14-3

文字数 5,700文字

 短期間に悪いことが連続して起きると、悲しむ気力さえ無くすものだ。濾過(ろか)されて出てきた怒りという感情は行き先を失って、不完全燃焼の後に分解されるかと思えば、水族館の魚のように同じところを意味もなく回っている。悔んだり、嘆いたりする時間はない。静流は第一の作戦を練っていた。
 最初に手を出すのはミオンだ。守吟神のアルカディアから囚われの彼女を救い出し、敗北したサジュの目的を達成する。
 学校は考え事をするのに悪い時間ではなかった。ホワイトボードの前で講義をしているクラッセルにとっては癪だろうが、家にいるよりも考え事は捗った。退屈と呼ばれた時間は、どういう訳か次々とイマジネーションが浮かんでくるものだからだ。
 大前提として、人間は旧人には敵わない。銃で撃っても再生するというのがホロエから聞いた情報だ。情報の真実性を問う裏付けは行っていないが、不思議な話ではない。もし銃で撃って殺せるならば、サジュほどの人間が負ける理由がないのだ。人間が旧人を殺したという話も一切聞かない。
 第二に、旧人は争いを嫌うという。数で押し切ってミオンを攫えば話は早い。だがアルカディアの性格を知らないのだ。デチュラのように好戦的だったら押して勝つという戦略には不足がある。
 一番手っ取り早いのは、夜間に侵入して――。
 奥深くまで考えようとしたところであくびが出た。寝る前の飲酒量が増えて、快眠とは呼べない生活を続けているからだろう。二日酔いになっていないのは、どこかで活躍してくれている担当医が治してくれているのだろうか。
 考え事をやめると不意に、美咲が座っていた。静流の頭の中にある部屋の中で、椅子に座って微笑みかけていた。微笑みは静流に向けられていたものではなかった。
 懐から取り出した酒で喉を焼いた。
「ところで、授業とは関係のない話にはなりますが」
 他愛のない話が始まろうとしている。クラッセルが授業以外のことを話し始めるのは今回が初めてだった。少なくとも、今のクラスでは。静流は考え事に没頭するのを休憩して、彼の話に耳を傾けることにした。周りの生徒達も大人しく彼を向いている。
「本当の友達について考えたことはありますか」
 突然、クラッセルは語り掛けるように言った。それが意味のある問いなのかは分からずとも生徒達は答えないが、クラッセルは答えを求めていなかった。それは誰もが分かっていることだった。
 どうして今のタイミングでそう切り出したのか、静流は些細な疑問を考えていた。
「皆さんと同じように、僕にも人間だった頃があります。その時の記憶は覚えているものです。そして僕が覚えている限り、人間だった頃というのは残酷で、無慈悲な悲しい出来事ばかりが起きていた。いや、言うなれば悲しい出来事ばかり目についていた」
 クラッセルから目を背けた生徒は暗い紅色の髪をした青年だ。名前も素性も、性格さえ静流は知らないが、真面目そうな若い青年ということだけは見てとれた。いつも熱心にクラッセルの授業を受けているし、好意的な笑顔をよく見せる。
「僕が人間だった頃にはテレビも無ければ、記事なんてのもなかった。ですが、狭いコミュニティでも暗いニュースというのは届いたのです。誰が死んだ、誰が罪を犯した。今じゃメディアが率先して、人々に暗いニュースを植え付ける。まるで、自分たちの住んでいる国はこんなに不幸なんですと声高らかに言わんばかりに。酷い時には被害者をダシにしていることもある。そんな世界です」
 クラッセルは物怖じせず、堂々と言ってみせた。生徒達は彼の語り口に真実性を疑うことなく、黙々としている。旧人から見た今の地球というのが、ぴしゃりと当てはまっているからだ。
「だからこそ、大事になってくるのは友達という存在です。人間は生きているだけで疲労し、バッシングを受け、死すら考えます。我々が一番大事にするべきなのは平等な命だと知りながら、苦痛に苛まれる」
 五界がいかに熾烈な欲の世界であるか。それは、生きていれば誰かが辿り着く悲劇的で、孤独な人間界の解釈だった。
「ただでさえ辛いのに、それ以上の苦しみを与えてどうするんだ。僕が言いたいのは一つだけです。友達を尊敬し、尊重してください。友達が苦しんでいれば、助けてあげてください。あなたにしかできないことをしてあげるのです。自分のことで精一杯だと思います、それは誰しも。だけど、人を助ければ恩は必ず自分に返ってくる。僕が約束します。だから、どうか。この話を覚えていてください」
 クラッセルが言葉を切ると、授業の終わりを告げるベルが鳴った。普段なら隣同士で喋り始める生徒達が、今は黙っていた。
