17-1

文字数 5,446文字

 一日と半が経って、静流は決闘に駆り出された。今度で七番目の相手だ。静流にとっては学校終わりの相手で、寝起きの体で対戦するよりは体力に余裕がある。ただ少しだけ、授業中に飲んでいた酒が頭を酔わせていて、雲の中を漂うかのような足取りだ。
 試合前に飲んできた水が酔い覚ましになることを祈った。
 周りは、どこか見覚えのある場所だった。遊園地だ。海沿いの道に建てられた遊園地で、名前は忘れてしまったものの、ウラジオストクのものだ。そしてかつて、静流が唯一遊んだことのあるテーマパークでもあった。
 空は午後五時を回っただろう空に、灰色の雲が覆いかぶさっている。遊園地には人気がないが、無機質に動く乗り物達は愉快な音を鳴らしていた。
 対戦相手は、どうやら人間をやめた怪物だった。
 身長は二メートル以上で、宇宙服のように太く頑丈な肉体。胴体には波打つ管のようなものが無数に散りばめられており、白い迷彩柄のミリタリーコートは襟足を立てている。顔には赤い超合金のマスクが鼻から下を覆っており、片目は瞼が溶けていて、片方しかない目には大きな眼球がスッポリと嵌っていた。唯一人間らしい場所があるとすれば、瞳だろう。青い目が、静流を真っすぐと見つめている。
 頭には毛髪がなく、人間の皮膚を縫い付けたような跡が残っている。
「冗談だろ」
 最初は手袋をしているとばかり思っていたが、その怪物の手は人間の三倍以上も膨れ上がっていて、鋭く長い金属の爪が生えていた。紫色の皮膚に、血管が浮いていて、中で血が暴走しているのが遠目から見ても分かる。
 静流は片手で拳銃を取り出し、両手で構えた。照準は眉間を捉えている。そして構わず、引き金を引いた。
 放たれた弾丸は怪物の眉間に命中した。本来の人間ならば、その一撃で戦いは終わっていたはずだ。
 だが怪物は倒れるどころか、生命力が削られる素振りすら見せなかった。怯む様子もなく、ただ立って静流を見ていた。
「こいつと戦えってのか。三つしかない銃で」
 並みの戦術で敵う相手ではない。今までの敵とは異なる戦い方で勝つしかない。相手は人間として生きることを捨てたのだから。しかし、現実に怪物は存在しない。五界で培ってきた経験を全て捨てて、勝機はあるのだろうか。限りなくゼロに等しい勝率をあげるには、戦う中で学んでいくしかない。
 昔と同じやり方だ。誰に教わるでもなく、自分で掴み取る。
 怪物は隣で回っていた観覧車の椅子を片腕で引きちぎり、静流に向かって投擲した。身を極限まで縮めて辛くも回避した静流の目に映ったのは、その大きな躯体とは思えないほどの素早さで迫りくる大きな影の姿だった。静流が立ち上がると同時に目の前に立ちはだかった影は大振りなフックを繰り出した。
 静流は両手で受け止めようとしたが、あまりにも大きな力が彼を力の方向へ吹き飛ばした。
 その衝撃で両腕の骨にヒビが入り、静流はしばらく立ち上がれずにいた。ゆっくりと方向転換をして、怪物は再び静流に迫った。彼は両腕の痛みに耐えながら苦痛のさなかに立ち上がり、走って怪物から遠ざかった。
 目の前に資材倉庫のようなものがあり、静流は扉を蹴破って中へ入った。中は木材やドラム缶、発電機のようなもの、乱雑に置かれた雑貨に歓待を受けた向こう側には棚が何列も並んでいた。静流は転ばないように足元に注意しながら道を塞いでいた発電機を蹴り飛ばし、奥へと急いだ。
 倒れた衝撃で発電機は息を吹き返したようだ。稼働音のようなものが聞こえ暗かった倉庫の中を明るく照らした。
「どうなってるんだ。くそ」
 爪でドアを引き裂き中に入ってきた怪物は、直進して歩行しながら確実に静流との距離を縮めていく。
(静流、分かってると思うが)
(久々に出てきたな。ちょいと今お喋りするにはタイミングが悪いぜ)
(お助けがいるかと思ってな。構わず俺は喋り続ける。まずは奴のパターンと、弱点を炙り出すんだ)
 目の前には貨物列車のようなものが建物の垂直になっておかれていた。静流は運転席に入り込み、後ろを見た。怪物は重い足音を立てながら歩みを止める気配がない。
(簡単に言ってくれるよな)
 列車から降りると、倉庫の出入り口が見える。静流は扉を開け急いで閉め、息を切らしながら倉庫から遠ざかり、海沿いのアスファルトを駆け抜ける。すると倉庫側方向から耳を劈く破裂音が聞こえた。
「嘘だろ!」
 倉庫を横断していた列車が、静流に向かって飛び込んできたのだ。静流は列車に当たる寸前で右横に飛び、肩から地面に落ちた。列車の一両目はあらぬ所へと投げ出されたが、怪物は二両目を両手で上に掲げている。
 次に、二両目を地面にぶつけたかと思えば、その車両はバウンドしながら静流に向かっていた。
「おいおい、おい!」
 静流は起き上がって腰を低くしながら、右手側に見えていた遊園地のお化けが描かれている建物へと急いだ。
(相棒、しゃがめ!)
