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文字数 5,715文字

 最初は風変りな地獄に訪れただけだと思っていたマッケローは、新たな主人から様々な言葉を授けられ、人知を超えた異界に飛ばされたのだと納得する。すぐに理解できるような内容ではなかったが、日を増すごとに自分の立っている居場所を計算できるようになる。
 新たな主人の名前はモモイという。身長は百五十前後で、丸いセミロングのピンク髪に、金色をした本のネックレス。服はいつも茶色のローブを羽織っていた。
「いいか、聞け人間。今日からお前が、私の召使だ。召使なのだからひと時も私の側から離れるんじゃぁない。そして返事はいつも、イエスだ。ノーと言ったら十分間耳元で大声で歌ってやる」
 自分よりも小さいから、彼女に威厳は感じなかった。むしろ虚勢を張っているようにすら見えるのだ。
 三界で暮らし始めてから、旧人がいかに平和的な種族であるかを知った。まず、彼らは争いを全く好まない。そして最も驚いたのは、三界に法律がないのだ。だから警察のようなものもいないし、施設を守る門番もいない。旧人はほとんど、相手と自分を尊んでいるのだ。
 だが、完璧な種族ではない。ディーグがモモイの家を荒らした時、彼女は涙目になっていたが全く反抗をしない。旧人にも、ディーグのような存在がいると知ってから、法律とは必要悪なのだと感じた。
 三界での暮らしは、わがままなモモイの側にいることは不便であったが悪い生活ではなかった。
 人間と違って、旧人はご飯を食べなくても生きてゆけるのだと言う。その証拠に、モモイはジュースを飲むだけで生活していた。痩せ細ったり、栄養失調になる兆しもない。モモイだけの特異体質ではない。
「わっはっは、ここまでだ悪の番人ジェルガー。私が来たからには、どんな乱れた秩序も正してやる。お嬢さん、今助けにいくぞ」
 マッケローが作ったぬいぐるみで、よくおままごとをさせられた。
「フフ。あなたには私を倒せませんよ」
「ストップ。マッケロー、ジェルガーはそんな慎ましく喋らないって設定。もうちょっと乱暴に言って」
「――ハッハッハ、てめぇに俺は倒せねぇ」
 咄嗟に役の性格を変えられるほどの演技力に目を輝かせたモモイは、興奮気味にシーンを続けた。
「それはどうかな。確かにお前と違って私は、弱いかもしれない。だが、お前よりも遥かに大事な使命を背負ってる。この使命が、私を強くさせるんだ!」
 三界に来てからそんなに時間は経たずに、この壮大な劇は始まった。最初は、マッケローが得意なマジックを披露した時だった。モモイの部屋に、細い糸を背中から伸ばした、サングラスをかけた男の人形を置いた。不思議がるモモイが背中の糸を強く引っ張ると、人形が動くハムスターに大変身。
 ハムスターは地面を歩き回り、ベッドの下に移動する。すると、ベッドの下からマッケローが出てくる。
「人形がハムスターになったかと思えば、今度はハムスターがマッケローになったぞ」
 サングラスをかけた男の人形が気に入ったらしく、モモイはシナリオを作ると言って劇は始まった。
 見せかけの手品ではなく、超能力を得たマッケローは自分の能力を使って劇を盛り上げていく。この劇の始まりは、深い森の奥に攫われていた、一人ぼっちのお姫様を助け出すところからだ。マッケローは森の舞台を作って、木を揺らしたり小鳥を飛ばしたり。
「マッケロー、すごいね。この劇楽しい。毎日やっていい?」
「いいですよ」
「ありがと。これだからマッケローが好きなんだよ、私。わがままに付き合ってくれて、こう見えて感謝してる」
「わがままにお付き合いするのは当然ですよ。それが僕の役目なんですから」
 いつもは別のベッドで寝ている二人だったが、その日はモモイの命令で二人で肩を寄せ合って寝る夜になった。
 三界のことで、また新たに分かった法則がある。旧人とは、いくつかの条件が揃った人間のみ暮らせるようになる世界ということだ。旧人を見ていると、条件を憶測できる。他者への奉仕精神は、条件の一つではないかとマッケローは思う。
 日が進むにつれ、モモイの劇は深い内容になってきた。孤独なお姫様を救いにいった主人公は、町に連れ出すも、その町はスラム街のような寂れた町で、貴族のような服装をしたお姫様に乱暴をする住民がいる中、そういった悪い大人たちを成敗しようとする子供達の集団。
 その子供達の内一人がついに殺されてしまい、お姫様は町を救うべく町の所有権を譲るように町長に申し出る。しかし、町長こそ諸悪の根源だった。町長はあえて貧困を蔓延する町を作っていたのだ。目的は、人種選別のため。
