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文字数 6,690文字

 意味を為さない沈黙の後に、何も見出せずにいた。マッケローは、前によく見た無邪気な微笑みを表情に宿しながら、久々の再開を心から喜んでいるようだった。
 彼は白いシルクハットを被っていて、ベージュ色のワイシャツに青いネクタイがよく似合い、黒いチノパンはあまりにも平凡だ。帽子と服の色がちぐはぐだが、五界にいた彼の特色に因んだ色としては最もな色作りだ。彼をよく知る者からすれば、バラバラな三色はよく似合っているのだ。
「やっぱり、六龍さんはここでは僕に会いたくなかったみたいですね」
 ネイビーブルーの短い髪が、帽子からはみ出していた。
 幾何学模様が更に螺旋状になったかのような煩雑した思考が、あらゆる言葉を妨害している。静流は彼から目を逸らして、こう口にした。
「どうしてここにいる。お前らしい世界じゃない」
「僕は、六龍さんの思うほど完璧な人間じゃないということですよ」
「お前が、この世界の奴隷に選ばれるほど悪いことをしたとは思えない」
「悪人ですよ、立派な。僕はこう思います。五界に生まれた時点で、人間は悪に染まるようにできてるのではないかと。人間の根源は創造と破壊なのですから」
 マッケローは戦おうとしなかった。懐かしく六龍に会えた時間を恋しそうにしているのだ。
 創造と破壊。彼に言葉を教えたのは、組織のボスだった。
「三界にきて、人間の卑しさが分かったんです。そうして、最近一つの疑問に当たりました。人間は、様々な破壊によって発展してきました。種を絶やさず。六龍さんは、ネアンデルタール人をご存知ですか?」
「名前だけはな」
「ネアンデルタール人は我々ホモ・サピエンスよりも脳が大きく活動的だったはずなのに、絶滅した。この理由の一つとして、彼らが優しかったから滅ぼされたのだと言っている人がいます。専門家は彼らの性格を導きだせていないから、明確な答えはないのですが、僕はその理由も蔑ろにはできないと思うんです」
 五界にいた頃、マッケローは暇つぶしに本を読み漁っていた。読書家だったのだ。知識を幅広く持つことが、彼の中で誇りのようだった。
 時に、深く考えすぎることもある。マッケローは一つについて深く悩んだり、考えたりした挙句に精神衰弱となる日もあるのだ。
 彼は両手を下げながら、悲哀の目で細々と言葉を続けた。
「五界で生きていて、優しい人はどうなってきましたか。ほとんどの場合その優しさは利用される。そうして悪が何もかもを支配して、優しい人は世界の非人道性に気付き、命を絶つ者も入れば悪になる人もいて、頭が壊れてしまう人だっている。こう考えれば不思議と、生まれた時点で人間は悪い道に進むようにできていると感じざるを得ないんです」
 思考の流れが止まり、静流は落ち着き始めた。自分を癒すために酒瓶を取り出してウィスキーで喉を潤し、こう言った。
「そういうのは、もっと年を食ってから言うものだ。まだ若いお前が達観して言う言葉じゃない」
「でも実際、そうできていませんか」
 心の底から失望している、そのような声だった。五界にいた頃よりも、更に生気を失っているように感じた。
 何があったのかは聞くまでもない。何かよからぬことが起きたから、人を殺すほどの力をつけてこの世界に連れ込まれたのだ。
「若い頃から老人のように頭が固いと痛い目みるぞ。人間が悪だなんて結論出せるほど、お前は世界を見てきてないだろ」
 静流がもう一度マッケローに目を向けると、今度は彼が目を伏せた。誤りを正され、自分の不出来な思考で恥をかくときにほとんどの人間がとる動作と一致していた。
「六龍さんの言う通りかもしれません。なら、僕の周りが悪い人達ばっかりだったということでしょうか」
「残念ながらな。どうしてお前がそう考え始めたのか知らないが、優しいだけで生きてる人間もいる。もしかしたら寿命は短いのかもしれないし、悪い人間が多いのも当たってるかもしれない。だからといって、一パーセントに満たない善人もまとめて悪人だとするのは、少し酷なんじゃないか」
