2-3

文字数 6,231文字

 ふらりと揺れる静流に、追撃の一手は来なかった。
 モニターを見るミアンナの目は厳しく、手を組んだり離したり、そわそわとしていた。圧倒的に静流が押されていたのだ。ホグウでさえ「大丈夫ですよ」と軽快な言葉の一つも出なかった。
 獅鬼と呼ばれた男。彼はジーンクドーの達人という見方もできるが、ホグウから見れば、彼は殺陣の天才でもあった。経験から来る先読みの速さ、徹底した攻撃と防御のバランス。静流の攻撃を躱しながら、腰の入った一撃を当てる。スピードも静流と互角であり、手数が多い分静流は不利な状況だった。
「やっぱ龍ちゃんはすげえわ」
 肩を回しながら、レオナルドは楽し気に言った。
「こんだけ技を食らっても一向に倒れない。俺そういうトコ好きだぜ。だから戦ってて楽しいんだよな」
「お前もすげェよ。型に嵌るのが嫌いって言っておきながら、武術の基礎はきっちり守ってやがる」
 相手から目を離さない、呼吸を乱さない。腰の使い方、ブルース・リーのような機敏な動き。静流は、このままでは敗北まで一直線だと悟った。引退生活で戦いから離れていて、ついこの間再び戦いの嵐に身を投じた静流と、一生涯を戦いに費やし、死して尚戦い続けたレオナルドでは力量差が溢れていた。
 生きている間は、まだ双方同じ戦力だったものだ。
 どうしたことか、レオナルドは声をあげて笑い出した。
「なんだよ」
 静流は腰に手を当てて、語気を強めて言った。
「ごめんごめん、ちょっと――」
 どうやら相当おかしいらしく、暫く彼は笑いが止まらなかった。腹を抱えて、下を向いて笑っていた。もちろん、訳の分からない静流は唖然とするばかりである。
 ようやく笑いが収まったと言えば、レオナルドはこんなことを口にした。
「お前、初めてスマホを貰った時使い方分からなかったろ」
 機械音痴であることは、静流は自覚していた。
「それがなんだよ」
「組織間の大事なやり取りをするメールで、龍ちゃんが初めて打ったメール。覚えてるか?」
 思い出したくもない忌々しい記憶が、どこからか引っ張り出されてきた。静流の体温は若干上昇した。
「俺に送るメールじゃないのに、なぜか俺にもメールが届いたし、しかも――」
「おい、もういいだろ。あれは昔のことだ」
「しかも、しかも『了解、明朝にウラジオストクに出向く。イカ』って書いてあった。イカってなんだよ、イカって!」
「白い生き物だろ」
「知ってるよ。あぁ、本当に笑える! しかもいつだったか、絵文字にキュウリが乗ってたこともあったっけ」
「もういいだろ」
 機械は苦手だった。意味の分からない動きをするし、簡単に壊れる。到底、人生の相棒とはなれない存在だ。AIが地球を支配する前に逝けたのは、あながち悪いことではない。
 この話をミアンナにも聞かれていたと思うと、どうにも静流はレオナルドが憎たらしくなってきた。
「さて、いい加減にそろそろ続きをやろうぜ」
「いいね龍ちゃん、やる気満々だ」
 静流は左足を前に、右足を後ろに置いた。
 上半身を少し動かした時、相棒がこう囁いた。
(おう静流、もしかしてその構え)
 龍の型とも、虎の型とも違う構えが、静流の立ち方を完成させていた。
 両手を開き、二つの肘を軽く曲げる。右手を胸の位置に上げ前に出し、左手を少しだけ右手から後ろに引いた位置にして、同じように前に突き出している。今までの型と最も違うのは、呼吸法だった。調和道丹田呼吸法(ちょうわどうたんでんこきゅうほう)と呼ばれる呼吸で、上半身の力を抜き、下半身に重心を預ける呼吸法だ。
「おや、龍ちゃん。見たことのない構えだな。もしかして、俺が死んでから開発した?」
「昨日開発した。本を読んでな」
 雀閻道(じゃくえんどう)と呼ばれる、三界で出回っている本があった。人間向きに書かれた本であり、この世界の武道の一つだ。人間界の武術でいえば、ブラジリアン柔術が近いが、静流はその武術については詳しく知らないため、雀閻道の本だけで武術を磨く必要があった。