 声が聞こえ、急いで身を屈めた静流の真上を列車が飛び跳ねていった。静流は遊園地の敷地内に戻り、怪物から身を隠すようにお化け屋敷の入り口に立った。そこにはゾンビの模型が置かれていて、天井からぶら下がっているテレビモニターには、ロシア語で十二歳未満の立ち入りを禁止するよう呼びかけが掛けられていた。
「あっちもこっちも化け物だらけでうんざりする」
 鍵がかかっていたドアを再び蹴破り中に入るや否や、おどろおどろしい音楽と共に首吊り死体の偽物が上から落ちてくる。静流はそれらを潜り抜け、ガラス張りになっている場所を頭突きし、中へ入り込んだ。何か使えそうなものがないか。
(相棒、腕が治ったぜ)
 突然の冗談の騒ぎに軽口をぶつけてやろうかと思えば、言われた通り確かに腕の痛みが治っている。
(これも、担当医の成果か?)
(だろうな。ヒビくらいならおちゃのこさいさいってところらしい)
 感謝する前に、周囲を探索する必要がある。遊園地という大きな施設だ。怪物と対峙できるほどの何かが眠っていることは間違いない。
 怪物は、おそらく元々は人間だったはずだ。そうでなければ同じ場所に呼び出されるはずがない。何かの気まぐれで人間以外と戦う羽目になったというならお手上げだが、相手が人間――すなわち心臓があって脳があって、生命力がある生物だと仮定すれば倒せる。
 あくまでも理想論だ。
 暗闇に目が慣れてくると、静流は高圧ガスのスプレー缶を発見した。ガラスの向こう側は控室のようなものとなっていて、壁の中にスプレーが埋め込まれていたのだ。
「スプレーで人を驚かせようってことか。少し借りてくぜ」
 壁からスプレー缶を取り外した静流は足元に気を配りながら道を進み、お化け屋敷の出口を目指した。途中何度かゾンビの声に驚かせられたが、もう少しで出口だ。お化け屋敷から出て火元を探せば、簡単な火炎放射器が作れる。炎はほとんどの生物に有効な殺傷手段だ。
 出口の明かりが見えてきたところで、出入口に何かが塞がった。
 紛れもなく、あの怪物だった。
「これもアトラクションの一つ、だとよかったんだがな!」
 静流は踵を返し、怪物の肩と壁が擦れる音から遠ざかっていった。入口まで逃げ切ったところで、奴が壁を破壊して屋敷から出てくるのを見た。
「なんなのよ、アイツ……!」
 控室にいたミアンナの横で、ホロエが手に汗を握りながらモニターを眺めていた。
 ミアンナは椅子に座りながら人間名簿のページを捲っているが、あの化け物はどこにもいない。そのはずだ、体が改造されすぎていて、原型を留めていないのだから。
「こんなの不利じゃないですか。シズルさんが、勝てるはずがない!」
「一見したらそうでしょうね。ですが、管理局は同等だと知って対戦をさせているはず。静流が勝ち方に気づいてくれれば、負ける相手ではありません」
「勝ち方って。一体どうやって」
「私たちが閃いたところで、静流に教える手段はありません。映画を見ているように、私たちは祈るしかないのです。静流の勝利を」
 理不尽な戦いだと信じてならないホロエは、若干の怒りを露わにして自分の爪を噛んだ。
「もし、もしシズルさんが負けたら――」
「ホロエ、それ以上は言ってはなりません。思考や言葉は、運命の決定に僅かながらも作用しています。私たちは祈るしかない。祈るしかないのです」
 ミアンナは諦めて名簿の本を閉じ、表に出している静穏な態度とは裏腹に、汗ばんだ手でティーカップを手に取った。
 そのティーカップを飲みもせず、ぬるくなったカモミールティーを揺らしながらモニターを食い入るように見る。空気に漏れ出す吐息の量は、秒刻みに増していった。
 静流は走りながら時折後ろを振り返り、正確に照準を合わせてトリガーを引きながら、二つの拳銃の弾倉が空になると落ち着ける場所を探した。怪物は大股に足を開きながら迫ってきている。
 遊園地を出たところに三階建てのビルがあった。コンクリートのビルで、静流は構わず中に入ることにした。ガラスの回転扉を抜けて中に入り、右手側の廊下、突き当りの階段を駆け上がって一室に駆け込んだ。どうやらオフィスのようで、人が生活していた気配を残したまま時間だけが止まったように存在している。
