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文字数 5,892文字

 十分な眠りをとりすぎて、体力の回復どころか体中の怠さを感じ、静流は布団を払って起き上がった。二日酔いでもないというのに頭に金属バットを叩きつけられているような痛みが継続的に続く中で朝の支度を終わらした彼は、朝食前の鍛錬を始めた。
 いつものように、イメージトレーニングだ。
 新たに開発した狼の型は、レオナルドを倒すには至ったが、まだ荒くて未完成なのだ。改善の余地は大いにある。前回の戦いでは無駄な動きが多い。基本的な動作を心掛けた分、応用には欠けていた。
 イメージでレオナルドを思い浮かべ、静流は狼の型を鍛えた。
 休憩を挟みながら三時間の訓練を終えた静流は、すっかり頭痛は消え去り、自室のシャワー室で汗を流した。静流がシャワー室から出て、服を着る頃合いを見計らってホグウが扉をノックした。
「シズル、朝食の時間です。食べられますか?」
「すぐに行く」
「かしこまりました。昨日は少なくないダメージを受けたのですから、あまり無理はなさらずに。では」
 ホグウの足音は遠くに去っていった。
 闘技場に必要な駒だからとはいえ、ここまで優しくされることは、むしろ理不尽ではないかと静流は感じていた。傷が合って、手当をするところまでは分かる。早く傷を治して戦いに駆り出すためだ。だが褒賞が与えられたり、ホグウやミアンナに変に気を遣われることは慣れないのだ。
 彼らにとっては所詮、使い捨ての駒に過ぎないというのだから、優しい待遇は不必要なはずだった。物事を穿(うが)って見れば、なんらかの罠が仕掛けられているとも見えようが、憶測の域は出なかった。だからといって、彼らの気遣いに気持ち悪さを感じることもなく、ただ静流は、掴みどころのない状態に置かれている気分なのだ。
 自室から出て、リビングまでの階段を下りることにした。赤い絨毯の敷かれたオールド・ファッションな階段だ。ニスが塗られたような、てかった材質の木材で、横幅は人が二人通ればいっぱいになる。
 一階に降りた静流は、道に沿ってリビングまで歩き続けた。途中に窓はなく、白い花の咲いた花瓶が規則的に並んでいるだけだった。いつも花瓶の水は変わっていている。
 リビングの扉を開け、自分の席に座ろうとした静流は、立ち止まって見知らぬ二人の少女の顔を見た。
「おはようございます、シズル。今日はお客さんが来てますよ」
 既に朝食は始まっている。長テーブルの上にはパンやスクランブルエッグの乗った大皿が置いてあり、右側の椅子にはミアンナとケビン、アイラが並んで座っている。三人は大きなおむすびを食べていた。それも、一つのおにぎりを三人で順番に食べているのだ。ミアンナが食べたらケビンへ、ケビンが食べたらアイラへ。その食べ方もおかしなものだが、静流は客人と呼ばれた二人の少女に目がいった。
 二つの眼帯で目を覆っている少女と、サングラスをかけて偉そうに足を組む少女の姿だ。
「ふうん、この子が例のシズルね。強いんだってね」
「ええ、シズルは強くて立派で頼りになる人間なのです」
 椅子は埋まっていて、自分の座る席がなかったが、ホグウはサングラスをかけた少女の隣に椅子を用意した。得体の知れない相手の隣に座るのは気が滅入る。
 とはいえ座る場所もないから彼女の隣に座ったが、微動だにせずパンを齧っていた。小さい身体だというのに、何者も寄せ付けない、一風変わった威厳を醸し出している。
「なァ、お前はどこの国のモンだ」
 パンを齧りながら、やや渋みのある少女の声で彼女は言った。
「生まれも育ちもロシアだ。親は二人とも日本人だから、俺の名前も日本カブレってところだ」
「気が合うねェ、ウチも親が日本人なんだよ。お前と違って日本で育ったがなァ。ヤクザの娘としてよ」
「ピッタリだな――って、お前もしかして人間なのか?」
「おう悪いか」
 見た目の幼さとは裏腹に、壮絶な過去が眠っていそうでもあった。
 特に語ることもなく静流はパンに齧りつき、ミアンナと客人の談笑に耳を傾けていると、パンを口に頬張った彼女はこう言った。
「男も女も、人間ってのは揃いも揃ってマヌケばかりだぜ、アホくさ。お前もそう思うだろ」
 見た目の幼さとは裏腹に――いや、幼さとは時に大人の想像しない極端な思考を持つものであることを思い出させた。さりとてパンは美味しく、ガーリックのテイストが効いていた。おそらくミアンナがレシピ本のとおりに作ったのだろう。
「人間はマヌケなくらいがちょうどいい」
「人間らしいってやつか。じゃあこの話を聞いてどう思う。ウチの両親はヤクザだった。姉御と呼ばれたママ、組長と呼ばれたパパ。ここまでは良かったんだが、二人とも入っている組が違った。しかも敵対してる組だ。なのにパパときやがったら、ウチを産みやがった! で、最後にどうなったと思う」
