7-3

文字数 6,662文字

 右飛び斬りを防いだベルはレイピアを逆手持ちにして、体を捻って横から突く。肘でレイピアを破壊した静流は膝を曲げながらボディストレートを決める。直撃し、咳き込んだベルの頭を両手で掴んで頭突きで鼻にダメージを与える。顔を押さえながら彼は右正拳を左腕で受け、レイピアを持ち左右、上下に素早く振りながら前に突く。
 発砲音と同時に氷の砕け散る音が聞こえ、静流は引かれる直前のベルの手首を蹴り、一歩前に踏み込んで右下段足刀、同時に身体を捻らせて右足裏で顎を蹴り、ベルは地面に倒れるも、すぐに起き上がった。鼻から出ていた血を腕で拭き取った彼は、真に差し迫る気迫を持った表情で静流を見た。彼は白梅雨を鞘にしまった。
「ミアンナ様、どうやら、彼には負けられない理由があります」
 人間図鑑を手にしたホグウは、ベルのページを見ながらそう言った。口をつけていたティーカップをソーサーの上に置いた。
「分かるのですか?」
「ええ。ここに全部書いてますから」
 中世ヨーロッパの時代を生きてきたベルは、優秀な騎士兵として輝いていた。しかし天狗になっていた彼は戦争の真っ只中、仲間を差し置いて一人で特攻する。当然捕らわれた彼は醜い拷問の末、敵国の一員として身を置くことになる。助けに来なかったかつての仲間達を次々と殺戮し、戦争は彼の勝利で終わる。だが終わった途端に彼は暗殺の標的となり、住んでいた国を追われる。故郷へ帰るも、戦争により無残な貧相国となっており、到底人の住める環境ではなかった。
 実家に帰ると、そこには飢えで死んだ母親と、体の一部が欠損した父親の遺体が転がっていた。
「彼には兄もいましたが、行方知れずとなっていたそうです。兄を探している最中、彼は酷い暴行を受けます。自国を捨て、亡命じみたことをしたというのが理由です。自国でも暮らせないと判断したベルは、あてもなく森を彷徨います。一ヶ月かけて集落につくも、そこは彼の住んでいた国から逃げた人が作ったものでした」
 集落の中には彼の親友もいた。水だけで死を遠ざけていた彼にとって、もはや選択の余地はなかった。朝焼けに空が光る中、農作業をしている娘を見つけた。やせ細った娘はベルを村に招き入れるも、やはり袋叩きにあったベルは死を覚悟した。痛みさえ虚ろになってきたその時、親友の声が村人達を止めた。
 倒れるベルに、親友は手を差し出した。
「村で敵意の目を向けられながら、ベルは暮らしていたそうです。毎日石を投げられながら。でも親友だけは、ずっと親友だった」
 裏切りの前に、友情は無意味だと思っていたベルにとって、親友の行いは何よりも神々しかった。その日の夜に酒を飲んだ時、ベルは久々に声をあげて泣いた。自分の過ちに気付かされたのだ。
 親友は言った。お前は悪くない、俺も国を捨てた。迫りくる大群を前に逃げ、人々を先導してここで暮らし始めた。俺も国を捨てたんだよ――。
 裏切者の目で見られていたベルに挽回のチャンスが訪れたのは次の日だった。
「集落は森に潜んでいた盗賊団に脅かされていました。人を殺すと脅されて、農作物や金銀等を奪われていたのです」
「もしや、ベルは盗賊を倒しに」
「親友に止められながら、たった一人で盗賊を倒しに行きました。ですが、今度は相手が素人だったということもあり、討伐に成功します。入念に準備もしましたからね、一年ほど」
 侮辱の目は、一年の忍耐で成し遂げた恐怖からの解放によって賞賛に変わった。全員が全員彼を讃えたわけではないが、それでも集落での暮らしは豊かなものになった。
 人生に輝く時が一瞬でもあるならば、海の底に沈んでいた悪魔が始動する。まるで、人間は海の底がお似合いだというように、悪魔はベルを堕とす。
「盗賊は、大きな組織の一端に過ぎませんでした。敵国との癒着があったのです。自身の使い盗賊団が全員葬られたと知った敵国はすぐに動き出します。真夜中のうちに、集落を兵士達が取り囲んで」
 言わなくても分かることだからホグウは言わなかった。彼の人生を口にするには、あまりにも悲劇の度を越していたのだ。