 ライターを探したが見つからず、静流は近付く足音に急かされるように三階へ向かった。
 三階のオフィスを横切り、給湯室に駆け込み、壁にとりついていた引き出しを開けて使える小道具を探した。だがライターよりもまず、静流は赤いポリタンクを発見した。中は油で満たされていて、周囲を炎上させるには十分な量だ。静流はオフィスまで走り、窓からポリタンクを遊園地側に投げ込んだ。
 落下音が聞こえるとほぼ同じタイミングで怪物が中に入り込んできた。静流は牽制するように銃で撃ちながら出口へ向かったが、剛腕な腕で投げられた机が出入口を塞いだ。そうして怪物は腕を振り回して机を破壊しながら静流へと一直線に走った。
 至近距離まで接近を許し、重いジャブを左脇に回り込むことで回避し背後をとると、背中に蹴りを放った。予想通り、少し怯むだけで大きなダメージではない。
 振り向きざまの裏拳を後ろに飛びのいて回避した静流は、急いでオフィスを出て階段を下りた。その最中、消火栓を見つけた静流はドアをこじ開け、中から消火用のホースを取り出した。根本から引き抜いた静流は先端にスプレー缶をはめ、蛇のようにうねるホースを首に巻いて火元を探す。
 ビルから出て遊園地。周囲を見渡す中で、突然脳の中に五界の記憶が紛れ込んできた。それは父親と遊園地に出かけた時みた、アトラクションの一つ。嫌だ嫌だと駄々をこね、結局乗らなかったジェットコースターの演出で火を噴き上げるものがあったはずだ。だがレールの真横についていたから、そこまで登らなくてはならない。
 目的のレールまで来て、ようやくその考えが浅すぎたことが分かった。レールは十メートルも上にある。もし上るならば、その間に怪物が来て試合は終わりだ。
 赤いポリタンクとホースを持って走るのは、想像を超えて体力を消耗する。
「くそったれ!」
 あまりにも理不尽な現状に、静流は憤るように地面に拳を突いた。背後からは着々と距離を縮める足音が聞こえる。
「お前の勝ちだ。化け物が。最初から俺が勝つようになんてできてなかった。出来レースだ。銃弾も効かない、隙をついても転びやしない。最高の試合だったよ!」
 静流は両膝を地面に投げ出す。弱点は炙り出せない、完全に力不足による戦いに意味はあるのかと投じるように。
「いや、この怒りはお前に対するものだけじゃないんだろうな。俺も限界なんだろう」
 ディーグ、ニムロド、様々な問題だらけの世界。
「殺せよ」
 目の前に聳え立つ怪物に、静流は睨みつけ、言葉を吐き捨てた。
 剛腕な腕が彼の頭を鷲掴みにし、締め上げる。脳みそが縮小されるような感覚が頭全体に広がっていく。息の仕方を忘れた体は、次第に抵抗力を失っていく。
 頭を潰される寸前に、怪物は静流を遠くへ投げ捨てた。彼は柵にもたれ掛かるような体勢で受け止められた。
 鋭い針で頭を刺される痛みがそこかしこにあって、立ち上がることすらままならない静流は、再び怪物が近付いてくることを知る。
(相棒、本当に諦めちまったのか?)
 心の中で声がする。無視しようとしたが、声はまだ言葉を止めなかった。
(相棒はここで終わるような男じゃない。それは俺が一番よく分かってる)
(黙れよ)
(ここで諦めたら、相棒が大事にしてきた信念はどうなる。ミアンナ、ホグウ、双子達。みんな、お前のことを家族だと思ってるんだぜ)
 静流は目を閉じ、風の音を聞いた。
(おい、六龍)
 六龍と呼ばれ、静流の魂が疼いた。久しく聞かなかった言葉だ。
(ナイフ一本で敵の豪邸を潰した。囲んできた五人を酒の瓶で全員ブッ倒した。そんな伝説を残してきたお前が、今更諦めてんじゃねえよ)
 次はとどめを刺しに来るだろう足音が、重苦しく体に響く。頭の痛みは、徐々に忘れながら……。
(お前がこれから立ち上がるのは、自分の家族のためだ。大事な奴らを、悲しませないためだ。生きて帰ろうぜ、相棒)
(……そうだな)
 目を開けると、前に立っていたのは静流を殺すために準備を終えていた者の姿があった。ゆっくりと腕を肩まで持ち上げ、肘を後ろに下げる。拳は、静流の頭に向けられていた。
 怪物は勝利を確信しているだろう。
 その腕は、そのまま真っ直ぐ突き進んだ。
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