6-1

文字数 6,459文字

 一晩寝て、身体の痛みはそこそこ回復し始めている。まだ決闘の命令は下っていないから、今日一日も療養に努めるべきだったが、静流には他とない用事があった。ミアンナと共に、学校に初登校する日だったのだ。
 朝、ベッドの上で寝るホグウに挨拶を終えると、双子に見送られながら二人は町へと出向いた。静流が町に来るのは初めてで、ミアンナは歩きながら町の説明をした。
「これからいく町は、ホリエナという国の中でも最も栄えた大都市です。名前はカッヘルバフといって、歴史は……すみません、説明できたらいいんですけど、私歴史に詳しくないんですよ。興味がなくて」
 一日前は大きく塞ぎこんでいながら、回復が早いのはミアンナの気質でもあるのだろうか。静流は不思議に感じながらも口にはせず、平坦な道をただ歩いていた。
「町の歴史に興味があるのは建築家とか、芸術家くらいだろうからな。どっちでもないお前は知らなくても問題ねえよ」
「なんかここで歴史をスラスラと語れたら、かっこよくないですか? 有識者みたいで」
「何を言おうとしているのかは分かるが、俺も大して興味ないからな。長話されるよりかは、さっさと終わってくれたことに感謝するぜ」
「そうですか、ならよかったです。あ、町の雰囲気とか知りたいですよね」
 どこか上機嫌のようだった。家にいる時よりも上機嫌で、かえって彼女の存在を尚更奇妙に仕立て上げた。ただ話したいだけだろうとは承知の上で、静流は仕方なく頷いた。
「大都会ということもあって、人は多いんです。朝も昼も夜も、多くの人が集まっているんですよ。ほぼ全てのお店やビルがあるといっても過言じゃなくて。商業の中心地でもあるのです。あと物価が他の町と比べて安いことも特徴なんですよね」
「安い? 普通は高くなるんじゃないのか」
「闘技場でお金の均衡が取れてて、大きくお金が動くんですよ。ホリエナはそれで儲けているので、物価が低くても問題ないんです」
 物価が低いことを除けば、静流の思い描いた都会図の通りにミアンナは語った。
 それからも彼女は他愛のない話を続けた。こんなお店がある、人間専門のお店もある。どれも静流の耳には入ってきたが、さほど関心を引く話ではなく、片方の耳から言葉がこぼれ落ちていた。
 都会は苦手だった。静流は、田舎の生活が身の丈に合っていると感じていたからだ。酒が飲めて、飯が食べられればなんでもいい。後は花があって、蓄音機もあれば尚良いだろう。それ以上の贅沢は求めない。少なくとも五階にいた頃は、質素な生活で事足りていた。
 多くの人間は退屈をゲームや、テレビや、ギャンブルで癒している。だが静流はそのどれもが不要だった。殺し屋として、常に命の危険に脅かされているのだから、退屈を感じる暇すらないのだ。
 三界にきて平穏になったとも言えるだろう。闘技では神経を張り巡らしているが、日常では落ち着いていられるのだ。ディーグという存在が出てきた以上、今までの生活は捨て去る必要が出てきたが。
 まだミアンナは知らない。静流がどうして学校にいくのか、その先の標的も。
「さあシズル、もう少しですよ」
 もう少しと言われても、付近には町らしい景色はどこにもなかった。人影すらない、平坦な道が続いているだけだ。
 疑問に思ったが、ミアンナはすぐに説明を付け加えた。門をくぐれば結界の中に入り込み、景色が一変するんだそうだ。魔法のような世界に静流は片方の口角を吊り上げて呆れたように微笑したが、今更この世界のファンタジー要素を疑問に思うことが最早おかしいのかもしれない。
 門が見えてきたところまでは、ミアンナの言った通りだ。
「さて、あの門をくぐれば町です。行きますよ」
 ミアンナが前を指すと、質素な造りをした門が見えてくる。この先に町があるというのは到底ならば考えにくい。
 先に彼女が門をくぐった。すると、その姿は突然消えてしまった。門をくぐる時に、ミアンナの身体がたくさんの泡になることから、やはりこの魔法の原理は想像がつかない。旧人の技術力は、静流の想像を遥かに凌いでいた。
