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文字数 6,348文字

 日本刀の扱いは想像よりも厳しさの勝る世界だった。何より見た目よりも重量があるのだ。カラエナは子供の持つ玩具のように華麗に振り回していたが、同じように使いこなすのはほぼ無理だろう。この世界で三ヶ月は鍛錬すれば重さも気にならなくなってくるのだろうが、その間に負けてしまえば元も子もない。
 もしくは、白梅雨に嫌われているのかもしれないと、静流は考えざるをえなかった。長い間この刀はカラエナに仕えていたのだ。主が突然変わって嫌なのだろうか。
 右手を上にして両手で柄を握り、足を前後に開いて腰を落とし、柄を顔の前に持ってきて刃は天井を向いている。その状態で静流は前足を踏み出し、上から下へ斬りつける。静流は何度か同じ動作を行ってから、次に下から上へ斬り上げる動作を続けた。原始的な鍛錬方法だが、基礎を固めるには一番近道だった。
 鍛錬中に扉がノックも無しに開かれ、アイラが部屋に姿を見せた。
「シズル、あなたの連れてきた子が起きたわ!」
 鍛錬の動きを止めず、静流は答えた。
「そうか、よかったな。帰れるようになったら、帰ってもらえ」
「会いに行かないの?」
「見ての通り忙しいんでな。見ず知らずの他人に構ってられる余裕は、ないんだよ」
 斬り上げる動作は腹筋を使う。腰を回す時に意識するからだ。日本刀の重さに慣れていないから、正拳突きよりも身体にかかる負担が大きい。
「もしかして、あの子のこと気になってるの?」
「一応聞いてやるが、どうしてそう思った」
「せっかく助けてあげたのに会いに行かないなんて、照れてるからに決まってるじゃない。照れるっていうことは、気になってる証よ」
 日本刀を手元の木製机の上に置き、タオルで汗を拭きながら静流はコップの水を一度に飲み干した。
「あ、終わったのね。じゃあ一緒に行きましょ」
「疲れたから遠慮しとく」
 言い訳ばかり作るのは、彼女に見せる顔の作り方が分からなかったからだ。軽はずみな一言が彼女を追い詰め、入学初日を最悪な一日に染め上げたことに罪の意識があった。まばらに座る生徒達から発せられる、彼女を嘲る言葉は今思い出しても身震いを起こすのだ。
 強者が弱者を貪るのは当然だ、静流が生きてきた人生もまさにその世界だった。だというのに、弱肉強食という世界にはウンザリしていた。
「本当に行きたくないのね。どうしたの、あの子が嫌いなの?」
「そこら辺は子供の想像力に任せる」
「うーん、分かった。じゃあ愛してるのね!」
「おい、おい。それは想像力を働かせすぎだ」
 突飛な思考回路に至った経緯を、黙することなくアイラはこう語った。
「シズルは恥ずかしがり屋だと思うの。だから、あの子を見たらドキドキするし言葉も話せなくなるから、会ったら大変なことに! 本当はおんぶしてきた時もドキドキしてた?」
「お前、もういいからお口にチャックしてろ」
 命令されたアイラは、自分の口を手で塞いだ。
「良い子だ。次に、身体をぐるっと回して開いている扉から外に出るんだ」
 手で口を覆ったまま、アイラは部屋から外に出ていった。扉を閉めなかったから、静流は立ち上がって扉をしめようと出入口に近付いた。
 廊下に、フェンが見えた。彼女はフードのついた水色の、柔らかそうな生地の服を着ていた。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
 アイラはフェンの横で、いまだに口で手を覆いながら突っ立っている。
「お前が巨漢だったら迷惑だったが、そんなにデカいわけでもないだろ。軽かったから簡単にここまで運べた、気にすんな」
「違います。弟子にしてほしいって言ったこと」
 目を丸くして、アイラの目は静流とフェンを行ったり来たりしていた。
「あれ、本当に迷惑でしたよね。ごめんなさい。シズルさんの言う通りですよ。責任感を、私が押し付けたようなものですから」