 風呂敷を広げすぎたせいで、モモイはたまに部屋に閉じこもってシナリオの続きに悩んでいた。毎日やると言っていた劇が、シナリオが追いつかないからと三日もやらない日があった。自分の経験談も踏まえてマッケローがシナリオのアドバイスをするが、モモイは大体突っぱねる。
「ちょっとあっち行ってて。今集中してるんだぞ」
「これは、失礼しました」
 そのあと、閉じ籠っていた部屋から出てきた時、モモイは「ごめん」と言って、アイスキャンディーをマッケローに手渡した。
「私のこと嫌いになった?」
「嫌いになりませんよ。大事な僕の主人ですから」
「本当に? だって、あんな言い方されちゃったら誰だって」
 白い手袋をした手と、小さな色白の手が重なった。マッケローはしゃがんで、モモイと目線を合わせていた。
「僕は、モモイ様に忠誠を誓ったことに一度も後悔したことがありません。もちろん今も。なぜなら、モモイ様のこと、なんとなく好きだなって」
 自分でもはにかみながら、マッケローは微笑を浮かべた。
 彼女と行動を共にすると、様々な無理難題を吹っ掛けられる。一秒でジュースを用意してほしいだとか、面白い話を聞かせてくれだとか。時折やんちゃになることもある。ベッドの上で一人で飛び跳ねていて、ベッドが壊れてしまったこともある。
 垢抜けない尊大な物言いも、彼女を表現できる個性の一つだ。マッケローは、彼女の虚勢の裏にある恐怖感を知っている。
 彼女は、三界で友達がいない。家に誰かを連れてくることもないし、外に出歩くこともない引きこもり生活。誰かが訪ねてくることもなければ、電話機は持ってすらいない。
「恥ずかしいことを言うんじゃない。お前が私のことを好きなのは勝手だがな」
 自分しか友達がいないのなら、誰よりも彼女を理解してやり、愛情を注いでやるべきだと感じた。たった一人の友達として、ずっと側にいたいと願った。三界のルールで、人間は戦いで負ければ七界に送られるか、また飼われることになる。
 しかし、再び飼われることには大きなリスクがある。
 モモイの持っている家具や金、家全てを売却するだけでなく、地位は最底辺となり、人間の超能力は奪われる。さらに人間は敗北した時点で、三界で過ごしてきた記憶を全て抹消されるのだ。
「マッケロー、分かってると思うけど負けたら承知しないぞ」
「そんなに心配ばかりしていると、嫌な未来を引き寄せちゃいますよ。モモイ様は、自信を持って見送ってくれればいいんです」
「うむ、それはたしかに。じゃあ、今度も頼んだぞ。次の褒賞は何にする」
「そうですね。あ、それなら鳩を一羽、お願いします。ちょっとやってみたいことがあって」
「鳩か。なんかつまらんなあ。まあよい、早く決着つけて、帰ってくるんだぞ」
 そろそろ、劇の主人公にもペットが必要だと感じていた。鳩は平和の象徴、劇の物語に上手に嵌る相棒だろう。
「じゃあ、行ってきます。モモイ様の分のジュース、もう控室に置いてありますから。ゆっくり飲んでてください」
 モモイの喜みに溢れた笑顔の後、マッケローは転送された。雨が逆さまに降っている、不思議な舞台に。

 みるみるうちに瓶の中が水で満たされていく。その様子を、マッケローは虚ろ気な目で見つめていた。
 静流は瓶を蹴ったり、隙間を探したりと抵抗しているが、無駄だ。
「申し訳ないと感じております、六龍さん。あなたは昔の、私の大事な主だった。あなたへの情は、一ミリたりとも歪んではいません」
 瓶の中は半分まで水が到達していた。静流の身体は浮いていて、瓶を殴る力も弱まっているように見えた。
 彼に聞こえない声で、マッケローはこう続けた。
「ですが、ですが――彼女を一人にできない。愛情を知ってしまったあなたになら、分かってくれるはずです。従事者としてでなく、男として」
 静流は瓶の中を泳ぐようにして体ごとぶつかった。その衝撃で、瓶は少しだけ傾いた。傾いてすぐ戻ると、再び静流は体当たりをした。彼は何度も同じ動作を繰り返した。
「僕が僕である内は、六龍さんとは二度と会えないのでしょう。だけど忘れません、絶対に」
 水が衝撃を援助して、瓶は横に倒れた。コルクはマッケローに向いていて、中の様子は分からなくなった。
 マッケローは瓶に背中を向けて、右手を上に伸ばした。
「これでおしまいです、六龍さん。あなたとの日々は、忘れません」
 瓶の真上に巨大な剣が現れた。柄のない、刃だけの剣だ。それは炎に包まれていて、蔦のような彫刻が刀身にされていた。マッケローは左手を上に伸ばし、右手で拳を作った。
 左手を手刀の形にして振り下ろそうとした時、妙な違和感が彼の胸部を貫いた。
 そして次には赤黒い鮮血が噴き出して、マッケローは地面に横たわった。
「そんな、はずが……!」