 何気ない日常が変わった。俺じゃない、僕は知らない、私は何もしていない。彼らはそう言わんばかりの目で、クラッセルを見ている。日常からどこか別の異国へ連れて行かれて、自分が座っている椅子の色が分からなくなるほどの自問自答。
 ベルが鳴り終わって、クラッセルはこう言った。
「みんな、必要以上の苦しみを抱えて生きているのです。僕が一番よく分かっている。でも分かっているだけなんだ、僕は。本当の意味で助けてあげられるのは、友達の笑顔を知っている君だけです――授業は終わりです。何か分からないことがあれば、僕の所に質問に来てください。じゃあ、また明日」
 普通なら、クラッセルは授業後も教室に残っているというのに、今日は足早に教室を後にした。
 彼を悩ませる何かがあったのだ。原因はこのクラスにあって、彼だけでは対処がしきれないのだろう。静流は最初、ニムロドのことかと思った。ディーグも脳裏に現れた。だが、どれも不適当だと感じてならない。静流の知らない何か、別のことがこの教室で起こっているのだろうか。
 首筋までの短いツインテールの女性が無言で立ち上がり、鞄を持って教室を出て行った。彼女を筆頭に、ひそひそ話が立ち込める。
 気付いたことがある。クラスにある多くの視線が、フェンを見ていた。
 フェンは机の上に出しっぱなしにしていたノートを鞄に入れて背負うと、真っ先に静流の椅子まで歩きだした。
「今日はニムロドの作戦会議はするの?」
「しない。別の案件をやる。俺は大忙しでな」
 教室の中は余韻が残っていて、まだ騒々しくはならなかった。静かな空間を作ってくれたクラッセルに感謝したいところだったが、静流は教室内を見渡して新たな違和感に気付いた。
「リーンはどこだ」
「あれ、知らなかったんだ。リーンは、試合に負けちゃったよ。朝に先生が言ってたんだけど」
「そうか。聞いてなかった」
 一番最初に話しかけてきた女性だ。顔はよく覚えている。それ以降話すことはなかったが、フェンとは仲が良かったはずだ。
 この世界では当たり前のように人間が消えていく。
「寂しくないのか。お前、仲良かっただろ」
「私は身体は強くないけどね。五界での有様はすごい酷かったからさ。いいんだ、慣れてるんだよ」
 そうして作ったフェンの笑みは、言葉とは裏の意味を持っていた。
「別れは慣れない。だから別れを題材にした映画とか小説はよく作られるし、人はずっとそういう物を見続ける」
「慣れてるよ」
「自分の感情を無視してまでその辛さに慣れようとしているなら、やめとけ。賢くない。それよりもノートとか、紙に自分の本心を書き綴るんだな。誰か本音を言える相手にぶちまけるのでもいい。その言葉ごと、リーンを弔ってやれ」
 昨日まで自分の隣で笑っていた人間が、明日には二度と笑えなくなっていたという話はここに限ったわけではない。静流も多くの別れを経験した。マッケローがそうだし、レオナルドもそうだった。別れはいつの時代も、いつの季節も辛さを送り届けてきた。
 慣れればかっこうがつくのだろう。
「どうして負けたのが私じゃないんだろうって、思わないこともないよ」
「――そうか」
「だからさ、これから家に帰って泣こうと思う。本当は秘密にするつもりだったんだけど。ごめんね、慣れてるって言ったのは嘘」
「嘘つきだな、お前は」
 静流は立ち上がって、ゆっくりとフェンを抱き寄せた。
「悲しいよな、分かるよ。本当に――悲しいよな」
「待って、待って。今ここでは泣きたくないから」
 フェンは両手で静流の胸を押して離れると、笑いながら涙をこぼして、走って教室を出て行った。
(悪い事したなあ、相棒)
 静流の中で、フェンへの感情が変わり始めていることに彼自身は気付いていた。無関心から友達へ、友達から親友へ。
 守りたいと思っていた。彼女とは生きている世界が違うし、傲慢な考えだろうとは知りつつも。彼女は明日居なくなるかもしれないし、自分がいなくなるかもしれない。また美咲の時のように、約束を破った時のように。
(なあ、一つだけ聞かせてくれ。フェンに対するこの感情は、間違っているのか)
(人間が持つべき正しい感情だと思うぜ。彼女は、お前と違って強い女だ。お前は打たれ弱い、ヘタレ)
(言ってくれるじゃねえか)
(たかが美咲が他の男と寝て、一緒に暮らしてるだけだろ。そんなメソメソすんなよ。お前はもう死んでるんだ、美咲の中では。死んだ後も思い続けていてほしかったってか。それは、怠慢だ)
(そうは思っちゃいない)
 静流は反論したが、自信がなかった。彼の自信の無さを知って、相棒も黙っていた。
 出来損ないの孤独感に酔うよりは、できることをするべきだ。静流は午前中の考えの中にあった一つの可能性を掘り出してみることにした。静流はラウレンスの座っている席まで向かった。