 意を決することもなく静流は門を潜ると、文字通り世界が一変した。平坦だった道は消え失せ、たくさんの人が行き交い、立ち並ぶビルや商店街が目の前に見え始めたのだ。
「もう少し驚くかと思っていましたが」
 平常心を乱さない静流に、期待外れだった様子のミアンナがそう言った。
「全部説明されちまったら、驚くも何もないだろ」
「それはそうですけど。まあいいです。いきますよ、学校。ワクワクしてきませんか」
「別に」
「え? だって楽しいですよ。学園祭とかもありますし、食堂だって。五界の学校と同じようにできてるんですから、楽しくないわけないです」
 人間に優しい造りっていうことなのだろう。学校には通わなかった静流にとっては、初体験となる。命を落としてから学校にいくとは考えもしなかったが。
 目的を忘れず、ほどほどに過ごしていれば問題ないのだろう。青春をするにしては年齢が高すぎるだろうから、若い生徒達に任せるとして。
「同じクラスメイトの人とは闘技として交わることはありません、学校で暮らしている間はですけど。ただ、三日に一度戦いに出ることは変わらないので、クラスメイトも少しずつ減っていって寂しくなると思いますけど」
「安心しろよ、友達を作る気なんてない。誰がいなくなろうが関係ねェ」
 ぶっきらぼうな物言いに、少なからずミアンナは不安を覚えていた。
 道ゆく人々の間を進みながら、彼女はこう言った。
「友達を作らないと寂しいですよ」
「いらねぇよ。作ったところでいつかは、どうせ一人になる。旧人は知らねえが、人間は簡単に縁を切るからな」
「その言葉が出るということは、シズルは寂しがり屋なのですね」
「どういう事だよ」
 力が抜けた時のような目で、静流は隣にいるミアンナを見た。
「一人が平気な人ほど、友達がいても何も思わないのです。ですが一人が苦手な人は、シズルのように縁を切られることを恐れてずっと一人。重症ですね」
「恐れてるわけじゃねえよ。意味がないって思ってるだけだ」
「無意識に恐れています、私には分かります。だって――」
 理由を言いかけて、ミアンナは口を止めた。静流は続きを催促せず、単調に歩き続けた。
「学校に行きましょう。今はそれが大事ですから」
 門を潜ってから、町の都会の様子はずっと変わらない。最初こそ華やかな町なのだろうと上辺だけを眺めていたが、静流にはどこか物悲しく感じる節があった。空は晴れた青空なのに、人々は笑っているのに。町自体が、泣いているように感じたのだ。
 巨大な建造物がそこかしこに立っている。ニューヨークと違うのは、独特の形をしていることくらいだろうか。ビルの先端が折れ曲がり別のビルと繋がっていたり、積み木ブロックのように粗末な造りの建造物だったりと、まるで芸術作品を見ているかのようだった。
 それに、建物の色も様々だ。赤と黒の織り交ざったビルや、虹色の王冠をかぶったような丸い建物。まるで、サラダボウルの中のビルだった。
 人間の暮らしぶりと、大差ない景色だ。家族連れがベンチで休んでいたり、街路樹が生えていたり。車がどこにもなく、全て歩道であることは違和感を覚えるが、車が無かった時代はきっとこのように人で道が溢れていたのだろう。
「シズル、分かりますか」
「突然、どうした」
「この町、カッヘルバフは完成されています。非の打ちどころがないくらい。流通もインフラも、完璧といっても差し障りはありません。ですが、足りてないのです。この町には、愛がない」
 彼女は真剣だった。いつもの茶目っ気のある口ぶりからは想像がつかないほど、真っすぐな声だった。
「楽しそうに笑う子供達、幸せそうな夫婦。泣きそうな青年、一人ぼっちのお年寄り。色んな人がいます。それではいけない。皆が幸せそうにしていなければ、町として失格です」
「お言葉だが、それは厳しいんじゃないのか。皆が幸せになるなんて、できっこないだろ」