 あえて静流が開発と言ったのは、この構えは本に書かれた構えとは異なるものだからだ。本の構えでは、両手とも胸の位置にあり、左手が前に出ている。ただ、それでは静流のやり方にそぐわなかった。
「昨日作ったばかりってことは、その型で戦うのは俺が初めてってことか。いいねえ! 俄然盛り上がってくるじゃねえか!」
 レオナルドは拳を突き出して、不敵な笑みを作った。
 狼の型。それが、構えの名だった。
「よっしゃ、じゃあ早速お手並み拝見だ!」
 走り迫るレオナルドを目から逸らさず、静流は腰を落として膝を曲げた。
 レオナルドは間合いに立つや否や、右上段蹴りを繰り出した。右に回避した静流は、ボディをガードしていたレオナルドの左腕関節に、手首から手を滑らせるように圧力を与え、最後に手刀で退かした後、引かれたその手を掴んで自身の頭上に持ち上げ、片肘をボディに叩きこんだ。鋭い一撃は鳩尾に食い込み、続けざまに静流は、腕を回転させて胸に打撃を与え、掴んでいた手を離してから中段の足刀を与えた。
 狼の型は三連打を基本とする。一度目の攻撃で相手が反撃できない体勢に崩し、一気に打撃を与える。同じ箇所でもよければ、今のように違う箇所を狙っても良い。攻撃、攻撃、攻撃で三連打を決めたが、防御、攻撃、攻撃や、防御、防御、攻撃も三連打となる。この基本は、雀閻道をそのまま模倣したものだ。
 即座に体勢を取り戻したレオナルドは、右のジャブを放つ。静流は肘で拳を防御し、右脚を相手の股下に入れ、体で彼を押した。そして上半身を大きく回転させ、顎に肘を当てる。一歩引いて、ボディブローを左右の拳で二発。レオナルドが防御のために手を腹の位置まで下げた時に、静流の掌底が再び、レオナルドの顎に衝突した。
 構えに戻った静流に伸びたのはレオナルドのしなやかな足と、その動きだった。死角から伸びる足撃はしゃがんで避け、ちょうど足が頭上を通る時に両手で足を掴むと、大きく自身へと引いた。完全にバランスを崩したレオナルドに食らわせるのは渾身のアッパーと、心臓に向けてのストレート突きだった。静流は再び構えを戻し、レオナルドの服と左腕を掴み、大外刈りで転ばせ、眉間に二発拳を叩きこんだ。
 一般的な相手なら、この段階でノックダウンしているだろう。しかし、まだ試合が続くことを知っていた。この男は、この程度の傷で意識を刈られるような男ではないのだ。
 予測通り起き上がり、彼は言った。
「なるほど、中々面白い戦い方をしやがる。龍の型は攻撃、虎の型は技術、その型はさしずめ、流気(りゅうき)といったところか」
 控室では、ホグウが眼を瞠っていた。
 圧倒的に不利であった現状を、型を変えることによって打破したのだ。今は拮抗していた。
「勝ちを諦めず、その場にあった構えの選び方。この戦い、まだ分からないですよ、ミアンナ様!」
「ええ、素人目の私でも分かります。静流が押し返してきましたね。そして、今度は前回と違ってシズルそのものです。ホグウ、解説してくれませんか」
「ご友人は手数が多く、攻撃のペースに入るとシズルに反撃の隙はありませんでした。攻撃できたとしても、致命傷となる一手は与えられません。ですからシズルは、攻撃を受け止めるのではなく、受け入れたのです。つまり、相手の攻撃の勢いを殺さない。人間は攻撃をするとき、もちろんですが一定量の力が手、もしくは足にかかります。その力を、シズルは逆手にとって利用しているのです。例えば、お相手が得意としている足技は、攻撃を繰り出した時に片脚で立つことになります。片脚で立つというのは、簡単にバランスを崩しやすいということです。今までは彼は、片脚立ちになってもシズルに攻撃の隙を与えませんでした。さっきのシズルは反撃をするのではなく、繰り出される足を両手で掴み、後ろに引いた。後は勢いのまま、引かれるだけなのです」
 ミアンナは納得したようなしてないような、微妙な面持ちでホグウを見た。その視線に気づいたホグウは、いつもの細目に戻り、微笑んでみせた。
 ハーブティーのおかわりを持ってくるように指令すると、ホグウは慇懃にティーカップを受け取った。
 二人の戦士は向かい合っていた。一手先も許さないような気迫だ。軽口を叩いていたレオナルドも、今はその饒舌(じょうぜつ)ぶりを止め、真摯な目で前を、静流を見据えている。