「あんたが殺されでもしたか」
「ウチじゃない」
 次に彼女は皿の上に乗ったレタスのようなものを、草食動物のように音を立てながら貪り始めた。
「ママとパパは死んだ」
 日本の裏社会事情も、自分のいた属と大して変わらないと考えた時に、彼女はとんでもない真実を告げた。
 一瞬、耳を疑った。
「ウチが殺した」
 サングラス越しに見える彼女の瞳は、世界を憎んでいるようにさえ感じた。
「殺す理由がねえだろ」
「あるだろ。お前には分かんねぇかもしれねぇが、ウチにはあったんだよ」
 幼い頃、父と母はかけがえのない存在だったはずだ。時に腹も立つし、いなくなってしまえばいいと感じることさえあるだろうが、子供が欲するのは親からの愛情だった。いったい、何が彼女を歪ませてしまったのだろうか。
 理由を尋ねようとしたところで、ミアンナが「わっ」と声をあげて、場の空気が一転した。
 ミアンナは、客人に腕を掴まれていたのだ。双子ですら、目を丸くして客人に目を向けている。おむすびは既に、食べ終えたようだった。
「何をするのですか」
「ちょっとこっちにおいで。今から遊びましょ。今日は何をしようか、考えるだけでもワクワクするわね」
「少し待ってください、デチュラ。私は別に遊ぼうなどと考えているわけでは」
 明らかにミアンナは嫌がっていた。デチュラと呼ばれた少女はそれでも構わずに、ミアンナの腕を引っ張っている。そして、顔を引き寄せてミアンナの耳を唇で挟んだ。挟みながら、デチュラはこう言った。
「ねえ、あんまり調子に乗らないことね。アンタはニーヴェル。私はフロメスト。アンタに拒む権利なんてないのよ」
 忍耐するように、ミアンナは顔を引き締めていた。
「おい、あんた」
 誰も口を挟まなかった二人の間に、静流は割って入った。彼は食べかけのパンを机の上に置き立ち上がろうとして、隣にいる少女に制された。
「姉御の好きにさせなァ。あんたの主を悪いようにはしねェよ」
「明らかに嫌がってんだろ。ミアンナも、嫌なら嫌って言え。周りも黙り過ぎだ。ホグウ、お前も黙って突っ立ってるのが仕事じゃないだろ。執事なら、主を助けてやれよ」
「シズル様、そのお言葉は、あまりにも失言が過ぎるものと、お気付きになってください」
 弱々しくホグウが言った。何か間違ったことを言っているかと静流が周囲を見渡そうとした時、脇腹に強烈な拳を食らい、地面に横たわった。
「よくやった、紗季。それでこそ私の玩具だよ」
 地面にのたうち回りながら、ようやく少女の名前が知れたと無関係なことを思いながら、静流は何とか立ち上がろうとした。だが、怪我が治りきっていない中での打撃は想像を超えて深手となり、立ち上がれなかった。
 紗季は椅子から立ち上がり、静流の横であぐらをかき、耳元でこう言った。
「姉御を怒らせない方がいい。今のはあんたを助けてやったと思ってくれよ」
「でも、ミアンナを、見放せるかよ」
「さっきも言ったろ。ウチの主は悪いようにはしねえって。ミアンナの姉ちゃんは確かに嫌そうにしてたけど、姉御は嫌われるようなことはしねえんだ。だから安心しろ。一緒にパンでも食おうぜ」
「お前、加減を知れ、本気で」
 とうていパンが食べられるような状況ではなく、彼はしばらく悶絶していた。
 ホグウが背中を擦ってくれる中、ようやく立ち上がった静流は、朝食の気分にもならず自室に戻ることにした。ミアンナとデチュラは既に席を外していて、家の外に出て行った。どこにいくかも告げずにだ。
 紗季はもうしばらくリビングにいるようだ。歳が近いからか、双子と話している声が最後に聞こえてきた。
 自室に戻った静流は、ベッドに横になった。しばらくはトレーニングは最小限に抑えて、怪我の回復に精を出すことが優先的だろう。
 しばらくして、ホグウが部屋の扉をノックした。朝食の後片付け等が終わったのだろう。
 静流が入れと言えば、すぐにホグウは部屋の敷居を跨いだ。
「先ほどは無礼な物言いを申し訳ございませんでした、シズル」
「何か言ったっけか、忘れた」
 とぼけるように言ってから、シズルは言葉を続けた。
「デチュラってやつ、相当なお偉いさんなんだな」
「ええ。ほとんどの民はデチュラ様に逆らえないでしょう。それもそのはずです。この国では、百戦以上勝ち抜いてきた戦士を保有している住民にはフロメストという地位が与えられます。今はフロメストの人口が激減していて、唯一デチュラ様が生き残っているのです」
「あの子供が、百戦も? どんな魔法を使ってるんだろうな。相手をカエルにする魔法とか」
「シズル、意外とメルヘンチックな趣味をお持ちで」
「冗談にきまってんだろ、分かれよ」
 ほんのりと体温が上昇し、怪我の回復どころではなくなった静流は、身体を横向きにしてホグウに向いた。