 壮大な差別だった。ただ、この議論は最終的に無意味だと結論づけられると静流は知っていた。なぜなら、正義も悪もないからだ。果てしなく長い議論の末に導き出される答えがそれなら、無意味なのだ。
 一つの話に決着がつくと、静流はここが闘技場であり、マッケローと戦ってどちらかが死ぬことを思い出す。負ければディーグに復讐するチャンスは皆無となるが、恩人の頭を銃で撃たなければ勝てない。
「そうかもしれませんね。はは、やっぱり六龍さんには敵わないなあ」
 静流の周囲も、自分のことしか考えない人間が多かった。だからこそ純粋無垢なマッケローは、心の拠り所として一番の居場所だったのだ。静流は、彼を守るなら命を犠牲にしてもかまわないとさえ思っていた。
「さて、そろそろ戦いましょうか。あの、遠慮はいらないですからね。僕は罪を犯した身です、あなたに勝てればいいのですが、倒されても、文句は言えませんよ」
「お前を殺せって、簡単に言ってくれるよな」
「六龍さんなら、躊躇いそうですもんね。でも僕はいいんです。こうして久しぶりに会えて、話せただけでも満足なんですから」
 彼は七界にいくことに、なんの躊躇いもなかった。
 自分が得体のしれない苦痛に苛まれるだけなら気楽だった。だというのに、マッケローが受けるとなれば、銃を手にすることもできなかった。理不尽極まりないと思った。今まで何人の人間を殺めてきたと思っているんだと自分に説教をしても、無意味だった。
 マッケローは左手を前に伸ばした。すると、まるで初めからそこにあったかのように杖が登場して、彼の手に乗った。手品師が使うような、扱いやすい大きさの杖だ。
「僕は死ぬのが怖くない。だから強いですよ」
「俺だって怖くない。だが――」
 白い木の杖で、先端には金色の留め具がされている。持ち手は杖に垂直になっていて、マッケローは人差し指と中指、薬指と小指の間に棒を挟むように持っていた。
「戦ってください。六龍さん。僕に負けたくない理由があるように、あなたにだって負けたくない理由があるはずだ」
 銃を頭に突き付けて、引き金を引くこともできる。
「あなたのことは、誰よりも一番僕が知っている。この世界に来て、何人もの人を撃ってきたはずだ。その人達の敗北を、無駄にするつもりですか。戦わずに」
「お前に分かってたまるかよ」
「戦ってください。僕だって、このままあなたの頭を刺せればどれだけ簡単か。だけど、そのやり方は六龍さんのルールに反しています。あなたはいつだって、無抵抗の人は殺さなかった」
 ついに酒瓶が空になって、地面に投げ捨てた。ガラスの欠片が砕け散った。
 マッケローは走り出し、茫然と立つ静流の前に立ち、空いた左手で静流の襟を掴み、右足を彼の股下に潜り込ませてそのまま前に押し、仰向けに倒した。倒れた静流の首に杖の先端を突きつけた。
「六龍さんは、僕の憧れだ。今もです。立ち上がって、僕と戦ってください」
 三界に来て新しい人生が始まった。ミアンナやフェンや、双子やホグウと出会った。出会ってから数日しか経っていないが、別れるには惜しいだろうか。
 勝つべき戦いがあるのだ。情に支配されて戦いを放棄するのは、六龍としての品格がない。
 正しい六龍の姿をマッケローは望んでいた。自分のために負けるのではなく、誰かのために勝つ。静流は喉に向けられていた杖の先端を掴み、上に押し上げてから肘でマッケローの足を殴打し、怯んだ彼の胸を片脚で蹴ってから起き上がった。
 体勢を取り戻したマッケローは、強気な笑みを見せてからこう言った。
「そうこなくちゃ。六龍さんと戦うのは初めてですよね。負けませんよ、絶対」
「死んでも怖くないって言ったんだ。覚悟はできてるんだろうな」
「六龍さんの顔を見てから、とっくに。いつでもいいですよ」
 竜の型から、一度に距離を縮めて左手刀を相手の頬に打った。マッケローは右手に持っていた杖で軽々と静流の手を払った。即座に元の体制に戻った静流は、同じ手で拳を作り、左手を振り上げてフェイントをかけ、膝を曲げながら肘でマッケローの腹を打つ。