 空に現れた剣は静かに消滅し、瓶は粉々に砕かれた。粉になったガラスを踏む音が聞こえて、水浸しの静流が、呼吸のできない苦痛に苛まれるマッケローの真横に立った。
「どうして……」
 静流が指をさした方向には、コルクが落ちている。コルクには、銃弾が一つ通ったような穴が残されていた。
「水に濡れたコルクは、すぐに水分を吸収してボロボロになる。あれがプラスチックの蓋だったなら、俺は打つ手が無かった」
 静流は愛銃を取り出して、両足に一発ずつ、両手に一発ずつ放った。
「最後に、お前の優しさに救われたよ」
 腹部に一発、銃弾が貫通した。
 ついに喋れなくなったマッケローは、血を吐きながら下手な笑みを浮かべた。目を瞑って、人の好さそうな笑みだが、泣いているから下手くそだった。
 マッケローの頭部に銃を向けた。彼は右手を上に伸ばし、手のひらから一輪の花を咲かせた。青のアネモネだ。静流の指が、トリガーに乗った。
「やめて!」
 どこからともなく、少女の声が聞こえた。静流は前を向いた。すると、舞台の外にピンク髪の少女が立っていた。彼女は雨に濡れながら、精一杯の声で叫んだ。
「お願い、殺さないで! 私の大事な家族なのだ。マッケローは、皆の言っているような奴隷みたいな人間じゃない」
 催眠にでもかかってしまったかのように、手が動かなくなった。
「今回はあなたが負けて。お願い、もう一人ぼっちは嫌だぞ!」
「それ以上はなりません」
 今度は、静流の背中側からミアンナの声が響いた。彼女は毅然としていて、離れているのに力強い声で、こう言った。
「人間同士の争いに我ら旧人が介入すれば、どうなるのか分かっているはずです」
 ピンク髪の少女はその場で悔し気に膝をつきながら、雨に強く打ち付けられていた。
「私は、マッケローじゃないと嫌なのだ! 新しい人間を買えと言うんだろう? マッケローの記憶を消して、また買えとでも言うんだろう! 私は、今のマッケローじゃないと嫌なのだ。そこの旧人も分かっているだろう!」
「それは、あなたのわがままです。人間を買った時点で、覚悟をしなければなりません。必ず訪れる別れを」
「嫌だ! 絶対に嫌だ。頼む、マッケローを勝たせてほしい」
 少女は右手を前に伸ばした。彼女の手に白い球のようなものが集中し始める。
「やめなさい!」
 ミアンナの叫びは、耳を劈くような悲鳴が掻き消した。
 目の前で起きた現実を、五感の全てを使って表現するのは簡単な話だったが、静流にとってあまりに不快で、残酷だったために彼は目を瞑った。
 伸ばした少女の右手が腐り、地面に落ちたのだ。肉と骨が見える断面から、痛々しく血が滴った。少女はその場で蹲り、痛みのあまりに泣き叫んだ。だが、少女への償いはこの残酷な仕打ちをもってしても、まだ終わっていなかった。
 地面が彼女の足に纏わりつき、その場から逃げられないようにした。
「待って、ごめんなさい……。私が悪かった、もうしないから。もうしないから! 許して!」
「シズル、ここから先は見てはいけません、目を瞑ってください、彼女から目を離しなさい!」
 静流は少女を助けるべく走り出した。だが、外と内とで阻まれた透明な壁が、静流を弾き飛ばした。彼は二丁の銃で少女の足を撃ったが、跳弾した弾丸が静流の肩を撃ちぬいた。
「助けて!」
 少女の首に鎖のようなものが巻き付いた。肉の焦げる音が聞こえてきて、彼女の首から煙が噴き上げた。少女は、絶叫した。
 静流は何度も壁に当たった。血が出るまで、手で壁を殴った。
 少女は前のめりに倒れた。四つん這いになり、呼吸ができないのか口を開け、舌を垂らしながら酸素を求めた。
「シズル! これ以上見てしまうと、あなたの正気が失われてしまうかもしれない!」
 地面から、何かが生えてきた。五界では見たことのない何かが、少女の顔の真下から生えてきたのだ。木の太い蔦のようにも見えるが、液体をまき散らしながら横に震えるさまは巨大なミミズにも似ていた。まるで生きているかのようだった。
 少女の顔が、今まで以上に苦悶になった。
 静流が再び銃で壁を撃とうとした途端、静流は目の前が真っ暗になった。目を何度瞬きしようにも真っ暗なのは変わらない。
 様々な音が聞こえてきた。少女が吐くような音、何かが折れる音、気味の悪いものが落ちる音。胃が持ち上がり、吐き気を催すほどの悪臭。
 目が開けられなくなって、五分ほど経っただろうか。自分の鼓動の音だけが大きく聞こえてきて、静流は意識を失いかけた。自分が立っているのか座っているのかも分からなくなってしまった頃、明かりが現れた。静流は焦点を合わせながら、前を見た。
「なんだ、これ……」
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