 集落は炎に包まれ、立ち向かった親友含め村人のほとんどが死亡。ベルは兵士達を全員倒したが、既に遅かったのだ。最後は、炎に包まれた少年が走ってきて、ナイフで滅多刺しにされて抵抗することなく、生涯を終える。
「それで、彼の負けられない理由とは、一体」
 睨み合う両者の背負う過去に目を向けながら、ミアンナは言った。
「彼は勝っても、何かが犠牲になってきました。自分の名誉、村の人たち。彼は本当の勝利を探しているのです。この世界で生き続けて、戦いの意味を知るために。勝つことの意味を探るために」
 モニターを眺めながら、ミアンナは深く息を吸って目を瞑り、ゆっくり吐き出した。
 そして言った。
「戦いに意味なんて、ありません。意味があったら、こんな国は生まれませんでした」
 勝負は後半の佳境に差し掛かっていた。ホグウは二人の戦いを見逃さないように、二つの目で二人分の魂と向き合った。
 両者は互いに一定の距離を保ちながら息を整え、言葉さえ交わさずに目と目で語り合っていた。
 先に動いたのはベルだった。彼はレイピアを真っ直ぐ投擲しながら走り出し、横に回避した静流の顔面に真っ直ぐのジャブを放った。右腕で弾いた静流の頬にもう一度素早くジャブが放たれ、それを受け止めたと同時に大振りなストレートが動き出す。静流は銃で下から腕を撃ち、呻いたベルはしかし、咆哮をあげながらもう一度同じ腕でストレートをみまう。力の弱まったストレートを頬で受けた静流は、手刀を首筋に当て、滑り込ませるように脇の服を掴み、上に軽く持ち上げて、即座にもう片方の手で拳を脇下に打ち付けた。
 今度は伸びきった腕を掴み正面を向かせた静流は、心臓に掌底を放つ。両腕を後ろに大きく振って衝撃を流したベルは両手にレイピアを創り、片方を上に投げて静流の顔面に目掛けて二度突く。一度目は頭を後ろに反らし、二度目は横に避け、静流は白梅雨でレイピアを両断した。
 落ちてきたレイピアを手にしたベルは半回転させながら横に振るう。その武器さえ刀で破壊した静流は、日本刀でベルの腹部を貫いた。
 日本刀が腹に刺さったまま、ベルは両手で再びレイピアを持ち、渾身の力を振り絞って縦、横と無尽に振りながら避ける静流の腹部に後ろ周り中段蹴りを当て、跪いた彼の腕を切り裂き、出血する彼の右腕に風穴を空けるように切っ先を挿し込む。
 即座に水へと変わり、静流は立ち上がると同時に腰を回しながら右回りに回転し踵でベルの顔を、腕ごと刈った。よろけるベルの腹にささった刀を抜き、次は心臓に向けて刺した。大きくベルは血を吐き、その場に倒れながら、拳を地面に打ち付けて、立ち上がった。
「おい、もうやめとけ。これ以上は辛いのはお前だぞ」
「辛いとは、何のことだ。傷の痛みのことか? それなら、大したことじゃない」
「心臓を貫かれてるんだぞ」
「問おう。友を失い、住むべき場所を失い、愛さえ殺されるのと、心臓を抉られるのは、どちらが辛いと思う」
 震える手と足で立ち上がり、彼はナイフよりも小さな、氷柱のようなレイピアを手にしていた。
「もうよせ。それ以上、自分を苦しめるな」
 白梅雨を抜いたベルは口から血を流して筋を作りながら、走り、転んだ。そして立ち上がり、静流の腹にレイピアを突き刺した。
 崩れ落ちるベルの身体を、静流は手で支えた。力無く、ベルは何度も彼の腹を殴った。
「お前がどこの誰で、どうやって生きてきたのかは知らない。だが、お前の目は最初から悲しんでいた。簡単に分かったよ……」
 殴打する手を止め、ベルは血を吐いた。虫の息になっている彼を、静流は両手で支えながら静かな動作で仰向けにした。
 五発の銃声が鳴った。乾いた発砲音だった。
 血溜まりの中にベルは沈んでいた。黄金の髪が赤く染まっていく。ゆっくりと、着実に。
「私は、たった今気付いたことがある」
 見開かれた彼の目を、静流はそっと閉じた。
「勝利ほど、無価値なものはない。戦って、負けることに意味があるのだと。強者は自分が弱いことを忘れる。敗北の味が、それを思い出させた。だから私は、こんなに苦しかったのだな」