「それは気付きませんでした。ですが、相手を蛙にする魔法は存在せず、紗季さんは実力だけで来ていると聞きますよ。人間の頃から、どうやら特殊な能力を持っていたみたいで」
「超能力か」
「うーん、人によってはそうも見えてしまうのですよ。なんていったって、紗季さんは慧眼の天才なのです。物事の三手先を常に読むのですから。相手が次にどう動くのかを視ているのです。百発百中なのが怖いところで、更にあのサングラスにも秘密があります。あのサングラスは人体をサーモセンサーのように見ることができ、更に弱点の正確な位置を割り出すのです。例えば、相手が鎧といった武装をしてきた場合にどの部分に脆弱性があるのかをすぐに割り出し、攻撃するのです」
 正確に怪我の部位に拳を叩きこんできた理由が知れて静流は納得したが、黙らせるためであれば傷口をえぐる方法以外に思い浮かばなかったものかと考えざるをえない。例えば椅子を蹴るだけでもよかったはずだ。
「あいつとは戦いたくねえな」
「大丈夫ですよ、シズル。フロメストの地位になれば、同格以上との戦いでなければなりません。ですから、対戦相手になることは暫くないでしょう。もっとも、ミアンナ様がフロメストになれば、紗季さんの相手をするかもしれませんが」
「冗談じゃねえよ。いくら相手が強いとはいえガキだ。銃で撃つ気分にはならないな」
「そう仰る気持ちも分かりますよ。ああそうだ、シズル。実はミアンナ様から伝言も預かっているのです。明日の夜二十七時から試合があるそうですよ」
 早いスパンとはいえ、まだ休息の時間は有り余っている。サプリと酒を飲んでいれば、痛みを忘れるくらいにはなるだろう。
「なあホグウ、いつまで戦いを続ければいいんだ。まさか、永遠になんて言わねえよな」
「私には分かりかねます。ですが、どんな物事にも永遠は存在しません。更に言うなれば、シズルがミアンナ様に忠を尽くしている間は、戦いは続くでしょう」
 忠を尽くす。生きている間にさんざん聞いた言葉だ。飽きるほどだった。
 義理堅い静流は、主のためなら任務の是非は問わなかった。誰彼構わず命を奪ったほどだ。ある時、自分の仕事に突然嫌気がさしてから、殺しは一切しなくなった。
「俺はどうすればいいのか分かんなくなってきたんだ」
 中途半端な心情だった。ミアンナに尽くす忠義と、先の見えない絶望がミルクティーのように混ざりあっていて、どちらも溶けずにいる。ミルクは色を付けるが、甘くはならない。砂糖は甘くなるが、色はつけない。
 このまま戦いを続ければ、紗季のように小さい子供さえ殺めなくてはならないかもしれない。
 生前にどんな罪を負っていようとも、相手は人間だ。本来ならばこの世界で協力し合わなければならない仲間なのだ。
 未来に目をむけると、静流の心はずんと重くなった。憂鬱さえ、手に余るほどだった。
「シズル、悩んでください。貴方の悩みは、真っ当なものです。それは人間であることの唯一の証拠。悩んで、悩みぬいて、シズルが決めるのです」
 二人の視線が重なった。そしてホグウは、笑顔でこう言い切った。
「どちらの道を選ぼうとも、シズルは後悔をするのでしょう。ならば、シズルが一番大切な物を守って後悔をしたほうが、明日飲むお酒はちょっと美味しくなりますよ」
 言葉の慇懃さを少し崩してホグウは言った。おかげで堅苦しい束縛の念が解かれたような気がした。
 なるほど確かに、酒が美味ければいくら後悔してもいいのだろう。不味い酒は、この世のどんな料理よりも最低な味を出すからだ。
 だが面白い話もある。涙が溢れるほどに、もし人生という生き物がいるならば、その生き物の頭に銃を向けてすぐにトリガーを引いてくれてやるような夜でも、酒は美味しいのだ。不味い日はとことん不味いというのに。
 この違いを、静流はまだ分からなかった。
「ありがとな、ホグウ。明日も頑張る」
「ええ。応援してますよ。今日はゆっくり休んでいてください」
 静流は反対側に身体を向けた。少しして、ホグウが外に出ていった。
 ゆっくり休めとはいうが、じっと布団の中で過ごすのも退屈だ。静流は起き上がって、冷蔵庫の中から酒瓶を取り出し、蓋を開けて喉を焼いた。
 明日に備えて酔うのだ。睡眠の質は浅くなるが、大した問題ではない。夢を見やすくなるから、むしろいい傾向だ。夢の中でトレーニングをするのである。狼の型を一日でも早く仕上げなければならないのだ。
 レオナルドには通用したが、次に来る敵に通用するとは限らない。
 酒を飲みながら目を瞑っている間にも、静流は考えた。この世界で、どう生きるべきか。ミアンナに尽くすべきか。
 瓶を一本空けたくらいで、一つ思い出したことがある。ホグウが静流に苦言を呈した時だ。静流が、ミアンナを守ろうと立ち上がった時だ。
 ホグウは少しだけ、嬉しそうな表情を浮かべていたような気がした。
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