「分かればいい。じゃあもう、今後一切似たようなことは言わないよな」
「はい。ただ――友達になってくれません?」
 友達になったからといって、何が変わるのだ。
 明日いなくなるかもしれないのに、友達になって意味があるというのか。さんざん考えてきたことだ。ただ、彼女の目は切実に揺れていた。孤独という疫病神に支配され、友達を作らないと永遠の呪いをかけられてしまったかのようだった。
 静流は逆説を考えた。明日いなくなるのだったら、友達になっても面倒ではないだろう。
「俺は友達っていうのがよく分からない。毎日スマホで、夜更かしをして話すのが友達っていうのか、テレビゲームで一緒に盛り上がるのが友達なのか」
 夜更かしをして話すのは友達でなくてもできるし、テレビゲームなら誰とでも盛り上がるだろう。
「だからたまには、友達っていうのがなんなのか、知るのもいいかもしれないな」
 こうして、三界で初めての友達ができた。フェンという、同志の人間だ。師弟関係でないことは救いだが、どうも彼女は隅に置けないのだ。普段なら友達になろうと言われれば、他の人間ならば無言で扉を閉めるのだろうが。
 友達になってもいいと静流が言った時、今まで張りつめていたフェンの表情が弛緩した。そして、見たこともないような笑みを作って見せたのだ。
「ありがとう」
 もしかしたら、彼女は相当苦しんでいたのかもしれない。鼻を啜って、彼女は踵を返してどこかへ行ってしまった。アイラはその後ろを追いかけて、静流は扉を閉めて自室に戻った。
 彼女に向けられた罵詈雑言は、彼女自身の耳に届いていたのかもしれない。
 いつだって、組織の中の負け犬は辛い役回りを強いられる。ただ少し劣っているというだけで敗者という烙印を押され、周囲の人間に伝播すると、誰かが負け犬の手を取らない限り孤独になるのだ。静流は、元々負け犬になる素質がなかったから、常に上位を陣取り続けていた。少なくとも、殺しの世界では。

 傷を回復させるために眠りについていた静流は、誰か女性の声で起こされた。耳がはっきりしてくると、その声はミアンナだということが分かり、仰向けに寝ていた静流の腹の上で正座していた。
 何をどう言えば正解なのか静流には分からず目を細めながら沈黙していると、ミアンナがこう言った。
「次の戦いの日程が決まりました。明日の朝八時です」
「何してんだ、そこで」
 笑みを浮かべながら、ミアンナはこう答えた。
「ケビン達がいつもするように、私も座ってみているのです。まさか……重い?」
「あの二人に比べたらそりゃ重い。まあ、お前の奇行はさておき」
「奇行ってなんですか。コミュニケーションですよ」
「とにかく、今何時だ。昼なのか夜なのかもわからん」
 部屋の壁かけにある大きな時計に目を移したミアンナは、夜の七時十八分だと答えた。
 合計して三時間は昼寝をした計算になる。
「フェンは帰ったのか」
「ええ。彼女の主人が迎えにきました。なんだか、あの二人は複雑そうでしたね」
「校門で言い合ってたのを見た。仲が悪いんだな」
「そうみたいですね。ずっと愛想の良かったフェンが、彼に会ったとたん目を伏せて不機嫌になりましたから。まさか虐待を受けてるとか」
 従者を心配するような男に、虐待する根性はあるだろうか。
「俺には関係ない」
 頭の中で、彼女が生きている。時折寂しそうな表情もしながら、笑みを交えて。彼女には人知れない闇がある。闇をひた隠しにしているから誰にも気付かれず、誰も知る由もない。
 弟子にしてください。彼女を苦しめる何かが、そう言わせたのだろうか。
 身体が重く、腹は減っているが動く気力が全く起きない。体も修復中といったところだろう。
「じゃあ私は、晩御飯の用意に勤しんできます。今日はブロッコリーステーキの赤ワイン煮ですよ」
「ブロッコリーステーキ? 初めて聞く名前だな」
