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文字数 5,442文字

 高級レストランにモーニングセットというのがあったら、きっとこういうコースが運ばれてくるのだろう。それも三ツ星で、フランスで。ミアンナ家の朝の食卓には熱心に作り上げられた料理が満遍なく並べられていた。仕事でフランスに行ったことはあるが、そこのホテルでも見たことのない料理がある。
 静流は正直、どの料理も名前が不確かだった。巻貝のような形をしたエスカルゴや、ブイヤスープはよく聞いたことがある。。ハムのような色がブロックの形になった料理、野菜やきのこ類の上に白いソースがかかった料理は食べたことはあるが、名前を覚えていない。食にこだわりのない静流にとって、食とは生きるために必要なものだ。ただ生きるのではなく、戦って生きるために必要なもの。
「どれでも好きな物を召し上がってほしい」
 どうやらカミツナギが全て一人で作ったもののようだ。ミアンナは目を輝かしながら口を開けっぱなしにしてフォークとナイフを両手で持っているし、カミツナギと仲の悪そうなホロエですら食欲と戦っている。彼女はカミツナギを嫌っているが、料理は大好物のようだ。それが彼女の心に矛盾を生み出している。料理を睨んだり、愛おしそうに見つめたり、目を逸らしたり。様々な感情が交差しているのだ。
 静流はいつもの席に腰を掛けた。長い背もたれに背中を預け、双子の姿がないことを疑問に思い、いつも二人が座っていた席を見つめる。
「少し、色々ありまして」
 ミアンナはそう言って、静流を見た。
 少し前にされた話を覚えている。双子はカミツナギとホロエを認めていない。認めていない人物が作った料理は、食べるに値しないということだろうか。以前、ホグウが家からいなくなった時。静流が作った料理は質素なものだったが、美味しそうに食べていた。
「もうお腹もペコペコですし、いただきましょうか」
 カミツナギはまだ洗い物をしているが、ミアンナの合図で朝食が始まった。
 真っ先に牛肉に手を伸ばしたのはホロエだった。よほど腹が減っていたのだろう、カミツナギに対する嫌悪の情も忘れて、次々と口へ食べ物を運んでいき、幸せそうに頬を落としていた。
 一番近くの皿にはレア焼きのステーキに、赤ワインで煮込んだような色をしたステーキがかかっていて、既に食べやすい大きさに切られたものがあった。ステーキの真横にはフライドポテトが盛られている。静流はステーキをフォークで刺し、口に運んだ。
 一口食べると、濃密なステーキソースの味がじんわりと広がる。バジル、オニオン、その二つの味が混ざり合って新たな風味を作り出し、スパイシーでありながらまろやかな味を出している。極めつけの肉は上等品で、歯で簡単に噛み切れるだけでなく、ジャンキーな噛み応えも表現されていた。噛めば噛むほどに味が染み込んでいく、たまらずにフライドポテトを口にすれば、凄まじい効力を持った至極品とも呼べる豊かな時間が降り注いできた。
 三ツ星レストランには行ったことがない。だが、もし行ったならばこの味が楽しめるのだろう、とも呼べる品だった。むしろ、これに勝るステーキはどこにあるのだろうか?
「前の朝食はこんなに豪華じゃなかったのに、カミツナギに何があったんだ」
 感動を抑えながら静流が尋ねると、ミアンナがこう言った。
「戦いの傷を癒してもらうために、頑張ってくれたそうです。シズルが食べたステーキソース、昨日は一日中研究していたのですよ」
「すごいな。カミツナギは料理人だったのか」
「さあ。私には分かりません」
 ちょうど口の中の物を飲み込んだホロエが、二人の応酬に入り込んだ。
「デチュラ様にひたすら扱かれたんです。元々ナギは、七界の独房の中で料理本をよく読んでいました。そこで、色々学んだのかも」
「七界じゃ本が読めるのか」
「はい。独房とはいいますが、マンションの一室に閉じ込められているようなものなんですよ。いつ死ぬか分からないことを除けば、暮らしやすいんです。頼めば、五界や三界から色々な物を持ってきてくれるし」
 五界の刑務所は、場所によっては地獄だ。イジメは当たり前だし、カーストだってある。性犯罪者は、国が違っても常に虐げられるのだ。虐げられた挙句、暴行で獄中死することもあるのだ。衛生環境が悪い刑務所は感染症のリスクも大きく、薄給の人間達の手で細やかな八つ当たりを受ける。