「五界ではそうだったかもしれません。ですが、ここは三界です。幸せでない人がいるなんて、論外なんですよ」
「ここは楽園か? 違うだろ」
「三界は、確かに楽園ではありません。でもシズル、たとえ皆が幸せになれなくても、幸せにしようとする人が一人いれば、救われる人もいます。この町は、それをしてきませんでした」
 言葉の隅に、憤りという感情が乗っていると静流は感じた。
「強い者が、弱い者を辱める。五界では許されようとも、この世界では許されません」
 人間は知らないフリをすることにおいては、誰もが天才的な能力を秘めている。揉め事が起きても、明らかに誰かが悪くても、見なかったことにするのだ。その能力は静流も引き継いでいた。ただこれは、自然な人間の摂理なはずだった。大昔、人間は自分の住処を守るだけで精一杯だった。意味のある言葉を話せなかった時代だ。
 他人のことを気にしているようでは、自分の身は守れなかった。その時代が長く続きすぎたせいで、他者に冷徹になっているのだ。
「本当は、旧人の人たちは皆優しいんです。他の国では、シズル達人間が思うような天国みたいな生活ができるんですよ」
「想像できないなこの間のディーグってやつも旧人なんだろ。根は優しいとか、考えられねぇよ」
「そうですよね。普通、あんな光景みたら誰でもそう思いますよ。さて、学校につきました。話していたらあっという間でしたね」
 目の前に見えてきたのは、広い庭を持つ豪邸のような佇まいの建物だった。黒い鉄柵に囲まれていて、薔薇の咲く庭園の中に噴水があり、煉瓦造りの階段の向こう側に大きな校舎が立っていた。
 白い円の支柱に支えられた玄関は扉が薄緑色で、所々ガラス張りになっているミアンナが好みそうな古風のドアだった。校舎の外観は、六階建てで、廊下に大きな窓がいくつもあり、天井は時計台になっている。全体的に色合いが茶色っぽく、上品な佇まいだ。
 庭には生徒達が出ていて、携帯ゲームをしている男性や、噴水の側のベンチに腰掛けて談笑をしている女性達の姿もある。全員が人間なのだろうか。少なくとも人混みではないのなら、静流は安心できるものだ。
「気に入りそうですか」
「さあな。これから校長に挨拶か?」
「いえ、もうこれから授業ですよ」
 唖然としてミアンナを見るだけで精一杯の静流は、言葉さえ出なかった。
「どうかしました?」
「入学手続きとか、そういうのしなくていいのかよ」
「あ、もうしたんですよ。今朝早く起きたので」
 人の気が変わることを一切考慮していない行動力に敬意を表して、静流はせせらぎのような笑みを浮かべるだけだった。
「さて、私の同行はここまでです。教室は一学年につき一つしかないので、このまま一年生の教室に向かってくれれば大丈夫ですよ」
「なんで一つしかないのか聞くのは、野暮なんだろうな」
「通わない人が多いんですよ。今更自分には不必要だと感じて断わる人間が多いんでしょうけど、結構いいところなのに、もったいない。私達守吟神(エメージュ)も、手続きが面倒だからって投げ出す人も多いんですよね。ああ、もったいない」
 ディーグの一件さえなければ、静流も行かなかったという話は喉奥にしまっておくことにした。
「それでは、行ってらっしゃい。帰る時はお迎えにきましょうか」
「地理はなんとなく覚えてからいらねえよ。子供じゃないんだ」
 ムスっとした表情を買った静流は、ポケットに手を入れながら学園の門を通り抜けた。
 ここから先は一人だ。何が起こるか分からないから、常に警戒するべきだろう。噴水の音が近づく度、生徒達の声が聞こえてくる。何の気なしに横を向いてみれば、おそらく体育館であろう建物が立っていた。校舎と渡り廊下で繋がっていて、中からはむさ苦しい声が響いてくる。広々としているから、よく声も響くのだろう。
 玄関扉の取っ手を掴んで奥に押したら、簡単に扉が開いた。
 中は灰色の壁で、入るとすぐに見えてきたのは靴箱だった。学年ごとに別れていて、ここから先は靴を脱ぐ必要があるらしい。