 背中を前のめりに前に倒す彼の顎を掌底で下から突き上げ、右正拳で胸部に重圧な拳を叩きこむと容赦なく、右足刀を下段から上段まで素早く放ち、右回し蹴りで踵をこめかみに当て、シルクハットが地面に落ちた。
 マッケローは咄嗟に顔の前で腕を構えたが、静流は両手で彼の肘を上に持ち上げ、大振りに腕を回転させながら左右同時に彼の脇腹に突きを放った。後ろに退いたマッケローは、もう一度顔の前に腕を構えさせた。
 静流は再び右腕を振り上げ、前に伸ばそうとした瞬間、右肩を誰かに叩かれて動きが静止した。
「誰だ」
 振り向くと、そこにはマッケローの姿があった。
「僕です」
 途端、右頬に衝撃が走り、静流はしゃがむと同時にマッケローから距離を置くように床に転び、彼に顔を向けた。
 つい一分前まで相手をしていたマッケローの姿は無く、帽子をかぶった彼が立っているだけだった。
「分身か、いや。なんだ?」
「種は明かせません。なぜなら、僕はマジシャンですから」
「一丁前に気取りやがって。さっきまでと全然雰囲気違うじゃねえか」
「それは六龍さんもそうですよ。僕を倒したくないって言いながら全然容赦しないんですから。ビックリしましたよ」
「吹っ切れたんだよ。ここで止まっても仕方ない。俺がいくら悩んでも、勝つか負けるかしかないんだ。それなら、今の主のために忠を尽くすと選んだだけだ」
 殺し屋の務めだ。主を疑わず、忠を尽くして守り抜く。
「それでこそ、僕の知る六龍さんだ。じゃあ、次は僕からいきますよ。本物のマジシャンの力、とくとご覧あれ!」
 マッケローは左手を何度も振り、すると指の間から生まれたようにトランプのカードが出現し、彼は周囲にカードを撒くように投げるとカードは円陣を作るように、マッケローの前で回転した。彼は杖をトランプカードの円の中に入れた。
 突然。静流は何かに背中を掴まれた。そして勢いよく引っ張られたかと思えば、上に持ち上げられていく。
 背中を掴んでいたものは静流を離した。重力に従って地面に落ちていくが、静流は全く体に衝撃が走らなかった。そのはずだ、下に落ちたかと思えば、再び上に現れて無限の落下を繰り返しているのだ。空間には円のような枠組みがあり、その中を行き来しているのである。
 行き来しながら、体を切り刻まれる痛みが走った。
 落ちながら静流は銃を取り出し、円陣を組むトランプのカード一枚を狙って撃った。カードははじけ飛び、静流の無限落下が終わり、肩から衝撃を受けた。
「高層マンション千階分は落ちた気分だ」
「よく無事ですね。普通は死んでしまうような気がするものですが」
「俺もサッパリだ。それよりいいのか、俺に自由を与えて。俺のマジックは、この金属の塊から人を何人も殺せるような弾を撃ちだすって危ないマジックだぜ」
「いいですよ。そのマジックなら、見破れますからね!」
 静流は二丁の拳銃を体の前で構え、両手を交差させながら銃を横に向け、銃口を正面に向けて何度もトリガーを引いた。銃の中に組み立てられている法則が、理に従って鉛玉を放出する。何度も。
 直線的に放たれた弾は、真っすぐな軌道でマッケローに向かっていた。
 彼は杖を前に突き出し、目にもとまらぬ速さで腕を動かすと鉛玉一つ一つを先端で突いていった。静流が射出を止めたのは、彼が突いた弾が地面に落ちずその場にとどまっているからである。この世界にも存在する重力に反抗していたのだ。
 攻撃の気配を感じ取った静流は、真っ先に後ろ向きに走り出し、車の中に入り込んだ。マッケローは杖を時計回りにくるりと回し弾を操ると蛇のように細長く合体させていき、ガトリング砲のように弾を発射した。
 車の盾で全ての弾を回避した静流は、ドアを蹴って外に飛び出し、跳躍してマッケローに飛び掛かった。
 横に足を動かして回避したマッケローは、杖で地面をつつき、浮力を伴って背後に回避した。静流は後を追いかけるように腰を回しながら立ち上がり、短いジャンプで徒手空拳の格闘範囲内に入り込んだ。静流は狼の型を構える。両手を開いて肘を曲げ、右手を左手を前にする。