 映画では有名なショーシャンクの空に、は刑務所を舞台にしていて適当な描写だ。静流は脱走の訓練として本物の刑務所に入れられたことがある。脱走の方法として参考にしたのがその映画だった。
 驚いたのは、映画と同様にゲイから執拗な被害を受けた。反逆をしようと思えばできたが、場合によっては相手を殺害してしまう場合もあり、静流は耐えてきた。徐々に図に乗り始める彼らの好きにしてやった。境界線を超えそうになった時に、自分がマフィアであると話して大人しくさせたが。
 茹でられたブロッコリーを口に入れようとした瞬間、家のチャイムが鳴った。デチュラか、ミオラか。そのどちらかだろうと考えていた静流は、何も気にせず朝食を続けた。食べ物を飲み込んだホロエが立ち上がり、リビングから出て玄関の扉を開けた。
「一体誰だろう」
 片手で泡だらけのスポンジを手にしていたカミツナギがリビングキッチンから身体を覗かせている。黄色いエプロンには、胸のあたりにひよこの刺繍がしてあった。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 慌てた声のホロエ。玄関ホールを歩く音が聞こえ、やがてリビングが開かれた。
 顔を現したのは、紅だった。
 静流はナイフとフォークを置いて、彼を睨み付ける。
「落ち着け、静流」
 紅の横には、彼よりも背の小さい女性が立っていた。眼鏡を掛けていて、頼りない顔つきをしている。紺色のブレザーコートに、縞模様のニーハイソックスと短パン。髪色は黒く、橙色のヘアバンドをしていてセミロングだった。
 おどおどしていて、紅にペースを取られている。
「じつにくだらない試合だった。不等で、芸のない。私は謝りにきたのだよ、本心だ」
「謝りに来たのなら、そっちの女の子の名前も明かしてくれると助かるんだが」
 静流の視線が女性に移ると、彼女は両手を後ろで組んで紅を見上げた。
「いいだろう、話せ」
 異様な二人の関係を見て、ミアンナは訝しそうな顔をした。納得の行っていない、紅を卑下するような視線だ。
「あの、私はクワロって言います。エメージュです……」
 旧人が奴隷になったとミアンナは口にしていた。彼の許可が無ければ、話すこともできないというのだろうか。
「私が不等な試合だということは知っていた。お前のことを人間名簿で見たからな」
「俺を殺そうとしたな」
「試合が審議にかけられることは読めていた。だからその前に、お前を殺さなくてはならないと思った――お前、獣を飼っているな」
「なんの話だ」
「お前は一人のようで、一人でない。お前の持っているものは二重人格ではなく、本当に存在する別人格の存在だ」
 心の中にいる相棒を、二重人格と捉えたことはなかった。それに近い考えもしたことがあるが、神秘的な、奇跡的な力が宿っていることはよくわかっている。
 しかし、どうして紅がそれを知っているのかが分からなかった。
「私の中にもいるのだよ。お前と、似て非なる(もの)が」
「何……?」
「この世界に長くいれば、法則や秩序が分かってくる。その中で導き出した解において、線上にいたのがお前だった。だから、殺そうとした」
「どういう事だ。俺を殺して、お前に得があったというのか」
「俺じゃない。この世界だ。俺とお前は、産まれる前から相容れぬ者だったということだ。今はまだ分からないだろう、それでいい。だがいつか、知る日が来る――先の不等な戦いで、真実を知らぬまま逝かせようとしたことは謝る」
 紅は懐から煙管を取り出して、その味を堪能しだした。
「邪魔したな。行くぞ、クワロ」
 彼がリビングの扉を閉めようとした時、ミアンナが声をあげて紅を呼んだ。
「待ってください、あなたもしかして……!」
「ミアンナ。気付かないフリをしたのは、もうやめたのか」
「私は半信半疑でした。ですが」
「半信半疑という言葉は、お前に似合った都合の良い言葉だ。だがもう使えないな」
 それ以上の歯止めは効かないと言わんばかりに紅とクワロはリビングを出て、見送りもないまま家を出て行った。ホロエとカミツナギは目を合わせ、気まずい朝をどう片付けたものか悩んでいる。
 静流は気持ちを落ち着かせようと、再び肉を口に頬張ることにした。
 同じ人間が、もう一人いる。彼も心の中に相棒がいて、語り掛けてくるのだ。紅にあってからというもの、静流の中の相棒はいやに静かだ。何か理由でもあるのだろうか。
(理由なんかねえさ)
 静流が考えたことは、そのまま彼に直結する。
(昔を懐かしむだとか、どうすればいいのかとか、嫌な予感が当たっちまったとか。色々考えちまってただけだ)
(それが理由じゃないのか)