「おや、そうでしたか。いくつもの種類のステーキをブロッコリーのような形にしてグリルで焼くのですよ。形を整えるのは大変ですが、一度食べたら舌が踊るんですから、本当に」
 もっとも、彼女は料理が得意ではない。期待はせずに、静流は再び目を閉じた。ミアンナが遠ざかっていく音が聞こえて、やがてドアの開閉音。
 次の戦いから、超人が出てくるのだという。魔法使いや、超能力者を相手に、ミアンナが用意したのはベレッタ九〇-Twoとブローニングハイパワー。どちらも扱ったことのある品物だが、超能力者相手に銃は作用するのだろうか。
(ま、何とかなるさ相棒。人間が超人的な能力を持ったところで、上手に扱いこなせるのは一握りってところよ)
(っていうか、どうなってるんだ。魔法使いって実在するのか)
 はぐらかすような返事をして、相棒は黙った。
 戦うのは生身の人間のはずだ。今までもこれからも。五界で死んで、地獄に送られるはずだった人間なのだ。知らないだけで、五界には魔法使いが存在していたというのだろうか。その謎については、ミアンナに直接聞いてみる必要があるだろう。クラッセルでもいいかもしれない。どちらにせよ、今行うべきことは一つ。勝つことだ。
 三戦目までと比べて、勝ちにこだわる必要が出てきた。ここで負ければ、ディーグの泣きっ面を拝むことができないのだから。
 身体が重いから、目を瞑って考え事をしていれば自然と意識が朦朧としてきた。一度眠りについた後にすぐ目覚め、やがて静流はもう一度深い眠りに落ちた。
 その日はブロッコリーステーキを食べて満腹感を味わいながら、特訓して風呂に入って終えた。
 朝七時に起きると、双子がベッドの上に座っていた。
「おはよ、シズル。今日はワクワクの四戦目だね」
 ケビンが言った。朝食を食べたのだろう、唇にチョコレートがついている。静流は大きなあくびをして起き上がり、背伸びをした。
「負けても文句言うなよ」
 保険じみた態度とは変わって、静流の中には自信があった。超人的な動きをしてきたカラエナにすら勝てたのだから、今更どんな相手が出てこようが問題はない。相手の情報がないことこそ不安の種だが、相手も同じなのだ。
 六龍としてプライドがあった。
「まさか、文句言わないよ。でも僕は思うんだよ、シズルはまだ勝つって。だって、強いしさ」
「強くねえよ。俺より強いやつなんてごまんといる。だって、俺は孤独じゃねえしな」
「どういうこと?」
「本当に強いやつの側には誰も近寄らない。友達もできなければ、家族さえいない。どうしてか分かるか。本当に強い奴ってのは、つまらないからだ」
 娯楽を捨て、人情を捨て、自身の中の正義さえ壊す。口を閉ざし、誰にも仕えない。静流はその真逆を走っていた。酒を嗜み、愛を知り、正義に従う。
「でも、シズルは強いわ。私が知ってるもの」
 アイラは静流の伸びた足の上に座って言った。
「――いや、弱いよ、俺は」
 両手でアイラを退けた静流はベッドから起き上がり、朝の支度を終えて三人連れたってリビングに向かった。リビングでは、机に突っ伏したミアンナと、彼女の後ろで律儀に挨拶をしたホグウがいた。
 威厳を感じさせない様子のミアンナを指して、静流は「なんだこれ」とだけ口にした。ホグウは苦笑いを浮かべながら答えた。
「昨日、ブロッコリーステーキを作ったじゃないですか。それでひどく神経を使ったみたいで、昨日の夜からここで寝ているみたいです」
「そんなに難しいのか、作るの」
「買った肉が粗悪品で、筋があったんですよ。だからミアンナ様は包丁で肉を平べったくしたり、炭酸水に少しでも漬けたりと工夫に工夫を重ねた挙句、それでも柔らかくなりそうになかったからと、エーテルを」
「エーテルって、また聞き慣れない言葉だな。聞いたことはあるが」
 五界の知識で言えば、エーテルとは五つ目の元素だ。火、水と違い目に見えない元素として簡単な知識を静流は持ち合わせていた。
