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文字数 5,308文字

 戦いを終えた後、休息をする時間を設けてから学校に出向いた。個々の技能を計る時間はまだ続いていて、身長と体重。武器の専攻。静流含めて他の人々には理解し難い内容となっていたが、エーテル係数の算出。これは白衣を着た医師の前で全裸になり、脈を計るように指を当てられるといった項目だった。
 技能調査は終われば、教室に戻って全員が戻ってくるまで待機だ。静流は十八番目に教室に戻っていて、見知った顔はクラスの中になかった。他の面々は早速友達ごっこをしている者や、読書に耽る者、机に突っ伏す者と様々であり、静流は机上に足を乗せて、椅子に背中を預けて目を瞑った。
 ベルとの戦いを思い出している。人間とは目を瞑ったら、泉のように考え事が溢れてくるものだ。瞑想とは簡単そうに思えて、まったく素人ではできそうにない。蒙昧(もうまい)な狩人達が、こぞって脳みそに矢を放つようであり、厄介なものだ。かつて仏陀はそれらを悪魔と称したほどなのだから。
 ベルの問いには答えていなかった。心臓を貫かれた時の痛みと、大事なものを失った時の痛み。どちらが苦痛か。正解ははない。比較すべきではないのだ。心臓の痛みは肉体的な痛み、喪失は精神的な痛み。どちらも最上級の苦痛を味わうことになる。
 そして静流は、同時に二つの苦痛を味わったのだ。同じ瞬間に。
(でも悔やんでねえんだろ)
 考え事は相棒にも聞かれている。当然だ、彼は脳の中に住み着いているのだから。
(ミサキを愛さなかった人生より、愛した人生は色合いが豊かだ。血の赤い色で空を染め上げるよりもな)
(俺は死を恐れなかった。だが、ミサキに会ってから死を恐れた。だから死んだ)
(そんな方程式ねえよ。お前が死んだのは、死を恐れたからじゃない。ミサキを守りたかったからだろ)
 レオナルドに、美咲を守って死んだのかと問われた時にはそうだと即答したが、今になってそれが正しい答えだったのか、分からずにいる。相棒を信じるならば正しいのだろうが。
 思考の泉は、次々と溢れ出てくる。美咲との思い出だった。
 美咲との出会いは、突然だった。ある日組織から男を殺害するように命じられた。男は製薬会社の動物実験施設の施設長で、未納金のトラブルでマフィアと揉め、逃亡したというのだ。静流はいつも通り仕事に取り掛かり、慣れないスマートフォンを使いながら、オランダにある彼の豪邸に押し掛けた。中はもぬけの殻だったが、逃亡生活に不慣れだったのだろう、郵便受けに次の住所が記された引っ越し用の書類が投函されていたのだ。
 後になって、この書類が彼の妻の工作であると知る。
 住所を調べる手間が省けて静流は家に押し掛けた。家はスイスのインターラーケンにあり、ユングフラウ山付近にポツンと立っていた。一階建て木造建築の、時代遅れの過ぎる建物だった。畜産農家をする予定だったのだろう、牛や豚といった動物のいる農場を抜け、静流は単独で家に押し入った。そして、ルダンという名前の男を殺した。
 妻は日本人で、名前を杏子(きょうこ)といった。美咲は、二人の間の子供だった。
 夜中に忍び込んだ静流は、音もなくルダンを殺害して五つの弾丸を叩きこんだ。サイレンサーが付いていたから他の家人を起こすこともなく家を出ようとすれば、玄関に二十歳ほどの女性が立っていた。彼女こそ美咲だったのだが、最初は鍬を手に静流に飛び掛かってきたのだ。
 女性に手を出せなかった静流は一方的に蹴られ続け、やがて美咲に力が無くなってくると今度は机の上に置いてあった花瓶を静流に叩きつけた。割れた瓶で出血した静流は、死に時を見計らうことにした。父親を殺された復讐で娘に殺される。悪い幕を下ろし方ではないと思っていると、杏子の怒号が飛び交った。
 衝撃の事実が告げられる。美咲は、望んで生まれた子ではなかったというのだ。オランダ旅行中に杏子はルダンの悪友グループに強姦され、強引に産むことになったのだと。杏子は復讐の時期をずっと待っていた。彼がマフィアの組織と癒着があることを知った時に、この計画を思いついたのだという。
 真実を耳にした美咲は花瓶のガラスを杏子に投げ、家を飛び出した。静流は美咲の後を追いかけ、力なく道に膝をついていた彼女を後ろから介抱した。彼女はしきりに、家に帰りたくないと口にしていた。お前の家は一つしかないと告げても、彼女は家にいたら杏子を殺してしまうと、自分を恐れていた。
 問答の猶予はなく、静流は美咲に麻酔銃を撃ち、スイスのホテルまで連れていくことにした。その日から、美咲は一生自分の家には帰らなくなったのだ。
 望んで産まれなかった子供。美咲以外にも、言われる子供は多い。誰もが等しく、誕生を祝われるべきだというのに。