「戦いに勝ち負けもない。強いも、弱いもない。お前は生きるために必要なことを、ずっとしてきただけだ」
「ここで死んでしまったのだから、無意味なものになってしまった」
「お前以上に、俺は生きたかっただけさ」
 天井から階段か降りてきた。ガラスの窓が開き、天井に登れるようになっている。静流は傷付いた足取りで、一段目の階段を上った。
「私の罪は、国を裏切ったことでも、村を壊滅させたことでもなかった。五界に生まれ落ちたことこそが、罪だったのかもしれない」
 手すりに掴まりながら、静流は上った。五段目のガラスの段差を超えて、こう言った。
「五界にいる時に気付けてたら、もう少しマシな目つきになってたかもな」
 一段一段、重い足で踏みしめる。初めての超能力者との戦いは意味のある戦いとなった。
 最後にベルが見せたレイピアは子供サイズよりも小さい。全てがそうだと言うのではないが、おそらく超能力者は体力が枯渇すると技が稚拙なものに変化するのだろう。一体どういう原理で武器が生成されていくのかは不思議としか言えなかったが、驚く程ではない。
 一番最初、日に焼けたオッサンに殴られた時の衝撃に比べれば。
 ベルの攻撃も派手ではなかった。手にレイピアを創りだし、欺きながら攻撃をするといった手法だ。投擲しても武器は水に変わるから相手に奪われると案ずることもなく、世の剣術家なら憧れる超能力だろう。
 最後の段を登り終えた時、突然景色が変わったかと思えば、控室に切り替わった。拍手をするホグウと、安堵するように笑みを浮かべるミアンナが出迎えていた。
「扉を開ける必要もなくなったのか」
「今回がそういう仕様だっただけですよ、シズル。よく勝ちましたね、おかえりなさい」
 ミアンナは立ち上がり、バニラクッキーを静流に手渡した。戸惑いながらも口にした静流は、その味を褒めながら安楽椅子に座った。
「ミアンナ、一つ気になっていたことがある」
「なんですか」
「俺が戦いに負けたら、そのまま七界に送るつもりなのか。それとも最初から、また一緒に戦うつもりなのか」
「愚問ですね。七界に売りますよ。従者の戦績がよければよいほど、高く売れるんですから」
「ちょっと待った。売るって聞いてないんだが」
 今までは七界に連れて行かれるとしか聞いていなかった。ミアンナは確かに、売ると口にした。
 彼女は災いを口から呼んでしまったときのように、表情を固めた。
「言ってませんでしたっけ」
「なるほど、だから守吟神の皆さんは人間を売るわけか。負けた時に売って金になったら、その後の保険がきくもんな」
 人間を売る理由は金だけではないが、真っ当な物言いにミアンナは黙った。静流は淡々と言った。
「そんなバツが悪そうにすんなよ。五界でも似たようなことはいくつもあった。責めはしない」
 特に五界では、ミアンナのように罪悪感を感じる人間は少ない。奴隷商人は現代でもいるし、彼らは金儲けのためなら人の命を惜しまない。テロリストもそうだ。彼らは罪悪感を感じるどころか確信犯で、自分たちの行いの正当性を毎日のように説いている。
「むしろ、人間を売らない理由がないだろ。そりゃそうだよな。人間からしたら、何度でもやり直せるんだったら生温い世界だ」
「なぜ、怒らないのですか。自分の命を蔑ろにされて」
「五界にいた頃よりはマシだからだ」
 生きるために生きる。五界は、そんな簡単なことすら許されない世界。
 立ち上がった静流は、左手をミアンナに伸ばした。
「帰ろうぜ。早く横になりたい」
「はいはい。今晩は、お夕飯はいらないんでしたよね」
「分かってきたな」
 二人の応酬に目を細めたホグウは、彼も手を伸ばして三人で重ね合わせた。眩い光が覆われる。
 目を開けると、静流は自室のベッドの上にいた。すぐに服を脱いでシャワーを浴び、傷口を酒で消毒してからもう一度柔らかなベッドの上に寝転び――。
 途端、ドアが勢いよく開けられて双子が静流の上に飛び乗った。
「おかえりシズル! もう最高だったわ。あの人、とっても強かったわね!」
「ああそうだね。僕は、静流が銃を連射しながらあの人が剣を出したり消したりして避けるところは、もう息をするのも忘れちゃったくらいだよ。アイラ、今度の試合も録画してるよね」