 動いたのは静流が先だった。二歩大きく左右にステップをして、崩拳を繰り出した。レオナルドは右突きで反撃を試みたが、静流はその拳を肩で受け、ローキックを彼の脚に当てた。一歩引いた時、レオナルドは痛みを感じた足を前に突き出し、静流を逃さなかった。彼の片腕を強く蹴り、胸、肩、腹に五連撃の足刀を叩きこむと、更に前に進んで足の裏で押すように強く蹴り飛ばした。静流が再び構えを戻した時、目の前にレオナルドの姿がなかった。
「こっちだ、龍ちゃん!」
 彼は下にいた。股の下に入り込むように、仰向けに寝転んでいたのだ。彼は両手の拳で、静流の膝を強打し、足で彼の背中を蹴った。前によろけた静流は振り向きざまに裏拳を放った。
 その裏拳は、立ち上がっていたレオナルドの腕で防がれたが、静流は防御のその手を爪先で上に押し上げ、その手を掴んで力任せに彼を押し倒した。
(相棒、一旦引け!)
 旧友の声に従い静流は大きく後ろに下がる。直後、頭があった位置にレオナルドの脚が見えた。
(今の一撃、食らってたらいくらお前でもぶっ倒れてたぞ。俺に、感謝ァ!)
(はいはい、どうもありがとさん)
(あともう一つ言っておいてやる。お前もそろそろ体力の限界が近い、次の一手で締めないと、死ぬぜ)
 間違った指摘ではなかった。ルールもない、休息もない、水もないこの闘技場において、長時間の戦いは避けるべきだった。体力が無いのはレオナルドも同じだ。彼は立ち上がったが、肺で息をしていた。
 静流も同様に、突然彼は血を吐いた。船板が静流の血で濡れた。今まで蓄積されていたダメージが、今になって本性を現してきたというのか。
「龍ちゃん、どうやらお互い、そろそろ決着をつける時みたいだぜ。名残惜しいけどな!」
「そうみたいだな。別に、俺は名残惜しくもなんともねえが」
「そんな寂しいこと言うなよ。俺はこの世界で龍ちゃんに会えて本当、心から嬉しいんだぜ。もうじき別れなくちゃならねえって考えると、永遠にこの船の上にいてもいいような気さえするんだよなあ」
 恋人を作らなかったレオナルドにとって、静流が世界で一番特別な存在だった。敵にもなり、味方にもなり、良きライバルである静流が。
 大して静流は、大きな感情は持ち合わせてはいないが。特に興味もないレオナルドのことで知っているのは、美咲(みさき)と結婚して殺し屋を引退した時、レオナルドは美咲のことを憎んでいたことだ。引退してからレオナルドは、すぐに戦死した。
 特に興味もない、とは本当のことだが、良きライバルであるという点においては、静流は同じように感じていた。生きている間は一回もつかなかった決着を、今決める時だ。
「仕方ねえか。龍ちゃん、行くぞ」
「おう、来いよ。――相棒」
 相棒と言われて、レオナルドは嬉しそうに笑みを浮かべた。すると駆け出し、静流との間合いに入った。
 一手でも誤れば待っているのは敗北。敗北の先にあるのは、絶望と苦痛。静流は全ての神経を研いだ。
 先手を得たレオナルドは、右腕を上げてフェイントをかけ、左拳を真っ直ぐ静流の顔面に伸ばした。静流は右手で、彼の左肘を押して攻撃線を逸らし、膝を勢いよく曲げて、身体を捻りながらボディフックを放った。静流の手は、レオナルドの足で払われ、彼は同じ足を使って静流の眉間に足を延ばした。頭を動かして回避した静流は、側転して立ち上がり、両手を使って三連打を放つも、レオナルドは片腕で全て防ぎ、身体を曲げて正面を向けると同時に、強烈な右回し上段蹴りが繰り出される。
 体を後ろに逸らして避け、静流は右手で突く。その突きを、レオナルドは左手で跳ねのける。
 静流は、腰と膝両方を曲げながら左手を掴み、手前に引くと同時に胸に掌底を叩きつける。
 右フックをしゃがんで回避した静流はそのまま、足を延ばして前転した。胴廻し回転蹴りだ。その足は、レオナルドの顎に直撃した。立ち上がった静流の頬に右拳が打ち付けられ、続いて二人の左拳が激突した。そして流れるように、右、左、右と二人は攻撃を交互に受け流した。
(相棒、今だぜ! 打て!)