 三連打が基本の狼の型。静流は後ろに下げていた右足を前にやり、マッケローの足の間に置くと、両手を左右に勢いよく広げた。右手は彼の胸部に命中し、続いて静流は腰を曲げて身体を前のめりに倒してから右手でマッケローの胸倉を掴み、自分の背中に彼の上半身を乗せて、勢いよく膝を曲げてから起き上がり、背中で頭全体に衝撃を与えてから身体を回転させ、左肘で顎を打つ。
 更に回転しながら右正拳を鳩尾に叩きこむ。
 後ろに怯んだマッケローは、杖で地面を叩いて左右に細長いプラスチックのカプセルのような物を出し、カプセルは合体してマッケローの身体を覆うと、カプセルから手足が生えた。二足歩行の細長い生物のようになっていて、それは両腕を広げて回転しながら接近し始めた。
 躊躇なく静流は銃を放つと、今度はカプセルモンスターの腕が伸び、静流に巻き付いた。
「おい、なんだよこれ」
 やや息を荒げながら、マッケローはこう言った。
「僕の考えた、結構強いモンスターです。手出しできないでしょ」
「出てくる世界間違えたんじゃねえか。もはやマジックでもなんでもねぇな」
「いえ、大丈夫。この子の本番はこれからです」
 回転していたモンスターは燃え上がり始め、周囲に火花を散らし始めた。静流は逃げようともがいたが、体に巻き付いている腕の力は強大だ。導火線のように、少しずつ火は迫ってきている。回転しているから視覚はアテにならないどころか、段々と目が回り始めた。
 目を瞑った静流は、単純に殴り合っていた闘技場の時期を懐かしく思いながら、モンスターの親指を引きはがそうとした。
 指の付け根に柔らかい感触があった。モンスターの弱点はここかもしれない。静流は爪を立てて、人差し指で勢いよく付け根を押した。一度じゃ破れず、今度は親指に力を入れて爪を食い込ませていく。
 空気の抜けた音が聞こえ、静流は拘束から解放されて遠くに投げ飛ばされた。文字通りモンスターは燃え尽きて灰さえ残らずその場にいなかった。
 マッケローの姿を探して周囲を見回していると、静流が弾避けに使った車から、両手を広げながら彼が姿を現した。
「燃え盛る箱からの奇跡の大脱出! そんな感じしません?」
「まったく、呑気だな。本気で俺を殺しにこいよ。今も死にかけたが」
「今の大技で結構の人ダウンしてたんですよ。咄嗟に弱点を見抜いたのはさすがです」
 まだ余裕綽々としているその理由は、他にも手札が残っているからだろう。マジシャンである彼の超能力には恐らく、全て弱点が存在する。無限落下の技も、今の燃え盛るカプセルモンスターも条件で解除ができた。仕掛けを見破れば勝利はできるだろうが、万が一弱点を突けなければ敗北だ。
 突然、静流は浮遊感に襲われた。
 地面が無くなってしまい、足は落ち着く場所を失って左右に慌てふためく。気付けば、静流は大きすぎる透明な瓶の中にいた。閉じ込められていたのだ。
「どうなってる?」
 力任せに足で蹴るも、手ごたえは感じずに瓶の中に衝撃音が響くだけだ。
 すると、どうだろう。上から雨が降ってくるように、水が滴り落ちてくるではないか。
「すみません、六龍さん。僕は絶対に負けたくないんです。だから、どんな方法使っても勝ちます」
「溺死させる気か」
「他にも面白いマジックは幾つもあるんですが、その中でもこの技はかなりつまらない部類に入ります。ですが、六龍さんを倒すにはつまらなくとも、着実な一手にしなければならないんです」
 汚い一手だとは罵らない。勝てば官軍の三界において、敗北は全ての言葉を負け犬の戯言とするのだ。今必要なのは罵詈雑言の言葉を考えるのではなく、いかに状況を打破するかだ。滴る水の量から察するに、ものの十分もすれば確実に瓶の中は水でいっぱいになるだろう。
 銃で瓶を撃つが、全く感触はない。地面に落ちた弾丸をポケットに入れると、静流は上を見上げた。
 コルクのような蓋がしてある。そこにも銃を撃つが、怪獣に石を投げつけているのとまったく変わらない様子だった。焦燥の中、静流は必死に考えた。必ず抜け道はあるはずだ。
 目を瞑って、静流は水の音を聞いた。既に靴を水浸しにするほど、水の量は増えてきている。
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