「もっちろん。今夜は何度も見返して、考察するわ! 戦いの考察って本当に楽しいのよね。静流がどうして勝ったのか、とか。だけど最後はちょっと失速してたかしら」
「ベルも体力がなかったからね、前半ほど派手な動きはできなかったんだよ。ただその分気迫はあったよ。熱気があった」
「ま、見るからに超能力使いすぎてたしね。仕方ないのかもしれないけど。って、シズルどうしたの? なんで何もしゃべらなくなっちゃったの?」
 静流は両手でアイラの脇を掴んで身体を持ち上げて横に退かした。
「これ前もやったよな」
「覚えてるわ! 楽しかったこと! もう一度乗っていい?」
「俺にゆっくりする時間はないのかよ」
 時折双子にはうんざりする時間があるが、今回はその時同様の溜息を吐き出した。すると開きっぱなしのドアから、フェンの姿が見えた。
 彼女が来るとアイラはベッドから飛び降りて、彼女に抱き着いた。フェンは笑みを作りながら、アイラの頭に手を置いた。
「友達にトドメをさしにきたか」
 憎まれ口を叩いたつもりだったが、彼女は笑って受け流した。
「さっきの試合、見てたよ。どうやったらあそこまで強くなれるのか、教えてくれない」
「自分で考えろ。他人に教えられて強くなった気になってるようじゃ、戦士として終わりだ」
「じゃあせめて、組手をして私のどこがダメだったかを教えて。それくらいなら、残念な戦士は完成しないでしょ」
 もう一人、まだ体の上に乗っているケビンを横に退かして、静流は起き上がった。
「前のお前のテスト試合、あれは弱すぎる。組手をするまでもない」
「自分が弱いことくらい知ってるよ。だから教えてほしいって言ってるんだし」
「基礎がなってない。戦いの基礎くらいなら、本で習得できる。頑張るんだな」
 ベッド横のテーブルに乗っていた酒瓶を手にとり、口を付けて喉を焼いた。ジンの苦みが口の中に残る。
「分かってないわ、シズル」
 会話に入り込むようにしてアイラが言った。口調は少しだけ、静流を非難しているようだった。
「フェンはシズルに教えてほしいのよ。本で読めば分かるなんて、誰でも知ってるわ。シズルは友達でしょ。フェンが負けたら、もう会えなくなるのよ」
 もう一度ジンで喉を焼いて、静流は黙った。ケビンは静流の片手を、守るように握った。
「俺に、お前の友達としての役目が務まるかは分からない。自信もない。俺は常に一人で生きてきた、殺し屋なら当然の話だ。人と仲良くしろなんて、無茶言うなよ」
「私と友達になるって言ってくれたのは嘘だったの?」
「なろうとした。だが、俺にはやっぱり無理だ。何人も人を殺してきた。人と友達になって、優しさに触れる資格なんてない」
 嘘だった。その事実がフェンを独裁的にした。彼女は廊下を走って、やがて玄関のドアを押し開けて去っていく足音が聞こえた。
 これでいいと、静流は自分を納得させようとした。アイラは静流に悲しげな表情を向けて階段を下りて、ケビンはずっと静流の手を握っていた。
「シズル、本当に嘘ついたの?」
「最初は嘘じゃなかった」
 静流は枕に頭をピッタリとつけた。柔らかな羽毛が彼の頭を包み込んだ。その柔らかささえ、今の静流にとっては過ぎた優しさだった。
 一人の少女を傷つけた。心をナイフで突き刺したのだ。
 友を失う痛みと、心臓の痛み。どちらがより苦しいか。
「僕が見張ってるよ。シズル。ゆっくり寝て。あとさっきは、飛び乗ったりしてごめん。嬉しくてさ、勝ってきてくれたこと」
「気にすんな」
 苦痛を耐えるといった表現をした本を静流は知っている。その時は、何らかに耐える時点でそれは苦痛であり、苦痛を耐えるとは誤った表現だと思っていた。それが今になって、その表現の奥ゆかさを知るのだ。
 著者が耐えがたいほどの苦痛を味わった時に、苦痛を耐えるとしか言いようがなかったのである。静流は、フェンを苦しめた罪悪感に苛まれた。
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