狙われれば、次は容赦なく七界行きだろう。そして彼らはそれを楽しんでいる。大富豪というトランプゲームのように、力のあるものが一度に全てを失う様を見るのを楽しんでいるのだ。
 そう易々と負ける訳にはいかないのだ。
「俺はやる。デチュラの話に乗った」
 惑わされた表情をして、ミアンナは静流の手を掴んだ。
「シズルでも倒せなかった相手ですよ」
「どうせ何もしなくても向こうから殺しに来るんだ。何もしないで死ぬくらいなら、足掻いて死にたい。それくらい許されるだろ」
「七界に行って売られても、私はあなたを買う対価は支払えません。運が悪ければ、地獄より辛い苦しみを味わうことになるのですよ」
「そりゃ酷いな。だが、そんなに心配しなくてもいい」
 静流は彼女の手を軽く握って言った。
「少し本気を出す」
 言葉に込められた、言い様のない感情をミアンナは理解した。それは怒りでも悔しさでもなかった。
「奴は殺せたはずの俺をボーナスが貰えないっていう理由だけで殺さなかった。いつでも俺を殺せると舐めくさってんだ。今の俺の楽しみは、奴に勝って後悔させてやることだ」
 クスクス、と上品に笑ったデチュラは静流の背中を拳で突いた。
「よく言ったわ、シズル。そういうことでミアンナ、暫くこの家に来ることが多くなると思うわ。私も助太刀するからね」
「本当に二人で、あの組織を壊滅させる気ですか」
「強いて言うなら、もう一人男がほしいところね。二人より三人の方がキリがいいわ。シズル、誰かアテはない?」
 友達と言えそうなのはフェンぐらいで、それ以上の交友関係はない。レオナルドが生きていれば話は違ったが、どこで何をしているかも不明だ。クラッセルにはまず止められてしまう話だろう。フェンも戦力にはならない。人質に取られて終了だ。
 三人もいれば一人あたりの仕事量は減り、より自分に合った戦いができるだろう。静流ができることは暗殺者を活かした潜入。紗季は不明だが、幾千の戦いを乗り越えてきているのだから相応の力は備わっているはずだ。相手の弱点を的確に突くという超能力も見過ごせない。補給に関してはデチュラがいるだろう。
 となれば、必要な人材は盾役だ。斥候、力技、防御、回復。この四つが揃えば戦いは有利になるか、五分五分となる。まず相手はこれまで攻められたことがないなら完全に油断しているだろう。そこへ、用意周到な計画を持って出てきた静流達が現れる。
 問題は、盾役になりそうな人物がいないことだった。
「それなら、私が引き受けよう」
 首を横に振ろうとした静流の視線を奪ったのは、ミオラだった。彼は腕を組みながら、冗談とは思わせない顔つきで立っていた。
「旧人が出てはいけないという問題ならば、私はマスクを被ればいい」
 訝しそうに彼を見上げていたデチュラは、指を差して静流にこう尋ねた。
「誰?」
「さっき撃たれたフェンの守吟神だ」
「撃たれた? まったく話に乗れないんだけれど、つまりシズルの友達が撃たれて、その友達の守吟神ってわけね。じゃあ、あんたは復讐のために?」
 いたって冷静な顔つきを維持しながら、ミオラはやんわりと否定した。
「復讐ではない。私も、君の意見に賛成ということだ。彼らは必要悪だと言われていたが、最近は度を越えている。今回の一件で、関係のないフェンが撃たれたことに義憤はないかと問われれば、ある」
「仮にあんたが旧人だとバレなくても罪を犯すことになるわ。この世界の罪のルールは人間には適用されない。それでもいいの?」
「構わない」
「それじゃ、決定ね。そうと決まればホロエにも協力してもらって、周囲に根回しするわ。特にクラッセル。アイツにバレたらどうなるか――」
 すると、廊下側から声が聞こえた。
「僕にバレたら、どうなるって?」
「げっ」
 デチュラは彼の方を向いて、慌てたように両手を動かして言い訳を言おうとしていたが、どうも上手く言葉が出ないようだった。
 静流はミアンナに二人の関係のことを尋ねるように耳打ちした。
「あの二人は、いわば兄と妹のような関係です。血は繋がってないんですけどね」
「仲がいいのか」
「ええ、とっても。特にデチュラはクラッセルに懐いてます」
 人の心が読める相手に懐けるのだから、デチュラとの関係は思っているよりも深いのだろう。彼女が慌てる姿を見たのも初めてだ。
 クラッセルは和やかに笑いながらこう言った。
「いいんだ、僕は止めないよ」
「なんで?いつもは止めるのに」
「止めたって無駄だからね。シズルもサキも、認めざるを得ないほどの実力を持ってる。多分この一手は革命的になって大きな話題を生むんだろう。そういう歴史は、ないよりはあったほうがいい」
 ディーグを倒すことは全力で止めようとしたクラッセルが、あっさりと了承した。相手が人間だからなのだろうか。危険なことはどちらも同じなはずだ。ディーグは、レベルが違いすぎるということなのだろうか。
「それとデチュラ、別件で相談があるんだが……すぐ終わるからいいかな」
 簡単な返事と頷きを返したデチュラはクラッセルと一緒に階段を下りて家の外に出たみたいだ。別件ならば、プライベートに関することだろう。わざわざ盗み聞きをする必要もない。
 まだミアンナは憂いだ表情を見せていた。自分のペットが危地に行くことをためらっているようだ。静流はもう一度、ミアンナの手を握ってこう言った。
「俺を失っても、また次の従者を飼えばいい。次はもう少し従順なやつがいいな」
 励ますつもりでいったが、彼女はより暗い表情を見せて「そうですね」と言った。
 まとめ役のデチュラがどこかに行ってしまったことで、その場は一時解散になった。静流とミオラはフェンの部屋に戻ってあらかた説明をして、紗季はカミツナギやホロエに話しにいったようだ。
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