 靴箱の前で、女の子が一人携帯を触っていた。黒いトレーニングウェアに、紺色のジャージ姿だった。一年生用の靴箱の前にいるから、これから共に過ごしていく中なのだろうが、静流は挨拶すらせず、空いてる箇所に自分の靴を入れて、さっさと奥へと進んだ。
 靴箱を過ぎると広いホールだった。床は全面がカーペットになっていて、薄緑色だ。目の前に階段があり、左右にも廊下が続いている。天井には絵画が描かれているが、タイトルは分からない。少なくとも、五界にいるころには見たことのない絵だった。バロック画風で、赤ん坊の天使が描かれている。
 左右には鉄製のプレートが天井からぶら下がっている。左は大食堂、右は体育館や研究室、道場。プールもあるという。
「右の道は、魅力的だろう」
 花をそっと撫でる時のような、柔らかな男性の声が背後から聞こえてきた。静流は振り返って、こう言った。
「少なくとも、家に籠っているよりはな」
 眼鏡をかけて、黒色のカーディガンを着た中年男性が立っていた。やや猫背で、おっとりとした佇まいで。黒髪は天然パーマのように、様々に絡まっていた。
「ここにきて、まず始めに皆は自分の学生時代に戻れることを喜んでくれるんだ。次に、道場とかプールがあって、鍛えられるって喜んでくれる。でも、皆が一番喜んでくれるのは、やっぱりね、強くなることなんだよ」
「そりゃ、強くなったら誰だって嬉しいからな」
「強くなるって言ってもね、一概には言えない。真の意味で強くなるっていうのは、昨日の自分を超えるということ。皆それを実感してくれるんだ」
 彼は手に本を数冊持っていた。
「僕の名前は、クラッセル。可愛い娘がいる、旧人だよ」
「俺は――」
「クロカワ君だよね。ミアンナさんから聞いてるよ。僕は君の担任なんだ」
 プライバシーは遠くに捨てられたというわけだ。顔も知られているとは。
「僕は人の心が読めるんだ。だから分かるんだけど、君、あんまり学校生活に乗り気じゃないね」
 心も読まれているとは。むしろプライバシーは捨て去るべきなのだろうか。
「教師に向いてるよ、あんた」
「ありがとう。じゃあもっと向いてるって思われるように、クロカワ君の学校生活を楽しませてあげないとな」
「余計なお世話だ。楽しむ気なんてねぇよ」
「そういわずにさ。何事も楽しめば、人生ちょっとは明るくなるよ」
「人生っていったって、もう死んでるんだが」
 意味もない言葉に、クラッセルは短く笑った。
「本当の意味で、第二の人生が始まったんだよ。クロカワ君は肉体の死は経験したけど、魂の死は未経験だろう」
「一つ不思議なことがあるんだが、どうして肉体は死んだのに前の肉体のまま、三界に引き継がれているんだ。魂だけになったら、普通肉体も置いてけぼりだろ」
「この世界にきて、身体が軽く感じたはずだよね。気分も安定するとかさ」
 静流の後ろを、先ほどのスポーツウェアの女性が通り過ぎていった。まだ携帯を触っている。
「本来なら、クロカワ君は地獄にいくはずだった。その時は肉体じゃなくて、魂だけになっているんだ」
「煉獄を歩いてる時も、肉体はあったんだが」
「その時点で、既に三界に送り込まれていたんだよ。魂だけじゃ、戦っても意味がない。この話をすると授業に遅れそうだから、行こうか。案内するよ」
 煙に巻かれたような気分にはなったが、最後に静流はこう尋ねた。
「そういえば、一年のクラスって、今日が初授業なのか」
「そうだよ。皆初めて顔を合わせるし、僕も初めてのクラスで授業。だから、お互い頑張ろうね」
 既に完成されたグループに入ることほど、息苦しい空間はない。人見知りな静流にとっては拷問だった。だから何もかもがスタートだと聞くと、少しは安心もできようものなのだ。
 静流はクラッセルの背中を追いかけるように、階段を上って後についていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み