 ラウレンスは数日前に、話しかけてきた男だ。六龍という名前を知っている、マフィアの一派。ディーグを打ち倒すために強くなりたいと言っていた。彼は席で分厚い緑色の本を読んでいて、静流は背中に声をかけた。
「まだ俺に、稽古をつけてほしいと思っているか」
 黒い髪を揺らしたラウレンスは振り返って立ち上がると、静かに頷いた。
「なら、条件がある。それを飲むなら稽古をつけてやってもいい」
「なんなりと。どのような条件でも飲みますよ」
 静流は周囲が騒がしくなってきたことを切っ掛けに、ミオンとサジュのことを話し始めた。周囲の人間は興味がある素振りを見せず、自分たちの会話に集中していた。これだけたくさんの言葉が行き交いしていれば、この小さな話も漏れだす心配はないだろう。
「六龍様の要件は、非常に分かりやすく明瞭です。私のすべきことも、大雑把ですが分かり始めました。しかし、私がデチュラ様に気に入っていただけるかどうか」
「その点は俺が何とかする。手伝ってくれるな」
「皆様さえよければ」
 いたって簡単な私情だ。アルカディアから人間を誘拐するだけでいいのだから。命に関わるとは言い切れない。万が一が起きても、自分の命を差し出そうと静流は考えていた。ディーグを相手にするのとは違う。
 デチュラも仲間についてくれるとホロエから聞いた。力は圧倒的に静流が優位に立っていた。
「そういや聞いてなかったが、お前はディーグに何をされたんだ」
「私の話など些細なことですが、時が来たらお話しましょう」
「そうか。じゃあそれまで、負けるなよ」
「ええ、必ず。生き延びてみせますよ、しぶとく」
 彼は一礼すると席に座り、再び分厚い本に目を通し始めた。静流も文字を追ってみたが、小難しい物理の話だった。頭をこれ以上使いたくなかった静流にとっては災難であり、すぐに目を離すと彼も家路を歩くことにした。
 家に帰ると、まだニムロドの襲撃が後を引いているのだと知る。
 玄関に出迎えてきてくれたのはケビンだった。彼は玄関を開けるや否や、静流の腰に両手を巻き付けてきた。
「怪我はないの、大丈夫?」
 ニムロドにいつ殺されてもおかしくない。ケビンは物分かりがいいから、残酷なことまでよく分かっている。
「どこも痛くない。それよりミアンナは無事か。カミツナギや、ホロエ達は」
「皆大丈夫だよ。静流の心配をしてた。カミツナギさんは、町に出てニムロドってやつらのこと調べてくれてるんだって」
 奥からぞろぞろとミアンナやアイラ、ホロエが顔を出し始めた。思えば色とりどりの花が咲いていると静流は呑気に考えていたが、彼女らはきまって心配そうに物憂げな表情をしていた。ミアンナは走り出して、目の前にいるケビンごと静流に飛びついた。
「おい、ちょっと学校に行ってただけなのに大げさ過ぎるぞ」
「帰り道に襲われたりしたらどうしたのですか。私達はすっごく心配だったのです。本当は学校にさえ行ってほしくなかったのに」
「家に居っぱなしも良くないって言ったろ。向こうは猶予を与えたんだ。翌日すぐには来ないさ」
 本当に緊張すべきなのはもう少し時間が経ってからだろう。ニムロドが気まぐれの集団ならば話は違うにしろ、ミアンナ家の全員は大袈裟過ぎだった。
 静流は、自分自身が飼い犬だと分かっている。飼い犬なのだから、程々の愛情でいいのだ。明日違う犬がやってきて突然サヨナラと言われても文句の一つも言わない。そういう存在なのだと自覚していた。
 だが、近頃のミアンナの様子から少し自覚を改めなければならないのかと思い始めた。旧人と人間が恋をする話をディーグはしていた。旧人も元はと言えば人間なのだ。見た目も大差ない。
 ミアンナのように人間に情を与え過ぎる旧人は、他にモモイがいた。彼女は悲惨な結末を持って三界から去っていった。
 少し照れ臭くなった静流は、小さな力でミアンナとケビンの手から逃れた。
「俺はニムロドに負けない。あんな三流に負けるようじゃ、六龍は名乗れないからな」
「シズル、彼らを甘くみてはいけません。暗殺集団なのですよ。裏ではディーグが動かしてる可能性だってあるのです。そんな油断してたら、死んじゃいます」
「油断するのは俺じゃない」
 ニムロドについて有益な情報を持ってくるのかは不明だが、カミツナギの情報収集力に一ミリほどの期待を託すことにして、静流はトレーニングに励むことにした。明日の夜には試合が待っている。
 今ここで負ける訳にはいかない戦いだ。必ず、勝つべき相手だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み