「三界で、旧人の皆さんの体内にある、いわば血のようなものです。エーテルは原動力。ミアンナ様はその原動力を使って、肉の筋を取り除くというなんとも細かなスキルを開発し、実用したということです」
「せっかく説明してくれてるところ悪いんだが、よく分からん」
 椅子に座った静流は、目の前にある皿の上に乗るハンバーガーを手に取り、頬張った。レタスがバンズの中からはみ出していて、分厚いハンバーグにはケチャップとマスタードが満遍なく塗られている。
「よく分からないのも仕方ないですよ」
 ケビンとアイラも席につき、静流より小さなハンバーガーを口にした。アイラは先に、赤いプラスチックに兎の絵が描かれたコップからキャロットジュースを飲んだ。
「旧人の皆さんはエーテルを使って、自分自身で様々なスキルを作り出すのですよ。うーん例えるなら、人間の皆さんは機械を使って生活していますが、旧人はエーテルを使って自分の生活を自分自身で便利にしていくのです」
「その原理がよく分からないんだが。自分の血で生活を豊かにするって」
「分からないと思いますよ、次元が違いますから。ただ、これは人間の方々を卑下しているのではありません。ちょっと旧人が特殊なだけですから」
 静流にはワイングラスが目の前に用意されていて、赤ワインが七分目まで注がれていた。戦い前の景気付けにはちょうどよく、静流は一度に飲み干した。
 食事を進めている間にミアンナは目覚め、寝ぼけた顔をして口元を腕で拭い、静流の顔を細い目で眺めている様子だ。
「おや、どうやら眠ってしまったようですね」
 彼女も大きなあくびをして、両腕を上に伸ばした。
 真っ先に彼女に声をかけたのは、ケビンだった。
「おはようミアンナ。なんか調子が悪そうな顔してるよ」
「寝起きだからです。元気いっぱいですよ、こう見えて。だって昨日は、肉の筋を取り除くスキルを覚えたのですから」
 妙な違和感を持っていた静流がこう口を挟んだ。
「スキルっていうか、魔法じゃないのか」
「いえ、シズル。これはスキルです。エーテルが生み出すものはスキルとして扱います。魔法は、ちょっと複雑ですから、今の私のボンヤリとした頭では答えられません」
「なら仕方ないよな。顔を洗って、お前も飯食え。美味いぞ、このハンバーガー」
 席を立った彼女は、重そうな足取りでリビングを出て自分の部屋に戻った後、十分くらいして、マシになった顔で戻ってきた。歯を磨いて髪だけ整えたようだ。
「今日はやけに身支度が早いな」
 今度はフライドポテトを齧りながら静流は言った。
「ええ、ちょっと疲れてしまって。私達は高度なスキルを開発すると、無気力と疲労感に苛まれます。そのせいでしょう」
 いつもより痩せこけたように見える彼女は、ほとんど朝食には手を付けずにミルクだけを飲んでいた。
 それでも双子たちが筆頭となって会話を構築し、今まで通りの朝食の時間が過ぎた。出陣の時間となると静流は立ち上がり、戦前のワインを飲み干しながら先にミアンナの部屋に向かった。一足遅れてミアンナも立ち上がり、足取り遅く双子たちに見送られていた。
 ミアンナの部屋の窓は開け放たれていて、強い風がカーテンを靡かせている。
 扉が閉まり、ミアンナとホグウが入ってくるとすぐに静流は手を伸ばした。
「今日は、やけにやる気がありますね」
 塞ぎがちな目をホグウから受け取った静流は、微笑みを返した。目的を持った静流は行動する。試合を早く終わらせ、一秒でも早くディーグの情報を知る必要があるのだ。戦いに賛成しないホグウからすれば、静流のやる気には複雑だろう。
「いつもと変わんねえよ。戦いに関しちゃ」
「そうですか? 私からしたら、ちょっと変わってるような気がします。私の目は中々鋭いですよ」
 ミアンナは静流の手を受け取り、三人で円になった。
「ちょっとだけ、生きたくなってきただけだ」
 眩い閃光が三人を包み込み、静流は再び戦場に駆り出された。
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