 ぼうっと頭のアルバムを捲っていたら、静流の肩を誰かが叩いた。目を開けた静流は、隣に立っていた男を見上げた。彼は黒い髪をした白人で、前髪を後ろに持ち上げて全体的に後ろに髪を反らせている。オールバックではなく、少し中途半端な仕上がりに思えた。
「私の名前は、ラウレンス。あなたはシズルといいましたか。僕に、あなたの技術を享受願いたく、参じました」
 透明感のある、声優のような声で彼は言った。
「俺はそんなに暇じゃない。先生役なら、他の生徒に頼むんだな。トッサムだかトッシムだか名前忘れたが、アイツもそこそこ強かったぞ」
「僕はあなたに、お願いをしています。報酬は、守吟神が出します」
「買い被りすぎだ。俺はブルース・リーのように拳法を創り出すことはできない。それに感覚で戦ってるから、教え方も知らん」
「では、どのようにすればあなたの境地を辿れるか、手法だけでも。シズル――いえ、六龍」
 六龍という言葉を彼は強調した。ラウレンスはその場でしゃがみ、片方の膝を地面につけた。静流の目線も、彼と同等の位置にあった。
「俺のことを調べたのか」
「五界にいた頃にあなたを知りました。私はマフィアの一派です。素性は明かせませんが。裏社会に生きる者なら、ほとんどがあなたの名前を知っていますよ」
「この世界に来たってことは、お前も一般人じゃないってことだ。戦いの心得ならあるはずだろう。今更俺が、何を教えっていうんだよ」
「生存の技術。あなたの伝説は耳にしています。銃も持たず、その場に落ちていた石ころ一つで五人を気絶させたとか。しかも場所は暗い公園。その話を聞いた時、私はあなたに憧れを抱いた。強い男になりたいと」
 誰もが強さを求める。三界のこの国においては、強さこそが力であるからだろう。くだらないと、静流は一蹴した。
 教室にフェンが入ってきた。後ろめたい表情をして、静流と一秒も経たない時間で目を合わせ、そそくさと自分の席に戻った。何人かの男が嘲笑するような目で彼女を見ている。以前の組手が、彼女の印象として全員の心に根付いている。
 よそ見をしていると、ラウレンスは静流を呼び戻すようにこう言った。
「五界での死は、私を蝕みました。弱さという呪いが、付きまとうのです。時折で構いません。共に道場で拳を打ち付けあってはもらえませんか」
「なぜ強くなりたい。言ってみろ」
「ディーグという男に、罰を与えるためです」
 志を同じくした男が目の前にいることに、静流は驚くべきか悩んだ。思えば、ディーグは恨みを買いやすい男だろう。暴力的で、独裁的な男だ。
 同類を味方につけるのは、悪い選択肢ではない。仲間は一人でも多いと良い。足手まといにならなければ。
 即答できないのは、彼の中にある責任感が働いているからだ。ラウレンスをディーグを打ち倒すための仲間にすればこれからの行動は容易くなるが、まだラウレンスとは会って十分も経っていないし、何より協力関係を結べるかは決まってはいないのだ。
 関係を結んだところで、計画が失敗すれば二人とも七界に送られてしまうのだろう。計画の巻き添えはいらない。失敗した時の代償は、自分一人だけで良いのだ。
「少し考えさせてくれ。今すぐには頷けない」
「ええ、分かりました。お待ちしておりますので、いつでもお声かけくださればと」
 くるりと彼は踵を返して、反対側の座席に着席した。机の上には分厚い本が置かれていて、彼は紐の栞から続きを読み始めた。
 登校してから三時間は過ぎ、全員が教室に戻ってくるとクラッセルは項目は全て終了したことを告げ、今日の分が終わったと言った。生徒達は散り散りに教室を出始める。友達と街歩きを計画する声や、道場で組手を誘う声が飛び交う。
 周りを見ても、既にフェンの姿はなかった。一足早く教室を出ていってしまったのだろう。リーンの姿も無かった。
 すぐに帰ることもできたが、静流は真っ先にクラッセルの所へ向かった。彼は教卓の前で、束になった資料を捲っていた。
「一つ聞きたいことがある」
 横から静流の声が聞こえて、クラッセルは笑みを向けた。
「どうしたんだい」
「ディーグってやつのこと、何か知らないか。知ってることはなんでもいいんだが」
 名前を口にすると、クラッセルは表情を崩さずにこう答えた。
「グノーシスコンツェルンっていう親会社の主席審問官のことだね」
「その、覚えにくい名前の会社はどんなことをしてるんだ」
「親会社が主に行っている事業は、君にも(ゆかり)のあることだよ。地獄に流されるはずだった人間を、この世界に引き入れる仕事。ディーグは権力があって、彼の声一つで人間が三界に来るか、あるべき場所に流されるか決まるんだ。もちろん、ディーグの他にも主席審問官はいて、その中の一人ってだけに過ぎないんだけど」
 ホリエナという国の、やや偉い立場にいる男だ。だからといって、横暴がありふれているというのは許容できるのだろうか?