 絡まりあう腕を解いた静流は、両足に力を込め、中腰になった。レオナルドは胸の前で手を交差するが、静流の右足が結界とも呼べる腕をほどき、腰を入れた二連撃が胸に打ち付けられる。跪いたレオナルドの後頭部に大きな衝撃が走り、ついに彼は地面に伏した。
「ああ、ダメだ。頭がもうクラクラだ」
 静流はコートの中から酒瓶を二つ取り出した。一つはウィスキーで、一つはウォッカだ。その内のウォッカを、レオナルドに差し出した。
 仰向けになったレオナルドは、震える手で瓶を掴んだ。
 静流は静かに、その場に座った。
「久しぶりに一杯やろうぜ。酒を持ってきといてよかった。役に立つとは思わなかったが」
「酔拳でもやるつもりだったのかあ?」
「違ェよ。相手に酒を浴びせて酔わせてやるつもりだったんだ。お前は酒にめっぽう強いから、意味がなくなっちまったんだがな」
「ああ、龍ちゃんやっぱり頭脳派だよな。考えつきもしなかったぜ」
 蓋を何とか開けられたレオナルドは、空を見た。
 乾杯、と小さく静流が言って、ガラス製の音が響いた。
「懐かしいな、お前と酌み交わすのは」
「やっぱ最高だぜ、龍ちゃんと飲むのは。世界のどんな酒よりも一番美味しくて、楽しくて。……なあ龍ちゃん、俺に勝ったんだ。他のどんな奴にも負けるなよ」
「負けねえよ。子供の頃さんざん負けたんだ。敗北の味ってのは、さすがに飽きた」
「その心意気だ」
 しばらく二人は、酒の味を楽しんだ。その間に会話は一つもなかった。
 こんな話がある。よく話す二人と、特に話もしない二人。どちらが仲が良いかと聞かれて、男は特に話もしない二人と答える。なぜなら、語ることは全て語り尽くして、何も思い浮かばない二人であり、無言という空間を二人で過ごしても苦ではないのだから。
 先にウィスキーを飲み干した静流が立ち上がった。
 コートの中から銃を取り出した。
「龍ちゃんとまた会えて、戦えて、これ以上の幸せってないよな。この世界は地獄だと思ってたが、ちょっと違うのかねえ」
「さてな」
 撃てば、親友の自由は無くなる。売られるか、また主に飼われるか。売られれば、地獄の苦しみを味わうか、豊かな暮らしが待っているか。
 一発、右足に撃った。
 二発、今度は左足だ。
 三発、四発、五発。銃声は海鳴りに合わせて、鳴いていた。彼の手から瓶が落ちて、ウォッカが船板にこぼれている。川の流れのように、止まることなく。
 銃口を、彼の頭に向けた。
「龍ちゃん」
「なんだ」
「頑張れよ」
「おう」
 短い会話の後、最後の銃声が響いた。
 すると、一部の板が開いて梯子が見えた。今度はここから下に下がり、控室に戻れというのだろう。
 梯子を下る時、静流は親友を見た。
 この男は、悪い奴ではない。せめて安らかな夢が見られるような暮らしになってくれればと思う。
 うみねこの声が空しく世界を装飾し、後に残るのは空になった瓶と、大の字に寝転ぶレオナルドだけだった。
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