(ああ、まあそうとも言えるな。自分でも何考えているのか分からないし、これからどうお前に助言すればいいのかも分からないんだぜ)
(同感だ。広げすぎちまった風呂敷の畳み方を教えてくれる師匠がいれば、そいつに倣いたいくらいだよ)
 誰にも聞こえない会話が繰り広げられている中で、最初に声を出したのはミアンナだった。
 爽やかな朝とは無縁な、重い声だった。
「皆さん、私の中で噛み砕けなかった事実が、紅によって明らかになりました。ですが、少し考えさせてください。どのように言えばいいか……今一度、私も調べることがあります。ニムロドの件が片付き次第、お伝えします。それまで、今朝のことは考えずにいてください。お願いします」
 目の前のフランスパンを手に持ち、彼女は齧りながら立ち上がってリビングを出て行った。二階に上っていったから、自室に戻ったのだろう。他にも食べかけのハムがあったり、ややぞんざいだった。美味しそうな食卓を投げ出すほどの苦悩がミアンナの中に生まれたということだ。
「私もいただくとしよう」
 今となっては、カミツナギの空気の読めなさが幸いしてホロエも席に腰を落ち着かせて朝食を取り始めた。
 考え込んだミアンナと同じように、相棒も黙りこんでいる。二人はどんな秘密を抱えているというのか。静流は秘密に大した興味はないが、紅という男には関心があった。
 彼の強さの秘訣。その強さを知れれば、ディーグにも匹敵するやもしれない。稽古をつけてもらえるとは思えないから、独自で戦術を編み出すしかないだろう。
 また、忙しくなる。しかし忙しいほうが都合がよかった。酒を飲む量が減るからだ。

 クワロの首根を掴んで町を闊歩していた紅を、誰もが畏怖の目で見つめていた。彼は滅多に外に出ることがないから、その姿を見られるのは稀なのだ。彼自身の纏う神秘的なオーラも相まって、一部の旧人にはファンもいた。
 人間からしてみれば、彼は鬼そのものだった。その気になれば誰でも簡単に殺すことができるし、怒らせたら何をするか分からない。
 幸運にも、三界にいる全ての人間は彼の怒った姿を見たことがない。彼に憤怒という感情が眠っているのかどうかさえ、誰も分からないのだ。
 一度、彼は試合で追い詰められたことがある。一時間にも及ぶ死闘だった。その時でさえ、彼は闘いを全力で楽しんでいた。腕を斬られ、足を斬られようが。むしろ痛みこそ、彼にとっての快楽ではないかと錯覚するほどだった。
 町を歩いて向かった先は、クワロの家だった。それは表面上の筋書きであって、今は紅に乗っ取られている。紅を従者に迎え入れる前と、その後では家の様相は大きく変わってしまったのだから。
 江戸時代の城を思わせる正方形の塀の東には月見櫓がある。西には神社の本殿があり、迦楼羅天(かるらてん)が祀られている。
 中央は円形の深い池となっている。入口の門扉から少し歩くと木製の橋があり、橋を渡ると天守がどっしりと重く据えられている。
 華々しさはないが、町を展望できるほどの大きさを持つ異様な天守だった。江戸時代の日本の城を、そのまま刀で刈り取ったかのようだ。
 紅はクワロの首から手を離し、先に歩き出した。煙管を吸いながら前に歩き、門戸を押し広げて中に入ると、裸足になって天守の急な階段を上った。自室は三階だ。階段を上り切り、壁に掛けられていた脇差を手に持つ。その脇差は、堀川国広と呼ばれた脇差と瓜二つのものだった。
「この気配……」
 刃を研ぎ澄まし、紅は障子を開けた。
 部屋は広く、大屋敷を思わせる。畳には家紋が描かれていて、掛け軸には一罰百戒(いちばつひゃっかい)と筆で記されている。
 紅がいつも座っていた座布団の上には、ディーグが座っていた。
「待ちきれなかったんだ、せっかちなことは謝るが、まずはその物騒なモンをしまえよ。癪だ」
「お前の作戦も、一つ敗れたな」
「初手が決まらないのはよくあることだ。それより、そこのお嬢ちゃんは外に出といたほうがいいんじゃないか。ここから先は、大人の話だ」
 脇差を乱暴に地面に捨てた紅は、クワロにそれを拾わせ、外に出るように告げた。中に入ってきたら容赦はしない、彼はそう言わなかったが、言う必要さえなかった。クワロは理解していたからだ。
 嫌な時間が始まる。ディーグが家に来ると、クワロはいつも落ち着かなかった。世界が根本からひっくり返ってしまうような気がして、それを止められるのは自分だけのような気がして。
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