 五界が人間に対して乱暴的になる理由は理解できるのだ。旧人も元は人間であるとミアンナは語っていたが、今の堕落した人間達を見れば旧人もさぞガッカリとするだろう。とはいえ、古代に生きていた人間達も戦争には事欠かなかっただろうが、今の荒んだ世界よりはマシなのだろうと静流は思っている。
 それに、五界において人間は異端者だ。だが、旧人が旧人に対して乱暴を行うのは良いこととは言えない。国が黙認しているというならば、ホリエナを根本から覆さなければならないのだ。地位や人的優位というものを捨てさせる。
「それより、シズル。君はクラスの中でも突飛した能力を秘めているよ。君くらいの武術の達人ならば、学校に入る必要すら無かったと思うんだけど、どうして入学を決めたんだろう」
「気まぐれだ。初心に帰るのも大事だからな」
「達人だからこそ、入学を決めたんだね。君とは長い付き合いになりそうだ」
 クラッセルは突然、笑みを殺してこう言った。
「その考えは捨てなさい」
 彼は人の心を読む能力があると言っていた。ディーグへの復讐も読まれてしまった。
「ここは、本来なら人間が来ていい場所ではありません。旧人が招いて、ようやく来られるようになった世界なのです。一人の人間が、常識を覆す。ましてやディーグに罰を与えようなど、考える時間さえ時間の無駄といっても過言じゃありません。歯向かったが最後、僕は君に二度と会えなくなるんですから」
 五界にいた頃は、見たこともない表情だった。目は真っすぐと静流を見ていて、綻んでいるとも、きつく結ばれているとも言える唇。そこに映し出される感情は慈しみとも呼べた。
「今まで、君のように旧人に歯向かった人間は何人もいたよ。けれど結末はいつも同じだった。五界では英雄と呼ばれた男も、三界ではただの人間に過ぎないことを知る」
「俺は旧人が嫌いなわけじゃない。奴が嫌いなだけだ」
「歯向かっていい理由にはならない。元々、君はここには送られてこなかった。三食の美味しいご飯も、風呂もない。ここに送られてきたことは、本来であれば喜ぶべきことなんだよ」
「俺は望んでこっちに来てない。地獄行の電車に乗り込んだはずだ。勝手に連れてこられて、勝手に主を辱められたんだ」
 弱ったような顔を見せたクラッセルは、空いた両手で静流の手を包んだ。
「痛いほど、気持ちが伝わってくる。本当に苦しんでいることまで。でも今は辛抱してほしい。恒常的な世界はどこにもない。ディーグだってずっと同じ権力を持っているわけじゃない。その時まで耐えてほしい、その怒りを鎮めてほしい」
 どの世界にも永遠という言葉は存在しなかった。ただ文字があるだけで、概念があるというだけで。雨が降っては止むという、簡単な話だ。
 だが静流は頷かなかった。クラッセルの手をほどいて、こう言った。
「ディーグを生んだのはこの世界だ。ならば、世界を根本的に変えるためにディーグを罰する。奴は、喧嘩を売る相手を間違えた」
 旧人と人間。関係のない話だ。人間よりも強い存在なのだろうが、誰も勝てないとは言っていない。クラッセルは最早、静流を止めようともせず教室を出る彼の背中を目で追っていた。心配そうに、眉を斜めにしていた。
 負ければ負けたで良い。一人で七界に行くだけだ。勝つに越したことはないが。
 六龍として、最大の仕事になるだろう。静流は様々な覚悟を心に置いていた。
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